第八話 試験
「――早速だけど、試験会場に移動したいと思うわ。付いて来てくれる?」
イリスは意地悪な笑みで、グラウンドを歩き始めた。
他の冒険者たちも続く。ある者は金属製の鎧で音を立てながら。ある者は短槍を肩に担ぎながら。あるいは神官用の金属のアクセサリーを付けてじゃらじゃらと鳴らしながら続く。
ナダとアメイシャもすぐに冒険者たちの後ろに続く。
最初は早歩きだった。
人の動きが遅い。
アメイシャとナダが後方にいるからだろうか。
人の波がゆっくりと動く。
前方は早いのかも知れないが、ナダ達にはまだ歩いているだけだった。
「ねえ、これが試験なの?」
ナダの隣に着いて行っているアメイシャが、少し息を乱しながら言った。
「……さあな。でも、きっとこれは試験じゃないと思うぜ」
ナダは確信めいたように言う。
その間にも少しずつ列の足並みは早くなる。前の人たちが走りだしていることが伝達するかの如く、後方にいるナダ達も前に置いて行かれないように走り出す。だが、そのスピードはまだ遅く、体力のあるナダとしては逆に入りずらかった。
こんな事ならもう少し前にいればよかったと思うが、もう前に行けるような人の隙間はない。道はイリスを追いかける冒険者で埋め尽くされている。
「どうしてそう思うの?」
アメイシャは不思議そうだった。
軽く走ることによって少しだけほほが赤くなっている。
少し暑いようだ。それもそのはず。彼女が着ているのは普通の神官が着ているローブよりも分厚く重たい。モンスターの攻撃を阻むために鋼糸が編み込んであるからだ。普通、冒険者は走らない。迷宮ではモンスターに見つからないように静かに歩くので、彼女はきっと神官のローブを着た時に走った経験はほぼないのだろう。
「イリスは嘘をほとんどつかねえからだよ。それこそ、さっきは笑っていたから。あれは意地悪な笑みだった。だからこれで決められることはない――」
列は外へと続いている。どうやら学園を出るらしい。
足場が黒土から石畳に変わった。
ナダとアメイシャはだんだんと早くなる集団に続く。
既にナダもアメイシャを大股を広げながら走っていた。口を大きく開けて空気を体の中に取り込む。
後方にいるはずの人が一人、また一人、と減って言っているように感じるのはきっと気のせいじゃないだろう。
まだ一年生だろうか。ナダの前にいる冒険者の足が遅れた。彼が着ているのは金属で造られた鎧だった。胸当てと腰当だけだが、それでも着たことのあるナダには分かる。あの重量で動くにはそれなりに体力がいる。
ナダは温かい目をしながら横で潰れる後輩を見送った。
「あなた、余裕ね……」
はあはあと隣でだんだんと息が荒くなる。
あまり走った経験緒ないアメイシャにとって、ただイリスに着いて行くという試験は辛いようだった。
「これぐらいならな。俺は三年生になる冒険者だぞ。それに剣で戦う冒険者でもある。それならこれぐらいの体力は必要だろう? それに幸運な事に防具も軽いからな」
ナダはまだ息も切れていなかった。
イリスからもらったククリナイフは軽く、防具は以前着ていたプレートメイルと比べると大分軽いので精神的に楽だった。吐いている靴も革のブーツであり、走りなれた靴だ。
それでもナダはすぐにコートの前を開いた。走ることによって風が生まれて、コートの裾が後ろに広がった。
ナダは少しでも体を冷まそうとする。今は平気であるが、この先、どれぐらい走るかが分からない。体力の配分を考えるが、少しずつ前の列はまた早くなる。どれだけ続くか分からないので、精神的にも気を抜く余裕などなかった。
「どこまで走るんでしょうね?」
アメイシャははあはあを息を荒くさせながら言った。
「さあな?」
分かることと言えば、まだ早朝で町の住民は少ないことだけだった。
お店の準備をする者や早朝から迷宮に潜る冒険者が見えるだけだ。彼らは集団で走るナダ達を不思議な目で見ていた。きっとその先頭には楽しそうに走るイリスの姿があるのだろう。
スピードがどんどん速くなる。
ナダとアメイシャの横で立ち止まる冒険者が多い。彼らの多くは前を向いていた。きっと意思では前に行きたいのだろうが、体がそれに追いつかないのだ。
ナダにもその気持ちは痛いほどよくわかった。
「これ以上走ると私、しんどいのだけど!」
隣のアメイシャは徐々にペースが上がる集団に、何とか必死に食らいついている。
脇腹を押さえているのは走りなれていないからだ。きっと脇腹がきゅっと絞るように痛みだしたのだろう。
「ローブを脱げばどうだ?」
ナダは自分の首元を指さしてから、手を大きく広げた
特に分厚いロープをきた彼女の服装では首元が苦しそうだったので、もってやろうかという配慮だった。どれだけ走るか分からないとはいえ、これぐらいの体力は持っている。
「あら。服を脱いだ私の姿を見たいわけ?」
「そんな軽口を叩けるのならまだ余裕そうだな」
「……持ってくれるというなら、持ってもらうわよ!」
アメイシャは乱暴にローブを脱いで、走っているナダに投げつけた。
下に着ていたのは麻でできたワンピースであり、スカートの丈が膝上で走りやすそうだ。
その姿で必死に走る。
もうなりふり構っていられないようだ。
「随分と乱暴だな――」
「いいから持ちなさいよ!」
ナダは今にも倒れそうな肩に担ぐようにローブを持った。
アメイシャの着ていた確かに普通の服と比べると重たく、さらに彼女の汗を大量に吸い取っているので余計に重たいが、持てないほどではない。スカサリの時にいた時はもっと重たい飲料水やカルヴァオンなどを大量に持っていたのだ。パーティーメンバーの分まで。グランからの命令だった。アビリティやギフトがないからその分、人の荷物ぐらいは持て、と。もちろんその状態でナダは戦っていた。きっとあの時に自分はていのいい荷物持ちにされていたのだと思う。
死ねばそこまで。いくらでも代わりがいる。
そう思うと腹の中に重たくのしかかるものがあるが、そんな思考を振り払うように、ナダは首を振った。
ああ、そうさ。あの時に比べたらこのぐらいはなんともなかった。
ナダは前を見る余裕があった。
人がどんどん増えていっている。
商人などが多い。それも馬車に乗って荷物を運んだり、露天の準備をする者だった。彼らは一様に、特に馬車に乗っている者はナダ達が奔っている方向から向かってやってくる。
ナダはこの先のインフェルノの道を予測すると、イリスが目指している場所が分かった。
「おい、アメイシャ。きっとゴールはもう少しだと思うぞ」
「……はあはあ」
アメイシャはナダの話を聞いている。
だが、答える余裕がない。
既に満身創痍の体で走っていた。
きっと既に彼女は全力疾走なのだろう。息をするペースが速く、顔は真っ赤に染まっている。美しい黒髪は汗と風によってぐしゃぐしゃに乱れて、今にもこけそうな足を必死に前へと動かしていた。
「ここはインフェルノでも有名な大通りだ。この先に続くのは、インフェルノの“出口”だろう。どうやらイリスは町を出る気だぞ。どこへ行くんだか――」
ナダは呆れたように言った。
その表情は余裕綽々であり、アメイシャにとってはその姿が憎たらしく感じた。少しだけナダよりもスピードを上げて、おしりをたたく。
その姿にナダは呆れたように言う。
「その元気を残しておけばいいのに――」
数多くの人を追い抜かして、ナダとアメイシャはゴールにたどり着いた。
そこは城門だった。迷宮都市であるインフェルノを取り囲む分厚く固められた高い壁。城塞と呼ぶに相応しいほどの設備だった。
だが、そこにいる筈の門番はインフェルノには存在しない。
誰でも入れて、誰でも逃げ出すことが出来る。
城塞の意味がないのだ、とナダは以前に聞いたことがある。
確かにインフェルノには国内の様々な燃料になるカルヴァオンが取れる迷宮が三つも存在する。その価値は極めて高い。だが、町を侵略してインフェルノを占領したとしても、冒険者がいなければカルヴァオンを採取することは出来ない。
つまり、インフェルノで最も大切なのは――そこに暮らす人々なのだ。
だから誰も攻め入らない。
そもそも屈強な冒険者が国内でも極めて多い町に攻め入るなど、そんな命知らずの者はいなかった。
そんな城門を抜けた先は、青空に大きな雲が存在感がある。青々とした草原がかぜによって揺れて、緑のいい匂いがする。ぽかぽかと陽気であり、きっと温かい草むらの上ならよく眠れるだろう。
中には走り切って疲れたあまり、気持ちのいい草原に寝転がっている者もいた。
「皆! よく辿り着いたわね!」
既にインフェルノを出ているイリスがここまでついてきた冒険者に労いの言葉をかける。
その言葉に反応できるものも少なく、遠くにいるイリスは肩で呼吸をしている冒険者たちを苦笑しながら見ていた。
ナダはそんなイリスの姿を見た。
彼もイリスと同じように全く息を切らしていない。
イリスはそんなナダを見つけたようだ
「――でも、私の考えた試験は、こんなものじゃないわよ」
彼女はとても艶やかに、それでいて男を惑わすような色香で口を動かした。
ナダにイリスの声は聞こえない。きっと彼女は声を出していないのだろう。ナダにだけ分かる方法で伝えたのだ。
ナダはそれに返事すらせず、余裕そうな顔で一つあくびをする。
どうやら朝が早かったようだ。
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