第十九話 ウリャフトⅡ
アメイシャはその光景を見てみると、どうにも力が入り歯を食い占めてしまう。イリスとナダの関係に。憧れている先輩が、自分ではなく他の後輩に目をかけているという事実に。
ナダには全く非がないのに、心の中では暗い感情を巻き起こしてしまう。
「イリス先輩は、ナダと親しいのですか?」
だからつい、こんな事を言ってしまった。
聞く必要なんてないのに。二人の関係はナダから直接聞いたというのに。
ああ、アメイシャ自身にもこの感情の事はよく分かっている。人ならば誰でも持っている暗い感情だ。誰かの事を妬み、羨ましがる事だ。アメイシャもナダの事を羨ましいと思っている。出来る事ならば、彼の立場と入れ替わりたいとさえ思っている。
この感情の正体は――嫉妬だ。
でも、それが分かっていたとしても、アメイシャは止まらなかった。
「ええ。一時期は私があいつの面倒を見ていたもの」
イリスはそんなアメイシャの感情には気づかずに、優しく微笑みながら言った。それはまるで弟を見る目のようで、冒険者としてのイリスの表情とはかけ離れていた。
「だから今回の試験に呼んだのですか?」
アメイシャは無意識のままに歯を食いしばってしまった。
口の中で血の味がする。
おそらく力を込めすぎたからだろう。
「あら、聞いたの? そうなの。ナダは私が誘ったのよ。試験に出るように、って。久しぶりにあいつの実力を確かめたくなったの――」
「それはパーティーに入れるという意味ですか?」
ああ、アメイシャは心の中で渦巻く嫉妬がうねりを上げて強くなっているのが分かった。
嬉しそうに微笑む大好きな先輩が、自分ではない他の誰かを見ている。
それも森の中では迷わずに歩き、生身でクマと互角の戦いを繰り広げた優秀な冒険者を。自分と同じ三年生だというのに、イリスから高く評価を受けているナダをアメイシャは受け入れられない。彼の事はアメイシャも認めているのに。
だが、イリスから返ってきた答えは、アメイシャの想像するものではなかった。
「さあ、どうかしら? あいつが使えるなら入れるわ。でも、私の考える実力じゃなかったら落とす。別にあなたと変わらないわよ。でも――」
「でも?」
勿体ぶるようなイリスの言い方にアメイシャは聞き返してしまう。
イリスが浮かべたのは、恍惚の笑みだった。
思わずアメイシャがイリスに見とれて口が開いてしまうような。
「あなた、名前は?」
「アメイシャです」
「アメイシャちゃん、これは内緒ね。私ね、それなりにナダの事は気に入っているのよ。成長してほしいの。だからこの試験では、他の受験者以上に厳しく見ると思うわ。
四苦八苦を彼に与え、それを乗り越えてもらう。きっとナダなら超えると思うわ。才能があるかないかで言えば絶対に“ない”けど、あいつは冒険者として生きるしかないから――」
イリスは唇の前に人差し指を置いて、ナダに口止めするかのようなしぐさをする。
その顔を見ながらやはり、イリスは妖艶だとアメイシャは思った。二歳ほどしか離れていないというのに、彼女には大人の魅力はある。十四歳の自分はまだ子供だと思えてしまった。
ただ、一つだけアメイシャにはイリスの発言の中に気になることがあった。
「ナダには才能がないって本当ですか?」
アメイシャにはそうは見えなかった。
彼女の脳裏には熊と一対一で戦った姿が思い出させる。アビリティやギフトがなくても、彼は熊相手に引くことなく戦っていた。
人よりも遥かに大きい体躯を持ち、力も当然ながら強く、体は固い筋肉と太い体毛によって守られている。通常の武器ではまともに攻撃を与える事さえできず、事実としてナダは熊相手に致命傷を一度も与えることはなかったが、互角の戦いをしていた。
冒険者としてみれば、優秀な実力だと思えた。
そんな彼はどんなアビリティやギフトを持っているのか、という期待に膨れ上がる。もしもあの戦闘センスを持っているのなら、どんなアビリティであっても極めて優秀な冒険者だと思えるのだ。
「知らないの? ナダは落ちこぼれよ。あいつはアビリティもギフトも持っていないの。まあ、武器を持った戦闘はそこそこだけど。それだけよ――」
「え?」
「あいつは冒険者としての通過儀礼を通っていないのよ――」
学園では様々なカリキュラムが組まれているが、その中に冒険者として学ぶべき過程を経て一流の冒険者へとなっていく。
一年から二年の間に武器での基本的なモンスターとの戦いを覚えて、アビリティやギフトに目覚めればその使い方を四年生ほどまでに確立させる。それからは様々なパーティーやモンスターとの戦いの経験を経て、冒険者として成長していくのだ。
だからアビリティやギフトが目覚めていない冒険者は、半人前と呼ばれる。
「だって、私と同じ学年だと聞いたのに――!」
「三年生ね。そうよ。でも、あいつはアビリティもギフトも持っていないから、学園の基準ではまだ半人前――」
「嘘でしょ?」
冒険者は遅くとも二年生までにギフトやアビリティのいずれかが発現すると言われている。
普通は、だ。
だが、どちらも目覚めない者がいる。
そういう者は早々に冒険者を諦めて学園を去るらしいが、ナダはそうではなく残る道を選んだのだろう。
「本当よ。ナダは正真正銘の落ちこぼれ。だから有能じゃないと、パーティーに入れる意味がないわ――」
「……そうですか」
アメイシャにとってイリスの言葉は優しく聞こえた。
実力さえあれば、ギフトもアビリティも持っていない冒険者をパーティーに入れる、と言っているのだ。
「ええ。でも、アメイシャちゃんの事は期待しているわ。ギフトが強力で有名だから――」
「ありがとうございます――」
憧れのイリスから褒められても、アメイシャの心はナダへ向いていた。
彼に対して複雑な感情を抱いていた。
まずは彼の膂力に対しての憧れ。アビリティやギフトがなくてもモンスターや野生動物と戦える戦闘センス。女性である自分には縁が遠いものだった。
また彼自身の性格も嫌いではない。グラウンドで一人で黙々と訓練していたのもそうだが、親しみやすく面倒見のいい彼に好印象だ。ここに来られたのもナダの力が大きいのでとても感謝している。
だが、それと反するようにイリスから気に入られているという事実が、アメイシャにとっては嫉妬の感情が沸き上がる。彼は全く悪くないのに、ナダの立場がアメイシャにはとっては羨ましい。
「試験、頑張ってね。次に備えてあなたも休むといいわ――」
イリスはどうやらこの場所に来た冒険者を待つらしく、その場で飽きずに立っている。
アメイシャは頭を下げてから宿屋の中に入って行く。
強く鍵を握りしめながら。