第三話 授業
ラルヴァ学園は冒険者を育成する施設だ。
ナダは迷宮に潜る冒険者であるが、学園に所属する生徒の一人である。だから学生の義務として、授業を受けて単位を得ないといけない。もしも一年の間に必要な単位を取らなければ多くのカルヴァオンの納品と言う重大なペナルティが課せられるからだ。
ラルヴァ学園で行われる授業は多岐に渡り、必要な授業を自分で選ぶことが出来る。
ナダが現在受けているのは、アビリティに関する授業だった。
冒険技能基礎学とよばれる授業だ。
黒板の前に一人の教師が立っている。彼はかつて冒険者だったらしい。
「えー、アビリティと言うのは迷宮に潜ることで得られる特殊な技能の事です。学生である君たちの大部分が、迷宮に潜っていると一年生か二年生の間にアビリティを得ることでしょう」
本来、アビリティを得た冒険者はこの授業に出る必要はない。
未だって授業を聞いているほとんどが一年生だ。
ナダと比べると二年生もほとんどいなかった。
三年生のほとんどが、幾つかに細分化されたアビリティの授業に出ることになる。だが、アビリティを持っていないナダが次の授業に進むことできない。
「アビリティを得た時の感覚は、何事にも代えがたいものです。まるで自分の存在が進化したかのような高揚感に包まれて、己の実力も把握しないまま強力なモンスターと戦って死ぬ冒険者もいるほどです」
この授業ではアビリティを得る前の準備をする。
様々なアビリティの種類を習い、どんなアビリティを自分が手にしたかを自覚するためだ。
またアビリティは迷宮内で戦っている時に突如目覚めるため、その時の感覚に戸惑う者も少なくないようだ。
「アビリティとは強力なものです。通常の剣なら傷つくことが出来ないモンスターであっても、アビリティを使えば切り刻むことが出来ます」
ナダはこれまでアビリティを持った冒険者を多数見てきた。
その中の一人にサリナがいる。
彼女が持っているアビリティは、剣から斬撃を飛ばすアビリティだ。その威力は凄まじく、固いモンスターの外殻であっても簡単に切るほどだ。彼女はたぐいまれなそのアビリティを使い、優秀な冒険者として記憶されている。
グランはパーティーに加入したときには既にアビリティを持っていた。
彼は槍の刺突力を上げるアビリティだった。
その威力はサリナと比べると弱いが、単発式のサリナのアビリティとは違って連続で使うことが出来る。ナダはグランがアビリティを使い、モンスターを穴だらけにするのを何度も見た。
「アビリティは様々です。ですが、一つだけ言えます。アビリティはそのどれもが冒険に役立つものです。いいですか。あなたたちにもいずれ目覚めます。目覚めない者はギフトに目覚めるでしょう――」
この授業ではギフトについても学ぶ。
冒険者の中でアビリティに目覚めるのは八割ほど。残りの二割は神の加護に目覚める。
ギフトとは、神の御業の一端であり、火や水など己に呼応する力を行使することができる。ある者は雷を操り、氷を操る。古来よりモンスターを殺すための強力な冒険者の武器だ。
「ギフトに目覚める者は、神の声が聞こえると言います。嘘か真か、私は聞いたことがないので分かりませんが、その時に自分のギフトの属性を自覚するのだと」
ギフトと言うのは強力だ。
アビリティはどんなものに目覚めるかが分からない。それ一つでモンスターを殺すための武器か、もしくは冒険をサポートするための技かは運であるが、ギフトはそれ一つで無限の可能性を秘めている。
火を操るギフトなら仲間の剣に火をまとわせたり、火の弾を相手に飛ばしたり、はたまたモンスターの動きを火で包み封じることもできるという。
「皆さん、私は楽しみにしております。あなたたちの未来はとても輝かしいです。どんなアビリティを持つか、それともギフトを得られるのか。どちらかは分かりませんが、きっとそれはあなたたちの冒険を手助けするでしょう。それでは今日の授業を終わります」
この授業を始めて聞く一年生たちは、尊敬するような目で教師を見ていた。
誰もが自分の未来に思いを馳せて目を輝かしている。思えば二年前の今頃は自分も彼らと同じように目を輝かせていたのかも知れない、と思うと懐かしくなった。
最も、もうこの授業を聞くのも三回目であるナダは、一人だけ大きなあくびをしながら聞いているが。
その時、ナダは侮蔑の視線を教師から向けられている気がした。
まだアビリティもギフトも持っていないのかと。
ナダはその視線に覚えがあった。
ラルヴァ学園において、アビリティもしくはギフトを得ることを“冒険者としての誕生”と呼ぶ者がいる。
どちらかの力を得ることが半人前から一人前になった証で、初めて冒険者として認められるという。
ナダはどちらも持っていないから、もう三年生になったというのに学園の先輩からは冒険者として半人前の扱いだった。そもそも受けている授業も一年生と大差ないのだから、無駄に年を重ねているだけとも言える。
スカサリのパーティーにいた時もそうだ。半人前なのだからパーティーとしての重要な時に決定権がなかった。
もう三年生だというのに、扱いは一年生以下なのだ。
学園からの対応も変わらない。
「なあ! オレにはどんなアビリティが生まれるのかな?」
「私はアビリティよりもギフトがいいなー」
教室の中ではナダより背の低い一年生たちが、自分たちの能力について楽しそうに話している。その輪の中にナダはいない。入れない。数少なく成った二年生ですら、彼ら同士で集まり、暗い顔をしながら傷のなめあいをしているのだ。
三年生などこの教室にいなかった。
おそらくはもう冒険者を辞めたか、隠れるようにして生きているのだ。
できるだけ目立たないように。
ナダはため息を深く吐くと、一年生の間を通り抜けるように教室を抜けた。
次の授業が待っている。
モンスター相手を想定した模擬戦闘訓練だ。
◆◆◆
ナダが他の数多くの生徒と共にいたのは、白く大きな校舎のすぐ傍にある広いグラウンドだった。地面が整備された石畳ではなく土が広がっており、こけても大怪我をすることは少ない。
そんなグラウンドに集まったナダは、木刀をひたすら振っていた。
振っていたのはナダだけではない。明らかにナダよりも背が低い学生たちが一心不乱に木刀を振っている。大きさは各自の体の大きさによって様々であるが、頭一つ飛びぬけて大きいナダは誰よりも重く、長い木刀を振っていた。
それを一人の無精ひげを生やした少しばかりお腹の出ている中年の男が見守っている。
彼が教官だった。兜をかぶっても蒸れないように頭を丸めており、体形はだらしないが腕と足は確かに冒険者として太く発達しており、眉間の上にある抉れたような傷は冒険者としての勲章だ。
ナダが現在受けている授業は、武器を扱った基礎戦闘訓練だ。
ラルヴァ学園において必修の授業であり、一年生や二年生の頃に誰もが習う授業だ。ギフトやアビリティが目覚める前に、最低限の力をつける授業であり、ナダ以外の多くの学生はまだまだ木刀の素振り姿がまだおぼつかない。木刀に逆に振られていたり、脇が開いている者もいる。二、三回振るだけで手が痛くなり、途中で素振りを止めている者さえいた。
「そこ、さぼるな。お前はモンスターの前でも手の平が痛いというだけで武器を手放すのか? まだ五分と振っていないぞ」
「そこ、脇を閉める、力が乗っていない」
「足は閉じずに開け」
まだまだ冒険者として駆け出しの彼らに、既に引退した冒険者が教官として迷宮で生きる術を教えてくれるのだ。
教官は決して優しくはない。必要以上に優しく教えれば、いざと言う時にまだ若い彼らがモンスターの凶刃に襲われて死ぬ可能性があるからだ。彼は一人でも多くの冒険者が生き残り、大成することを願っているのだ。
そんな教官の厳しい教えはナダも既に二年前に通った道で、本来ならこの授業を受ける必要がないのだが、単位が足りないので受けるしかない。
ナダはひたすら木刀を振るう。
「さあ、あと百本振ったら次は模擬試合だ! 気合い入れて頑張れ!」
まだまだ元気な一年生たちは教官の言葉に対し、気合を入れるように大きな声を出した。
それから気持ちがいいほど力の入った素振りをして、次は模擬試合だ。
迷宮には様々な形をしたモンスターがいるが、もちろん人に似た姿をし、武器を扱うモンスターもいる。彼らと戦う場合、対人戦での経験がものを言うので決して怪我をしないように金属の鎧をつけた状態で木刀を互いに振り合うのだ。
この戦いを楽しみにしている学生も多く、目をきらきらとさせているものが多い。
彼らは教官の近くに集まって、教官が用意した防具をあれでもない、これでもない、と騒いで試行錯誤しながら付ける。教官もたまに助言をし、皆が楽しそうに準備をしている。
だが、その輪の中にナダはいなかった。ただひたすら木刀を振るう。それでも教官からは何も言われない。むしろ邪魔もののような蔑んだ視線さえ送られた。
ナダは何も言わなかった。
ひたすら木刀を振るう。
一年生たちと戦いたいとも思わない。結果が分かっているからだ。まだ迷宮に殆ど潜ったことのない一年生とは違い、ナダはもうずっと迷宮に潜っている。もちろんモンスターも沢山殺してきた。そんな経験豊富で、体の大きいナダが模擬試合で負けるわけもない。
しかし、勝ったとしても教官が喜ばないということを知っている。格下の後輩に勝ち、調子を乗るな、と。
だからナダはひたすら木刀を振るう。教官から教わることもない。
ここには単位をもらいに来ているのだ。
「――ねえねえ、あそこの人、同級生じゃないよね? 先生とどっちが強いのかな?」
だが、そんなナダを陥れるように悪魔のささやきが教官の耳に入った。
女友達同士で楽しそうに喋っていた女生徒が興味本位でつぶやいたのだ。
そんな女生徒を見ながら、教官は嫌なほど優しい笑顔になった。その女生徒がまだあどけない顔で可愛かったからだろうか。それともいい顔をしたかったのだろうか。
ナダには木刀を振りながら横目で教師と女生徒を見ていたが、教官の真意は掴めなかった。
「――おい、ナダ!」
教官の大きな声が聞こえて、ナダは木刀を振るうのを止めた。
ナダは無言だった。
木刀を腕にぶら下げたように持ち、つまらなそうな顔で教官を見ている。
「そんなところで木刀を振っていてもつまらないだろう? よし、久々に稽古をつけてやろうじゃないか――」
自信満々に教師が言った。
「……俺では参考にならないと思うけど」
ナダは自分の学園でのポジションをよく分かっている。
目立つ気はない。
特に悪目立ちはこれ以上したくなかった。
「勘違いしているが、参考になるのはお前ではなく、私だ。いいから私の相手を務めろ! 皆も授業で剣の振り方は習っているが、実際の戦いというものは見たことがないだろう? 百聞は一見に如かずだ! 見取り稽古といって、見るのも立派な訓練だ!」
教官は手を広げながら自分を大きく見せている。
そんなことしなくても、腹は立派だろうにとナダは思うが口には出さない。そのぐらいの分別は持っていた。
「教官、出来ればそういう事はしたくないんだが――」
「私と戦うことで単位はくれてやる。通常の倍だ。お前には単位が必要だろう? だから私の相手になれ。なに、ケガをすることはない。その前に終わる――」
教官は威張りながら言った。
できればナダはその試合を受けたくなく、今すぐ別のどこかに行きたいが、倍の単位がもらえるとなると断る理由はなかった。
大きなため息を吐き、厭々そうにナダは言った。
「一度だけだ」
「それで構わん、なに、お前も胸を借りたつもりで全力を出せ――」
誇らしげに分厚い胸を叩く教官を、ナダは冷たい視線を見つめる。