第三十九話 ミラⅢ
「ちょっとたんま――」
ナダは折れた木刀を見つめながら、左手を上げた。
「なんだ、降参か?」
ニックは鼻で笑った。
「いいや、違う。この木刀が危険だから交換したいんだ」
ナダは持っている折れた木刀を指差した。
ニックと同じ木剣ほどにまで短くなった木刀の先は、鋭い木の針が何本も立っており、これで生身の人を突いたら刺さるのは言うまでもないだろう。安全のために丸めてある木刀などとは大きく違う。
「だから元の長い木刀に変えると? ふざけんじゃねえよ。そんな木刀でオレが傷つくわけがねえだろう。だからさっさと戦ってオレに負けるか、降参しろよ」
ニックは吐き捨てるように言った。
ナダは深いため息を吐く。ニックがこの木刀を強いるのは、きっとリーチのある木刀が厄介な事に気付いているからだろう。
一対一の白兵戦において、武器の長さいうのは大きなアドバンテージだ。かつての戦場においては馬上で扱う特大武器を振るうことが戦士の誉れであり、どれだけ大きな武器を持てるか、長い武器を持てるかが戦士にとっての重要なステータスだった。
だが、現代において、アビリティやギフトがそんなリーチと言うアドバンテージを崩した。先ほどの戦いのようにアビリティの種類によっては、リーチを簡単に覆すことができる。
だが、ニックのアビリティはそういうものではない。筋力を上げるのは強力なギフトであるが、武器のリーチは簡単には埋まらない。
だからきっとニックは多少の危険よりも、勝利を選んだのだ。
「じゃあ、イリス、審判として判断を頼む。俺は短い木刀でも構わない。だから新しい木刀をくれ。この木刀で、ニックを殺してしまうと困るだろう?」
だが、ナダはそんなニックの分かりやすい顔を見ながらも、簡単にリーチを捨てる事を選んだ。
ナダの質問にイリスは笑顔で頷いた。
「分かったわ。今の木剣と同じ長さの木刀なら認める事にしましょう。そのままの木剣なら危険でしょうし」
審判の言うイリスのいう事は絶対だが、ナダの提案を最も喜んでいたのはナダ自身ではなく、ニックだった。見て分かるほどほほが緩んでいる。
木剣が短くなった上に、折れて尖っているという危険度も減ったのだ。
それからナダはイリスから短くなった木剣を渡された。長さはくしくもニックとそれほど変わらない。
ナダは何度か木刀を振って、感触を確かめる。
“慣れた”感触だ。
「……負けるのが少しだけ短くなってよかったな。早く楽になれるぞ」
にやにやしながらニックは言う。
きっと勝利を確信しているのだろう。
「……まだ、戦っていないのに」
ナダはぼそりと呟いた。
もう一度、ナダは正眼に構える。先ほどまでとは短くなった木刀で。
確かにリーチのある武器を選んだのは、単純にニック相手だと有利だと言う事もある。彼のアビリティが筋力を上げる事は有名だ。そして盾を使う事も、剣を使う事も事前に効いていた。こちらの情報が洩れてはいないが、ニックの情報は誰もが知っていたのだ。
だが、長い木刀を選んだ理由はそれだけではない。あの拾った太刀を使うために“練習”として選んだのは。ナダの中には不利になれば、木刀を無理やり折ると言うずるい手も当然のようにあった。
久しぶりに握った直剣はとても手に馴染む。学園に入ってからずっとこのサイズの武器を使ってきたナダ。もちろん、パーティーから追い出されるまでに使っていた武器も、今使っている木刀とよく似ている。
「――さて、じゃあ、取り直してもう一度戦うわよ。いいわね?」
イリスの言葉に合わせて、ナダとニックは同じタイミングで頷いた。
「じゃあ、はじめっ!」
取り直されたナダとニックの戦いは、先ほどと同じく距離の開いた状態から始まる。
最初に戦った時は真剣な顔つきだったニックも、今では盾越しに見られる表情が緩んでいる。
ナダは木刀が短くなった以外は特に変わりがなかった。もしも変化があるとすれば、氷のように冷たい視線だろう。ニックの態度には何一つ反応を示さずに、冷静に相手を見ている。
「どうした? 動かねえのかよ?」
木剣を持っている手でナダを招くニック。
「安い挑発だな」
ナダは鼻で笑うが、あえてそれに乗った。
姿勢を低くして、地面を強く蹴る。そのままナダは渾身の力で真上から振り下ろした。木刀が短くなったので力は落ちて、ニックに近づいている分危険度も増しているが、スピードだけは上がっている。
だが、ナダの斬撃は簡単に盾によって弾かれる。ナダは剣を引くともう一度強く振った。盾を叩く。
ニックはその瞬間を待ち構えていた。盾でタイミングよくナダの攻撃を弾く。ナダの腕が横に押された。胴体ががら空きになる。ニックにとって慣れた場面だった。ナダの鳩尾を狙って直剣を伸ばした。
ナダは無理やりに体を捻って躱す。無理な体勢をとったため、足がもつれる。地面に頭から突っ込んだ。そんなナダへニックは何度も剣を叩くように振り下ろした。
「くそっ! くそっ!」
まるで虫を殺すかのように強く叩きつけるニックの剣。
だが、転がるように躱し続けるナダには当たらず、遂には距離を取られて立ち上がる余裕さえ与えてしまった。
「残念だったな――」
ナダは土まみれになりながら言った。
服も、髪も、汚れている。まだニックの一刀も当たっていないのに既に敗者のような姿だった。
「てめえが八つ裂きになるのも時間の問題さ:」
ナダに土をつけたニックは得意げだった。
「そうかい。まあ、なんでもいいけどよ」
ナダはもう一度正眼に構える。
ここ何度かの攻防でニックの実力は大体わかった。
ニックは態度や声に反して、戦い方は実に堅実な男だった。自分からは決して責めず、相手からの攻めを待つ。そしてアビリティを活かして盾で相手の攻撃をしっかりと防ぎ、隙を狙って直剣で狙い撃つ。
実に隙が無く、戦いづらい相手だと思うが――それだけだった。
ナダは木剣を握っている手を緩めて、相手へと笑いかけた。
「何だよっ!」
その笑みがニックにはとても不気味に思えたが、決して自分から動こうとはしない。歴戦の強者らしく、彼は後の先を常に取ろうとしている。
だが、その姿に恐ろしさは感じない。
「行くぜ――」
ナダはまたも愚直に攻めた。
真っ正面から相手へと切りかかろうとするのを、ニックは盾で防ごうとしたが、その手に感触はない。
ナダは剣を振るうのを途中で止めて、体勢を地面すれすれまで低くした。地面を這う蛇のような邪道の剣。脛切りだ。だが、獣じみたナダの攻撃は、ニックは上に飛ぶことで簡単に躱す。
それは分かっていたことだった。
ナダは着地を狙って木剣を横に振った。もちろん、これも盾によって防がれるが、もちろん、これも想定内だ。ナダがここまでの攻防で分かったことは、木刀ではニックの盾は突破できないという事だ。ナダは脇を閉めて、全身に力を入れて、体を固める。そのまま右肩で全力でニックの盾に体当たりをした。
「うっ!」
ニックは思わず呻いた。
だが、ニックの足が崩れる事はない。
ナダとニックの距離が零になる。この距離では木刀も、木剣も、ましてや盾も扱いにくい距離だ。
未だに盾と剣を手放していないニックとは違い、ナダは既に木刀を手放している
ナダは両腕を相手の首後ろに回した。相手のほうが力があるため、まともにやっても勝てない事をナダは知っている。
「なにをしやがる!」
ニックはナダを全力で押して退けようとするが、ナダはそんな足を自分の足で踏むようにして止めた。
ニックはそれに抵抗するためにより一層力を込める。
ナダは自分の体を後ろにそらして、相手の力を利用する。急に前へと体が流れたニックは体のバランスが崩れた。ナダはそのまま後ろに相手を投げて、首から手を放し、一緒に地面へと倒れるときに、剣を持っているニックの右腕を両手で持った。足を相手の胴体に引っ掛ける。お互いに地面に横になりながら、ナダは自身の体にニックの腕を密着させた。
アビリティを使っている相手に遠慮などいらない。
骨盤を起点にして、全力で相手の腕を反らせる。
ニックは歯を食いしばりながら呻き、必死に抵抗するが、アビリティで強化している腕よりも、“素”のナダの背筋力のほうがはるかに大きい。
すぐにニックの腕からばりばりという音がした。
それと同時に熟練の冒険者たちがナダを止めて、すぐにニックから引きはがされた。
「勝者、ナダ!」
イリスは熟練の冒険者が戦いを止めた時には、既に彼の勝利を宣言していた。
ナダは起き上がり、地面の上でうずくまり必死に右ひじを押さえているニックを冷たい目で見る。
そんな中で、この戦いを見守っていた誰もがナダの勝利を信じられず、絶句していた。
久しぶりに関節技を書いたような気がする。
本編でも出したいが、モンスターに通じるとは思わない。