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第2部 パンドラの箱:6 ファンフェアーの終わり

 停電事件を起こしてから一週間後の昼食休み、ジョーカーズは仕事人からムリロの楽屋に行くようにと言われました。

 「何だろう。全員呼ばれるなんて」タエは楽屋に行く途中、心配そうにつぶやきました。

 「やっぱり、停電事件のことかな」ニールが言いました。

 重い足を引きずりながら廊下を進み、ジョーカーズはムリロと名前の入った楽屋のドアの前で立ち止まり、お互いの顔を見つめ合いました。誰もなかなかドアをノックしようとはしませんでしたが、突然ガチャリと音がしてドアが開き、案内役の道化が現れました。じろりと醜い顔に見下ろされて、皆は小さくなってしまいました。

 「どうぞ。遠慮なく中にお入りください」道化は紛れもなく、ムリロの声で言いました。

 皆は身を寄せ合うようにして、そろりそろりと部屋に入っていきました。中には大きなソファーと鏡台があり、衣装が幾つか壁に掛かっていました。道化はジョーカーズをソファーに座らせて、自分は鏡台の椅子に腰掛けました。道化の姿なので、怒っているのでしょうか、笑っているのでしょうか、ムリロの表情は読めませんでした。

 「楽屋まで呼びつけたりして、すみませんでした。ところで、どうして私があなた達を呼んだのか、理由が分かりますか?」

 ケイは観念したように目を閉じました。やはり停電騒ぎのことに違いありません。ジョーカーズが何も言わないので、ムリロはまた話し始めました。

 「私はあなた達に、どうしても伝えておきたいことがあったのです」

 とうとう事件のことを責められるのでしょう。皆はますます小さくなりました。

 「パンドラの箱は、怪我をした芸人の代役だったことは知っていますね。あの箱も色々な騒ぎを巻き起こしてくれましたが、それももう今日でおしまいです。箱は舞台から降ろされ、倉庫にしまわれることになりました」

 「ど、どうして?」ウィルは恐る恐る聞いてみました。

 「どうしてって、怪我をした芸人が戻ってくるからですよ。箱の役目は終わったのです」ムリロはそこで一息つき、続けました。「芸人と一緒に、病院から戻ってくる者がいます。あなた達の友人のジュニアが、今日帰ってくると知らせがありました」

 「ジュニアが戻ってくるの?」ジョーカーズが全員顔を上げました。

 「今日の夕方、こちらに連れてきてもらえることになりました。このことを伝えるために、楽屋に来てもらったのです。一刻も早く教えたかったので」

 ジョーカーズが大喜びするのを、ムリロは微笑みながら見ていました。ノックの音がして、スタッフがショウの開始をムリロに知らせに来ました。

 「それでは、あなた達も仕事に戻ってください。今日はパンドラの箱の見納めの日です。またあんな騒ぎが起きないように、しっかりと頼みますよ」

 ジョーカーズはムリロの言葉に途端に静かになり、逃げるように楽屋から出て行こうとしました。しかし、ムリロは部屋を出掛かっていたノエラを呼び止めました。

 「ノエラ。これは、あなたの花ではありませんか?」

 ムリロが一輪のバラを差し出すと、ノエラはあっと声を上げました。そして大事そうに花を受け取ると、髪に飾りました。

 「アユザーネからもらった花だわ。何処で落としたのかと思っていたの。ありがとう」

 すると、道化に変装したムリロはにやりと笑いました。「どういう訳か、その花は電力室に落ちていました。停電騒ぎの時、鍵を持っていた猿と一緒に、床にあったらしいですよ。あなたが髪に飾っていたのを覚えていたので、私が預かっておいたのです。あの猿達はどうも手癖が悪いようですね。今後はお気をつけなさい」

 楽屋を出た後、タエが青い顔で言いました。「ほら、言った通りでしょう。絶対にムリロにはばれているって!」

 昼休みの後、一階の掃除をしながら、ニールとケイは停電事件について再び小声で話していました。

 「今思い返してみても、あの作戦が成功したなんて、まだ信じられないよ」

 「今日であの箱の出番は終わりだって。間に合って良かったな」

 「うん…。ねえ、ニールはどうして、かけらがあの箱から出てきたんだと思う?」

 ニールはケイの質問に一瞬考えましたが、すぐに首を傾げてしまいます。

 「どうしてだろうな。分からない。まあでも、考えても分からないことは、考えても仕方ないぜ。今分からないことは、きっと今は知る必要がないってことなんだよ。考えなくても、いずれ分かる時がくるかもしれないしさ」

 「考えても分からないことを、考えても仕方がない、か」

 ケイは目をぱちくりさせて、笑ってしまいました。あはは、と声を出して笑うと、ニールは少し赤くなりました。

 「ちぇっ。だから俺、ウィルに単細胞って言われるんだよな。でもどうにも分からないことを考えるなんて、時間の無駄だって思うんだよ。考えて分かるんなら別だけど」

 「そうだね。僕も、もう何も考えないようにするよ。ニールみたいに」

 「それじゃあ、俺がいつも何も考えていないみたいに聞こえるじゃあないか」ニールはますます顔を赤くしました。「どうせ、俺は単細胞だよ」

 ニールはふてくされたように、大笑いをするケイを横目で睨みました。

 その日の仕事を終わらせ、ジョーカーズはアローズ街に帰るために、劇場の入口に集まりました。そこにはムリロがいて、皆を待っていました。彼の横には大きな黒い犬が座っていました。

 「ジュニア!」

 皆はジュニアに走り寄り、ジュニアも嬉しそうに尻尾を振って駆け寄ってきました。七人と一匹は入口前の階段の上で、しばらくじゃれ合っていました。

 「傷は完治したとのことです。よかったですね」ムリロも嬉しそうに笑って言いました。

 ジョーカーズはジュニアを連れてアローズ街へ帰って行きました。帰った後、ケイは約束した通りに、ジュニアを連れてベニの所へ行くことにしました。

 「優しいのね。ジュニア帰還の知らせを、わざわざ伝えに行くなんて」

 ノエラ達に冷やかされて、ケイは決まり悪そうに笑います。

 「だって、約束したんだもの。ジュニアが帰ってきたら、会わせに行くって」

 ケイはジュニアを連れて出掛けていきました。出掛けると言っても、ただ一つ隣の建物に行くだけなのですが。すぐに彼らはベニの住む二〇一Aにたどり着きました。ノックをすると、中でガタガタと音がしてすぐにドアが開き、ベニの顔が現れました。ドアの外にケイとジュニアの姿を見ると、ベニはぱっと顔を赤らめて嬉しそうに微笑みました。

 「ジュニアが戻ってきたから、約束通り会わせにきたよ」ケイが言いました。

 ベニは嬉しそうにケイを見つめます。「まあ、嬉しい。それでわざわざ来てくれたの?」

 ケイとジュニアは、ベニの後について部屋の中へ入って行きました。

 「ケイ、ジュニア!」

 すぐに大きな声がして、ネルが走り寄ってきました。たった今お風呂から出てきたというように、頭にタオルを被り、濡れた髪から滴を垂らしています。彼はジュニアに駆け寄り、首に抱きつきました。

 「よかった。君にもしものことがあったらどうしようって、とても心配だったんだ」

 ジュニアはネルに抱きつかれても、静かに座ったまま尻尾を振っていました。

 「おい、いつまでそんな所に立たせておくつもりなんだ。早くこっちに入れてやれよ」

 居間から声が飛んできました。その声に、ネルはやっとジュニアから離れました。

 「お茶を入れてくるから、ゆっくりしていってね」

 ケイはベニに誘われるまま、居間へ入って行きました。

 「よお、ケイ。良く来たな。お前も良く来たな、ジュニア。まあ、座れよ」

 居間には、グループのリーダーのシュレトがいました。彼は集会の時と変わらず、長い黒髪を後ろで結び、体中に飾りを着けていました。

 「ジュニアがマフセを助けたって話は、アレスタから聞いているぜ。ネルは死ぬ程ジュニアを心配していた。ジュニアが死んだらどうしようって、寝言でも言っていたんだ、参っちまうぜ。これでやっと、安心して寝られるようになったな、ネル」

 シュレトの言葉に、ネルはさっと顔を赤くして頷くと、ジュニアを撫でました。

 「もう傷は平気なの?ちゃんと治ったの?」

 「うん、もう完治したんだって。傷の跡さえ見えない位だよ」ケイは答えます。

 ベニがお茶とお菓子を運んで、部屋に入ってきました。

 「今夜は、わざわざ来てくれてありがとう」ベニはケイにお茶を渡しました。

 「わざわざって、お前、ケイが来るのを今か今かと待っていたじゃあないか」

 シュレトが呆れて言うと、ベニは彼を睨みました。「ちょっと黙って、シュレト」

 「今日ジュニアが帰ってくるって知らせをアレスタに聞いてから、ずっとベニはお前が訪ねて来るかもしれないって、そわそわしながら一日中待っていたんだぜ」

 「もう、止めてって言っているでしょう」

 ケイはシュレトの視線から逃れるように、お茶を一口飲みました。

 「でも、本当に良かった。ジュニアが無事に帰ってきて」

 ベニが話題を変えるように言って、それでもちゃっかりとケイの隣に腰を下ろしました。

 「ところでお前、ジョーカーズの一員になって、ここでの暮らしには大分慣れたのか?」

 シュレトはお茶をぐいっと飲みながら、ケイに尋ねました。

 「うん。グループの仲間は愉快だし、ファンフェアーの仕事も楽しいよ」

 「ファンフェアーの仕事と言えば、何かこの間、えらい騒ぎがあったって聞いたぜ」

 「確か、停電騒ぎがあったって。本番中に起きたんでしょう?兄さんから聞いたわ」

 「う、うん。まあね」ケイは小さい声で答えました。

 騒ぎについて尋ねてくるシュレト達に、ケイは停電事件のことを話して聞かせました。しかし、自分達が起こしたなんて、口が裂けても言えませんから、全てを猿の仕業にしました。

 「へえー、それは大変だったねえ」話を聞き終わった後、ネルは驚きの声を上げました。

 「お前らジョーカーズらしい話だな。ジョーカーズの行く先は、常に騒ぎが起きるんだ」

 グループの他の仲間達、チテとラビアの姉妹と、見事な巻き毛の少年ハッキンも後から居間にやって来て、ケイはジュニアと一緒に二〇一Aで楽しい時間を過ごしました。初対面では威圧するような印象のあったシュレトでしたが、ケイは彼に好意を持ち始めていました。ジョーカーズのリーダーであるウィルとニールよりも、三才年上である一九才のシュレトはより大人で、一緒にいると安心するのでした。ベニはケイの隣に座り、ずっと嬉しそうに彼を見つめ続けていました。彼が帰る時も、ドアの所まで見送りに来てくれて、夢を見ているような眼差しでケイに手を振りました。

 二号館を出てジョーカーズのいる部屋に帰ると、全員が居間でケイを待っていました。

 「どうだった、夜の訪問は?」サムがにやにや尋ねました。

 「楽しかったよ。ネルもジュニアが無事に帰ってきたんで、ほっとしていた」

 ケイがシュレト達に停電事件の話をしたと言うと、皆は可笑しそうに笑いました。

 「まさか、誰も私達がやったなんて、想像もしていないでしょうね」

 「ところで、これからアーク捜しはどうするつもり?あれからまた新しい夢を見たの?」

 タエが尋ねると、ケイは首を振りました。「ううん、見ていないよ」

 「今はケイが新しい夢を見るまで、待つしか方法はなさそうだな。とにかく、ファンフェアーが終わったら休暇がもらえるから、もっと自由に動けるようになる。ケイは少しでも変わった夢を見たら、すぐに僕達に知らせて」

 ケイはウィルの言葉に、大きく頷きました。

 

ケイが鏡の世界に来た時から、すでに一ヶ月が経とうとしていました。アーク捜しにもようやく重い腰を上げ、向こうの世界に戻るために物事が動き始めたのでした。いつの間にか、季節は夏に移り変わろうとしていて、ファンフェアーもそろそろ終わる時期が近づいていました。公園に咲き乱れていた黄色い水仙の花も、いつの間にか散っていて、日に日に日差しが強くなっていました。

 「ここの仕事が終わるなんて、俺、寂しいな」

 ファンフェアー最終日の朝、ニールは残念そうにつぶやきました。

 「そんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいですね。やっとムリロにこき使われなくて済むと、大喜びをしていると思っていました。私も毎年ファンフェアーが終わる時は、やはり寂しい気がしますよ」

 ムリロはファンフェアー全体を見るように、劇場入口の階段に立って辺りを見回します。

 「本当に、今日で終わっちゃうのね」ノエラがしみじみつぶやきました。

 「今夜は最後の夜ですから、湖のほとりで花火を打ち上げます。劇場の後片付けをしても、七時には終わらせて花火を見られるでしょう」

 「本当?やったー」

 ニールとサムはすぐにでも湖に駆け出していきそうな勢いで、大喜びしました。

 「その前に、最後の仕事はきちっとやり遂げてくださいよ。劇場も最終日ですからね」

 ジョーカーズは全員そろって大きく返事をして、劇場の中に入っていきました。

 ファンフェアー最終日はいつもより大勢の人が押し寄せ、目が回る程の忙しさでしたが、無事に仕事を終わらせたジョーカーズは、ムリロに挨拶をすると、劇場を飛び出して行きました。ジョーカーズが花火を見に湖の方へ向かうのと同じく、大勢の人も彼らと同じ方向に向かって歩いていました。

 「あ、クレイ達がいるぜ」

 ニールがそう言って、湖のそばの人だかりを指差しました。見るとクレイを始め、マフセなどアローズ街の皆が集まっていました。アレスタやベニの姿も見えます。彼女は花火を見るために、兄のところに来たのでしょう。ベニが振り返ると、ケイは思わず立ち止まりました。いつものように、ベニとのことを皆に冷やかされるのも嫌でしたが、それ以上にアレスタの前でとなると、嫌なだけではなく恐怖を感じたのです。ケイはとっさにその場から逃げる言い訳を思い付きました。

 「あ、僕、ちょっと劇場に忘れ物をしちゃったんだ。皆は先に行っていてよ」

 ケイはそう言いながら、ぽかんとしているジョーカーズに手を振ると、小走りにその場を去って行きました。ジュニアも後を追ってきました。

 「花火までには、戻ってこいよ!」

 大声で叫ぶニールの声を背中で聞きながら、ケイは向かってくる群集を押し分けて進んで行きました。しばらくして脇道にそれて、立ち止まったケイのそばにジュニアはぴったりと寄り添いました。ケイは逃げてきたものの、これからどうしたものかと考えて、劇場を見上げました。そして少し考えてから、ケイはジュニアを連れて歩き出しました。モーティシーにお別れを言いに行こうと思ったのでした。

 劇場はもう閉まっていて、静かでした。裏側に回ってみると、案の定、数人の仕事人が荷物を運び出したり、荷台に積み込んだりと、忙しそうに働いている姿がありました。

 「どうしたんだ、何か忘れ物か?」仕事人の一人がケイに気付いて、声を掛けてきました。

 「モーティシーに会いに来たんだ。彼女はまだいる?」

 仕事人は楽屋に向かって、大声で叫びました。「おーい、モーティシーはいるか!」

 すぐに聞き覚えのある声が、叫び返してきました。「そんなに大声出さないで!何の用よ?」

 「お前さんに、小さいお客が会いに来ているぜ」

 人形の体が裏口から現れました。「あら、誰かと思ったらケイじゃあない。まだこんな所にいて、まさか残業?花火を見に行かないの?」

 「これから行くよ。でも、その前にモーティシーにお別れを言いに来たんだ」

 「まあ、優しいのね。あなた、退院出来て良かったわね」モーティシーはジュニアに笑い掛け、そして悲しそうに言いました。「来年までお別れね、ケイ」

 「いつ行っちゃうの?かなり荷物が片付けられているけど」ケイは周りに積まれた荷物の山を見回しました。

 「今夜よ。建物も夜中の内に片付けられるわ。明日の朝には何も残っていないわよ」

 「へえ、朝には何もなくなっちゃうなんて寂しいな。まさか、来年のファンフェアーまで、あなたはずっと倉庫の中にしまわれっ放し?ばらばらにされたミニ劇場と一緒に?」

 一年間も暗い倉庫の中にしまわれているなんて、ぞっとする話ではないですか。段々と埃を被っていく木の人形を想像して、ケイは気の毒になってしまいます。しかしモーティシーは笑いながら首を振りました。

 「そんなこと、あるはずないでしょう。私はブティーペティー劇場に戻って、また仕事よ」

 「モーティシーは、ブティーペティー劇場にいたの?」

 「そうよ。ミニ劇場に出ている芸人も、働いているスタッフも、全員そうよ。ブティーペティー劇場は知っているでしょう?ダーク兄弟が所有する劇場よ」

 ケイは初めてこちらに来た時に会った、栗色の髪をした赤鼻の道化師を思い出しました。彼は確かダーク兄弟だと自分で言っていました。では、彼が劇場のオーナーなのでしょう。

 「ダーク兄弟は劇場の他に、サーカスと、この移動式の遊園地を持っているの。サーカスと遊園地は常に世界中を回っているんだけど、毎年春にブティーペティー劇場があるこのフィドラクの町に集まって、劇場と遊園地とサーカスを一緒にしたファンフェアーが開かれるの。今年はスケジュールの関係で、サーカスだけはファンフェアーに参加出来なかったんだけど、その代わりに年末、この町で公演を行うことになっているらしいわ」

 「へえ、知らなかった」

 「あなた、本当に何も知らないのね。ファンフェアーで働いているのに、ハフレンも知らなかったんでしょう?私を見て、お化けみたいに驚いていたじゃあない」

 「ハフレンは命を吹き込まれた人形だって聞いたけど、誰にそんなことが出来るの?モーティシーを作った人って誰?」ケイは目の前の人形を、改めてまじまじと見つめてしまいました。

 「私に命を吹き込んだのは、ピエロの一族よ」

 「ピエロの一族?」ケイは聞き慣れない言葉に首を傾げました。絵里の部屋に置いてあったピエロの人形を、ふと思い出しました。

 「ピエロの一族は、ピエトロの教えを受け継ぐ人達のことよ」

 「ピエトロ?それって人の名前なの?」

 「ええ。もう何百年も前の人だけどね。彼はとても純粋な心の持ち主だったけど、不幸なことに生まれつきとても醜く、不具だった。そんな彼がコロンビーナという美しい女性に恋をするの。彼は彼女の気を引こうと、自分の醜い顔を白塗りで隠し、だぶだぶの服を着て不具を隠して、おどけて見せることで注目を集めようとした。それが道化役の始まりだと言われているわ。彼は手品、アクロバット、ジャグリングに始まり、様々な芸を身に付けたわ。そして、コロンビーナを思うあまりに月の力を借りたり、夢を操る力を手に入れたり、不思議な力を得て超人になっていくの。彼女のために、冬の荒野を一夜にして花畑に変えたり、天に昇って星を取ってきたりしたなんて話も残っているわ。しかし、そんな努力も水の泡。コロンビーナは他の男性と恋に落ちて結婚してしまう。ピエトロは悲しみに打ちひしがれて、哀れな自分を蔑むように、更におどけ者になっていくの。そして人々を笑わせながら、孤独に死んでいったのよ。ピエトロに惹かれて集まってきた弟子達によって、彼の不思議な力は受け継がれた。人々はピエトロのことを、単なるおどけ役の一般の道化と分けて、尊敬を込めて道化師と呼んだわ。ピエトロの愛称がピエロで、彼の力を受け継ぐ人達をピエロの一族、または道化師と呼ぶのよ」

 「へえ、知らなかったよ」ケイはすっかり驚いてしまいました。

 「ハフレンを生み出したのもピエトロよ。失恋の悲しみを紛らわせるために、コロンビーナに似た人形を作って魂を吹き込んだのが、ハフレン作りの始まり。見えない操りの糸を作ったのも彼。受け継がれてきた彼の不思議な力は、ピエロの一族だけの秘密なの」

 「だからモーティシーを作った人も、ピエロの一族なんだね。じゃあ、ムリロは?」

 「ムリロの作り主は、ダーク兄弟よ」モーティシーがさらりと言いました。

 「ダーク兄弟?そうか、あの赤鼻の人もピエロの一族だったのか」

 「ピエトロの死後、彼の力は三人の弟子に受け継がれて、三つの流れになった。アクロバットなど身体を使い、純粋に人に笑いを与える道化役を得意とした、赤鼻を付けたオーギュスト。月のように顔を白く塗り、パントマイムや手品などの神秘的な哀愁で人を魅了したミモス。彼は特に夢を操るのが得意だった。最後の一人はジョシュア。手先が器用で奇術を得意とした人よ。あらゆる奇術の道具を作り出したといわれているわ。道化師になるためには、三つ全ての流れを習得しなければいけないんだけど、自然とどれかのタイプに分かれるみたいなの。ちなみに私の作り主は、奇術を専門としたジョシュアタイプだったわ」モーティシーは懐かしそうに言いました。「ピエトロは不思議な力を手に入れても、愛を手に入れることは出来なかった孤独な人だった。おまけにハフレン作りで自分の命を削りすぎて、若くして死んだと言われているわ。ピエトロの不思議な力は色々伝えられているけど、中にはこんなものもあるわ。彼は鏡を通り抜けて、別の世界を行き来することが出来た。そして、別の世界で色々な人と交流して、自分の名前を数多く残した」

 ケイはびくっとして、自分を見つめるモーティシーのガラスの瞳を見つめました。絵里が持っていたピエロの人形が、再び頭に浮かびました。顔にメイク、おかしな衣装、ピエロという名前。確かにケイはピエロを知っています。しかしまさか、ケイの世界のピエロという存在が、鏡の世界のピエトロと関係があるなんて。絵里のピエロの人形が、モーティシーの言うピエトロだなんて信じられませんでした。

 「随分突飛な話だと思わない?いくらピエトロがすごい人だったからって、伝えられている話は信じ難いものばかりだわ。まあ、ダーク兄弟を見ていると、そういう突飛な話も真実に思えてくるから不思議ね。彼らなら平気で天に昇って、星をいくつ取れるかってお互い競争し始めても、ちっとも驚かないわ」モーティシーは笑いました。

 「ダーク兄弟のブティーペティー劇場は豪華なんだってね。僕も行ってみたいな」

 「あら、是非いらっしゃいよ」

 モーティシーの言葉に、ケイは首を振りました。「でも、お金がないもの。それにこんな汚れた服を着ていたら、中に入れてもらえないかも。入口で追い返されるよ」

 「そんなことないわ。あなたは私の友達でしょう」モーティシーは可笑しそうに笑いました。

 「ムリロも、ブティーペティー劇場にいるんだってね」

 「そうよ。彼は一番人気のある芸人だけど、不思議な人形だわ。私は人形遣いとして、沢山の人形やハフレンに会ってきたけど、彼だけはどうも理解出来ないのよ。同じハフレンなのに心が読めないの。もちろん、操るなんて出来やしないし」

 ムリロも彼女と同じようなことを言っていたのを思い出して、ケイは笑ってしまいます。

 「私達、良く喧嘩するのよ。と言っても、私が一方的に怒るんだけど。彼、私がわめけばわめく程、反対に楽しそうにするんですもの。調子狂っちゃうのよ。長く一緒にいるとね、案内役の道化とムリロの性格が重なって見えてくるの。変装も得意だから、どれが本物のムリロか時々分からなくなるし。あら、噂をすればなんとやらね」

 ケイが振り返ると、ムリロが二人の所にやって来るところでした。

 「ケイにジュニア。どうしたのですか、今頃こんな所で」

 「私に、お別れを言いに来てくれたんですって」

 モーティシーが言うと、ムリロはにっこりと笑いました。「そうでしたか。あなたにまた一人、素敵なファンが出来たようですね、モーティシー」

 「友達よ。ね」モーティシーはケイにウィンクして見せました。

 「ムリロ達は、花火を見に行かないの?」

 「残念ながらこの通り、帰る支度に追われていますよ。でもここからも見えますから」

 「ムリロもモーティシーと一緒に帰っちゃうのか。寂しいよ」

 「劇場に帰って、またこの人形と一緒に働かされるのよ。寂しいどころか、参っちゃうわ」

 モーティシーの言い方に、思わずケイは笑ってしまいました。

 「モーティシー。それではまるで、あなたが私と一緒に働くのを、嫌がっているように聞こえるではありませんか。誤解されるでしょう」

 「誤解じゃあないわよ。本当に嫌がっているのよ、私」

 「あなたはいつもそうやって、思っていることの反対を言って、皆を困らせるのですから。駄目ですよ、知らない人が聞いたら本気にするでしょう?」ムリロはやれやれと苦笑します。「モーティシーを見て、これがハフレンだなんて思ってはいけませんよ。普通、ハフレンは穏やかで正直者なのです。この私のように」

 「あら、それはハフレンの作り主によるわ。あなたの作り主はダーク兄弟じゃあないの。穏やかで正直者が、聞いて呆れるわ」

 ぷいっと横を向くモーティシーを、ムリロは可笑しそうに笑います。「それをすっかり忘れていましたよ。どうしてダーク兄弟から作られた私が、こんなにまともなのでしょうか」

 「そういうことは、自分で言わないでよ」

 「性格は別としても、才能はきちんと受け継いだようですよ」

 「だから、そういうことは、自分で言わないでって言っているでしょう」

 モーティシーが反発すればする程、ムリロは面白そうに笑います。ケイは不思議そうに人形達のやりとりを眺めました。この二人は仲が良いんだか悪いんだか。

 その時、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえたので、声のした方を振り向くと、こちらに駆け寄ってくるベニの姿が見えました。人形達も喋るのを止めて、ベニを振り返りました。

 「ケイ、やっぱりここにいたのね」ベニはケイの所に走り寄ります。「あなたが劇場にいるって聞いて、迎えにきたの。もうすぐ花火が始まるわよ」

 「うん、今行くよ。じゃあ、ムリロ、モーティシー、さようなら」

 「また会いましょうね。お元気で」

 「来年のファンフェアーで、またお会い出来るといいですね」

 ケイは二人の人形に手を振って別れると、ベニと一緒に湖へ向かいました。

 「あ、ケイ。こっち、こっち」

 大勢の人の中で、ウィルが大きく手を振りました。ジョーカーズの皆と、アレスタやクレイ達のグループも全員集まっていました。

 そのすぐ後、大きな花火があがり始めました。春のファンフェアーの終わりを告げる、盛大な花火でした。ケイは大きな花火が打ち上げられる度に、驚きの声を上げて空を見上げました。何という豪華で美しい花火なのでしょう。あらゆる色が空にきらめき、鳩やオウムの形が夜空を飛び回り、魚が駆け抜け、龍が火を吐き、それら全てが、鏡のような湖の水面に反射しました。ファンフェアーの一つ一つの出し物や乗り物も、花火で夜空に描かれていきました。

 ケイはしばらく夢中で花火を見上げていましたが、ふと我に返って思いました。この大きく打ち上げられる花火は、きっと町のいたる所からも見えていることでしょう。もしかしたら、ケイが捜しているアークという人物も、花火を何処かで見ているかもしれません。ケイはポケットに手を入れて、鏡のかけらが入っている革袋を握り締めました。アークがもし今この町にいたとしたら、きっと花火を見ていることでしょう。ケイは革袋を握り締めたまま、いつまでも夜空にあがる花火を見つめ続けていました。


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