4話 濃厚な1日の始まり
「ただいま戻りました」
「ただいま、どなしゃん」
「あら。おかえりなさい、ウィル、カル君。洗礼はどうだった?」
「洗礼自体は済んだのですが…」
「あら、何かあったのカル君?」
部屋に戻ると、ドナさんに出迎えられた。抱き上げられたままの俺を見て、どこか嬉しそうに洗礼について尋ねた。
ウィルさんが若干濁して答えると、なぜかドナさんが俺に尋ねてきた。
どうにでもなぁれ、と半ば意識を手放して居た為に動揺してしまった。
「え…いや…」
「あら、やっぱり何かあったのね…先にご飯を食べてから、と思ったのだけど…」
俺の態度からあっさりと何かがあったと看破された。突然のせいで油断した。いや絶対確信犯。
「カル君、ご飯は食べられそうですか?」
「うん、だいぢょうぶ」
吐き気はもうすっかり無くなっていたので問題無い。外で美味しそうな匂いを嗅いだのでむしろお腹が減っている。
「そう?じゃあすぐ準備するわね」
「…うん」「えぇ、お願いします」
ご飯が食べられると答えただけで二人に何故か頭を撫でられた。ちょっと意味が分からない。
やっと地上へ降ろされたので、とりあえずウィルさんと手を洗って席に着くとすぐにドナさんが帰って来た。
みんなで手を揃えて、いただきます、とご飯を食べる。
話題はもちろん洗礼について。
司教さんに事前に連絡してくれていたようなのでお礼を伝えると、大げさなくらいに褒められた。
俺の右隣に右利きのドナさん、左隣に左利きのウィルさんが座っているためにそれぞれが利き手とは反対の手で撫でて来た。ちょっと食事中なんで頭を撫でるのはやめてください。
気を取り直して水晶が浮いていた話をすると、あれは神様に授かった神器で普段は教会の本拠地で保管されていて司教以上の人しか扱えないらしい。そのためどういう原理かはわからないと言われた。神器ですもんね。
一般には司教さんが巡礼で立ち寄る時位しか見ることも触れることも無いが、この街であれば毎年司教さんが来て何日か滞在するので、洗礼を受けない人でも教会で礼拝すれば見ることは可能らしい。司教さん忙しくない?
光ったり色が変わるのも神器だからかと尋ねると、ドナさんが顔色を変えた。
――あ、そういえばそんな顔されてた。
「まぁ…!カル君はもう色が変わっていたの…?」
「えぇ、赤くなって点滅も。だんだんゆっくりにはなりましたが…」
「そう…」
「あの…」
――食事中に頭を撫でるのは行儀が悪いと思います。
理由がわからないのでただ困惑する。
「ごめんね、わからないものね…ちょっと難しい話しになるから、食事が終わって落ち着いてからお話しするわね」
「うん…」
俺の困惑顔に気付いたドナさんが説明してくれたが手は止まらない。
――そんなに複雑な話しなのか?いや、手は止まっても良いんじゃないだろうか。
疑問が顔に出ていたのか、ウィルさんが補足で説明してくれる。
「すみませんカル君、本来は成人した子に話す内容になるので、僕たちもどう説明しようかと…」
「いやおぇしぇ…っぷ」――成人済み…
「「カル君?」」
「あ…えと…」
――またやらかした…
思わず「成人済み」と言いかけて口をつぐんだが、腕までそれに合わせて自然に動き、自分の両手が口を塞いだ。誰がどう見ても何か言いかけて止めた、むしろ気付かれて欲しいと言わんばかりの行動に、二人が追求するようにこちらを見る。自分でも動揺し過ぎているのがわかる。
――絶対今目が泳いでる。全力で逃げようとしてる。
「…カル君、大丈夫ですよ。君が本当は何歳でも絶対に追い出すことはしませんから」
「え…」
核心をつく言葉に思わずウィルさんを凝視する。
穏やかに微笑む様子はいつも通りに見える。…願望だろうか。
「そう…ずっとそれを気にしていたのね…?大丈夫よ。カル君は私たちの愛する子だもの。好きなだけここに居ていいのよ」
「…っ」
視界が滲んだ。
突っ込みどころがあったはずなのに、子供の身体はちょっとした感情の揺れを簡単に表に出してくるので厄介だ。
案の定ドナさんが慰めるように抱きしめて来た。堪えようとしていた涙腺はすぐに決壊した。
いつの間にかぽんぽんと宥めるように背中を叩くリズムに、今度は眠くなってきた。
泣…コントロール出来ない子供の身体に身を任せている間に何か口走った気がするが、眠気で頭が回らない。
早起きして、衝撃を受けて、ご飯を食べて、体力を使えばそうなるのかも知れないが、だんだん子供の身体に精神が引っ張られるようで、どうしても抵抗したくなる。
「あら、我慢しないで眠って良いのよ?」
「そうですよ、早起きしてお腹いっぱいになれば、誰だって眠くなりますから」
「…うん…」
抗っている様子が伝わったのか、二人して睡眠を推してくる。特にウィルさんの言い方が背中を押した。この状態で食事を再開どころか、通常通りに振る舞える気もしないので眠気に素直に身を任せる。
抱きしめられた後に浮遊感を感じて「あ、やべ、ベッドじゃ無かった」と思うがもう遅い。
そのまま歩く振動に揺られてだんだんと意識が遠くなる。
背中にひやりとした感触をかんじてすぐに、ふわりと布団が掛けられる。一瞬意識が浮上したが、「おやすみなさい」と優しい声と穏やかな声が聞こえて、条件反射のように意識が沈む。
額と頬に柔らかな感触を感じて眠りについた。
◇◇◇◇◇
楽しそうな声が聞こえる。
女の人と男の人。4人の女の子と、男の子の声。
あぁ、あの男の子は、俺だ。
小学校に入る前、幼稚園を卒園する位だろうか。
外で走り回ったり、友達と遊んだり、ゲームをしたり。
まるで仲の良い家族だと言わんばかりに、奴らと笑いあっていたり。
昔はあんなに仲が良かったのか。
両親まで揃っている。
奴らまで、みんなが、心から笑って…
――――――――――ありえない――――――――――
突然怒りをはらんだ声が響くと、ぶつりと、無理矢理ちぎったように映像が途切れた。
映像が瞬時に巻き戻ると、カタカタと流れるフィルム映画のように、どこかノスタルジックに同じ映像が流れていく。
そのせいか、なぜか自分の過去ではなく、誰かの過去を覗き見しているような感覚を覚えた。
ゆらゆらと水に浮かんでいるような、むしろゆっくりと沈んでいくような感覚に身を任せていると、また同じように巻き戻っては流れていく。
繰り返し繰り返し。
温かい映像だと思う自分と、まがい物だと吐き捨てる自分がせめぎ合う。
それに呼応してか、身体が波に揉まれたように揺さぶられ、かと思えば真っ逆さまに落ちていく。
何故か焦ることもなく、足掻いても無駄なことだけは理解して、ただ落ちて行くのに身を任せていると、下から騒音が響いた。
音に気づくと、黒くドロドロしたヘドロのような何かが這い上がって来て、浸食するように身体に纏わりついていく。
あぁ、だめだ。
この、音は。
『なんでまだ××××?××××××あんたのせい××××』
ヘドロのような何かが自由を奪う。
『でも××××だって×××私には×××ないし×××』
見るに耐えない何かが目を塞ぐ。
『××××は頼りになる×××××これからも×××××』
気持ち悪い何かが耳に入る。
『×××てあげるね♡××××××私に××××××くれるよね♡』
おぞましい何かが皮膚を這う。
『男なんだから××××××たちの為に×××』
『迷惑だけはかけないで××××××を見習って×××』
腥い何かが口に押し入り喉を焼く。
『贅沢な奴だなぁ~』
『家族が好きなんだね〜』
身体にへばりついた何かがどろどろと身体を融かして…「………!」
◇◇◇◇◇
「「カル君!」」
「っ!?」
全身が不快な何かで融かされそうになった所で、ドナさんとウィルさんの「俺」を呼ぶ声に引き上げられた。
全身がぐっしょりと濡れていた。
じっとりと貼り付く服の気持ち悪さよりも、2人がタオルで頭や身体を優しく拭っていく感覚に意識が向いた。ぐちゃぐちゃになった感情が落ち着いて来て、ゾワゾワとした怖気が霧散して行く。
「カル君どうしたの?怖い夢だった?」
痛ましげな顔で頬を撫でるドナさんに、怖いというより不快な夢だったな、と首を横に振る。
「カル君、吐きますか?」
心配そうな顔で桶を用意するウィルさんに…いや桶。
冷静なのか焦っているのかいまいち判別がつかないウィルさんと、穏やかな声で俺を慰めるドナさんに、"帰ってきた"という感覚を覚えて、自然と笑い声が漏れた。
「あぁ…カル君…良かった…」
「えぇ、本当に。酷くうなされていましたが、気分はどうですか?」
「えいき。おけわいあない」
「うふふ、ウィルったら、焦り方がおかしいわ」
「ふふ、ついカル君の異変には桶、という認識があるので。要らないなら良かったです」
慣れって怖いね。いや慣れさせたのは俺でしたね。すみませんでした。
この和やかな空気にぶっこむか悩んだが、かなり心配させてしまったようだし、どうにも聞きたそうにしているが、俺を気遣ってか躊躇っているようだ。
二人はいつも俺の感情を優先してくれている。…頭を撫でる以外は。
確実に俺の体質に関係がありそうだし、なんとなく吐き出してしまいたい…
前世で通じるんだろうか。
「…むかちのゆめ…」
「まぁ…!幾つの頃の夢?」
――ピンポイント過ぎない?
前世をぼかしてみたが、普通に通じた。「本当は何歳でも…」と言われたが、よくあることなんだろうか。
「え…おきゅしゃい…?」
「6歳頃ですか…」
――理解力すげぇ。
「どんな夢か、聞いても良い?」
「うん…しゃいしょわたのちしょうで、ちゅぎにおきょったきょえぎゃちて…」
通じてるのかわからないが、思い出しながらなんとか説明を試みる。
騒音の辺りで不快な感覚が込み上げてきた。
「あら表情が」「だいぶ嫌そうですね」
ばっちり表情に出ていたらしい。
宥めるように身体を摩られ、素直に言葉に出した。
「…いっぱいいやなおんなのおとぎゃちてうゆきゃいだった」
言ってから声や言葉ではなく"音"と表現したことに気付いたが、深く思い出そうとすると気持ち悪さが戻ってきそうだったので簡潔に話を締め括る。
汗で濡れた俺の服を脱がそうとしていたドナさんの手が止まった。
「まぁ…!それじゃぁ…」
「その人たちのことで何か思い出したんですか?」
「ちょっとだけ。たぶんきゃ…」
多分家族だったと思うが、どうも"家族"という言葉を使いたくないせいか言葉に詰まる。
再度口を開こうとしたら、身体に何かがへばりついているような感覚がぶり返して思わず腕を摩ると、「言いたくないなら無理して言わなくていい」とドナさんとウィルさんの手が身体を摩っていく。二人の手の温かさに、身体から強ばりと不快な感覚が抜けていった。
「…やっぱり身体が冷えてるわね…」
「この時間はお風呂も使えませんし…」
「?」
突然会話を止めて目を見交わす二人。手はずっと摩るように動いている。
「っ?!」
声を掛けようとしたら二人が同時にこちらを見た。
不自然な程の大変いい笑顔に、思わずびくついた。
「風邪をひくといけないから」と、ドナさんが着替えを持ってくる間に、ウィルさんに問答無用で濡れた服を引っぺがされてタオルと布団をぐるぐると巻かれた。
――何か手馴れてませんか。
ふんわりと簀巻きにされて、なんでこんな手馴れてるんだと考えようとしたところにドナさんが戻って来た。
「うふふ、お待たせ。先に身体を綺麗にしちゃいましょうね【クリーン】」
「え…」
おもむろに俺の額に手を当てて「クリーン」と一言。
べたついた身体をふわりと何かが通ると、さらりとした感触に変わった。
――ナニコレ。
「…あら?魔法のことは思い出さなかったのね」
「ちあない!」
よほどぽかんとした顔をしていたのだろう。
ドナさんが少し驚いたように声を上げた。
――魔法…!
覚えてないどころか1ミリも無かった…!
いかん、あんなに強烈に叩き付けられた異世界ファンタジーが頭からすっかり追いやられてしまっていた。帰ってすぐに色々とあったせいで仕方ないというか自業自得なんだが。
他にも色々と聞きたいことが次々と頭を駆け巡っていったが、下手に色々と尋ねたところで処理しきれないだろう。
まずは目の前のことから片付けよう。
「まおう、おえも?」
「ふふ、もう少し大きくなったら今の魔法が使えますよ」
「うふふ、そうね、生活魔法は誰でも使えるようになるもの」
「わんたぢー…」
――"生活魔法"という響きが大変便利そうだ。
「「わんたじー??」」
「え」
感動してぽつりとこぼれた言葉だが「ファンタジー」は通じなかったようだ。既に魔法があるからだろうか。
理解できていない二人の表情は大変珍し…じゃない。ファンタジーの説明ってなんだ…
「え、きゅうしょう?しょうぢょう?えぇと…」
――絶対伝わらないやつだこれ。だって俺が説明できない。ニュアンスでしか覚えてない。非科学的なものを総じてファンタジーで認識してる俺には無理だ。
「…カル君?魔法は自分が使っていたかどうかが思い出せないだけ、なんですよね?」
何故か恐る恐る尋ねられたのできっぱり答えた。
「ちぎゃう。なきゃった」
「無かった?ですか?」
「うん」
ん?無い方がおかしいのか?一瞬ウィルさんの素っぽい感じが。すぐ戻ったけど。
ドナさんに目配せをしているが、ドナさんも首を振っている…?
「ねぇ、カル君?住んでいた街や村の名前は覚えてる?」
「…きゅになや」
――村。
言って大丈夫なんだろうかこれ。
挙げられた候補名に不安を覚える。
「ではどこの国でしょう?」
「…におん」
「「におん…?」」
「お!」
「「にほん…?」」
残念な滑舌を駆使したが、やはり困惑顔の二人に、やっぱりこれは言わない方が良かったんだろうかと俺も困惑した。
とりあえずお互いの認識をすり合わせるべく話し合いを始める、その前にマッパで簀巻きにされたままだった…!と衝撃を受けつつも簀巻きの中でごそごそと着替えを済ませた。
いざ話し合い、と思ったがそこでひと悶着。
「身体が冷えているから」とドナさんの膝に載せられそうになったので徹底抗戦を開始。
どちらも引かぬ姿勢に、ウィルさんがぽつりと「万が一風邪を引いたら当然添い寝ですよ」と爆弾を投入。
敵か味方か判別しづらい発言に、被弾してはたまらないと俺はすぐに作戦を変更。代替案という名の和解を提示。降伏では無い。
問答の末、なんとか俺を間に挟んで3人ベッドに並んで腰掛ける、という結果に落ち着いた。
いや落ち着いたかは不明だが、ドナさんの案からは大分離れたので良しとする。
思い出したくない。とりあえず酷い戦いだったことは明記しておく。…疲れた。
眠って体力を取り戻したはずなのに、精神的な疲れから若干やつれた俺を、心配そうに撫でてくる犯人たち。
おい。
…とりあえず埒が明かないというか思い出したくないので"日本"に住んでいた、というか俺の中の常識というかどんな環境だったかを説明。俺の酷い滑舌でも二人が理解してくれるのでありがたい。
余った朝食はスタッフで美味しく頂きました。
お読み頂きありがとうございます。