第六話 訓練
ラルヴァ学園にあるグラウンドは殺風景だった。
太陽に照らされた黒土で整地されただけであり、他には何もない。ここで戦闘訓練を行ったり、ギフトやアビリティの練習を行うのだ。もちろん広い空間がないと危険な技が多いため、ラルヴァ学園にあるグラウンドは町の一角にあるにしてはとても広かった。
そんなグラウンドは授業外の時間は冒険者たちに開放されていた。
それぞれが思うように研鑽を積むためだ。
現在のグラウンドにも多くの冒険者たちがいる。
彼らは武器を振ったり、グラウンドを走ったりして己を鍛えている。中には巻き藁を持ち込んでそれに対して刃を立てて切る者もいた。
そんな中ナダはできるだけ人がいない位置に移動すると、背負っているリュックを地面に投げるように置き、腰につけてあるククリナイフを鞘ごと外した。
ナダはイリスから貰ったククリナイフを抜くと、鞘をその場に捨ててククリナイフを両手で握る。
刀身は短いように思えたが、刃が分厚いからだろうか。以前に使っていた長剣と重さが変わらない。また刃がくの字に折れ曲がっているので、先端が重たいように感じる。
ナダは両手でククリナイフを振り下ろした。
すぐさま横へと薙いだ
いや、違う、とすぐに違和感を覚えた。
普通の剣の振り方では駄目だと。ナダは普通の直剣よりも重心が刃先にあるククリナイフを振るう時、遠心力を意識しながら振る。剣の動きを全て制御するのではなく、ある程度は重さに任せて振るい、自分はその動きの向きを少し変えるだけ。ナダは思ったよりもククリナイフが軽いことに気付いた。
なるほど、女性のイリスであっても扱いやすいという事に納得する。
右に、左に。
ナダは汗が額に浮かんでも気にせずにククリナイフを振るう。
ただ、突きはしなかった。ナイフの形状上、突きには向いていない。きっと何かを叩き切ることに向いているのだろう。
ナダは近くに誰かの置いて行った木の棒を見つけた。先端が地面に埋められており、試し切りに使われたのだろう。ナダのお腹ほどの身長があるそれの先は、鋭利なもので斜めに斬られていた。
ナダはそれを見つけると、すぐにククリナイフを振るう。斬線は少しぶれている。ナダの技量がそれほど高くないからだ。だが、遠心力を利用したそれは、まるで斧のようでもあった。簡単に棒の先を砕き、飛ばす。
そのまま何度も何度もククリナイフを振るって、木の棒を細切れにした。
それからナダはまた空中にふるう。
先ほどと同じように
だんだんとナダはククリナイフを振るうのが楽しくなってくる。
顔が緩む。
「――ねえ」
汗を滝のように流し、綿の服が肌に張り付いて不快感がましたとしても初めて振るうククリナイフの感覚はナダにとって非常に楽しかった。
心をワクワクさせながら、あーでもない、こーでもない、と様々に振るう。
「――ねえ、聞いているの?」
剣の振り方は基本的に八種類しかない。
唐竹・袈裟切り・逆袈裟・右薙ぎ・左薙ぎ・左切り上げ・右切り上げ・逆風だ。ナダは授業で習ったその全ての振りを確かめる。
どの角度がいいのか、どの振りとどの振りの相性がいいのか、もちろん相手は様々な種類のモンスターを想定する。
「聞きなさいよ!」
ナダは少し離れた場所で女性の、まだ声変わりもしていないような少女の大きな声が聞こえたので少しずつ振りを遅くして止めた。
ククリナイフを地面に刺すと、不機嫌そうな顔をしながら声の主を見た。
長く美しい黒髪が特徴的だった。
身長もナダより随分と低くて幼く見えるが、まるで人形のように美しい顔は大人びておりアンバランスな魅力があった。
「で、何だよ?」
ナダは上の服を脱ぎながら言った。
まだ細いが鍛えこまれた肉体には数多くの傷が刻まれてあるが、これまでの冒険者としての生活が厳しかったことが分かる。
「どうして脱ぐのよ!」
急に脱ぎだしたナダを見て、女は一歩後ろに下がって大声を出した。
「熱いんだよ。この汗を見ると分かるだろう?」
確かにナダの細くも鍛えこまれた肉体には玉のような汗が浮かんである。
「……いいえ、分からないわ。私のような淑女の前で脱ぐあなたの神経が信じられないわ」
「何でもいいけどよ。一体何の用だよ」
「あんたの隣は開いているの?」
彼女はナダのすぐ横にある開けたグラウンドを指さした。
「見て分かるだろう。誰もいねえよ」
「そう。なら、使っていい? ギフトの練習がしたいの。私のギフトは範囲が広くてね。誰かに当たると事故になっちゃうから、誰もいないあんたの近くを使わせてもらいたいの」
「好きにしろよ――」
ナダはぶっきらぼうに言った。
「あ、そうそう。私のギフトは火なんだけど、近づくと火傷するから気を付けてね」
彼女はかわいらしくウィンクをするが、ナダは呆れた表情で言う。
「人を脱がしたいのは勝手だけど、あんたみたいなガキが男の体に興味を持つのは早いと思うぞ」
「誰がガキよ! 私はもう三年生。つまり十四歳! つまりもう大人なのよ」
少女はつつましい胸を張った。
ナダは信じられないのか、少女を上から下まで眺めるが、どう見ても学園に入学したばかりのピカピカの一年生にしか見えなかった。
「お前、俺と同い年で、学園まで一緒なのかよ――」
「誰がお前よ! 私はアメイシャ。立派な名前があるのよ」
「へえ」
「あんた、全く興味ないみたいね。で、あんたの名前は? 仕方がないから覚えてあげるわ」
黒髪の少女――アメイシャは髪を手でなびかせた。
「……ナダだ」
「そう分かったわ。ナダね」
「ああ。人の邪魔はするなよ?」
ナダは口角を少しだけ上げた。
「ナダこそ、私の射線上に出ないでよ。こんがりと焼いちゃうかも知れないから」
ナダとアメイシャは顔を合わせて一緒に笑いあうと、それからお互いの訓練に移った。
ナダはククリナイフを拾ってまた振り始めた。一つククリナイフを振るたびに斬撃が鋭くなり、音も少しずつよくなっているような気がする。振り始めは鈍かった剣が、一つ振るたびに洗練されていく。勿論、前に使っていた長剣と比べると鈍いが、それでも確実にナダは成長していた。
汗で地面を濡らしながら訓練していると、ナダは爆音とともに素肌に砂が当たるのを感じた。
発端は真後ろからだった。
ナダは思わず後ろを見てしまった。
そこには当然のようにアメイシャがいた。
「火よ――」
アメイシャは右手を前に出す。
「――我が名において、矢となり敵を貫け」
祝詞を告げると共にアメイシャの周りに三本の火で作られた矢が現れた。
それは二メートルほど進み、塵となって霧散した。
もしもここが迷宮であればもっと大きく、もっと強力なギフトが創造出来るのかも知れないが、地上ではどんなギフトであっても弱体化する。それはアビリティも変わらない。
迷宮を出れば、冒険者はただの人と変わらないのだ。
「火よ――」
アメイシャは今度は両手を伸ばす。
右手は上に。左手は下に。
それはあたかも龍の顎のようであり、手の間に紅く煌めく炎が生まれる。
「それは誉れ高き炎である。何よりも大きく、力強く、それでいてあらゆる者共に畏れを。我は龍。誉れ高き王である。天と地をともに手に入れ、全てを焼き尽くす。我が魂に――」
大気が鳴り響くのをナダは聞いた。
どうやらアメイシャの手の中に、普通のギフト使いでは生まれないような煌めく炎が生まれている。
その熱は遠くにいるナダでも感じるほどであった。
「――無限の業を」
そしてアメイシャが祝詞を唱えると、手の中に圧縮された火の玉はアメイシャから離れた地面に放たれた。
それは地面を少しだけ抉り、大きな音が聞こえる。
ナダは先ほどの音の正体が分かった。
アメイシャのギフトだったのだ。
地上でこの威力なら、迷宮の中ならどれほどの規模になるのだろうか、と考えるとまるで初めて強力なモンスターに出会った時のようにナダは身震いした。
ナダは久しぶりに出会った希代の冒険者を見た気がしたのだ。
通常三年生にもなれば有力な生徒の名前は売れる筈なのに、アメイシャの名前は聞いたことがない。まだ学園に響き渡っていない。
おそらくは彼女のパーティーが、有能なアメイシャの事を隠しているのだろう、と考えた。
「あら見ていたの? どう。私のギフトは凄いでしょう?」
ナダの視線を気づいたアメイシャが自慢するように顎を上げた。
「ああ。でも、そんなに名は売れていないみたいだな」
ナダの発言にアメイシャは苦笑する
「そうなのよ。私はそれなりの実力だと思うんだけど、パーティーに恵まれなくて。どちらかと言えば、火力よりもサポートを求められるパーティーが多かったわ。だからあまり活躍することはないのよね」
アメイシャは残念そうに語る。
それからすぐにギフトを唱えた。ナダのククリナイフに火の力を宿したのである。ナダは何回かそれを振るうと、剣の軌跡を火の粒子が追いかける。
ここが地上だと考えると、十分すぎるほどの補助だと思った。
「いいギフトだな」
「ええ。おかげでパーティーには困らないけど、私としてはもう少し活躍したいからパーティーを変えるつもりよ」
「どんなパーティーなんだ?」
別に興味があったわけではないが、話の流れとしてナダは聞く。
「――アギヤよ。イリス先輩のパーティーに入りたいの。私の憧れなのよ」
「……そうか」
うっとりとしながら語るイリスに対して、ナダは頷くことしかできなかった。
「だから今のパーティーを抜けて鍛えているの。応援してくれる?」
「残念ながら俺もアギヤの選抜試験を受けるから、ライバルだな――」
「……そうなの。じゃあ、楽しみにしているわ。ナダに会えるのを」
それからまたお互いに訓練へと戻った。
互いに背中を向けながら、七日後にあるアギヤの選抜試験に向けて自分を高めるのだ。
ナダはその日、背中からどんな音が聞こえようと振りむかずに一心不乱にククリナイフを振っているが、今度はアメイシャがナダを見て鋭い振りを微笑むように暫くの間見る。