第十四話 グランケアンⅢ
「……ナダ、少し待ってよ。あなた、早いわ」
ナダよりも後ろにいたアメイシャが、肩で呼吸をしていた。
「そうか?」
「ええ、そうよ。ダンジョンも確かに歩きづらいけど、ここもかなり進みにくいわ。というか、ダンジョンと全く違うじゃない!」
確かにアメイシャの言う通り、ナダ達が普段潜っているダンジョンであるポディエにおいても石や土が主だ。ダンジョンの中には木が一つも生えていない。植物と言えば明かりとなる苔や花ぐらいだ。
現在ナダとアメイシャが越えようとしている山には木だけでなく、地面の上には石、枝、また木の葉が落ちてある。
歩く時には太い枝や木に気を付けなければならない。折れた枝や木の棒は鋭く、踏めばブーツを貫通して怪我をするかも知れない。敷き詰められた落ち葉は坂道となっている山から滑る可能性もある。いうなれば天然の罠が山には数多くある。
それらを確認しながら歩くとなるとやはり時間がかかるのだが、ナダは水を得た魚のように進んでいた。それがアメイシャには不思議だった。
「簡単だよ。実家が山に近くて、昔はよく遊んでいたんだ。ここほど高い山ではないけど、山は山だ。そう変わんねえよ――」
十二歳のころから一度も帰っていない故郷だが、ナダは山がすぐ隣にある農村に住んでいた。親は百姓で、裕福でもなかったナダにとっての幼い頃の遊び場は近くにある山だった。
小さい頃はお腹が減って山を彷徨い歩くことのあったナダにとって、万全の状態で潜れる山登りなどむしろ森林浴に近い。例えそれが人の手が入っていない荒れた森であっても。
だからこそ、その経験が活きているのかも知れないと思うと、人生何が役立つか分からないな、とナダは感心する。
「そうなの。山を歩き慣れたらこのようなところも簡単なのかしら?」
「ああ」
「私も慣れたほうがいいかしら?」
「必要ねえよ。冒険家にでも転職する気かよ?」
山を歩く才能など冒険者には必要ない。
迷宮の中は複雑な構造をしているが、山とは大きく環境が違う。山のように急な坂道もなければ、人の行く手を阻む木々などもない。また外気温の変化もほぼなかった。
特にポディエは環境がほぼ変わらない。朝でも、昼でも、夜でも。モンスターが出てきて戦うだけだ。他に厄介な事は殆どない。
「あら、それもいいわね。冒険者と冒険家、どちらも未知に対する探究心というのに大きな差はないんじゃない?」
「冒険者はカルヴァオンを得るための職業だぞ」
「……知っているわ。でも昔はそうじゃない。知らないの?」
「知っているさ。カルヴァオンを取るためだったら炭鉱夫でいい。石炭と使い方は一緒だからな」
かつてカルヴァオンと言うエネルギーが人々の間に広まる以前は、炭鉱夫という山から石炭を取る職業もあった。炭鉱夫の為の町まであったほどに糸人は炭鉱を重要視していた。
だが、今では石炭よりもエネルギー効率がよく、安価で手に入るカルヴァオンによって駆逐されてどの炭鉱も閉鎖した。
冒険者が炭鉱夫に成り代わったのだ。
「でも、冒険者は冒険者よ。冒険をするの。できれば、心躍るような冒険がしたいの」
アメイシャはぱちりと可愛らしくウィンクをした。
「……そうかも知れないな」
ナダもそんなアメイシャにつられて表情が柔らかくなった。
確かに現代の冒険者は、所謂“冒険”をしない。
優れた冒険者とは、強いモンスターを狩る冒険者でもなく、迷宮内にある珍しい道具を得る冒険者でもなく、ましてや誰も到達したことのない迷宮の奥に辿り着いた冒険者でもない。
現代の優れた冒険者は、カルヴァオンを効率よく得る者の事だ。
学園でもそう教え込まれる。倒しにくい強力な一体のモンスターよりも、手ごろな五体のモンスターを倒せと。勝てるかどうかも分からないモンスターに戦いを挑むなど、馬鹿な冒険者だと教わるのだ。
「私はそんな冒険がしたいな――」
「例えばどんな冒険だ?」
「そうね。例えば誰も会ったことのないモンスターとの死闘かしら。迷宮にある珍しい剣や杖も欲しいわ。迷宮の未踏領域に足を踏み入れるのもいいわね。迷宮に綺麗な場所が多いわ。それも見てみたい! どれも冒険者の憧れね」
ナダの質問に、アメイシャは楽しそうに語る。
それはきっと彼女の夢なのだろう。冒険者になった者が最初に希う夢だ。だが、迷宮の厳しい環境にそんな心は擦り切れて、いつしかカルヴァオンを得て金を稼ぐ日々に落ち着くのだ。
幼き頃の憧れなど殴り捨てて、現実的な生活に。
武具や道具の消耗と体の疲労、それにモンスターから得られるカルヴァオンの利益。それらを天秤にかけて、最も利益が出るように迷宮へと潜るのだ。
幼き頃に夢抱いた強敵との死闘など、煩わしいとさえ思うようになるのだ。
「そうかも知れないな」
ナダだって、その一人だ。
そういう憧れを持っていなく、常に自分の生活を考えている。
アメイシャのように冒険にわくわくなどしない。迷宮でカルヴァオンを得る作業とは、日銭を得るための危険でつまらない仕事だとしか思っていない。
だが、そんなナダに気付かずに、後ろにいるアメイシャは軽いステップで歩いていた。
「ふふっ、なんだか懐かしいわね。そういうものは皆が持っているわ。皆、英雄の話を聞いて、想像するの。自分が英雄だったらって――」
アメイシャは上を見上げると、高い木々に阻まれて太陽の光がわずかに差すだけだ。だが、その光は美しく輝いており、彼女の顔を明るく照らす。
アメイシャは暫くの間、まるでこの森が新しい迷宮かのように楽しそうに歩いていた。初めて見る様々な木々、見知らぬ果物、たまにすれ違う小動物などを発見するたびに心がわくわくして、楽しそうに森を歩くのだ。どれも彼女が見たことのないものばかりだから、まるで幼き頃の夢の続きのような感情に浸れるのだ。すっかりしんどそうな表情も、その時には消えていた。
それから随分と二人は長く歩いた。
先ほどまでの楽しそうな気持ちが薄くなり、アメイシャは視線を落として味気ない地面ばかりを見ながら歩いている。すでに太陽の光は殆ど届かない。高い木々の葉っぱによって遮られているからだ。
それはずっと歩いていることによって体が火照っている二人にとって日陰を歩くことになるので都合はよかったが。
どうやら暫く歩いているうちに、どうやらかなり深い場所まで来たようだ。先人たちの道もとうの昔に終わって、今は邪魔な枝などは自分たちで斬らなければいけない。
似たような道ばかりが続き、地図と方位磁石がなければ迷うだろう。最もアメイシャは山に慣れておらず、現在地もよく分かっていないので後どれぐらいまでの距離で目的地まで着くかが分からない。
「それで、あとどれぐらいでウリャフトに着くの?」
「さあ?」
ナダはとぼけた顔で言う。
「さあって、あー、もう! これで間に合わなかったらどうしよう? 私は絶対にイリス先輩のパーティーに入りたいのに!」
アメイシャは文句を言いながらもナダに着いていくことを止めない。
「そうだな。ちょっと急ぐか。俺もできればイリスのパーティーに入りたい」
ナダは後ろを振り返らず前を進んでいる。
ポケットの中に地図と方位磁石が入っており、森を少し進むたびに確認している。地図の読み方はラルヴァ学園で習った。それでも道に迷わないように、注意しながら進んでいる。
ナダは念のため迷宮に潜る時と同じように周囲を警戒しているが、まだ幸いにも動物には会っていない。
この山には何がいるのだろうか、とナダは少し考えた。しかしながらこの山に何がいるかの情報を持っていない。故郷の山にいたのは、オオカミ、シカ、クマ、それにキツネや数多くの動物が住んでいた。どれもダンジョンの中にいるモンスターとは違い、飢えた時以外は人を襲うことはない。むしろ野生生物は臆病なので、彼らは滅多に人の前に現れない。
現にナダはまだ虫しか見ていなかった。
動物の足跡は人のよりも多く、動物の遠吠えはいろいろと聞いているが、どれも山の奥深くにいるようで姿を現さない。
だが、油断は禁物だ。
野生動物が人を襲うことは少ないとはいえ、彼らも人を襲うことはある。その場合、逃げるか戦うかを選択しなければいけない。
ナダは先の道のりを考えながら森を慎重に、けれども時間に間に合うように大胆に進む。