第三十六話 ミラ
セウに存在するダンジョン。
――ミラ。
ミラは横に大きく広かったダンジョンだ。
階段を降りてダンジョンに足を踏み入れると、暗いと思っていたダンジョン内は、思わずナダが左手で影を作るほど明るかった。閉塞で、暗い一般的な迷宮内とは打って変わっていた。
その理由がすぐにナダには分かった。無限と思えるほど高い天井には、太陽と思えるほどの大きな水晶体が輝いているのだ。また太陽の周りは空のように青かった。
それから迷宮内の明るさに目が慣れると、ようやく周りを見渡すことができた。草原が三百六十度にわたって広がっている。すぐ傍には大きな木々がぽつぽつと沢山立っており、遠くには森が見える。また木造の家屋も近くには見えた。
また空には鳥のようなモンスターが何体も飛んでおり、遠くにはモンスターと思えるような大きな声が聞こえてくる。遠吠えだった。そこに目をやると木々を抜けた先に山のような風景が見える。
ミラはまるで――地上のようなダンジョンだった。
ナダが初めて踏み入れるダンジョンに、イリスの名の下で冒険者達は集められた。ようやく冒険者としての試験が始まるのである。
もちろん周りの冒険者も冒険者らしい姿をしていた。
「楽しみだ――」
ナダだってそうだ。
黒いコートを着ている。ナダが持っている最低限の防具だ。伸縮性と耐久性に優れているが、あくまで薄いコートで期待できるほどの性能はない。そんな姿でナダは背中に使う気のない大太刀を背負い、左腰にはククリナイフを付けている。腰の後ろや太もも、二の腕にもポーチを付けている。そこに投げナイフや回復薬が多少だけ入っているのだ。
彼が今用意できる最大限の装備だった。
「変わった迷宮ね――」
隣にいるアメイシャも冒険者らしい姿をしている。
白い修道服だ。
また腰には小さなナイフを刺しており、おそらくこれが彼女の武器なのだろう。あまり武器を使う気はないと言っていたが、どれだけギフトに自信があったとしてもやはり腰に武器を持つのは冒険者の務めだ。
また小さなリュックを持っており、その中に冒険者として最低限の装備が入っているのだろう。
「いいところじゃないか。ポディエと比べると開放感がある。本当にのどかで、ここが迷宮なんてとてもじゃないが信じられないよ」
またガルカも冒険者としてこの場にいる。
彼は軽くて動きやすそうなスリムな金属鎧の上に、青いサーコートを羽織っている。左腰にはシャムシールと呼ばれる曲がった剣を付けており、右腰には単純な直剣を差している。
またガルカも小さな片掛けのリュックを背負っており、動きやすそうだった。
「――さあ、皆降り立ったわね。ここがミラよ! セウにあるダンジョン。ポディエとは一味も二味も違うダンジョンよ。さあ、ちょっと移動しましょうか。まだ剣を抜く必要はないわよ」
イリスも当然ながら冒険者としての正装に身を包んでいる。
身体のラインに沿った服の上に、あまり重たくないように胸当てや脛当てなどの最小限の赤色の防具を着ている。その上から黒色のコートを着ている。見てくれの姿はナダと似ているが、きっとナダよりも性能がいい防具を付けているのだろう。
左の腰には銀のレイピアを。
腰の後ろにはククリナイフを付けている。
また顔には自信に満ち溢れていた。
そんな彼女に導かれるようにナダ達は彼女の後を続いた。何十人もの冒険者がイリスの後を続いて歩く。それは普段ミラに潜っている冒険者たちにとっては異様な姿であったが、率いているのが“スカーレット家”のイリスであるため誰も関わろうとはしない。彼女たちに目をやるだけだ。
イリスの言葉に従って、まだ剣を抜いている冒険者はいなかった。
必要がないからだ。
ミラと言うダンジョンは特殊な構造をしている。
下に続く道がないのである。
その代わりに横に延々と続くダンジョンであり、最初に降り立った位置から離れれば離れるほど強いモンスターが現れる。その果てに辿り着いた冒険者はおらず、冒険者たちは未だに探しているという。
またミラの特徴として、ダンジョンに降り立った場所から半径一キロほどのエリアは冒険者特区と呼ばれていて、柵を作り、冒険者たちが定期的に周回し、モンスターが入らないようにしている。
そこでは簡単な宿泊施設や食堂などもあり、冒険者が安全に生活できる場所だ。また訓練施設も用意されており、ミラに挑戦する新人冒険者はそこで戦い方を学ぶのだ。
そんな訓練施設の一つ――巻き藁などがあるグラウンドにナダ達は移動した。
「ねえ、知っている? 私のセウには学園はないの。でも冒険者の育成機関は存在する。その一つがここよ。ここで先輩の冒険者に教わりながら、戦い方を教わるの。ラルヴァ学園ほど計算されたプログラムじゃないけど、生きた冒険者による指導には定評があるわ。でも、それだけじゃない――」
イリスが指を鳴らすと何人もの燕尾服を着た執事が現れて、彼らは木刀が入った木箱を手にしていた。それをイリスの周りに置く。
また幾人かの熟練の冒険者も現れた。
イリスが雇ったのだろうか。
彼らは屈強な肉体の持ち主であり、目つきも鋭かった。おそらくは現役の冒険者だろう。
「セウで冒険者を目指す人は迷宮の中で生活をするの。勿論モンスターを倒さない日もね。だからここの冒険者は異能の発現も早くて、ここで異能の訓練もできる――」
イリスは右手で顔をおでこから顎へと隠すように移動させてアビリティを発現させると、彼女の顔が一枚の白い仮面によって隠された。その仮面は通常のものとは違い、口と鼻が仮面と一体化されており、目の部分は穴が開けられている。まるで感情が無いかのように無機質な仮面だった。
これが彼女のアビリティだった。
――『もう一人の自分』と呼ばれるアビリティだ。
このようにアビリティやギフトといった異能は迷宮では簡単に発動するが、迷宮外では発現するのが難しく、ラルヴァ学園の学生たちもその訓練に悩んでいる。迷宮に潜れれば話は早いのだが、ポディエにセーフティエリアなどないためモンスターと命がけの死闘を繰り広げながらラルヴァ学園の生徒たちはアビリティやギフトの使い方を学ぶのだ。
「で、今回の試験は簡単よ。あなた達にはここでアビリティやギフトを使ってもらう。ここにいる冒険者で、一対一で戦う。もちろん武器は私が用意した木刀でね、命の取り合いはしない。でも、勝った方が次の試験に進めるわ――」
イリスから次の試験が発表された。
それは冒険者たちにとって、初めての事だった。
◆◆◆
冒険者同士で戦う。
別におかしいことではない。よくあることだ。訓練として木刀や竹刀などを使って、武器の技量を上げるのだ。モンスターは獣の形をしたものや石像ばかりではない。人と似た形をし、武器を扱うモンスターもいる。彼らを倒すために、人は鍛えるのだ。
だが、それは勿論、アビリティやギフトがないこと前提である。
地上ではそれは使えないのだから。
「さあ、じゃあ試験を始めましょうか。対戦相手は私が事前に決めたわ。ルールを説明するわよ――」
それからイリスは簡単に試験の事を説明した。
武器は真剣ではなく、長さが様々な木刀を使う。
アビリティやギフトの使用は認められており、どのように使っても構わない。
ただ一つ、殺傷だけは認めないと言った。とどめをさすのは許さないと。またもしも危険があれば途中でイリスが止めるとも言っていた。彼らのような冒険者と共に。
「どんな手をつかっても構わないわ。勝て、勝った者が次の試験に進めるわ。で、そこで一つあなた達に提案よ。あなた達は確かに今は試験のライバルかも知れないけど、敵同士ではない。だから戦う前に異能を教えあいましょうか。だって、不公平でしょ? 有名な冒険者はアビリティが知れ渡っているのに、無名な冒険者はそうではない。フェアに戦いましょ――」
イリスの発言に誰も反対の意は唱えなかった。
アビリティやギフトを公開することに何のためらいもないからだ。
本来、そういった異能はモンスターを倒すためだけに使う。味方を騙すためではない。また時には迷宮で他のパーティーと協力して倒すことだってある。その時には惜しげもなく異能の情報を開示して、互いに協力して倒すのだ。
「本当にアビリティを使って戦うんですか?」
冒険者の一人が言った。
本来ならポディエにおいて、アビリティやギフトを人に向けて使う事は禁じられている。それを破れば重たい罰則が待っているのだ。
「ええ。何か問題でも?」
「それは法律で禁じられている筈です」
「ええ。ポディエの条例ではそうなっているわね。でも、ここ――セウでは話が違うのよ。ここの私の家であるスカーレット家が治める町。だから条例によって、ミラの中にあるこの場所で、監督する熟練の冒険者がいるならアビリティやギフトを使った模擬試合が認められているのよ」
初めて聞く条例だった。
だが、アビリティやギフトを使った訓練が、ミラでは新人の冒険者を一人前の冒険者へと育て上げるのだ。学園で計算されたカリキュラムを受ける学生と比べて、血肉にはなるが熟練の冒険者の訓練だけだとどうしても偏るのだ。
だが、それを補ってあまるほど、異能を使った実践訓練は冒険者の血となり、肉となる。だからミラの冒険者はアビリティやギフトの使い方が他の都市の冒険者とは違うと言われているのだ。
「いいから、さっさと始めようぜ。どうせこんなことで“びびる”のは、本当に強いモンスターと戦ったことのない冒険者だけだ。例え冒険者のアビリティであっても、龍の牙より鋭いアビリティを持つ者なんてこの中にはいねえよ――」
待ちくたびれないように集まった冒険者の中でひときわ大きな男――ニックが言う。どうやらこれ以上、退屈なイリスの話を聞くのは我慢できないらしい。
「さて、皆、疑問は消えたかしら? 最初は誰から戦いましょうか――」
イリスは冒険者たちを見ながら言った。