表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

第2部 パンドラの箱:2 バスク家の鏡

バスクケの鏡について尋ねるために、ケイ達三人は早速、仕事中にムリロを探しました。しかし、広いファンフェアーの中で、彼一人を見つけるのは、簡単なことではありませんでした。それに今日は風がとても強い日にもかかわらず、客は普段より多くて、いつも以上に三人は忙しく走り回らなければならなかったのです。昼休みの時、やっと人混みから逃れた三人は、芝生に腰を下ろして一息つくことが出来ました。

 「こう忙しくっちゃあ、ムリロを見つけるなんて無理だな」ニールは芝生に座ると、疲れを吐き出すように、ほーっと大きく息を吐きました。

 「こんなにお客が多いと、仕事が忙しくて、バスクケの鏡どころじゃあないね」

 その時、突然突風が吹いてきて、ウィルは目を細めました。今日のお昼ご飯の赤豆のスープとハムサンドイッチが、危うく飛ばされそうになります。

 「今日が駄目なら、明日があるよ。バスクケの鏡が何なのか、きっとムリロは知っているんだから、いつでも聞き出せる」

 ケイも自分のお昼ご飯が風に飛ばされないようにしながら、サンドイッチを一口かじりました。そしてふと目をやると、ジュニアが後ろにある茂みに近づき、鼻でクンクンと何か調べていました。すると茂みががさがさと大きく揺れだして、次の瞬間、ひょっこりと頭が出てきたではありませんか。三人は驚いてギャッと声を上げてしまいました。

 「何だ、うるさいと思ったら、ジョーカーズか」

 顔を出したのはクレイでした。彼はあくびをしながら茂みから出てくると、三人のそばに腰を下ろしました。雨でもないのに、彼は相変わらず黄色いレインコートを着ています。尻尾を振ってじゃれ付くジュニアの体を撫でながら、クレイはまた大きくあくびをしました。三人もクレイに負けないくらいに、口をあんぐりと開けてしまいました。

 「クレイ、そんな所で何をしているの?いつからそこにいたの?」ウィルが焦りを隠すのも忘れて尋ねました。

 もしかしたら、今の話をクレイに聞かれてしまったのでしょうか?三人の心は不安ではち切れそうでした。

 「何をしているって、昼寝さ。お前らが来る前から、ここで寝ていたんだよ」

 クレイはまだはっきりと目が覚めていないのか、疲れたように首を左右に傾けました。

 「どうして、こんな所で昼寝なんかしているんだよ」

 ニールが少し怒ったような声で言うと、クレイは肩をすくめて言いました。

 「ここは、俺のいつもの昼寝の場所だぜ。お前らこそ、俺のお気に入りの場所で、どうして昼飯なんか食っているんだよ」クレイはそう言って、また芝生の上に横になりました。

 ケイは寝ている彼を見下ろして、尋ねました。「ねえ、クレイ。もしかして、僕達の話を聞いていた?」

 「何か問題でも?聞いちゃあまずかったのか?聞くつもりはなかったんだけど、嫌でも聞こえてきたからな。だけど、バスク家の鏡なんて、俺は別に興味ないし」クレイは目を閉じたまま答えました。

 三人はドキッとして顔を見合わせました。何ということでしょう、クレイに秘密を聞かれてしまったのです。しかし、そんな三人の動揺も知らずに、クレイがまた口を開けました。

 「あんなのは金持ちの道楽だよ。もしあんな物に金を使おうなんて考えているのなら、アローズ街の金庫番として忠告する。止めておくんだな。はっきり言って金の無駄だよ」

 三人はまた顔を見合わせました。クレイの言っている意味が分からなかったのです。

 「お金の無駄って、何のこと?」ウィルが恐る恐る尋ねました。

 「お前達、バスク家の鏡を買うつもりなんだろう?少なくとも、一ヶ月の仕事の報酬分はするぜ。馬鹿馬鹿しいことだ」クレイは目を開けました。

 「買う?」三人の声は、仲良くはもってしまいました。

 三人共、クレイの話が理解出来ないという表情で、お互いの顔を見ています。

 「クレイはバスクケの鏡のこと、もしかして何か知っているとか?」ニールは努めて平静を装って尋ねました。

 「お前、俺のことをからかっているのか?知っているに決まっているだろう。見たこともあるしな」クレイは寝転んだまま、じろりとニールを見上げました。

 「見たことあるって、何処で?」

 「何処でって、そりゃあ、店だよ。大きな百貨店には必ず置いてあるし、ヘイズには本店があるだろう」

 クレイは三人がとても驚いているのを不思議そうに見上げて、眼鏡を掛け直すと、むくりと起き上がりました。

 「何だよ。もしかして、行ったことないのか?バスク家の鏡の店に?」

 そろって頷いた三人を見て、クレイは眼鏡の奥にある目を細めました。

 「嘘だろ。俺が盗み聞きした腹いせに、からかおうっていうんだな?」

 「違うよ。本当に行ったことないんだ。バスクケの鏡が何なのかも知らない」

 ニールが言うと、クレイは眼鏡を持ち上げて、まじまじとニールの顔を覗き込みました。

 「お前達、本当に知らないのか?バスク家と言えば、国中で一番有名な鏡会社の名前じゃあないか。バスクって奴が作った会社だから、バスク家って名前なんだ」

 「鏡会社だって?」驚いてニールは叫んでしまいました。

 「そうさ。質も値段も一級品で、普通の鏡より格段に高いんだ。俺も初めて見た時は、びっくりしたさ。宝石で出来ているみたいに綺麗なんだからな。でも鏡なんて姿が映ればそれでいい。普通の鏡で十分だろう。わざわざ大金を払うなんて、金の無駄だって思うぜ」

 三人は想像もしていなかった意外なバスク家の正体に、頭が混乱してしまいました。

 「それじゃあバスク家って、会社の名前なの?バスク家の鏡はただの商品名だったのか。すると、バスク家の鏡は沢山あるってこと?」

 「そりゃあ、有名で人気があるから生産量は多いだろうし、毎年新作の発表会なんてやっているみたいだぜ。鏡を新しいデザインの額にはめて売り出すのさ」

 ケイは体から力が抜けていく思いでした。ストライザから聞いたバスクケという言葉が、アークを捜す重要な言葉だと思い、ウィルからバスクケの鏡と聞いた時、物語に出てくる魔法の鏡みたいに、特別な鏡であると考え始めていました。しかしいざ蓋を開けてみると、バスク家とは、ただの鏡会社の名前だと判明したのです。

 その思いは双子も同じようで、二人共肩を落として複雑な表情をしていました。それでもウィルは気を取り直して、クレイに更に詳しく尋ねることにしました。

 「バスク家の鏡って、一体どんな物なの?何がそんなに普通の鏡と違うの?」

 「一目見れば違いが分かるさ。透き通るように綺麗で、そこに映る姿は鮮明で、本物以上に美しく見える。硬くて、頑丈で、傷つきにくくて、それに…」

 「それに、何さ?」

 クレイが途中で言葉を切って思わせぶりに笑うのを、ニールが不安そうに見ます。

 「バスク家の鏡には、持ち主の魂がのりうつるって噂があるんだ。持ち主に何かあると、鏡は割れてしまうらしい。本当かどうかは知らないけど」そしてクレイは腕を組み、首を振りました。「お前達、世の中のことを知らなきゃあ駄目だぞ。有名なバスク家も知らないなんて呆れちまうよ。今度中心街に行く時、一緒に連れて行って少し勉強させてやる」

 クレイの言った通り、バスク家を知らないのはケイ達三人だけのようでした。昼休みの後、試しに三人は近くにいる人達にバスク家について聞いてみました。すると、誰もが皆口をそろえて、知っていて当たり前だと答えたのです。仕事人(裏方の力仕事をする人は、こう呼ばれていました)の中には、バスク家の鏡を家に持っていると自慢げに言う人までいました。

 「本当に知らなかったのは、僕達だけみたいだね。でも仕方がないよ。僕達はこちらの世界の者じゃあないんだから」ウィルが肩をすくめます。

 「でも、ケイはともかく、俺達はこっちに来て九年になるんだぜ。なのに知らないなんてさあ。クレイの言う通り、俺達は物事を知らなさすぎるのかな」珍しくニールは少し落ち込んでいるようでした。

 「ずっと貧乏暮らしで、高級品とは縁のない生活だったからね。知らなくても仕方ないさ」ウィルが暗い顔をしている弟を慰めるように言いました。

 「それに、ムリロに聞かなくても、バスク家のことが分かったんだし」ケイもニールを元気付けるように大きく頷きました。

 しかし、更に謎は深まってしまいました。ケイがストライザから預かった鏡のかけらが、バスク家の鏡であることは想像出来ました。クレイが言ったように、宝石みたいに美しいからです。でもそれがどうしてアークを捜すヒントになるのでしょうか。ストライザが奪われまいと必死に守ろうとした物が、ただの高級鏡のかけらなんて。輝きは宝石のようなので、サーカスの人が値打ちのあるものと勘違いしたのは分かります。でも鏡のかけらが人を捜すための重大な手掛かりに、どうしてなるというのでしょうか。

 三人が頭を悩ませていると、突然ものすごく強い風が吹き抜けました。続いて遠くからメキメキという物が壊れる音と共に、人々と動物の叫び声が聞こえてきました。

 「何だ、あの音は?」ウィルがとっさに音のした方を振り返りました。

 ジュニアがぴんと耳を立てたかと思うと、一目散に音のする方へ走り出しました。

 「あっ、ジュニア!何処に行くんだ!」

 ケイは慌てて叫び止めましたが、ジュニアは行ってしまいました。周りの人々も驚いた表情で、音が聞こえる方向に走っていきます。

 「ミニ劇場のある方だ。行ってみよう」

 同じ方角に走る人々の間をぬって、三人は急いで劇場の方へ走り出しました。途中でこっちに向かって走ってくるタエに出会いました。

 「ウィル、ニール!それにケイ!」

 タエは真っ青な顔をして走ってくると、ウィルの腕にしがみつくようにして止まりました。

 「タエ、どうしたんだ?」

 「大変だ。た、大変なんだ」タエは息を切らしています。「マフセが、猛獣に襲われている!」

 「猛獣だって?」ニールが声を上げました。

 「さっきすごい風が吹いて、屋台のテントが倒れたんだ。そしたら、近くにあった猛獣のメリーゴーランドにテントが落ちて、ライオンが驚いて暴れ出した。お客は急いで避難したけど、仕事をしていたマフセが逃げ遅れちゃったんだ。すぐに仕事人が武器を持って集まって来て、僕はマフセのグループのリーダーのアレスタを呼んでこいって、頼まれたんだ」

 「お前はこのまま、アレスタを探しに行け!俺達はマフセの所に行く!」

 ニールはタエにそう言って駆け出しました。ウィルとケイも後を追って行きました。

 事故現場は野次馬で溢れていました。三人は人混みを掻き分けてメリーゴーランドまで行きましたが、もう全てが終わった後でした。ライオンはすでに檻の中で大人しくなっていて、マフセは仕事人に囲まれるように座り込んでいました。マフセはアレスタのグループの一人で、気弱そうな色黒の少年でした。

 彼に駆け寄ろうとしたケイ達の足が、凍りついたように止まりました。血が点々と地面に落ちていて、仕事人が数人集まってしゃがみ込んでいたのです。血を見て立ち尽くしてしまったケイに、マフセが駆け寄ってきました。

 「ケイ、ジュニアが。ジュニアが僕を助けようとして…」

 ケイの顔から血の気が引いていきました。考える間もなく、仕事人が集まっている所に走り寄ります。そこにはシンザがいて、彼を止めようとしました。

 「ケイ、見ない方がいい」

 しかしケイはシンザの体をすり抜け、仕事人がしゃがみ込んでいる所を見下ろしました。そこにはジュニアの大きな黒い体が横たわっていました。ジュニアの喉元には大きくえぐったような傷があり、真っ赤な血が黒い毛をべっとりと濡らしていました。

 「ジュニア!」

 ケイはジュニアの横に崩れ落ちるように座りました。ウィルとニールも走ってきて、ジュニアの姿に息を呑みました。

 「早く手当てをしないといけない。とりあえず建物の中に運ぼう」担架を持った仕事人が来て、ジュニアを担架にのせました。

 すぐ近くにはミニ劇場があったので、ジュニアはその中に運ばれることになりました。

 「大勢で入って騒ぐと困るから、付き添いは一人だけだ」シンザが言いました。

 「僕達は外で待っているから、ケイが行ってやって」ウィルがケイの肩を叩きました。

 ジュニアは担架にのせられて、建物の中に素早く運び込まれて行きました。ケイも後に続いて中に入って行きました。血を見たせいでしょうか、少しふらふらしました。

 建物の中に入ると、細くて長い廊下が真っ直ぐに奥へと伸びていて、両側の壁には、いくつもの緑色のドアが並んでいました。どうやら劇場の裏口のようでした。担架を運ぶ仕事人の足は速く、ケイはあっという間に彼らを見失ってしまいました。急いで後を追って、廊下の突き当たりを右に折れると、色々な物が散らばっている広い廊下に出ました。

 途端にケイの視線があるものに集中しました。それは廊下の真ん中に一直線に伸びる、一本の赤い紐でした。あの奇妙な夢に出てくる赤い紐そっくりでした。ケイはびっくりして立ち止まってしまいました。

 赤い紐はするすると蛇のように、廊下の奥に向かって動き出しました。ケイは紐の後について行きました。赤い紐は真っ直ぐと廊下の奥へと進み、突き当たりにあるドアの下を通って中に吸い込まれていきました。ケイはドアに足早に近づいて行き、少し手前で立ち止まりました。

 中の様子を探ろうと、ケイが足を一歩前に踏み出した時でした。ドアが、ギギ…、と重そうな音を立てながら開き、腕に赤い紐を何重にも巻き付けている仕事人が出てきました。

 「オーイ、次のショウに出す道具が、まだ一つ残っているぞ。早く運び出せ」彼はケイの後ろに向かって、いらいらしたように叫びました。

 そこは劇場の倉庫なのでしょう。部屋の中には物が沢山積まれているようでした。仕事人の腕に巻かれているのは、ケイが見た赤い紐でした。恐らく、ショウで使ったのを倉庫にしまうつもりで巻き取っていたのでしょう。

 倉庫の中にある大きな長方形の黒い箱に気付いたケイの心臓が、ドキンと大きく高鳴りました。箱の蓋には、夢で見たような、大きな赤いダイヤの形をしたガラスが埋め込まれていたのです。その時突然激しい頭痛が走り、ケイは額に手を当てました。ドアの前で立ちすくむケイを不思議そうに見ながら、仕事人が倉庫から出てきました。

 「お前、怪我をした犬の飼い主だろう?犬はあっちの部屋に連れ込まれたぜ」

 仕事人は、ジュニアが運び込まれた部屋にケイを案内してくれました。部屋に着くと、案内してくれた仕事人は、廊下にいた人と話し出しました。

 「火使いのケビが、さっきの事故に巻き込まれて怪我をしたそうだ。治るまで彼はショウに出られなくなったってさ」

 「本当か?すると、例の箱の出番って訳だな」

 「今から埃を拭いて、明日からの出番に備えるとするか」

 仕事人はケイを残して、廊下を戻って行きました。部屋にはジュニアの大きな黒い体が横たわっていて、三人の人が囲むようにしていました。ケイはジュニアに走り寄り、そばにしゃがみ込みました。

 「あなた、この犬の飼い主?」白衣を着た若い女の人が、ケイに声をかけました。

 「ああ、ジュニア。可哀想に」ケイはジュニアの体をそっとなでてあげます。

 ジュニアは目を開けて啓を見て、微かに頭を動かしました。

 「ジュニアは、平気なの?大丈夫なの?」ケイは訴えるように、白衣の女性に尋ねました。

 「私は獣医のメルよ。ひどい傷に見えるけど、命に別状はないと思うわ」

 「本当に?ああ、よかった、ジュニア」ケイは目を真っ赤にして、ジュニアをなで続けます。

 「大丈夫よ、この子はすぐに良くなるから。でもしばらくは私が預かることになるわ」

 その言葉に、ケイは顔を上げました。「え?ジュニアを家に連れて帰れないの?」

 「しばらくはね。完全に傷が塞がるまでは入院ね。ほんのちょっとの間の辛抱よ」

 その後、すぐに治療を始めるからと、ケイは部屋から追い出されてしまいました。劇場の裏口から外に出ると、心配そうな表情をしたジョーカーズの仲間が、真っ先にケイを取り囲んできました。マフセとアレスタも後からやって来ました。

 「ジュニアはどうだった?大丈夫かい?」ウィルが心配そうに尋ねました。

 「酷い傷みたいだけど、命に別状はないって。でもしばらくは入院することになった」

 ケイが沈んだ声で言うと、皆の表情に安心と不安の両方が入り混じりました。

 「入院するって、どのくらいですか?」ミミが赤い目をしてケイにしがみ付きました。

 「傷が完全に塞がるまでだって。どのくらいか分からないけど、少しの間だって」

 「ジュニアは、本当に平気なの?」マフセの目から、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。

 「ジュニアがマフセをかばって怪我をしたって聞いた。こいつ、今まで死ぬ程心配していたんだ。ジュニアが死んでしまうんじゃあないかって」アレスタは泣き出したマフセの頭を、大きな手でポンポンと叩きました。「今までアローズ街の奴ら全員が、心配して集まっていたんだ。でも仕事があるから、仕方なく持ち場に戻っていった。きっとまだ心配しているだろうから、ジュニアは無事だって皆に知らせに行ってくる」

 そう言って、アレスタは背を向けて行ってしまいました。

 「ジュニアのそばにいてやれって、アレスタが僕達の仕事を、他のグループに頼んでくれたんだよ」サムが言いました。

 「ケイ、ごめんね。ジュニアは僕をかばってあんなことに」マフセがようやく顔を上げました。「僕のせいで、ジュニアは…」

 「テントが倒れてライオンが暴れ出し、マフセが逃げ遅れたところにジュニアが走り込んできたらしいんだ。マフセをかばってライオンに飛び掛かっていったんだって」ウィルが声を詰まらせて喋れなくなったマフセの代わりに説明しました。

 「ジュニアがライオンに飛びついていった。じゃあなかったら、僕は今頃…」マフセはじっと下唇を噛んでうつむいてしまいます。

 「心配すんなって。ジュニアは大丈夫だって言っただろう?」ニールが言いました。

 皆はこれ以上そこにいても仕方ないので、仕事に戻って行くことにしました。

 ケイが劇場で見た赤い紐と、黒い大きな箱について話すと、ウィルとニールはとても驚いて興味を見せました。

 「夢と同じような、赤い紐を見たって?」ニールが素っ頓狂な声を上げました。

 「それに、赤いダイヤがある黒い箱か」ウィルが腕を組んで考え始めました。

 「まるで、夢がそのまま現れたって感じで、何か意味があるのかと思って」

 「意味が、ない訳ないだろう」ニールが驚いて言いました。「まるで夢のお告げみたいじゃあないか。なあ、お前もそう思うだろう?」ニールが兄を見て言いました。

 「偶然であるとはとても思えないな。調べてみる価値はあると思うよ」

 「調べる?」

 ケイとニールが仲良くはもって言うと、ウィルは大きく頷きました。

 「その黒い箱を調べてみるんだよ。夢がケイに何かを教えているのだとすると、きっと黒い箱に何かあるんだ。夢の暗闇は箱の色を表しているんじゃあないのかな。ダイヤを闇に投げつけると飛び出す、眩しい光。恐らく、それは箱の中から出てくる何かなんだよ」

 「なるほど。ってことは、その箱を開けてみて、中に何が入っているか調べれば、アークの居場所が分かるっていうんだな?」ニールが手を叩きました。

 「そんなに単純には、いかないと思うけどね」ウィルが腕を組んだまま言いました。

 「よし、じゃあ早速、その黒い箱を調べてみようぜ。劇場にもう一度戻って、倉庫に忍び込んでやろう」ニールは嬉しそうに手を擦り合わせました。

 しかし三人が劇場に戻ってみても、中に入ることは出来ませんでした。劇場はファンフェアーの中でも一、二を争う程人気があり、常に大勢の客で賑わっていてとても忙しく、少しでも辺りをうろうろしているだけで、たちまち仕事人に邪魔者扱いされて追い返されてしまうのでした。

 「参ったな。警備が厳しくて、全然近づけやしない」ニールは舌打ちをします。

 「これじゃあ、箱を開けるどころか、箱を見ることすら出来ないよ。またジュニアに会いに来たって言って、劇場に入れると思ったのに」ケイも困ってしまいました。

 応急処置が終わって、ジュニアはすでに町の病院へ移された後だったのです。

 「よし、こうなりゃあ、最後の手段だ。どうせ駄目で元々だ」ニールは遠くから劇場を見上げながら言いました。

 「最後の手段?一体どうするつもりなんだ?」

 二人が尋ねても、ニールは笑って何も言いませんでした。ケイとウィルはきょとんとして、顔を見合わせてしまいました。

 

ファンフェアーは閉園間近で静かになってきました。その日の仕事が終わり、帰ろうとアローズ街に向かおうとした三人でしたが、突然ニールが方向を変えて、出口へ続く道から外れて、別の方へ歩き始めました。

 「おい、ニール。帰る方向が違うぞ。何処に行くんだ?」

 ウィルが呼び止めても、ニールはどんどん歩いて行ってしまいました。仕方なく二人も後を追って行きました。ニールは二人を連れて、人気の少なくなったファンフェアーを、劇場へと向かって行きました。昼間は賑やかな劇場の辺りも、この時間になると客の姿はほとんどなく、後片付けをしている仕事人が数人いるだけでした。

 ニールは劇場の裏手に行くと、二人に待っているように言って、掃除をしている仕事人に近づいて行きました。

 「こんばんは。遅くまで大変だね」ニールは仕事人に親しげに声を掛けました。

 近くには水の入ったバケツが置いてありました。ニールは仕事人の方ばかり見て歩いているので、バケツには気付いていない様子です。

 ケイが思わず声を上げようとした時、仕事人もバケツを指差して口を開けました。次の瞬間、ガッターンと大きな音を立てて、ニールがバケツの水を辺りにぶちまけながら、すっ転んでしまいました。周りは水浸しになり、仕事人が怒ったように怒鳴りました。ニールは謝りながら急いで起き上がりましたが、またふらふらとよろけると、今度は大きなごみ箱にぶつかってそれを倒し、辺りにごみを撒き散らしてしまいました。堪り兼ねて、ウィルとケイはニールのもとに走り寄りました。

 「何をやっているんだよ、大丈夫か?」

 ごみに囲まれて地面に倒れているニールを、二人は抱えて立ち上がらせました。ほうきを槍のように突き立てて、仕事人が仁王立ちで三人を睨みつけてきました。

 「お前は何をしているんだ!せっかく綺麗に掃除をしていたのに、どうしてくれる!」

 仕事人が怒るのも無理はありませんでした。綺麗に掃除した劇場の周りは、水浸しでごみだらけになってしまったのですから。

 「ごめんなさい。ちゃんと後片付けするから」ニールがしゅんとして謝りました。

 「当たり前だ。人がせっかく綺麗にしたのに。お前達できちんと片付けろ」

 仕事人はニールと一緒にいる二人にも仕事を押し付けて、ケイにほうきを渡しました。周りにいた数人の仕事人が、彼らを見て同情するように笑っています。

 「お前、本当にドジだなあ」ウィルがニールの服に付いた汚れをはたいてあげました。

 「怪我しなかった?」ケイは渡されたほうきを握り締めたまま、心配そうに尋ねました。

 すると、ひょっこりと舌を出してニールが笑いました。「バーカ、怪我なんかしてないさ」

 ウィルが軽くニールを睨みました。「お前、さてはわざとやったな?」

 「そうさ。片付ける振りをして仕事人が帰るまで待つんだ。そうすれば、ここにいても誰にも怪しまれないだろう。それで劇場に忍び込むのさ」

 それから三人は、いかにも仕方なしにやっているという感じで、掃除をやり始めました。ゆっくり時間を掛けながらごみを拾って、劇場の裏口に人がいなくなるのを待ちました。

 「裏口のドアの鍵を閉められちゃったら、どうするの?」ケイが小声で尋ねました。

 「心配すんなって。ここのドアの鍵くらいだったら何とかなる。これを使うのさ」

 ニールは一本の細い針金を取り出して、ケイに見せました。

 「それで鍵を開けるの?本当にそんなこと出来るの?」

 針金一本で鍵を開けるなんて、聞いたことはあっても、実際に見たことはありませんでした。

 「これでドアの鍵は開けられる。お前が見た箱の中身を見るのに、そんなに時間は掛からないだろう。でも誰にも見つからないように用心しないとな」

 三人は長い間、劇場をちらちらと見ながら掃除を続けました。やがて仕事人は作業を終えて帰り出し、最後の一人が明かりを消して裏口のドアを閉め、三人には目もくれず、何処かに行ってしまいました。三人は最後の一人が劇場を去っていくのを、じっと見送りました。

 「あいつが、最後みたいだぜ」ニールが小声で囁きました。

 「でもあの人、鍵をかけていかなかったみたいだけど?」ケイが不安そうに、去って行く仕事人の小さくなる姿を見つめました。

 「だけど、明かりを消したし、劇場内にはもう誰もいないようだよ。よし、行こう」ウィルは二人に頷きました。

 人の気配はありませんでしたが、三人は足音を立てないように、小走りに劇場へ急ぎました。後少しでドアにたどり着こうとした時、後ろから突然声を掛けられ、三人は驚きのあまり飛び上がってしまいました。

 「仲良し三人組。もう掃除は済んだのですか?」

 慌てて三人が振り向くと、なんとムリロが立っていました。

 「げっ!ムリロ」

 ムリロを見て思わず口走ってしまったニールの足を、ウィルが思い切り踏み付けました。

 「いてっ!」

 「げっ、とは随分なご挨拶ですね。何をそんなに慌てているのですか?」ムリロはおどおどしている三人組を見下ろして、静かに笑いました。

 「ムリロは何をしているの、こんな所で?」ウィルは平静を装って尋ねました。

 「私は劇場の裏口に鍵をかけに来たのです。それより」ムリロは大きな黒い瞳で三人を見渡しました。「聞きましたよ。仕事人の片付けを邪魔して、掃除をさせられているとか」

 ケイは怖いものでも見るように、ムリロの仮面のような顔を見つめました。人の気配は全くなかったのに、三人が裏口にたどり着く前に、すでにムリロは彼らのすぐ後ろに立っていました。彼らがドアの前に来るまで、十秒と掛からなかったでしょう。その間に足音も立てずに、ムリロが何処から現れたのかとても不思議でした。

 「そうなんだよ。出来の悪い弟のせいで、僕達まで掃除をさせられているんだ。じゃあなかったら、今頃はとっくに家に帰って寝ているよ」ウィルはニールの頭を突きました。

 ムリロは可笑しそうに笑って言いました。「ドジを踏むのは、まさにジョーカーズの名に相応しいですね。あなた達には元々、道化の素質があるのではないですか?将来、劇場の舞台に立てるかもしれませんよ。ところで」

 ムリロはそう言いながら、ポケットから鍵が沢山ぶら下がっている鍵束を取り出しました。

 「あなた達はここで何をしているのですか?ごみ箱をひっくり返した場所は、向こうではないのですか?」

 ムリロは振り返って、少し離れた所にあるごみ箱を指差しました。三人は冷や汗が噴き出てきそうでしたが、ニールがしどろもどろ言い訳を始めました。

 「それはその、ほらなんだ。あれだよ、あれ」

 しかし口を開けたものの、ニールは先を続けられませんでした。

 ウィルも困った顔で、「そ、そう。ほら、僕達は片付けをしていてさ、ね、それで」

 今度はウィルがケイを振り向いて、目配せをするではありませんか。ケイは頭をフル回転させて口を開けました。

 「僕達は片付けをしていたんだけど、もしかしたら、ごみがあちこちに散らばっていたらいけないなと思って、この辺りまで調べていたところなんだよ」

 「そう、そうなんだよ」ニールがほっとした表情で言いました。「俺、派手にごみを撒き散らしちゃったから、ずっと遠くまで飛んでいるんじゃあないかと思ったんだ」

 ムリロは一生懸命に言い訳をする三人を面白そうに眺めながら、取り出した鍵束をジャラジャラといじっています。

 「あなた達がそんなに几帳面だったなんて、ちっとも知りませんでしたよ。掃除が嫌いではないんですか?」

 「掃除が嫌い?とんでもない。俺、掃除大好きなんだ。一つのごみも残さずに綺麗にするよ」

 ムリロは横目でニールを見ながら、片手を裏口のドアに掛けました。

 「それなら丁度良かった。実は劇場の掃除の人手が足りなくて、明日から人を少し回してもらおうと思っていたのです。ジョーカーズにお願いするとしましょうか」

 ムリロはくすくすと笑いながら、劇場の中に入って行ってしまいました。後ろではニールが、ウィルとケイに頭を叩かれていました。

 「お前、また余計なことを口にして!」

 ムリロはすぐにまた裏口から出てきました。

 「そうそう、ジュニアのこと、大変でしたね。何でも、誰かをかばって怪我をしたとか。立派な犬ですね。お陰でライオンが暴れても大事にならずに済みました。私からもお礼を言いますよ」ムリロはケイに優しく微笑みました。

 ケイはムリロの黒い瞳に見つめられて、不安そうにうつむきました。

 「ムリロは毎晩、こんなに遅くまでファンフェアーに残っているの?」ウィルが尋ねました。

 「ええ、大体最後まで残っています。私は一応、ファンフェアーの責任者ですから」

 ムリロは軽く笑ってドアを閉めました。片手にはさっきの鍵束が握られていました。

 「まだ私には仕事があるので、行かなくてはなりません。あなた達は早く掃除を終わらせて、あまり帰りが遅くならないようにしてください。それではまた明日」

 ムリロは三人に笑い掛けると、静かに歩いて行ってしまいました。三人はムリロの後ろ姿をしばらく無言で見つめていましたが、やがてケイがドアを振り返って言いました。

 「ねえ、もしかして、ムリロは鍵を閉め忘れたんじゃあないの?」

 ムリロの姿が見えなくなると、三人は裏口から劇場の中にこっそりと入って行きました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ