キスしたいと言わせた方が勝ち
【登場人物】
清藤由希:高校二年生。黒髪ショートボブの可愛い系。くるみと交際している。
沢渡くるみ:由希のクラスメイトで小さな頃から一緒にいる親友。茶色がかったミディアムヘアの美人系。見た目とは裏腹に性格は陽気。
私とくるみが交際を始めて多分そろそろ一カ月くらいになるんじゃないだろうか。
言い方が曖昧なのには理由がある。明確に何日に付き合い始めた、というのが分からないからだ。
私の恋人、沢渡くるみ。幼稚園から高校までずっと一緒の親友と呼べる女の子。
彼女が私に対して恋心を抱いていることに気付いた私は、様々な手練手管を用いてその恋心を暴いてやった。やったのだが、強情なことに結局くるみは『好き』とはっきり口にしてくれなかった。どこからどうみてもバレバレなのに、だ。
このままでは埒があかないと二人で協議した結果、それぞれ紙に相手が自分のことをどう思っているのかという予想を書いて、せーので見せ合うことにした。まぁそれでやっとくるみの気持ちは確認出来たわけなのだが――あ、私がくるみに対して思っている『好き』は『くるみが私のことをそういう目で見てるんならまぁ私だってその気持ちに応えてあげてもいいくらいには好きだよ』の『好き』だから。そこを勘違いしてもらっては困る。
つまり何が言いたいかというと。
私から『付き合おう』なんて言えるわけがない、ということ。当然、頑固なくるみも言わなかった。おかげで数日間は微妙な距離感で過ごしていた。親友以上、恋人未満。でもそれってほぼほぼ恋人じゃん、と気付いたので、手を繋いで一緒に下校していたくるみに『私達ってもう友達とかじゃないんだよね?』と尋ねることで『まぁ段階的にはもう親友の上になってると思うけど』と言質を取ってやった。本当に世話が焼ける。
恋人になったからって何かが大きく変わったわけでもない。
いつも通り二人で登下校して、教室で友達と楽しくおしゃべりをして、休日には一緒に買い物に行ったり遊びに行ったりする。変化を挙げるとするなら二人きりのときは手を繋ぐようになったことと、朝晩のラインが増えたことくらいか。でもそれだって仲の良い友達なら不思議なことじゃない。
そう。私達はいまだに友達の域を抜けられていないのだ。
もっとこう、恋人らしいことが色々あるじゃないか。相手の容姿を褒める――のは割りとお互いナチュラルにやってるからいいとして、愛の言葉を囁いたり、行動で示したり。
恋人らしい行動といえば……キス、とか。
くるみからそういうのをしたそうにしてる雰囲気を感じるときはある。二人きりで部屋にいるときとか、休日に出掛けて夜に別れるときとか、意味ありげな目線がくるみから送られてくるのだ。おそらく『そろそろいいんじゃない?』と暗に問いかけているのだろう。そして、痺れを切らした私の方から求めるのを待っている、と。
相変わらず狡い考えをする。
だが私にはお見通しだ。絶対にくるみの思惑には乗ってやらない。逆に何としてでもくるみの口から『キスしたい』と言わせてみせる。達成された暁には『うわ~、そんなことずっと考えてたんだ~。くるみって結構やらしいよね~? まぁそんなにしたいんだったら、はいどうぞ』と大人の余裕で目を瞑って唇を差し出そうじゃないか。
そうしてキスが終わった後、恥ずかしさで顔中真っ赤になったくるみに妖艶に笑いかけ、今度こそ主導権を握ってやるのだ。
◆
私と由希が付き合い始めて多分そろそろ一カ月くらいになるんじゃないだろうか。
お互いに好きと紙に書き合った日から考えるとそうなんだけど、あの日を交際開始日としていいのかは自信がない。数日経って由希の方から遠回しに『付き合ってるよね?』と聞かれたから多分合ってるとは思うけど。なのに由希の方からは『そろそろ一カ月になるよね』的な話題が一切出てこない。もしかして由希はあんまり記念日とか気にしないタイプなんだろうか。私調べ(友達や雑誌)によれば、女の子は一カ月や半年とか記念日をこまめに祝うはずなのに。
私から聞いたりはしない。そんなことをすれば『へ~、くるみはお祝いしたいんだ~』などと笑われてしまう。
いや、もしかしたら由希の頭の中はそれどころじゃないんじゃないか。
例えばそう……キスとか。
最近デートしたり遊んだりしているときに由希の熱っぽい視線を感じる。その視線の行き先は私の唇。しかも無意識なのかは知らないけど、私の唇を見た後はたいてい自分の唇を口の中に引っ込めて唾液で湿らせたりしている。そんなのもう、完全にキス待ち状態じゃないか。あれで気付かれてないと思ってるんだろうか。
それだけキスしよオーラを出しておきながら由希から一向に言い出す気配がないということは、まぁ私からキスをするように誘っているんだろうな。誰がその手に乗ってやるか。
私が『キスしよう』なんて言ったら待ってましたとばかりにニヤニヤと笑いながら『くるみってやらし~』とか言うに決まってる。
だから私が取るべき行動はただひとつ。由希の要求を無視し続け、情欲を煽り、我慢出来なくなった由希に『キスしたい』と言わせること。
そうして私はニヤニヤと笑いながら『由希ってやらしいよねぇ。はい、お好きなようにしてみたら?』と唇を差し出してやる。
顔を真っ赤にして恥ずかしがりながら唇を突き出してくる由希を見るのが今から楽しみだ。
◆
「あれ? なんか甘い匂いしない?」
私の部屋に遊びにきたくるみがその言葉を言ったとき、私は内心でガッツポーズをした。表情には出さずに微笑みながら一本のリップクリームを取り出す。
「匂いつきのリップクリーム買ってみたんだ。ストロベリーの匂いなんだって」
「へぇー、結構良い匂いだね」
「でしょ? くるみも付けてみる?」
「いいの?」
「いいよいいよ。試しに付けて感想聞かせてよ。良さそうだったら他の匂いも買ってみようかなって思ってるし」
にこにことリップクリームをくるみに手渡し、「じゃあ」とくるみが自分の唇にリップクリームを塗るのを眺める。
これが私の作戦のひとつ、“リップ二段構え”だ。
甘い匂いの唇で目当ての蝶を誘いつつ、間接キスをさせることでくるみのキス欲をも刺激する。
ほらほら、リップクリームだけでいいの? くるみが本当にキスしたいのはそんな医薬部外品じゃないでしょ?
「自分で付けたらわりとすぐ匂い分かんなくなるね。でもうん、いい感じ。私が違う匂いの買おっかなぁ」
くるみが興味深そうにリップクリームのメーカーを見ている。
まぁそううまくはいかないか。まだ部屋に来たばっかりだしキスするような雰囲気にもほど遠い。とりあえずはキスする前準備が整ったことだけ良しとしよう。
◆
正直リップクリームは読めてた。
ただ、色付きとかで艶を増してアピールしてくるかと思いきや、ストロベリーの匂いというのだけ予想外だったけど。『私の唇美味しそうでしょ?』ってことなんだろう。実際にキスしたとき苺味になるのかは試さないと分からない。
リップクリームを私に塗らせる魂胆も見え見えだ。おおかた間接キスでドキドキさせようってことだろうけど、そんなの今更過ぎる。友達同士でリップクリームを貸したり、ペットボトルの飲み物を分け合ったりなんて良くあること。
「はい、返すね」
勝ち誇り、由希にリップクリームを返したとき。
「私ももう一回塗り直しとこー」
由希が自分の唇にリップクリームを塗りだした。これみよがしに、じっくりゆっくりと。今さっきまで私の唇が触れていた部分が、ねっとりと由希の唇をなぞっていく。なんでもない光景のはずなのにどこかいやらしくて目が離せない。気付けば私の心臓の鼓動が少し早くなっていた。
危ない危ない。由希の術中にはまるところだった。視線を外して小さく深呼吸をしてからカバンからある物を取り出す。
「お菓子持って来たから食べない?」
「あぁうん、ありがと……――」
由希の目が一瞬動揺したのを見逃さなかった。
それもそのはず。私が座卓の上に置いたのはポッキーの箱。くしくも苺味のポッキーだ。
さて、恋人と部屋で二人きりの状況でポッキーが目の前にあったら何をするか。
そう、ポッキーゲームだ。
一本のポッキーの両端をそれぞれが咥え、食べ進めていきながら唇が触れる前に先にポッキーを離した方が負けというゲーム。お菓子を食べる、二人で遊ぶ、いちゃつく――全部を兼ね備えたまさにパーフェクトなゲームと言えよう。恋人同士でこれを行ってキスをしなかったという事例を私は知らない(マンガ調べ)。
つまり、『ポッキーゲームをしよ?』=『キスしよ?』なのだ!
とはいえ敵もさる者ひっかく者。
由希が動揺を見せたのも最初だけで、あとはごく普通に雑誌を流し読みしながらポッキーを摘まんでいた。
だったら私の方から行動を起こすまでだ。私はポッキーを一本咥えてしばし待った。
「――あ、今度パンケーキの新作が出るみたいだから食べに……くるみ、何してるの?」
「ん?」
ポッキーを咥えたまま由希の方を向く。ちょうどポッキーの持ち手部分が由希の唇を指すように。
「……いやだから、何でずっと咥えてるの?」
「ふんふん」
答える代わりにひょこひょことポッキーを縦に振る。さながら魚をおびき寄せる疑似餌のごとく。
さぁ食いつけ。もしくは『ポッキーゲームしたいの?』でも可。興味があることを示してくれればそこから崩していける。さぁさぁ。
「…………食べ物で遊ばない」
何とも言い難い表情で注意された。やっぱりこの程度ではダメか。
だが私の攻撃はまだ終了していない。
「ふぇ~い」
咥えていたポッキーをパキパキさくさくとたいらげ、残りもすべて食べた。カラになった袋の中身を確かめ、無くなったことを知らせるために振ってみせながら由希に声を掛ける。
「あれ、もうないや。由希の残ってたら一本ちょうだい?」
普段はこんなこと言わない。買って来たポッキーは一箱に2パック入っているので二人なら1パックずつ分けるのが当たり前。でも今日は言う。
「私も最後の一本なんだけど」
「いいじゃーん、あんまり食べ過ぎるとお腹にお肉ついちゃうよ?」
「くるみの方が私より体重あるよね?」
「うるさい! その分胸に栄養いってるからいいの! で、くれるの? くれないの?」
「……まぁ、そんなに欲しいなら……はい」
袋の開いた口をこっちに向けられたけど私は手を伸ばさない。手元の雑誌のページを指で摘まんでぱたぱたとさせながら言う。
「両手塞がってるから食べさせて」
「はぁ? 手離せばいいだけでしょうが」
「無理無理。ほら、食べさせてよ」
「まったく……」
呆れながらもポッキーを食べさせてくれる由希。しかし私はそれを口でキャッチするのではなく歯でパキリと折って咀嚼した。
「ちょっとなんで噛むの? 咥えればいいでしょ」
差し出されたポッキーにもう一度同じことをする。そのあともずっと。まるでエサを貰う小動物のような気分だけど狙いはそこじゃない。
ポッキーの残りが由希の指から数センチの長さにまで減った。よし、頃合いだ。
「あーん」
さっきよりも大きく口を開けて催促した。由希は若干躊躇する素振りを見せたけど恐る恐るポッキーを私の口の所へ持ってくる。タイミングを見計らい、私は顔ごと前に寄せながらポッキーに食いついた。
「あ――」
驚いて由希が指を下げた。
私の口の中にはポッキーの端っこと、由希の指の感触が残っている。
これがポッキーの更なる攻撃――『あ、唇に指が触れちゃった……』だ。私の唇の柔らかさにドギマギするがいい。そうして我慢できなくなったときが『キスしたい』と言わせるチャンスだ。
ふふん、と由希の方を窺って、息を飲んだ。
由希は私の唇が触れた指を胸に抱いたまま、耳まで真っ赤にして俯いていた。思惑通りドギマギはしてくれたようだけど、そこまで恥ずかしがられるとこっちまで恥ずかしくなってしまう。
これだったら『も~、指まで食べないでよ~』とか笑い飛ばしてくれた方がマシだったかもしれない。
◆
思考がいっぱいいっぱいになり過ぎて固まってしまった。
くるみがポッキーを持ってきた理由は分かりやすかった。どうせ私の方から『ポッキーゲームしてみる?』とか言うのを待ってたのだろう。そしてどさくさに紛れてキスしてしまおう、と。
でもまさか、本当の狙いは私の指を咥えることだったなんて。
人差し指の先が――くるみの唇の内側に触れてぬるりとしたものが付いたところが熱い。ここで変に意識するのはよくないと分かっているのに、胸のドキドキが治まってくれない。
「ち、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
一度クールダウンしなければ。私は洗面所に行き蛇口から水を出し、まず手を……洗う前にそっと人差し指を唇に持っていった。
これも間接キス、になるんだろうか。
人差し指の熱が唇に移ったかのように熱い。指でさえこうなってしまうのだから、唇同士で触れ合うともうどうなってしまうのか。
ダメだ。これ以上は脳での処理が追いつかなくなる。
手と顔を水で洗ってから私は部屋に戻った。
「ん? 何してるの?」
戻るとくるみが私の勉強机の前に立って何かを見ていた。
「……由希、これなんだけど」
振り返ったくるみが持っていたのは、洗口液としておなじみのモンダミン(低刺激タイプ)だった。
言うまでもなく私が用意していたものだ。何気なくくるみに目撃させることで『もしかしていつでもキスしていいように準備してる?』などと勘ぐらせることを目的としていた。……あとはまぁ、本当にキスをするとなったらやっぱり口臭とかは気になってしまうので自分で使う用として。今日もくるみが来る前に使ってある。
だが今は正直あまりキスのことを意識させないで欲しい。ただでさえ先程の出来事をまだ引きずっているというのに。
「あ、あぁそれ? 最低限のエチケットかなと思って。寝る前に使うと朝起きたときも口の中さっぱりしてるし」
「なんで部屋に置いてんの? 普通洗面所だよね?」
「そ、それは、他の家族に使われたくないから」
「ふーん……私使っちゃダメ?」
「え」
「だから、私も使いたいんだけど」
「……今?」
「今」
…………。
それは予想外だった。友達の家に遊びに来て洗口液を使わせて欲しいなんて普通言う? どう考えてもおかしいでしょ。……恋人の家に来てお手洗いに行った隙に口をゆすぐ、と考えるとそんなにおかしくないのかもしれないが。
「分かった。じゃあせっかくだし私も」
こうなったらついでに私も使ってやる。
くるみを連れて再び洗面所に行き、キャップ部分をコップ代わりにして洗口液を口に含みくちゅくちゅとゆすぐ。くるみにキャップを渡した後これも間接キスだと気付いたが、もう知らない。
口の中をさっぱりさせてから二人で部屋に戻った。
戻ったはいいが、会話がぱったりなくなってしまった。
完全にくるみも私もキスを意識しまくっている。当たり前だ。キスする準備を整えた二人が他に誰もいない部屋でお互いに手の届く距離に座っているのだ。いわばこれは銃口を向け合った状態。あとはどちらが引き金を引くかだけ。
え~と、私が他に用意してたのはキス特集が載ってる雑誌とキスシーンが多い映画となんだっけ……あぁもう、集中して考えられない!
◆
自分でも『モンダミン使わせて』というのがおかしいのは分かってる。でもつい言ってしまったんだからしょうがない。
そのせいで今までになく部屋が静まり返ってしまったけど。
一応私も色々策を練ってきてはいる。
キス描写の多いマンガを持ってきたし、『キスしたい』が答えになるクロスワードパズルなんかも作ってきた。でもそれをこの空気のなかどうやって勧めろというのか。
「……さ、最近どう?」
私の口から出たのはくだらないまでに中身のない質問だった。
「……どうって言われても、だいたい一緒にいるんだし知ってるでしょ」
「そ、そうだね」
…………。
また沈黙。しかし今度は由希の方から話しかけてきた。
「て、天気は最近いいよね」
ザ・世間話の筆頭、天気。それをバカにする資格は私には無い。
「確かに最近いいよねぇ。お出掛け日和ってやつ?」
「連休になったらどこか行く?」
「うん、行こ行こ。動物園とかまだ二人で行ったことないよね? ちょっと遠出して牧場とかもいいかも」
「……あとは、映画とか」
「なんか観たいのあった?」
「え、映画館で今やってるやつには無いんだけど、別で観たい映画なら見つけてきたから、い、一緒に観てみない?」
「う、うん、いいよ」
誘導するのヘタクソかー!
準備を始めた由希に向かって心のなかで叫んだ。
絶対今の会話、映画っていうキーワード出すためだけに始めたよね。いやそれが悪いってことじゃないけど、もっと自然な感じでやればいいのに。……もうそんな余裕もないくらい緊張しているのかもしれない。
座卓にタブレットを立てて置き、ベッドを背もたれにして由希と肩を並べて座る。前にもこうやって由希と映画を観たことがある。今思えばあれも由希の策略だったんだろう。ベッドシーンが過激な映画を見せることで私に揺さぶりを掛けたのだ。あのときは寝たふりで何とかごまかしたけど、今回はどうするか。
「……くるみ、今日は眠かったりしない?」
「……大丈夫」
先手を打たれた。寝たふりは通用しない。だったら逆転の発想。守るよりも攻めに転じよう。
映画が始まると同時に、私は由希の手の甲に自分の手を重ねた。映画館でよくあるやつだ。この状況でドキドキしない人がいるだろうか? いやいない。
ただやってみて分かったのは、これ自分にもダメージが来る!
恥ずかしい! ドキドキする! 手のひらから汗がにじんできて気が気じゃない! 登下校で手を繋ぐときよりも緊張するじゃないか!
タブレットから流れてくる会話が1ミリも頭に入ってこないまま、私はひたすら自分の手に集中していた。
◆
映画どころじゃないよぉ!
どしたのくるみ!? いきなり積極的すぎない!?
手の甲が熱い。熱さで腕が痺れてきた。意味が分からない。
ゆっくり深呼吸をしても心臓は破裂しそうなほど激しく脈動している。
以前くるみの部屋で一緒に映画を観たときに寝ているくるみの手を握ったことがある。だが今はあのときと状況が違う。私達の関係は恋人になったし、映画はキスシーン満載だし、二人とも口をゆすいで準備は万端。そんな状態で手なんて重ねられたら身構えてしまうじゃないか!
くるみがいつ私の唇を奪いに来てもおかしくない。
映画の中の人物がキスをする度に横目でくるみの方をちらちらと窺った。それが何回目かのとき、私の方を窺うくるみと目が合った。
弾かれたように視線を画面に戻してから小さく呟く。
「……なんでこっち見たの?」
「それ私のセリフなんだけど。由希が意識しすぎてんじゃない?」
「わ、私はくるみが変な行動起こさないか見張ってるだけ」
「変なって?」
しまった。あまり迂闊なことを言うと揚げ足を取られてしまう。
「い、居眠りとか」
「だから今日は眠くないって」
会話が途切れた。映画の内容は頭に入ってこないが、俳優たちの所作や振る舞いはばっちり網膜に焼き付けられる。
男性が恋人の女性を家に迎え入れるとすぐに抱き締めて熱いキスを始めた。愛しているから触れ合ってキスがしたい。そんな気持ちがこっちにまで伝わってくるようだ。
ちらと再び隣を窺う。またもやくるみと目が合った。
「……なに?」
「……そっちこそ」
「別に」
「あっそ」
そのまま会話が終わるかと思ったら、くるみがぽつりと聞いてきた。
「魚へんにさ」
「え?」
「漢字の魚へんに喜ぶって書いてなんて読むか知ってる?」
「知らないけど」
「鱚」
「へ、へぇ~……」
「魚もキスして喜んだりするのかな」
「それは……どうなんだろ。そういう感覚なさそうな気もするけど」
「ちなみに由希は鱚の天ぷらは好き?」
「まぁ好きかな。白身魚の天ぷらはだいたい美味しいし」
「ふーん、由希は“キス”の天ぷら“が好き”なんだ」
『キス』と『が好き』を露骨に強調するくるみ。『の天ぷら』の部分に至っては早口と小声過ぎて聞こえなかったくらいだ。
「……」
「……」
「……ぷっ」
我慢出来ずに私は吹き出した。
「なんで笑うの!?」
「だってそんな、小学生じゃあるまいし、魚の鱚を出してまで私に『キスが好き』って言わそうって――ばっかじゃないの……ぷふ」
「それ言ったら匂いつきリップだって色気付き始めた中学生じゃあるまいし、もうちょっと考えなよ」
「ポッキーのくるみに言われたくないですー」
「はぁ!? モンダミンのくせに!」
「くせにって何!? 自分も使ったでしょ!」
映画そっちのけで言い合いを続けヒートアップをする私達。ふと気が付くと互いの顔の距離が30センチも無い。
私の動揺がくるみにも伝わったのか、くるみも一旦言葉を止めてこちらを見つめてきた。探るような目線を交わし合い、私が呟く。
「……そんなに、したいんだ」
「したいってなにを?」
「……魚が喜ぶこと」
「それは由希の方じゃないの?」
「くるみの方でしょ」
「由希」
「くるみ」
艶かしい息遣いとねばっこい水音が部屋に響く。私達じゃない。映画の中からだ。
「……」
「……」
見つめ合ったまま自然と無言になる。
今回はなかなかキスが終わらない。それどころか増々激しくなっていく。
キスが絡み合う生々しい音を聞きながら私達は何をやっているのだろう。恋人と部屋で二人きりでくだらない言い争いをして……。
不意に手の甲に添えられていたくるみの手が動いた。見なくても分かる。私の手を握ったんだ。手の甲の方からそれぞれの指の間にくるみの指を差し入れるようにして。
私も指を中に折り曲げた。こうするとくるみの指を締め付ける形になるから手を離すことは出来なくなる。
手を繋いでいる限り、この場から私達は動けない。
そう思ったとき、ゆっくりとくるみの顔がアップになってきた。私が近づいているから? それともくるみが近づいてきているから? 多分どっちでもいい。些細なことだ。
お互いの鼻先をかすめ、わずかに顔を傾け、目を少しずつ閉じていき――私達は唇を重ねた。唇の外側同士が触れるだけの軽いキス。
たったそれだけで終われるわけがない。
「はぁ……っ……んっ――」
一度唇が離れたあと、また唇を押し付けた。くるみにポッキーを食べさせたときに指先に触れた感触を思い出しながら、くるみの唇を割り開くように自分の唇を開閉させる。くるみも私の動きに合わせてくれた。私がくるみの上唇を挟んで吸うと、くるみは私の下唇を挟んで吸う。お互いに唇の内側のぬるぬるを求めて顔の角度を変えながらひたすら唇を動かし続けた。
ストロベリーのフレーバーも、モンダミンのミントの香りも、とっくにどこかにいっている。今はただ、愛しい恋人のキスの味だけを感じていたかった。
私達が正気に戻ったときには、映画はとっくに終わっていた。
結論――互いにキスをしたい気持ちが通い合ったのなら、言葉なんていらない。
あれから何度もキスをした私達が言うんだから間違いないよね?
終
『好きと言わせた方が勝ち』が第二回百合文芸コンテストでpixiv賞をいただいたので、その感謝も兼ねての続きです。
やってることは『好きと~』のときとほとんど変わってないけど、二人の心境は色々変わってます。
一日で決着がついたところにそれが表れているかなと。