第三十三話 セウ
セウは、港町だ。
海のすぐそばに作られた町であり、船と共に大きく発展した街だ。別の大陸から珍しいものを輸入し、カルヴァオンや鉄鉱石などを輸出する。だからこそ造船業が盛んであり、港には大きな船と共にそれを作成するための数多くの大きな工場が並んでいる。また昔から裕福で栄えていたセウを襲おうとしていた国は多かったらしく、町全体が高い壁で囲まれていた。
また町の入り口も大きい。
造船業で培った技術は列車を作る際にも用いられ、大陸中に列車を輸出している。そのシェアは国内においては90パーセント以上を占めており、現代においても重要な産業の一つだ。
だからこそセウから伸びる線路は多い。一つだけではなく、二つも三つも、それぞれ違う方向に延びている。
昔とは違い、セウに入る者は列車や船を使う者が多いのだが、馬車で入る者もそうすくないわけではない。様々な物が行き交うセウには海の向こうから入る珍しい物を求める商人も集まるのだ。
だからこそ、セウには大小さまざまな馬車が関所に集まっていた。特別な貴族ならまだしも、ほとんどの平民は順番を守って列に並んでいる。関所に立つ屈強な騎士が怖いからである。
もちろんガルカの運転する馬車も、関所で簡単な質問を受けてからセウに入る。他に馬車に続いて。通行証は持っていないが、セウは迷宮都市であり、商業都市という側面から多くの人に開放されている。人が集まれば集まるほど、発展することを知っているからだ。
ガルカは人と馬車、それにここにしか集まらない珍しい物でにぎわっている商業地区を抜けて、石やレンガで作られたマンションが立ち並ぶ人々が住む居住区を抜けて、他の建物よりも低い屋敷と広い庭が立ち並ぶ貴族地区へと進んだ。
そこは閑散としていた。
人が少なかった。
おそらく平民ではこの場所が恐ろしすぎて、用のある者以外は誰も近づかないのだろう。
貴族は特権階級だ。
粗相などしたら、そもそも目に入っただけでどんな目にあわされるか分からない。どこかの町に住む貴族にには、手当たり次第女を襲うバカ息子のような存在もいるのだから。
そんな中、ガルカは数多くの屋敷の庭の横を通り過ぎて、奥へ奥へ、セウの中心へと向かう。
やがて出会ったのはセウの中心にある白く、何本もの塔が立っている大きな城だった。城の周りに水が流れており、奥へと行くためにはおりている跳ね橋を渡るしかない。そんな跳ね橋も重装備の騎士が守っている。また跳ね橋の奥には木刀を持って訓練をしている何人かの騎士も見えた。きっとこの城に攻め入ったら彼らが戦いに来るのだろう。だから戦時ならまだしも、平時なら誰も襲う者はいないだろう。
ガルカは門番たちの前に馬車を止めて、後ろにある馬車を何度か叩くと軽い足並みで降りた。
「すいません。ここがイリス様のご自宅ですか?」
そして騎士の前に立つと、ガルカは腰を低くしながら言った。
「ああ、そうだが。君たちは?」
そう騎士の一人が返した時に、馬車からナダとアメイシャが下りてきた。
「おー、やっと着いたんだな」
「凄いところね……」
ナダとアメイシャはてっぺんが見渡せない城を仰ぎ見ながら感想を告げる。まだ王都に行ったことがない二人にとって、イリスの実家スカーレット家の城は今まで見た中で最も大きな城だった。
普段ナダが住むインフェルノにも城はあるのだが、それはここにある城と比べるととても小さかった。おそらく町を治める者の力の差だろう。
「オレ達はイリス様が開いた冒険者試験に参加した冒険者です。イリス様とお会いしたいのです」
「事前に約束はしておられますか?」
「していません」
「それなら、申し訳ありません。イリス様はスカーレット家の令嬢です。セキュリティの面から考えて、お連れするわけにはいけません。あなた様の素性が知れませんから――」
騎士は申し訳なさそうに断った。
ガルカはやれやれと肩をすくめて、呑気に城を眺めている二人に振り返った。
「どうやら駄目みたいだよ、どうする?」
「もちろん、イリスに会うさ――」
「どうやって?」
「ちょっと待ってろよ――」
ナダは大きなため息を吐きながら門番の一人に近づいた。
「何をする気だい?」
「見てれば分かるさ」
ナダはガルカへ手をひらひらと振ると、先ほどガルカが話しかけた騎士へと声をかける。
「俺の事を覚えているか?」
まるで長年の友人に話しかけるように親し気にナダは言った。
「ふん、誰だ? 知りもしないくせに気安く喋りかけるんじゃない」
「おいおい、俺の事を覚えていないのかよ?」
「お前のような失礼のガキを見た覚えはない」
男は素っ気ない態度で言った。
ナダの失礼な口の利き方に少しいら立っているようであり、小さく舌打ちをしている。
「じゃあ、これを見てもか?」
ナダは意地悪な顔をしながらポケットの中から簡単な赤いリングのネックレスを取り出した。それは細く長い銀の鎖につながれており、首に巻けばシンプルでお洒落なネックレスとして使えるだろう。
また鎖の先にある赤いリングは指に嵌めれば指輪ともなるものだ。表には複雑な模様が描かれており、その一つ一つがスカーレット家独特の模様だ。他の家には許されていないバラの紋章であり、複雑な模様は他の金属細工師でも真似できないと言われている。
「……どうして、それを?」
スカーレット家の秘宝の一つ――スカーレットリング。
それはここから南にある海の中にある希少な生物である珊瑚を用いて作られた指輪だ。王都において珊瑚はその希少性とルビーとも違う艶やかな色から高い値で取引されているが、スカーレット家が用いる珊瑚は、その中でも特別なほど赤い珊瑚が作られる。年に少ししか取れず、血のように赤い色から血晶珊瑚とも呼ばれる特別な物だ。
それは一族の中でも直系しか持つことが許されず、例え婿や嫁であっても持つことを許されていない。
そんなものを、美男美女が多いスカーレット家の者とはかけ離れた十人十色、もしかしたら並以下かも知れないナダが持っている事に、騎士は目つきが厳しくなった。
――奪ったのか、と。
「借りたんだよ、イリスから。大昔にいつか必要な時が来るってな。まあ、いずれ返すさ。それで、俺の顔は思い出したか? 俺は――ナダ。ただのナダだ」
ナダはそのネックレスをポケットの中に大切にしまうと、ニヒルな表情を浮かべながら言った。目の前の騎士の事は当然のようにしっているのだ。以前にイリスの家に居候していた時、彼もイリスの護衛の一人だったと思う。
最も、冒険者として成功したイリス自身が彼を追い出したが。
「ああ、お前の事は勿論知っているぞ。忘れるわけがないだろう?あの忌々しいガキを……」
騎士はナダの名前を聞くと、先ほどまで隠していた怒りをあらわにした。
「ああ、そうだよ。そのガキだ」
「恐れ多くもイリス様に近づき、平民で年下、さらには生活まで面倒を見てもらっているのに、本来なら敬うべきイリス様を不躾にも呼び捨てで呼び……」
「育ちの悪い俺はそれしか知らないからな」
「イリス様のご自宅で、主人であるイリス様以上に偉そうに振舞っていたガキか……」
「……そんなつもりはないんだけどな」
「何を言う? イリス様より先に食事に手を付け、あろうことかイリス様が残した食事にまで手を出そうとし、与えられた部屋ではなくソファーやそのあたりの床などで寝る事もしばしば、特に風呂嫌いだったためか、イリス様が入れていたのを私は覚えているぞ。お嬢様に使用人のように体を洗われおって……」
「……それに関してはすぐに忘れたい記憶だ」
ナダは口を尖らせながら言った。
故郷の村では風呂に入る習慣などなかった。あったとすれば川で体を洗うぐらいだ。温めた湯で体を洗い、湯の中で体をほぐしリラックスするなど誰も考えた事がなかった。そもそも薪やカルヴァオンに余裕がない村だ。そんな貴重な物を嗜好品に使うなんて信じられないという価値観をナダも当然のように持っていた。
だからイリスに拾われた時、何とかナダの臭いを何とかしようとしたのだが、ナダはまるで借りてきた猫のようにそれを全力で抵抗したのだ。最もイリスの方が力が強く、無理やり入浴させられたらしいが。
「ふん、それで、イリス様に何か用事があるのか?」
「ああ、会わせてくれるか?」
「……全力で断りたいところだが、その指輪の持ち主を私たちは無視することはできない。そもそもお前を通さないと私がイリス様に怒られるからな」
「よく分かっているようで」
「ああ、いいだろう。そもそもイリス様より、この屋敷に冒険者が訪れたなら通すように言われている。だからお前たちも通すつもりだった。そのガキを見るまではな」
騎士はナダを指差してからそう言って、三人に屋敷まで続く跳ね橋を通るように指示をした。
馬車はどうやら騎士が預かってくれるらしく、中に入っている物もそのままにしておいてくれると言っていた。アメイシャ曰く、保存がきかないものは馬車の中にないので何も問題はないと言っていた。
「ナダ、あんた、あの騎士に嫌われていたわね」
「まあ、イリスとの関係で、いい顔をする人はいねえさ――」
イリスとナダの関係に苦言を呈するのは多い。それは男でも女でも、どんな立場の人間でも変わらない。
例え身分などあまり意味がない冒険者であっても、貴族と平民には大きな隔たりがある。そもそも学園においても平民は平民とパーティーを組みたがり、貴族は貴族とパーティーを組みたがる。
価値観が違うからだ。
価値観の違うパーティーは破滅しやすいと言われている。だから基本的には似た者同士がパーティーを組む。
それなのに、ナダとイリスの仲の良さは時には友人を超えるほどであり、他の者達にとっては奇妙にしか見えなかったのだ。
「ねえねえ、聞きたかったんけど、イリスさんとナダってどういう関係なんだ?」
「……一言で言うなら、腐れ縁だよ」
ナダは諦めたように言う。