第一話 スカサリ
一人で迷宮に潜る日の朝。その日はまだ春なのに、ナダにとってはうだつのあがらないほど暑い日だった。シャツの胸元をぱたぱたとしながら暑さをごまかしている。足取りが重かった。先に進むのが嫌だった。背中に刺した剣がやけにうっとうしく感じる。
広大な敷地を持つラルヴァ学園の一角の建物がナダの目的地だった。
金属製の扉が解放されているのでナダはコンクリートで作られた建物の中に入り、慣れた足で三階の端を目指した。
そこがナダの所属するパーティー『スカサリ』の部屋だった。
いつもはこの中で今後の冒険について会議したり、授業の合間に休んだり、中にある薬や道具などを迷宮に潜る準備を始めるのだが、今日だけは違った。
開けなれたはずの鉄のドアノブが、今日はやけにさび付いているように感じた。
回しづらい。
それでもナダは右手に力を入れて扉を開けた。
「待っていたわ」
奥のテーブル両肘をつきながら座っている女性――サリナが、口元に笑みを浮かべている。
勝気な女性だった。ストレートの茶髪を耳にかけるように流している。自信に溢れた顔つきをしているが、まだ幼いだろう。十四歳のナダと同い年なのだから大人と言うにはほど遠い。
「それは悪かったな――」
ナダは部屋を見渡した。
スカサリのパーティーメンバーがいた。
誰もが見知った顔だ。共に冒険者として迷宮に潜り、モンスターを狩って、カルヴァオンという稼ぎを得る同志たちである。苦楽を共にし、互いに支えあった仲間だ。
「おい、さっさと始めようぜ!」
そういうのは額に大きな傷の入った大男であるグランだ。
このパーティーメンバーの中で唯一年上だ。十七歳である。ナダと比べると三学年も上であった。
「言いたいことは一つだね」
凛々しい顔つきをした眼鏡をかけて白衣を着た学者風の風貌をした男が言った。
スカサリはナダを含めて全員で五人だった。五人をパーティーとして登録している。
だが、この場にはナダを“除いて”五人もいる
「ええ。私たちの意見は決まったわ。ナダ、私たちのパーティーは満場一致で、ナダ――あんたをクビにする――」
ナダは立ったまま五人を眺めて眉をひそめた。
「で、詳しい理由を聞いていいか?」
ナダは戸惑いながらもそれを隠している。
以前からそういう話は少しずつ出ていた。
冒険が上手くいっていないわけでもない。
事実として、スカサリはそれなりに好成績を収めるパーティーだった。カルヴァオンの供給量、倒してモンスターの数、迷宮に潜る深度。どれを見ても、まだ14歳と若いサリナが率いるパーティーにしては将来有望のパーティーと評されている。
グランはナダやサリナと比べると熟練の冒険者であるが、他の四人は全て若い。中には十二歳のメンバーもいる。
それを考えると、ここ一年の間で躍進しているパーティーの一つと言えるだろう。
ナダは、そんなパーティーに所属していた。
「いつまでとぼけるつもりだ! お前だって本当はその理由が分かっているんじゃないか?」
グランが口元を下品に歪ませて嗤っている。
ナダはその言葉を聞いても黙っていた。まずで知らないように涼し気な顔をしながら受け流して、リーダーであるサリナの顔を睨んだ。
「で、サリナ、俺に理由は教えてくれるのか?」
だが、サリナはナダの睨みにも物怖じはせずに侮蔑を込めながら言う。
「ナダ、あんたには才能がない。だから首にするの――」
「才能がない? モンスターを倒しているだろう。それにパーティーの役目だって果たしているだろう?」
「ええ。そうね。あんたはメンバーの役目をしっかりと果たしていた。それは間違いない。今までお疲れ様。だから事前に言っていたでしょ? 田舎にいるご両親に手紙は送った、って」
サリナの言う通り、ナダは三日前の冒険が終わった時に直々に彼女から個別に呼び出された
――ねえ、田舎のご両親とは連絡とっているの? 手紙、送った方がいいんじゃない。
ナダは急にそんな事を言い出すサリナの事を不審に思ったが、その後すぐにナダと別れた彼女が他の仲間たちと自分を追い出す算段をしていることを聞いたナダはこの日を予想していた。
だから思っていたよりもショックは少なかった。
だが、吸い込んでいる息が冷たいように感じる。スカサリの設立当時からいたナダがこれまで温かく思っていたパーティーにも、愛着がほとんど失われた。
冒険の準備をするこの部屋も最初はなく、成果を上げてこの部屋を管理者から借りられた時には達成感もあったものだが、そういうのもなくなり、今ではこの部屋があばら家のように思えた。
「サリナさん、はっきり言ってあげないと。その人は察しが悪いんだから。前の時もモンスターから逃げている時に一人だけ遅れていた無能だし」
ナダをあざ笑うように言うのは、このパーティーの中で最も最年少のエリオットだった。黒髪を一つに纏めており、まだまだ子供だった。
ナダはそんなエリオットを睨む。
前回の冒険でナダが遅れたのは、荷物を人一倍持っていたからだった。戦闘ではあまり役に立たないのだからせめて荷物ぐらいは持てと、いつも冒険の度に水や食料などの荷物を強制的に持たされるのだ。最初は反論したが、嫌なら抜けてもらっていい、と言われるとナダも許容せざるを得ない。
「……そうね。いい? あんたにはギフトがない。アビリティがない。これは今までパーティーを組んだよしみとして言うわ。あんたのような落ちこぼれは、実家に帰ったほうがいいわよ。冒険者を続けても、きっと大成しない――」
サリナは吐き捨てるように言った。
ナダはアビリティとギフトという二つの力の事を思い描いた。どちらも喉から手が出るほど欲しい物だった。
冒険者にとっては必須技能と呼ばれるもので、どちらかを冒険者は持っている。
だが、ナダは持っていない。
「……まだ、どちらも目覚める可能性があるだろう?」
ナダは五人を説得するように言うが、それを嘲笑ったのは眼鏡をかけた学者風のニコラスだった。
彼はギフト使いとして、火を生み出してモンスターを倒すことでこれまでの冒険を手助けしてくれた。またニコラスはナダと同じ十四歳なのだが、学年で最も成績のいい生徒であった。
彼は眼鏡を持ち上げてから、ナダを見下すように言った。
「ナダさん、あなたは知らないんですか? ギフトはを持っている人は殆どが一年生の頃に得ます。またアビリティも大体の人は二年生になるまでに取得します。稀に三年生――ナダさん、あなたの学年でもアビリティに目覚める人が稀にいるようですが……残念ですね。ナダさんの歳で得るアビリティに、優れたアビリティなどありません――」
「アビリティなんて使い方だ――」
ナダは負けじと言った。
どんなちっぽけなアビリティだとしても、モンスターに通じる十分な力になる。ナダは親しい先輩からそう教わり、強く信じている。
「ええ、そうです。そうですけれど、強力なアビリティの持ち主はそのほとんどが一年生の時に発現し、二年生の時に発現した物の中で強力なアビリティは稀です。三年生で発現した者の中に優れたアビリティ使いはいません。どれもごみのようなアビリティばかりです。これは過去十年のデータを見返しましたから間違いありません」
ニコラスは手元においた書類に目を通しながら、まるで論文の発表会のように意気揚々と述べた。
グランがその言葉に大きく頷きながら言った。
「要するにお前には才能がない。冒険者としてやっていくだけの才能がないんだよ! それなりに腕は立つみたいだが、オレたちは冒険者として次のステージに行くんだ。それを邪魔するな!」
テーブルに手を叩きつけながら言った。
どれだけ説得しても、自分の言葉が届かないということをナダは知った。
五人から非難の目を向けられて、ナダの味方はこの場に一人としていなかった。
ナダは大きくため息を吐いた。
言いたいことがないわけではなかった。むしろ沢山あった。ナダはスカサリの設立当時からいるメンバーの一人なのだから、スカサリに愛着あり、こんなことで助命されるのも嫌だった。
だが、もはや彼らの意思は変わらないようだ。
「そうかよ。で、そいつは新しいメンバーか?」
ナダは見知らぬ顔に向かって言う。
それは髪を全て剃り上げた少年だった。
顔つきはまだ幼く、ナダよりも下だろう。
「ああ、そうだぜ! “優秀”なパーティーメンバーだ。まだ一年生だが、お前と違ってもうアビリティに目覚めている。オレよりも強力なアビリティだ。納得しただろう? お前よりもこいつは優秀だから入れ替えるんだ。じゃあ、さっさとサインを押して、この部屋から出ていくんだな。お前はもうこの部屋に踏み入れる資格すらねえんだから」
見下すように言うグランは、テーブルの上に一枚の紙を乱暴に置いた。
パーティーの脱退書だった。
学園において冒険者のパーティーとはただの仲良しクラブではなく、パーティーのリーダーなどと迷宮探索について契約を結ばれた関係を示す。学園に新たなメンバーを加える時や脱退させる時は必ずこういった手続きが必要になるのだ。
「押さないのだったら、しかるべき処置を取るつもりです。私たちのような優れたパーティーにあなたのようなお荷物を入れておく余裕などありません! これ以上、今いる階層で足踏みをするつもりが我々にはないのです――」
ニコラスは脱退書の横に一枚の紙を置いた。
それにはパーティーからメンバーを除隊する時に必要ないくつかの条件が書かれている。パーティーとメンバーは厳格な契約によって結ばれており、いくつかの条件を満たせばリーダーがメンバーを強制的に入れ替えることもできる。
脱退書には、各項目の一つ一つにナダがパーティーにいらない理由が詳しく書かれてあった。
ナダは深く読めば泣きそうになるかもしれないので脱退書をさっと見渡すが、どうやら不備はなく、もしも脱退書にサインを押さなかったら学園との協議の上で自分はパーティーから抜けることになるのだろう。
その場合、多くの時間と多少のお金が必要になる。
どちらの余裕もないナダは、ニコラスの顔を睨んでから言った。
「いいぜ。こんな糞みたいたパーティー抜けてやるよ――」
「納得したようでよかったわ。私たちもあなたのような才能がない“糞”にすら劣るメンバーを追放できた本当によかった」
ナダはサリナの言葉を聞き流しながら脱退書にサインをし、背中にある剣を少し抜いて親指を薄く切ると、名前の横に拇印を押した。
そのまま目で確認をし、叩きつけるようにテーブルの上に置くとかつての五人のパーティーメンバーに背中を向けた。
「待てよ!」
だが、そんなナダをグランが止めた。
「何だよ?」
「剣を置いて行けよ――」
「あ?」
ナダは苛つきながら振り返る。
「お前の剣はパーティーの金で買った物だろう? つまりそれはスカサリの備品だ!」
「そうだね。それは君が持つよりも、彼が持ったほうがいい。何故なら彼は君とは違って、才能のある有望な若者だからね」
ナダは背中にある剣に手をやった。
馴染んだ手の感触を味わう。
二年ほど前にスカサリのメンバーが迷宮内で見つけたオリハルコンを使った極上の一振りだ。現在スカサリのパーティーメンバーの中では、最もランクが高く強力な武器である。
ナダはそれを抜いた。
白銀の刀身は見る者を魅了し、今にもグランの手が伸びそうでもあった。
ああ、そういえば、とナダは思い出す。
かつてグランから「落ちこぼれではなく、才能のあるオレが使ってやろう」と汚い手を差し出された事を。当然ナダはその手を弾いたが、あの時の妬むようなグランの眼差しを忘れることはない。
ナダは愛剣を失うのは痛いが、きっとここで駄々をこねてもあらゆる力を使ってこの剣が失われるのは目で見えていた。何故なら彼らの言う通り、この剣はスカサリの資金で買った物だからだ。
ナダは小さく舌打ちをして、歯を食い占めた。
「……いいぜ。くれてやるよ!」
「おお、それは助か……る」
ナダは大人しく抜いた剣を渡すかと思いきや、全力で近くの壁に殴りつけた。もちろん刃は立てず、刀身を叩くように。するとナダの筋力と、壁の固さに耐えきれなかった剣はぽっきりと折れて、金属の破片が辺りに舞った。
スカサリのメンバーたちは口をあんぐりと開けていた。
ナダはそんな彼らに悪びれもせずに言った。
「すまん。手が滑った――」
ナダは残った柄を部屋の中に投げ捨てると、あとくされもなく涼しい顔で部屋から出て行った。
扉がばたんと閉まる。
「おい! あの糞野郎! 剣を折りやがったぞ!」
「これまでパーティーに入れてあげたのに、仇で返すなんて最低ね!」
「やっぱりあの落ちこぼれはもっと早くにパーティーから排除するべきでした!」
それからナダの背中にあらゆる罵詈雑言がかかった。
スカサリのメンバーたちは、最もランクが高い武器を壊したナダを非難した。
だが、その時にはナダは既におらず、言葉だけがむなしく部屋の中を反響する。
「白銀の長剣」
ギフトやアビリティと親和性が高いオリハルコンがふんだんに使われた剣。一般的に鉄で作られた剣よりも軽く、切れ味がいい。
その武器は学園でも上位のランクに所属する武器であり、欲しがる者もきっと多いだろう。
その剣は殆どの同級生がまだアビリティもギフトも目覚めていない一年生だった頃、武器一本でモンスターを狩るナダを高く評価したスカサリの皆から贈られた一品であり、その剣の輝きは当時と同じままだった。