第十三話 グランケアンⅡ
「信じらんない!」
深く眠りに落ちていたナダが目を覚ました理由は、アメイシャの声があまりにも大きかったからだ。
「……何がだよ?」
太陽が昇り始めた頃に、ナダは大きな上体を起こした。
いい夢を見ていたような気がする。
春の草原の上は寝るのに最適だった。涼し気な風。温かい草の絨毯。眠りを邪魔しない朗らかな星の光。深夜は流石に肌寒かったので途中で起きて、イリスの用意した鞄の中にある毛布に包まって寝ていた。
今はもう昼頃だろうか。気持ちのいい日差しが指しており、ナダは体の横に毛布を投げ出している。真上から直接差す太陽の光が熱かったのだ。
それでも夢見心地でいい気分だった。
久しぶりにぐっすりと眠れた気分だ。最近は心配事が多く、夜もあまり眠れなかった。
それなのに睡眠を邪魔したアメイシャをナダは睨みつけるような目で見る。
「何がだよ、じゃないわよ! ナダ、あんた、分かっているの?」
アメイシャは地面の上におしりをつきながら悔しそうな顔をしている。彼女も寝起きなのか髪がぼさぼさだ。
寝起きなのに何やら叫んでいる彼女を見て、ナダは冷たく言った。
「寝起きに騒ぐなよ。頭にがんがん響くじゃねえか――」
ナダは上体を起こして頭をごしごしとかいた。
「そんな悠長な事を言っている暇なんてあるの? 私たちは寝すぎたのよ! 見てみないさいよ、この太陽を!」
ナダはアメイシャが指さした方向にある太陽を見た。
地平線の遥か彼方にあり、まだ暗い青空と共に鮮やかなオレンジ色に燦々と輝いている。
「まだ太陽が沈み始めたころか?」
「違うわよ! どう見たって朝焼けじゃない! 私は夕方には起きて山を越えるつもりだったのに、ナダに付き合ったせいで思いっきり出遅れたじゃない。あー、少なくとも半日以上は過ぎているわ」
アメイシャは頭をかきながら大声で叫ぶ。
彼女の声は寝起きであるナダの頭の中でよく響く、とてもうるさかったのか思わず耳を両手で塞いだほどである。
だが、出遅れたとアメイシャが騒いでもナダの表情が変わることはなかった。
「何を言っているんだ。都合がいいじゃねえか――」
「どういう事よ?」
自信満々のナダ言葉に、アメイシャの動きがぴたりと止まる。
「いいか? 夜の山はとても暗くて道が分かりづらいんだ。すぐに道に迷う。似たような景色ばかり続くからな。だから山を越えるときは日中がいい。それも晴れていたらもっといい。今日は山を越えるには絶好の日だ――」
ナダは鞄の中から革で造られた水筒を出して、口を潤した。
寝起きの一杯はとぼけた頭に染み渡る。
ナダは余裕綽々に嗤った。
イリスの試験を超える自信がないわけじゃない。そもそもナダは山間部の出身だ。山は歩きなれている。超え方もよく知っている。星を見て方角だって読める。鞄の中には地図すら入っていた。
あれからどれだけ時間が経ったのかは知らないが、イリスの言う時間制限までにウリャフトに着くことは可能だろうと考えている。
「……そうなの?」
「信じたくなかったら信じなくてもいいが、そんなに騒いでいる暇があるならすぐに出発したほうがいいと思うぞ。俺はしないけど」
ナダはマイペースに鞄の中を漁って簡易食料を取り出した。
乾パン、干し肉、固い果物、それにナッツ類などどれも火を起こさなくても食べられる物だ。一つの鞄に入っていた食料を全てだし、草原の上に広げた白い布の上に置いて大口を開いて食べ始める。
これから山を越えるのだ。睡眠は取れた。疲労は回復している。だが、それだけでは足りないのだ。体力がいる。山を登り、ウリャフトまで辿り着くための体力が。
「朝ごはん?」
「ああ。二つも鞄があったら邪魔だろう? 一つは置いていく。もったいないから食料は食ってしまおうと思っている。それに腹も減った。食べるのには十分な理由だ」
「ナダって、マイペースなのね。それともこのペースで町に間に合う事を確信しているの。……でも、食べ物に対しての心構えはいいと思う。だから私も手伝うわ」
アメイシャはナダの了承を取らず、ナダが広げたナッツを手でつかんで口の中に放り込んだ。
どうやら少しは溜飲も下がったようだ。一しきり叫んで、これ以上わめいても失った時間は戻らないと冷静になったらしい。
「……好きにしろよ」
ナダは多少の文句も言わずアメイシャの行動を受け入れて、二人でイリスが用意した三日分の食料を食べつくした。最もそのほとんどを食べたのはナダで、アメイシャは三分の一ほどしか食べていなかった。
それからナダは鞄を一つだけ背負い、アメイシャも随分と中身を減らした荷物を持って山の中に入った。
多くの樹木が生い茂る中を二人は進んでいく。
だが、道がないわけではない。
既に二人の前を進んでいる冒険者たちの切り開いた道を、ナダは我が物顔で通って行く。その後ろをアメイシャが付いて行く。
「それで、ナダ、イリス先輩が言う時間に間に合うの?」
「間に合うさ――」
不安そうなアメイシャに、ナダは自信たっぷりに言い切った。
「あれだけ豪快に寝ていたのに!?」
「ああ。多分、間に合うんじゃねえか。時間はまだたっぷりとあるだろう? 俺は先に行ったあいつらとは違って、休憩も沢山取ってしっかりと体を休めることができた。頭も働いている」
「そうね。私もよく頭が動くから、嫌な想像ばっかりするわ。ぎりぎりで遅れたらどうしよう、とか。この山で行方不明になったらどうしよう、とか?」
「そんなにグランケアンでの行方不明者は多いのか?」
ナダは学がない。
と言うよりも、幼き頃から勉強など殆どしていないので、冒険者として最低限の知識しか持っていない。人としての常識も少なかった。
もちろんグランケアンの事も何も知らない。
「ええ。なんせこの国で最も高い山だから。“冒険家”達もよく登っているわよ」
冒険家、とはこの世にある秘境を探検する者達だ。ある者は天にも届くような山の頂を。ある者は太陽が二つ見える泉を。またある者は大森林の中にある大きな滝を。それらのような秘境を目指し、実際に見聞し、人々に伝える職業だ。それなりに需要はあり、スポンサーになる貴族も多い。
彼らの多くは迷宮に潜ってカルヴァオンを得る冒険者とは違う。
彼らは困難のある場所に辿り着くことを誉れとしている。グランケアンは冒険家達にとって最良の場所なのだ。
「そんな冒険家でも迷子になると?」
「ええ。最東端に辿り着いたような冒険家でも迷子になるような場所だわ。それで帰ってこない。もしかしたら夜逃げしただけかも知れないけど、グランケアンで消えた人が多いのは事実よ」
「詳しいな」
「もちろんよ! 知らないの? 小さい頃は英雄のように活躍した冒険者に憧れて、道の場所を目指す冒険家に憧れるものよ。常識じゃない」
「……残念ながら俺は冒険者しか知らねえ」
ナダが冒険者に憧れた理由も、そんなにロマンチックなものじゃない。
金が稼げるから冒険者になったのだ。
非常に俗物的な人間だった。
「そう。ナダって思った以上につまらないのね」
アメイシャは失望したようにため息を吐いた。
「別に面白さは求めていねえよ」
「……そんなことはどうでもいいけどよ。要するに、グランケアンは一流の“冒険家”でも厳しい場所。そんな場所を私たちのような新米の冒険者が進むのは困難じゃない?」
「別に頂上まで行けとはイリスは言っていないだろう?」
「そうね」
「イリスが言ったのは、ウリャフトに行けと言っただけだ。それなら簡単だろう?」
「……そうなの?」
「俺が言うんだ。きっとそうだ」
だが、そう言いながらも山道を進むナダの目つきは険しい。
ナダは先に行った冒険者たちの道を辿っているが、それでも邪魔な枝は幾つもある。間伐などされていない森の中は荒れている。木々が密集している場所もあれば、草しか生えていない場所もある。
地面は柔らかい腐葉土であり、少しは走りにくかった。
だが、ナダはそんな山を慣れたように進む。まるで自分の庭を歩いているかのように。グランケアンは故郷の山と似たような環境だった。そんなに大きな違いはない。
だが、標高が違う。グランケアンのほうが圧倒的に高く、森が深い。
そこだけをナダは懸念している。
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