第十二話 グランケアン
それからまた随分と歩いた。
既に夜は明けている。脱落する冒険者も増えてきた。ナダは彼らの横を通ってひたすら歩く。そろそろ体も疲れており、足が痛くなってきたころだ。
だが、暗い閉鎖空間での冒険。常に緊張を保たなければならないというストレス。生きるか死ぬかの戦闘がある過去の冒険と比べると随分とましだった。あの時は眠たくても寝ていられないこともある。今は限界になれば脱落してもいいという事が、ナダの心を軽くさせていた。
また、隣にいるアメイシャは意外にもまだ脱落していない。
鞄を背負ったまま頭を下に向き、黙々と歩いている。少し押せば倒れそうな雰囲気がある。
だが、まだ彼女はしっかりと歩いていた。しっかりと大地を踏みしめるように。
それから二人は無言で歩いた。先頭集団との距離もほとんどない。というよりもイリスを始めとした先頭集団の足並みが軒並み落ちて、ナダ達と変わらないほどまでに近づいてきたのだ。今試験を受けている冒険者たちは一か所に固まっていた。
誰も言葉を発しなかった。
発する元気がなかったと言ってもいいだろう。
先頭で歩いているイリスでさえ頭が落ちている。それでも振り返ることなくただひたすら前を向いて歩いているが、疲れているのは明らかだった。彼女は優れた冒険者であるが、まだ十七歳の学生だ。例え優れたアビリティを持っていても、ギフトを持ち神に愛されていたとしても、体力は他の学生とそう変わりはしない。
そんなイリスを先頭にして、冒険者たちはひたすら歩いた。
気づいた時にはもう太陽はもう真上に上っている。
そんな時にやっと山の入り口まで来ることができた。山の麓は草原が終わって、奥に木々が続く。そもそもイリスが目指していたのは大昔に多くの人が使ったグランケアンを超える一般的な山道ではなく、山に続くのは道なき道だ。
そんな山の入り口について、イリスが立ち止まった。
彼女に習うように全ての冒険者が腰を下ろして一息をつく。どの冒険者も疲れているのは
だが、目の下にクマが出来ているのはイリスも同じだった。髪が乱れ、唇が少しかさついている。
彼女の疲労感も他の冒険者と同じだが、それでも彼女は気丈にも元気にふるまっている。まるで自分が最高の冒険者と言わんばかりに。
「さて、皆よく頑張ったわ。ここまでついてきたあなたたちは本当に凄いと思う。でも、二つ目の試験はここからよ」
冒険者たちは疲れているのか誰も返事を返さない。
ナダだってそうだ。
草原に仰向けになり、目を閉じながらイリスの話を聞いている。気を抜けばすぐに寝てしまいそうだった。体力に自信はあるが、まだまだ育ち盛りの十四才で眠気には弱い。
「二つ目の試験は簡単よ。この山を越えた先にある町――ウリャフトにたどり着けばいい――」
イリスの言うウリャフトとは、グランケアンの麓にある町だ。昔の旅人は山を越える為の経由としてよく使っていたと言われている。
現代においてもインフェルノから西にある「セウ」という町に向かう際の中継地として線路が通っており、宿場町として人気が高い。
誰かがほっと胸をなでおろすようなしぐさを取る。
「それだけですか?」
冒険者の一人であるまだ若い少年が、もうこの寝ずの行軍が終わる事に対して安心したように言う。
他の冒険者たちも今はゆっくりと休んで、次の試験に期待していた。次こそは自身のあるアビリティやギフトを使って乗り越える試験だと。
だが、疲れた顔でイリスは言った。
「いいえ。一つだけ、ここに条件を加えるわ。三日以内よ。三日目の日が落ちる前にウリャフトに着けばいい。私はウリャフトの中央にある駅の前で待っているから」
「方法は問わないのですか?」
顎をさすりながら考えている男が聞く。
肩眼鏡をかけた細身であり、知的に見える。
どうやらイリスが言う新しい試験に対して、何か思うことがあるようだった。
「どういうこと?」
「あの山を越える方法です。例えばシカを捕まえて、それに乗って町についても文句は言われませんか? 歩いていないから試験から脱落だとか」
男の質問にイリスは感心するように「そういう考えもあるわね」と嬉しそうに頷いてからにやりと笑い、肩眼鏡をあっけた知的風の男に言った。
「好きにしなさい。どんな手段でもいいわ。ウリャフトに着きさえすれば。その方法は問わない。ペガサスに乗ろうとも、ドラゴンに乗っても。好きな方法で来るといいわ。もしもあなたが空を飛べるなら、飛んできてもいいわよ――」
「それが聞けてよかったです――」
男は満足したように頷いた。
どんな策を考えているのだろうか、とナダは思う。
ナダが思いついたウリャフトへと着く方法は、真面目に山を越えるという選択肢だけだった。そもそも寝ていない頭は働いていなかった。今はウリャフトへと着く、と眠たいの二つだけが頭に回っている。
「さあ、じゃあ試験開始ね! 改めて言うわ! どんな方法を使ってもいいからウリャフトに来なさい。私はそこで待っているわ!」
既に寝ずの旅路で疲れ果てている冒険者に新しい試験の内容を告げたイリスは、休むことなく走って木々の中に消えていく。きっと彼女も制限時間までにウリャフトに着くのだろう。
そんな彼女の後を数人の冒険者が追う。
残ったナダのような冒険者たちも山を越える為に次々と山の中に入って行く。
だが、そんな中、逆方向のインフェルノに向かって走る者もいた。
先ほどイリスに質問をしていた知的な男と、彼を追う数人の冒険者だった。
ナダは不思議そうに彼らの背中を見守っていた。
「どうしたんだ、あいつら。まさか試験を諦めたのか?」
「違うわよ。よく考えたら、彼らの行動の意図も掴めるはずよ」
もう疲れたのか、アメイシャは草原の上に座っていた。
だが、試験に受かりたい冒険者たちは次々と森の中に入って行く。誰もが疲れている様子だが、三日という時間制限の中では仕方がないのかもしれない。
「どういうことだ? 頭すら回らねえよ」
ナダもアメイシャと同様にもう疲れており、持ってきた二つの荷物を地面に下ろして一つの鞄を枕にしている。
目はもう閉じそうだった。
「簡単よ。彼らはインフェルノに戻ったの。おそらく列車に乗る為にね――」
「間に合うのか?」
「……微妙ね。ここまで私たちはインフェルノからここまで徒歩で一日半かかった。そしてインフェルノからウリャフトまで列車で大体二日ほど。早いけれど、遠回りするからね。だから少しだけ時間が足りない」
「じゃあインフェルノまで走って帰ったらどうだ? それだったら間に合うのか?」
「正直な事を言うと、分からないわ。確かにインフェルノまで走って帰ることが出来たら、あとの旅路は楽よ。列車に乗っているだけでいいんだから。でも、それでもすぐに列車の時刻があるかどうか、チケットが取れるかのように問題は多いわ。それでも彼らはすぐに引き返したんだから、きっと勝算はあるんでしょうね――」
「そうかよ――」
ナダはもう目を閉じていた。
太陽がまぶしいのか目元を腕で隠している。
もう少しすれば寝息が聞こえそうでもあった。
「それで、ナダ、どうしてあなたはもう寝ようとしているの? 他の冒険者はもう動いているわよ。ここに残っているのは私たち二人だけ。まさか試験を諦めたの?」
ナダには既に周りを見渡す体力すら残っていないが、どうやらこの場にいる冒険者たちは全て動いたらしい。
彼女の話から察するに、少数の冒険者はインフェルノに帰って列車に乗ってウリャフトに向かい、その他の冒険者はイリスも含めて山越えでウリャフトに向かったようだ。そんな中でナダは一人だけ、草原で寝ようとしている。
「まさかそんなわけがないだろう――」
「なら、どうして先に行かないの?」
「これから三日三晩不眠不休で行くよりも、今からたっぷりと休憩してから目指した方が、効率がいいと思ったんだよ。どうせ三日も起きていると体力は持たないからな――」
「……それもそうね。でも、それで間に合うのかしら?」
「さあ? 知らねえ。とりあえず俺は眠たいから寝るんだ。その後のことは起きてから考えるよ――」
「ナダって……」
そしてナダはアメイシャの言葉を待つことなく、太陽が真上にある状態で眠りに着いた。
耳元で彼女が何か言っているような気がしているが、既にナダの意識は闇の中に沈んでいる。
深い深いところに。