留美子と数男
留美子の部屋には、学習デスクと椅子、ベッド、低い丸テーブルがある。それと壁側にタンスと本棚なども。
デスクの上に、一人分の飲み物とデザートを置いた。
残りの一人分を、お盆ごと丸テーブルに置く。数男には、こちらでクッションを敷いて、腰を下ろして貰う。
椅子に留美子が座る。この配置はつき合っていた頃と同じ。
数男が感慨深げに言う。
「ここも四年ぶりだな。あんまり変わってない」
「そうだね」
二人は大学生のままで、時だけが過ぎ去ったように思えてくる。
まるで、新鮮なリンゴが二個、四年間ずっと冷凍保存してあって、今もまだカチカチの状態のままに、なっているかのよう。
「あ、そう言えば、ドッキリ懸賞の特等なんだった?」
「あれは全部ウソだったの。電話してきたカワモトさんも偽者だって」
「ええっ、そうなのか!?」
「うん、イタズラみたい。そのこともあって、警察がきたのよ」
「なるほどな」
留美子は、まだ伝えていない事件の経緯を、掻い摘んで話した。あまり心配を掛けないように、話さなくてよいことは伏せておいた。
数男が神妙な表情をして問い掛けてくる。
「それでルビー、不完全定理なんて、分かるのか?」
「分かんない。全然、サッパリ、チンプンカンプン」
「じゃ俺に任せろよ。今でも数学は、趣味として続けてるし」
「そうするしかないか。万事休すなの。お願いしていい?」
「もちろんだ」
これで指南役は決まった。
そうなると、動作製作の計画を立てることが必要となる。
「動画はいつ配信するんだ?」
「今月の十日だよ」
「なに、五日後!?」
「うん」
「……」
今まで笑顔だった数男が、突如唖然となってしまった。
その表情を見て、留美子が言う。
「無理かな?」
「あ、なんていうか、無謀な約束するもんだなって。ちょっと尊敬するよ」
「えっ?」
数学者を目指していた人が無謀だと言うのだから、かなり難しい挑戦なのだと、今さらながら留美子は思い知った。
「十日の何時に配信するんだ?」
「時間は指定されてないから、夜でもいいと思う」
「それなら、丸々五日間あるな。まあ、やれるだけのことはやろう。明日俺、店閉めるまで、案を練ってみるよ。どうせ客も少ないし、結構暇だからな。それと、明後日から七、八、九、十の四日間は、店を母さんに任せる。俺はフルタイムで取り組むことにするよ」
「ええっ、いいの?」
「うん。俺はやると決めたらトコトンやる!」
「だったら私も明日、店長に頼んで、明後日から有給休暇取るよ。有給溜まってて、前から取れ取れって言われてることだし」
留美子は、近所のスーパーで、周六日、午前十時から午後四時まで、パートタイムで働いている。先輩のパートさんや店長から、有給休暇を消化したらどうかと勧められている。今までは遠慮していたけれど、ここが使いどころだと思う。
「そうか。丁度いいじゃないか。俺、なんだかワクワクする」
輝く元カレの表情は、まるで「水を得た魚」のように跳ねている。
《なんか、妙なことになった。カズくんと動画製作、神様のイタズラ?》
数男の顔を眺めていると、大学一年生の頃「俺は数学者になる」と言っていた、威勢のよい彼が蘇ったように見えてくる。当時の留美子は、その言葉を聞いて「知り合いに偉い数学者さんがいたら、自慢できるね」と笑っていた。
「あ、カズくん。動画配信って、広告収入があったりするんでしょ?」
「ああ、まあな。でも再生回数かなり稼がないと、貰えないらしいぞ。あっても、小遣い程度だな」
「再生回数の目標は、百時間で一千万回だよ」
「おいおいルビー、ずいぶん大きく出たな」
「うん。広告収入があったら、全部カズくんが使って」
「いいよそんなの。俺は、久々に数学で本気出せれば、それが報酬だ」
「相変わらず、欲がないんだね」
「それはルビーだろ?」
「どうかなあ、二人とも同じくらい。ふふ」
お互いに譲り合う関係。これも四年前のまま。
「それじゃ、明日は夜八時からミーティングだ。兎に角、頑張ろう!」
「うん、よろしくお願いします」
「俺、今日はもう帰るよ。今からでも、集中して案を考えたい。もうウズウズしてきたんだ。けど、ルビーはなにも考えずに早く寝ろよ。今日は色々あり過ぎて疲れてるだろうし。明日、休み明けの仕事でつらくならないようにな」
「分かった。ありがとカズくん。昔から、やっぱり優しいんだね」
「いや、今さら褒めるなよ。結局、俺は俺だったんだ」
彼があまりに優し過ぎて、一歩先へと進めなかった二人の関係。
留美子が小声で言う。
「そう言えば、カズくん」
「なに?」
「あ、いい、別になんでもない」
「は、なんだ?」
「うん、なんでもない。いいの」
「そうか、変なやつだな」
「うん、変なやつ」
「ははは。じゃ俺帰る、またな」
留美子は玄関まで行き、数男を見送った。
口まで出そうになって出せなかったのは、数男が今も新しい彼女とつき合っているのかどうか。今から二年前には、確かに交際していた。それは、近所の真っ白ピカピカクリーニングで店長をしている人だった。
清楚な印象の美人、数男の大学の先輩、留美子たちより二歳上。三回くらい、数男が彼女と並んで歩いているところを見たことがある。最近は見掛けないけれど。
《カズくんには、お似合いだね。それこそ神様のオボシメシかな》
留美子がリビングに戻ると、いつの間にか帰宅していた父がソワソワした様子をしている。美恵から話を聞いて、とても驚いたそうだ。娘にウソ電話が掛かってきたり、警察に呼ばれたり、妙な事件に巻き込まれているのだから、当然のこと。
少し話して父を安心させ、また二階へ上がる。
《あ、メール送っとこうか》
協力者が一人決まったことを、スマホ刑事に伝えようと思った。動画製作に関して、お互いに情報を共有することになっているから。あくまで、刑事に連絡するのでなく、今日知り合いになった「スマホさん」と、個人的なやり取りをするだけ。不完全性定理の講師役キャストとして、星野数男が決定したことを知らせる。
そして数男に言われた通り、留美子は早めに寝ることにする。




