第十一話 第二の試験Ⅱ
山までの道のりは長い。
見かけは近くに見えるが、馬や列車を使わずに歩くとなると一時間や二時間では足りない。
あれから数時間も歩いた。やはり冒険者が集まっているだけあって、まだ根をあげる者はいない。普段は草原よりもっと歩きにくい迷宮で、モンスターといつ出会うか気を張りながら進まないといけないのだ。
ナダにとって四方が遠くまで見渡せて、危険なモンスターを気にすることもないこの旅路は試験と言うよりも旅行という風にまだとらえることができた。
すっかり日が落ちたとしても、先頭にいるイリスのすることは変わらない。
黙々と前へと進むだけだ。
もちろん最後尾であるが、ナダも付いて行っている。すっかり乾ききった草原の中を、履きなれたブーツで歩く。
ナダはだんだんと冒険者たちの頭が下がり始めていることに気付いた。
それどころか冒険者全体のペースが下がっている。きっと
「いつまで歩くのよ――」
隣にいるアメイシャもそうだ。
手を下にだらんと伸ばし、棒になっている足を動かす。ここ数分は弱音を吐くことが増えた。朝から走り、それから重たい荷物を抱えての移動はどうやら肉体的にも精神的にもこたえているようだ。
今すぐにでも荷物を投げ出したい気持ちなのだろう。
「山まではまだ距離があるな――」
ナダは月明かりに照らされている目的の山を見た。
雲一つない春の空には、数多くの星が輝いている。インフェルノだと町の明かりに淡い星明りが負けてしまい、ここまで美しく見ることは出来ない。
ナダは自分の頭上にある星の川や無数の星たちを久しぶりに見たような気がした。
「これが試験なわけ?」
「……みたいだな」
「眠らずに歩くことが?」
「必須の技能の一つだろう。睡眠のコントロールも」
ナダは授業で習ったことを思い出す。
今の世の中でこそ減ったが、過去において迷宮に一日だけではなく、数日以上長いときには数週間潜ることはそう珍しいことではなかった。
その冒険の仕方を遠征と言い、いつ危険に会うか分からに迷宮の中なので遠征中は運が悪いと戦いが連続することが多い。それも一日や二日は寝られないこともある。休憩しようと思えば、モンスターに襲われるのだ。それはそう珍しいことでもなく、ナダも二日程度は寝ないで冒険をした経験はあった。もう二度としたくないが。
「今の冒険者には流行らないわ」
だが、アメイシャのいう事も最もだった。
昔は遠征と言う冒険スタイルが流行った時期もあったが、今では行う者が少ない。アビリティという新しい力が冒険者に生まれたことで、冒険も高速化して今では一日以下のスケジュールを組むことが多い。
寝ないで発揮できる人間のパフォーマンスは大したことがない、というのが現在の見解だからだ。
そもそも冒険者とは、カルヴァオンを得て日銭を稼ぐ職業だ。決して強力なモンスターを倒すための職ではない。だからどの冒険者であっても、モンスターを倒すときは効率を意識する。例え強力なモンスターを狩れたとしても、その為に武器を失って収支の利益が出ないのならばその冒険は失敗ということになる。
だからこそ、冒険者は己の体調も意識する。
常にベストなコンディションで戦えるように。体に不調がある場合は冒険を休むという選択肢さえあるのだ。
そういう時に行った冒険のほうが身になるといった根性論は、現代では全く流行らない。
「……それならイリスの考えは古い、ということで納得したらいいんじゃねえの?」
「そうね」
アメイシャの口数は少ない。
少なくなった。
休憩もなくひたすら歩くイリスの行動によって、体はすっかりと疲弊していた。もちろん鞄の中にある食料や飲料水は口にしている。しかしながら、それだけだと体力が回復できないのが現状だった。
一人、また一人とナダは冒険者を追い越した。
彼らの足が止まったのだ。疲れによって。ナダが追い越した冒険者はまだ一年生が多かった。冒険者としての練度がまだ足りないのだろう。長時間体を使う事に慣れていない。まだ年も十二歳を過ぎた頃だと考えると仕方ないのかも知れない。
「ねえ、ナダ。彼らは大丈夫だと思う?」
そんな彼らを追い越すときに、アメイシャは心配そうな顔をしていた。
足の止まる冒険者のほとんどが、年下だという事もその理由の一つだろう。幼い彼らが無事にインフェルノに帰れるかを心配している。
「大丈夫だと思うぞ。今の時期なら」
ナダの言う通り、この辺りの夜はそれほど寒くなく、危険な獣も出ない。しっかりと休憩を取れば鞄の中に食料もあるのでインフェルノに帰ることはそう難しいことではないだろう。
「きっとそうね。よかったわ」
アメイシャはほっと胸を撫でおろして過ぎていく彼らを見送った。それからすぐに真顔になり、じっと遠くにある空にも届きそうなほどの高い山とはるか先を歩いているイリス達に力ない目を向けて、顔を落としてぼそぼそと歩く。
「お優しいことで――」
ナダはぼそっと言う。
それから二人は数多くの冒険者たちを追い抜かしながら先を進んでいく。イリスのいる先頭集団との距離は変わっていない。一定のペースを保ちながらナダとアメイシャも続いている。
ナダはアメイシャにあわせて歩いているので、少しずつペースが下がっていることに気が付いていた。それでもイリス達と距離が変わらないのは彼女たちの歩くスピードも落ちているからだろう。
「……ねえ、ナダは平気なの?」
顔が下に向いているアメイシャが、小さな声でナダに聞いた。
「寝ていないことか?」
ナダはあくびをまた一つする。
迷宮の中ならばモンスターに襲われるという緊張感から一日や二日寝ていなくても意識は冴えているが、今はただ歩くだけという退屈な作業を繰り返し、周りの景色も草の短い草原と少しずつ大きくなるグランケアンでは変わり映えがないので、ナダも気を抜けば歩いたまま寝てしまいそうだ。
だが、ナダの体力はまだまだ余っている。
後衛でギフトを使うことが主な仕事と違って、ナダは迷宮で武器を振るってモンスターを殺さないといけない。そう考えると、このぐらいの距離を歩けないようでは話にならない。
ナダはアビリティを使えないのだ。
迷宮に潜る時に奥の手など持っていない。だから体が動かない時は死ぬ時となる。それが分かっているからこそ、体力が尽きる事がないようにこれまでもトレーニングしてきた。
その成果が出ているのだと思うと、誇らしくも思う。
「ええ。そう。私はもう限界よ。眠たいの。顔もきっと酷いわ。そうでしょ?」
ナダは半分閉じかかっている目で、アメイシャを横目にする。
確かに学園のグラウンドで会った時と比べると、肌に艶はなく、疲れた目をしていた。さらに背筋はだんだんと猫背になっている。
まるで数日頃より、老けたようだ。
「確かに美人が台無しになっているな」
ナダは残念そうに言った。
「……ナダ、あなたはもう少し女性の気持ちが分かるといいわね」
「……どういう意味だよ?」
「気にしなくていいわ。問題はこの旅がいつまで続くのか、と言う事よ。まさか山越えも、不眠不休で行うのかしら?」
前のペースは変わらない。
大昔と同じように徒歩で旅をする。現代の便利な列車や馬車は使わずに。それでも体が資本の冒険者たちはイリスに着いて行っている。
「さあな。いつ終わるかは、イリスに聞いてくれ――」
ナダは先頭にいるイリスの背中を睨んだ。