第十五話 グランケアンⅣ
「ねえ、そろそろ休憩しましょうよ――」
標高が高いからだろう。空気が薄いことに慣れていないアメイシャは、少しずつ足が遅れている。
もう太陽も沈み始めてきた。
空も暗い。
朝食を食べてから度々と休憩をはさんでいるが、そろそろナダはもう一度しっかりと休むことも考えている。日が沈んでから山を進むのは危険だとナダは経験則で知っているからだ。
暗くなると例え地図とコンパスがあったとしても道に迷いやすくなる。時間がないあげく、道に迷ったら試験に落ちるかもしれない。だからナダは空の様子を見てから口を開いた。
「休むのは太陽が沈んでからだ。それまでは頑張ろうぜ――」
「分かったわ――」
それからナダとアメイシャは完全に日が沈むまで歩き続けた。
深き森の中、木などが周りにない場所で二人は休憩を取ることにした。ナダは手で土を掘り少しだけできた穴の中に近くにある木々を入れて、カルヴァオンを少し足し、火打石で火を付けた。
二人は焚火を囲いながら食事をとる。
朝食と同じメニューだ。
ナダは干し肉を少したき火であぶってから口の中に入れた。温かい物を口の中に入れたので気分がほっと和らぐ。肉の固さは変わっていないが。
「ねえ、ナダ、私はあなたに聞きたいことがあるの――」
アメイシャは焚火に木をくべている。
火を見ながら思案しているようだ。
「何だよ?」
「今回のアギヤのパーティー選抜試験。あなたはどう思う? 変じゃない?」
「さあ? 確かに異例だな。大なり小なりパーティーに入るのに試験があるとはいえ、ここまで大規模なのは珍しいけど、イリスの人気じゃ仕方ねえだろう。現在の冒険者の中で最強の一角。人気もトップだ。そんなイリスが大々的にメンバーを募集するんだ。次のトップパーティーの一員になりたい冒険者は、そりゃあ、今のパーティーを捨てるだろう」
中にはパーティーを解散して、全員がライバルとしてこの選抜試験に臨んだ冒険者もいると聞いた。
それほどイリスの影響力は学園の中で大きい。
彼女のいるパーティーの一員となって冒険者として更なる成長を望む者、彼女の名声にあやかりたい者、もしくは将来のトップパーティーの一員になりたい者など、様々な野望を胸に冒険者はこの試験に挑んでいるのだ。
中にはニックのようにイリスに懸想している冒険者もいそうだが。
「……呼び捨てなのね」
だが、アメイシャは別のところに引っかかった。
「それがどうかしたか?」
「ナダとイリス先輩ってどういう関係なの。普通、先輩にはさん付けでしょ? でも、ナダはそうでもない。もしかして親しい関係なの?」
「……知り合いだ」
「知り合いって、どういう関係なの? もしかして幼馴染だとか? 普通に考えてパーティーも一緒になった先輩と知り合う機会ってそうないでしょ?」
「簡単だよ。死にそうだった時に救われただけだ――」
それからナダはアメイシャへイリスとの出会いを簡単に語った。
あれは今から三年ほど前の事だ。冒険者になろうと住んでいた村から食料も持たずに飛び出て、若い衝動のままにインフェルノを目指した。道に生えている草を食べながら町までたどり着いたのはいいが、そこでほっと安どして力尽きてしまったナダは、町の入り口で倒れていたらしい。
そんな死にかけのナダをたまたま拾ったのがイリスで、その時から交流が続いていると語る。
「つまり、ナダはイリス先輩と元々知り合い……よかったじゃない。今回のパーティー選抜試験も、親しいから他の人より受かりやすいんじゃない?」
アメイシャは忌々し気に言った。
憧れの人と既に繋がりのあるナダが羨ましいのだろう。
だが、ナダはそんなアメイシャに吐き捨てるように言う。
「受かりやすいなんて絶対にねえよ――」
「試験内容とか、事前に教えてもらったんじゃない?」
「掲示板に書いていること以外は特にねえよ。アメイシャ、これはイリスの名誉のために言っておくが、あの女は徹底的なまでに極度のリアリストで、実力主義者だ。俺の事を知っているが、だからと言って他の受験者より有利にすることはねえよ――」
アメイシャよりイリスの事を理解しているからこそ、ナダは自嘲しながら言う。
イリスが自分の為に試験が有利に働くことはしないだろう、とナダは確信している。むしろ彼女は知り合いには、必要以上の苦難や困難を与えるタイプの人間だ。
「そうなの?」
「ああ。武器がないっていう可哀そうな後輩に、ククリナイフという癖の強い武器を渡す女だぞ」
ナダは腰から外して横に置いたククリナイフに目をやる。
何度か訓練はしたが、まだモンスター相手に使ったことはない。どんな風に振ればよく切れるのか、どんな振りがあっているのかまだよく分かっていない。
そもそもククリナイフは刃が分厚く、重量のある武器だ。
スピードが乗った時にモンスターに当たればよく切れるだろうが、初速が遅く振りづらい武器だとナダは思っている。
「……もらえるだけいいじゃないの。しかもそれ、イリス先輩がよく持っている武器でしょ。私も欲しいわ。……コレクションとして」
「そうか?」
「ええ」
「売ろうか?」
ナダはあくどい笑みを浮かべる。
「……ナダ、先輩から貰ったものをお金欲しさで売るのは人としてどうかと思うわ」
「それもそうだな」
ナダは納得するが、もしもアメイシャからククリナイフを売ってくれ、と言われたら多少の色を付けて貰えるならすぐに売るつもりだった。
使いづらい武器よりも、使いやすい武器のほうが欲しいのだ。
イリスから貰ったククリナイフは良質な鋼を使っているが、まだモンスター相手に試したことのない武器は不安だった。
「そうよ。せっかくイリス先輩から貰った武器なんだから、もっと建設的に使わないと!」
「……まあ、アメイシャの言う通りにす――」
ナダはそこまで言いかけて、闇の中から何かが擦れる音が聞こえた。
太い木の幹が幾つも重なる場所の向こう側だ。姿は見えない。風の音ではなかった。もっと大きな物が動く音だ。
ナダはすぐにククリナイフに手をかける。
冒険者としての癖だった。
嫌な予感がすれば反射的に武器を握るようになっている。至極当然の事だ。
「なに、この音?」
気づいたのはナダだけではない。
アメイシャも冒険者として当然のように気が付いた。右手を物音がする方向に向けながらギフトを発動するための祝詞を唱える。
「獣か?」
モンスター、とはナダは言わなかった。
一般的に怪物と呼ばれるカルヴァオンを持ったモンスターは、ダンジョンの中にしか存在しない。人も含めて地上に住む動物は、体内に石など持っていない。
それ以外にも違いは沢山あり、人は地上に住む動物と迷宮に住むモンスターを別種として区別していた。例え姿形が似ていても、同じ動物だと判断することはない。
「でも、何の動物?」
「シカかオオカミか?」
どちらも人にとっては脅威のある動物だ。
迷宮の中にいるのならば雑魚であるが、地上では人は殆どギフトもアビリティも使えない。武器しか使えない人にとって、ただの獣であっても分厚い皮膚と鋭い牙を持つ彼らは危険な存在だ。
今でも獣の被害は各地で絶えない。ナダの故郷の村でも年に一度や二度はオオカミやクマに襲われる者がいる。
ナダは目を凝らす。
闇の中に、赤い光が浮かんだ。
それは二つだった。
ナダは素早くククリナイフを鞘から抜いた。いつでも立ち上がれるように膝を地面についた。柄を強く握る。息を整える。
頭の中を切り替える。
日常から戦闘へ。
まるで冒険する時と同じように。