閑話 イリス
「――イリスさん、どうやら後ろの車両はついてきていないみたいですわ」
狭い列車の中に艶やかな声が響いた。
それを奏でたのは、白いワンピースを着ながら上品の紅茶飲む女性だった。髪は金色であり、頭の横で一つに纏めている。
別世界の人間のように神々しく、また美しい女性であった。
彼女の名前はニレナ。
ヴィオレッタという国内でも有数の王家に連なる大貴族の出身であり、学園の者なら誰一人として知らない者はいないだろう。ギフト使いとしてのニレナの実力は極めて高く、また気高き彼女の姿勢には憧れている者も多く、もしかしたらイリスよりも人気がある女性かも知れない。
「そうね――」
そんなニレナの前に対等に座っているのがイリスだった。
ニレナとは家格も同格。
お互いの家も仲がいいからか、気心の知れた仲のように見える。
四人掛けのテーブルに、たった二人で対面に座っている。他の冒険者は二人の周りに多数いるが、誰一人として二人と同じテーブルに着こうとはしない。おそらく同じテーブルに着くのが恐れ多いからだろう。
「何があったのでしょうね? 私には全く想像がつきませんわ」
長いまつ毛を伏せて、大きな目を隠し、小さな鼻で紅茶の香りを楽しんでから、薄い唇でニレナは言った。
そんな彼女は美しく、聡明だ。
一瞬だけちらりとイリスの近くにいるフェデリコを見るが、彼は気にもせずに車窓を眺めている。
「もしかしたら電車に問題があったのかも知れないわね」
イリスは窓の外を見ながら言った。
「彼らはどうなるのですか?」
「私は約束を守るわよ」
「つまり、待つということですか?」
「ええ」
「どれぐらい待つのですか?」
「うーん、私が飽きるまでかしら? 我慢できなくなったら次の試験に行くわ。と言っても、徒歩で来る人もいるだろうから、それぐらいの時間は待つつもりよ」
「優しいことですね」
アメイシャは紅茶に目を落として微笑んだ。
「なあ、イリスーー」
そんな二人に近づく者がいた。
男だった。
無精ひげが似合う大きな男だった。
額から右目を通るような大きな切り傷と、右目の白い義眼が特徴的な男だった。服で隠れているが、きっと熊のように太く丸い肉体のほぼ全てに似たような傷が刻まれているのだろう。
そんな男が着ている服はおしゃれとは言い難い。首元がよれよれのシャツ。ぶかぶかのズボン。またその上に茶色の分厚い毛皮のコートを着ている。まだ学生だというのに、中年と言っても通じるほど老けた要望をしていた。
男が近づいたことにより、少しだけニレナが顔をしかめた。
男のあまりにもきつい体臭、いや獣臭とも呼ぶべきそれが気になったのだろう。
「なによ、ニック――」
イリスは熊のような男――ニックが不躾にもいきなり隣の席に座ったとしても、表情一つ変えなかった。
「いつまでこの試験を続けるんだ?」
ニックは低い声で言った。
「いつまでって、もちろん私のパーティーメンバーが決まるまでよ」
「こんな試験は無意味だと思わないか?」
「思わないわ」
「イリス、お前に相応しい冒険者は実は近くにいると思わないか? 強く、気高く、有能な冒険者が――」
ニックはイリスの肩に手を回そうとするが、その手をさっと払った。そして大きなため息を吐き、ニックを睨みつけた。
「残念だけど、そういうのには興味がないわ。そもそも残念ながら私はニック、あんたに興味が持てないの。冒険者としてつまらないわ。私の試験を最後まで突破したら“使ってあげる”けど、試験を突破できないなら興味はないわ。ニックは突破できるかしら?」
「偉く挑戦的だな。知っているとは思うが、オレは冒険者として強いんだぞ。そのあたりにいる有象無象の冒険者よりも――」
足を組み、大きな態度で言うイリスを睨むニック。
それから周りにいる冒険者を見渡した。
だが、その全てを見て、ニックはため息を大きく吐く。
「――ここにオレより上の冒険者がいるとでも? どいつもこいつも、ちっぽけなギフトに、小細工しかないアビリティ。どれもこれも本物の冒険者はいないぜ。全くこれが天下のラルヴァ学園の冒険者だと思うと泣けてくる。」
「それはここにいる皆も失礼だと思うわ――」
イリスはこの場にいる全ての冒険者を貶すニックの発言にも態度は変えなかった。
「何を言ってやがる? 全部事実じゃねえか。弱いギフトに、弱いアビリティ。この中で誰がドラゴンを倒したとでも? ふん。決まってやがる。現在、学園にいる冒険者で“龍殺し”を果たしたのはオレだけだ。他の奴らなんか、全てオレ以下の冒険者でしかねえ。いや、冒険者と呼ぶのもおこがましい。ここにはちっぽけな石炭を取る“炭鉱夫”しかいねえじゃねえか!」
ニックは立ち上がって、大声で言った。それはこの場にいる冒険者全てを貶す言葉であったので、顔をしかめる冒険者も多かった。
だが、誰も、何も、言わない。
ニックが強いからだ。
――龍殺し。
それは冒険者にとって、最上の誉れの一つである。
迷宮内に存在するモンスター。モンスターには様々な個体が存在するが、その中でも特殊な存在なのが“はぐれ”と呼ばれる通常のモンスターとは異なった生態を持つモンスター。
そのはぐれの中でも特殊な存在が“龍”だ。
モンスターの中でも最強と呼ばれる種族であり、その体内から算出されるカルヴァオンもそうだが、牙、骨、鱗、全ての肉体が冒険者にとって有能な素材を持つ。
ニックは現在の学園ではただ一人龍殺しを成し遂げた人物であり、輝く龍の素材を使った剣と鎧を持っている。
その実力は、学園一だと言う者もいる。
「で、私に言いたいことはそれだけ?」
だが、イリスの表情は変わらない。
例え、ニックがどれだけ威勢を張ったとしても、隣にいるのが冒険者が学園で至高の冒険者だと言われているニックだとしても、イリスの態度は全く変わらない。
――己が最強だと自負しているからだ。
「さっさとオレを選べ、って言いたいんだよ」
「それは私の試験に受かったらよ――」
「オレよりも強い仲間がいるとでも?」
「それが分からないからこうやって試験を開いたんじゃない」
「おまけに上級生だけではなく、無能な下級生どもまで呼んでんじゃねえよ――」
「下級生の中にも強い人がいるかもしれないじゃない」
「そんな事があるかよ。オレよりも強い奴がいるとでも? 上にもいなかったんだ。下になんかいるわけがないだろう? あいつらなんか皆等しく屑だ」
ニックは冷たく言い切った。
冒険者の世界は実力主義であるが、年功序列でもある。何故なら基本的に一年生よりも二年生のほうが強く、七年生よりも最上級生である八年生のほうが強い。もちろん低学年でも実力のある冒険者はいるが、基本的に年齢が上の冒険者のほうが強い。
冒険者は迷宮に潜れば潜るほど強くなり、それが深ければ深いほど、滞在する時間が長ければ長いほどアビリティやギフトが強力になるからだ。
だから基本的には後輩が先輩に逆らうことはない。
下の者が上の者に勝つなど基本的にありえないからだ。
「へえ、そう。ならあなたの考えはそうかもね。でも、私の考えは違うわ。今、この時にも、私より下の冒険者から、新しい芽が出ようとしているかも知れない。だから私はこういう機会を作ったのよ。私よりも強い冒険者がいるとしたら心が躍ると思わない?」
イリスは怪しく笑う。
それは彼女の女性としての魅力もそうだが、それよりも冒険者として人としての魅力にあふれた言葉だった。
思わず、乗客にいた冒険者の心も希望に満ちてしまうほどの。