ルビーコベリーの危機
こちらは鎌倉市内、緑葉留美子の自宅である。時刻は、神奈川県警察本部に、謎の人物K氏から電話が掛かってくる頃。
屋外は煉獄の脅威。夏が真っ盛り、暑くて暑くて暑過ぎる。
こういう八月は、やはりよく冷やしたフルーツゼリーに限っている。リビングには冷房が効かせてあるから、居心地はまずまず。
高級そうに見えるソファーに、ゆっくり腰掛ける女子がいる。この家の一人っ子、箱入り娘、留美子だ。イチゴを使った自作自慢のゼリーを食べようとしている。今は週に一度だけ定例行事と決めている、午前十時のおやつタイム。いわゆる「至福の時」というやつ。
突如、右手側から老けた女子が現れる。緑葉家の専業主婦、美恵だ。要するに留美子の母親である。
永遠のライバルが、こちらに向かってズカズカと歩いてくる。まるで「自分が出ないことには幕も上がり切らないわ」とでも言わんばかり。
「あなた、また食べてばかり!」
「お母さんも食べる? 冷蔵庫にまだあるよ」
「結構よ」
「そっか。でもやっぱり、お爺ちゃんの作るこれは最高峰だね」
透明なゼリーで大切に包まれた、丸ごと一個のイチゴ。その鮮やかに輝く赤い粒を、なぜだろうか、美恵は哀れむような表情で睨む。
「最高峰ではないわよ。出荷量、かなり落ち込んでるそうだもの」
「えっ?」
「それでもう、やめることになるだろうなって。お爺ちゃん……」
「ウソ、どうして!?」
これはなんと深刻な事件。そんな話があったのか。初耳だ。
それが現実となれば、もうこの先は、湿度、温度ともにデジタル上げまくり、こんな日本の暑い夏を乗り切れる訳がない。絶対ない。
だから、留美子は美恵の顔に全神経を注ぐ。
それなのに美恵は、ボンヤリ黙ったまま立ち止まっている。表情から察するに、八割方確定していそうな雰囲気を感じ取れる。
「ねえ、それってもう決まったことなの?」
「ほとんど、たぶん、一・二年のうちには」
「ええーっ、ウソだ! ウソだと言ってよ!」
美恵の父親、つまり留美子の祖父は、栃木で農業を営んでいる。二十四年前に品種改良で自ら生み出した「ルビーコベリー」というブランドイチゴを栽培しているのだ。小粒だけれど、宝石ルビーのように艶のある赤色に輝く逸品。それが悲しくも、四半世紀の栄華として消え去る運命なのだろうか。
憤懣やる方ない留美子には、目の前に立つ母の顔が、能楽で使われるお面の一つ「老女小町」に見えてくる。そんな美恵が無言を貫き通している。
だから留美子は、いたたまれなくなった。
「ねえねえ、お母さん! それってどうにかなんないの!!」
「……そうねえ、ルビーコベリーを救う道は」
「うん、その道は?」
「たった一つだけ、あるかもしれないわ」
「え、ホント、あるの? それ今すぐ教えてよ、私だって協力とか、なんでもかんでもするから。私にできることなら、うんもう、全面的にねっ!」
全面的に協力するなどと軽々しく言うものではない。きっと後で後悔するハメになるはず。この時の留美子は知る由もないけれど。
「留美子、しっかりバッチリお聞きなさい」
「はい、お母さん」
「あなたが、理解あるお婿さんを貰って、夫婦でイチゴ作りを引き継ぐこと」
「だーっ! ヤだよお、そんなの!」
「全面的に協力して、く・れ・る、のよね?」
「ぶーっ!!」
「あ、もうこんな時間になってる。出掛ける仕度をしないといけないわ」
美恵はソソクサと立ち去ろうとする。まるで「自分は今日の序幕を完璧に演じきったベテラン女優だわ」とでも言わんばかり。
「イチゴ作り引き継ぐなんて、私できないからねっ!」
そのように早口で投げ掛けてみたけれど、なんの応答もない。




