第十話 第二の試験
結局のところ、ほとんどの冒険者がイリスに着いていった。誰もがグランケアスには潜らないと鷹をくくっていたのかも知れない。もしくは嫌な現実からは目をそらしたか。イリスはあの山に向かう、としか言っていない。誰も登るなどという無茶な事は言っていないのだ。
もちろんここ残った一年生たちも、まだ体が小さい彼らには大きいとさえ思えるような荷物を持つ。それでも予想以上にイリスが用意した荷物は多くが残された。
きっとここに残ったのは、歴戦の冒険者か才能のある若者達なのだろう。
少なくともナダはそう思った。
彼らはイリスに着いていくことを決めると、まず鞄の中身を確認した。
中に入っていたのは、食料、飲料水、縄、コンパス、小さなナイフ、それに鎧の上からでも着られる厚めの外套など様々な物が入っていた。彼らはそんな中からいらないものを捨てて、余った他の荷物から必要な物を足していく。
アメイシャも当然のように彼らと同じ行動をしていた。
それから準備が出来た冒険者から既に先を歩いているイリスに着いて行く。彼女は走っておらず、追いつくのは容易だった。
「ねえ、ナダ、本当にその荷物を二つ持っていくの」
ナダはアメイシャと横に並んで草原を歩いている。
真上から太陽の日差しが指しているが、まだまだ風が冷たく心地よい空気だった。また青々とした草原の匂いは春が訪れていることを告げているようで、リラックスができる。
「ああ。いるだろう?」
ナダは他の冒険者たちが荷物の中身を吟味していた中で、荷物を選ぶのが面倒だったのか、最初から荷物を二つも右肩と左肩それぞれに背負っている。前までスカサリの時に持たされていた荷物と比べると、随分と軽いのでナダには問題がなかったのだが、アメイシャからは異様に見える。
「いらないんじゃないの?」
正直にアメイシャは言った。
まるで無駄な行動をしているようにしかナダは思えない。
「そうか? 食料も多い方が安全だろう?」
「うん。私もそう思うけど、それなら他の荷物を抜けばいいのに。コートなんて二つもいらないでしょ?」
寒さを紛らわすための外套は、鞄の中に二種類入っている。
薄めの服と、厚めの服だ。
薄い外套はサーコートとして既に鎧の上から着ている者も多い。金属の鎧が直接太陽の光に当たると発熱し、火傷する恐れがあるからだ。
迷宮の中では着る必要がないが、日中歩く場合となるとプレートメイルだけでは太陽の光によって発熱し、まともに歩くことすらできない。
「使い道があるかも知れないだろう?」
「なにそれ? 具体的にはどうやって使う気なの?」
ニヒルに笑うナダに対して、アメイシャは唇を尖らせている。
「……知らねえよ」
「やっぱりちゃんと考えてなかったのね。ナダは学園で学ばなかったの? 荷物は最小限に抑える、冒険の基本でしょ」
「……」
ナダは何も言えなかった。
確かにそんな知識を学園に入学した一年生のころに習った覚えがあるが、ある時を境にして、アビリティやギフトがないお荷物なのだからとスカサリのパーティーにいた時に荷物持ちをさせられることがあった。
それからダンジョンで持ち帰る物のほとんどをナダが持つことになったのだ。
だから感覚がマヒしていたのかも知れない。
これぐらいなら、まだ軽い、と。
そんな二人に近づく冒険者がいた。
「――ねえねえ、お二人さん、仲いいね。もしかして恋人同士?」
軽い口調の男だった。
帽子をかぶった背の低い男だった。どこか飄々としているようにも思える。もちろん、ナダは彼の事を知らない。
そもそも顔が分からないので、声だけだと判断がつかない。
「あんたにはそう見えるわけ?」
アメイシャは冷たく返した。
「冷たいなー。仲がいいからそう思っただけだよ。お姉さんのことはもちろん知っているよ。アメイシャさんでしょ? オレはガルカって言うんだ。よろしく!」
「なに、あんたストーカーなわけ?」
「違う違う。小耳にはさんだだけだよ。アメイシャさんは優秀って有名だから」
「そうなの?」
「もちろんさ。火の神に選ばれたギフト使い。若干三年生でありながら、火のギフトでは一番の実力者と名高いよ。オレだって、今一番注目している冒険者の一人さ!」
男が大手を振って身を摺り寄せながら行為をアピールするが、急に一歩近づかれたアメイシャは反射的に距離を取った。
「そう。ありがと。お世辞だとしても素直に感謝するわ」
「いやいや、こんなのお世辞でもなんでもないよ。アメイシャさんなら、三年後、いや、もっと早くに学園内でも最高の冒険者になっているとオレは思っているんだよ!」
「……そう。だって、ナダ。羨ましい?」
黙って歩いているナダを下から覗き込むアメイシャ。
その顔は自慢しているようだった。
だが、ナダの反応はアメイシャの望む物ではなかった。
「そうだな。俺は知らなかったけど、アメイシャって有名みたいだな」
「なに、それもっと驚いてくれてもいいんじゃない。私としては腰を抜かしてくれたほうがよかったけど」
「残念だったな」
ナダは口元を緩める。
「あー、お兄さんはナダって言うんだ――」
アメイシャがナダと親し気に話していると、先ほどのフードの男が目を細めながらナダを観察する。
上から下まで。
ナダは目立つ容姿ではない。
低い鼻。鋭い奥二重。かさかさになっている薄い唇。そして太く発達した首。だが、まだまだ体は冒険者の先輩たちと比べれば細く、十四歳という事もあって身長もそれほどない。
すぐに人ごみに紛れるような地味な容姿をしていた。
「俺は冒険者の中で有名か?」
ナダは胸を張って言う。
「……オレは知らないかなー」
彼は苦笑いしている。
「そう。残念だったわね、ナダ。どうやら私のほうが有名みたいよ。他に有名な人はいるの?」
アメイシャは男と話しながら先を急いでいた。先頭集団から少し遅れているからだ。
依然として、先頭を歩いているのはイリスであるが、そのすぐ後ろを数人の冒険者が続き、長い列をなすように様々な冒険者が続く。
そこには多数の冒険者がいる。
「いるよ、例えばあの男」
中でも目立つイリスの真後ろにいる体が大きな男を、ガルカは指さした。
「……私は名前しか知らないわ。ニックでしょ?」
「正解。あいつは五年生の冒険者でね、大きい体もさることながらアビリティもそれに似合うものだった。効果は身体強化。凄く強力、というわけではないけど、ニックには元々の筋力があるから弱いモンスターなら簡単に真っ二つにするほどの剛剣の持ち主さ」
「でも、近いわね。イリス先輩に――」
アメイシャの目が厳しい。
ニックと言う冒険者がイリスに最も近いことを気にしているようだ。
もちろんナダはニックという冒険者を初めて見た。
「それもその筈だよ。どうやら噂によるとイリスさんに岡惚れしているらしいんだ。だから結構優秀なパーティーに所属しているんだけど、それを抜けて今回の選抜試験に参加しているらしいからね」
「それはそれは――」
ニックと言う男は喋りかけもせずにずっとイリスの後ろについているのか、ナダは判断した。
それに対した反応も見せずに前だけを向くイリスも面白いな、とナダは一人心の中で笑っていた。
何故ならイリスは唐変木であり、人からの好意に鈍感だ。告白されて気づかないこともあった、と彼女は自分で語るほどなのだから、あのニックと言う男は可哀そうにとも思った。
「その後ろにいる冒険者も有名だよ。七年生のシズネさんとニレナさん、あの二人は学園でも有名だよね」
「そうね。私も知っているわ」
アメイシャと同じく、ナダもニレナとシズネの事を知っていた。
まずウェーブのかかったブロンドの髪を持つニレナは有名な女性のギフト使いだ。氷の神のギフトを持っており、その戦闘力の高さは学園でも有名なほど。現在特定のパーティーに所属していないが、それでも色々なパーティーに一定期間だけ契約するフリーランスの冒険者として活躍している。
シズネは女性の冒険者だ。細く小さな体躯の女性であり、比べてみるともしかしたらナダよりも年齢が若く見えるかもしれない。
だが、その姿は中でも最も派手だった
茶髪にはラメが煌めき、お団子に纏めている。着ているローブもピンクであり、唯一色付きの服装をしている。化粧は濃く、鷹のような目には桃色のアイシャドウを入れ、唇はイチゴのように赤い。爪もオレンジ色に塗っている。
その見た目同様に、戦績も優れていた。シズネは武器を持たず、自分の影を変化させて戦うと言われている。時にはモンスターに突き刺す剣に、時には牙から身を守る盾に、またある時はモンスターの足を地面に縫い付けて行動を縛る、と言われている。
彼女は最近パーティーを解散したと言われているが、この選抜試験に参加しているのはイリスのパーティーに入る為なのだろうか、とナダは思った。
「あとは、そうだね。沢山いるよ。あそこはフィドライセンのフリーゲ。ウィンドリアン兄弟。最近急激に名を挙げているダリゲル。数を上げればきりがないさ」
「なかなか、ライバルが多そうね」
「でも、オレの見る限り、イリスさんに近い場所にいるほど有名な冒険者が多いようだね。遠ければ遠いほど若い冒険者が多いよ。オレたちみたいに」
「それは実力でしょ。イリスさんのペースは速いわ。あれだけ全力疾走した後に、こんなにも重い荷物を持って歩く。私も多少は荷物を減らしたけど、イリスさんはそのまま持っている流石ね――」
そう言いながらも、アメイシャは横を見る。
もちろんそこにいるのは二つのリュックをそれぞれの肩に背負っているナダだった。それも楽そうに、今もあくびをしながら歩いている。アメイシャとペースは全く変わらない。
「でもね、オレはきっとアメイシャさんはアギヤに入れると思っているよ」
「ありがと」
「ギフト使いなら有名なニレナさんがいるけど、オレはアメイシャさんのギフトは同じぐらい強力だと思っている。特に一撃の破壊力ならアメイシャさんの方が上さ」
「……お世辞として、受け取るわ」
「だからね、アギヤに入った時はお手柔らかに頼むよ!」
「ええ。私も楽しみにしてるわ」
ガルカはフードを脱いで、短い金髪をかきあげてから白い歯を見せるように嗤った。それから前の集団を目指すようにペースを上げた。
そんなガルカはなかなかの美男子であり、女生徒たちが騒ぎそうな顔をしていた。また両耳にピアスをしており、肌はこんがりと焼けている。
「で、アメイシャはあいつの事は知っているのかよ?」
ナダには前に行くガルカの後姿をじっと見つめるが、どれだけ記憶を漁っても見覚えがない。学年が違うのだろう、と判断した。
「ええ。知っているわよ。当然じゃない。彼は二年生だから、下級生はよく騒いでいるわよ。イケメンって。王子様であるコロア先輩とは違う系統だから、人気が付きやすいんじゃない?」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
「で、あいつの実力は?」
ナダが見る限り、ガルカは優秀な男だった。
鞘に幾つかの宝石がついたシャムシールと呼ばれる曲がった刀剣を腰にぶらさげており、着ているコートも上質なモンスターの皮で出来ており、鱗のような三角の模様が無数についている。
歩き方も隙がなく、隣にいるアメイシャは先ほど走った影響かまだ体力が回復しておらず、ずっと息を乱れているのに対してガルカにその様子はない。先ほどの時も軽快な雰囲気のまま喋っていた。
「……有能とは聞いているわ。アビリティも持っていると。でもね、その詳しい情報は知らない。どうやら彼はアビリティを見せびらかさないようなの。理由は知らないけど」
「へえ、そうなのか。でも、きっと強いと思うぜ――」
ナダはガルカの手を見逃していなかった。
豆が潰れて固くなっている手の平。それは剣を多数振り、たゆみない努力を続けてきた証だ。ナダも当然のように同じ手を持っており、それを誇りに思っている。
だからあの男は冒険者として強い、と信じている。
「証拠はあるの? もしかして同じパーティーだったとか」
「ねえよ!」
ナダは強く言った。
あんな有能そうな男とパーティーを組んだ記憶はなかった。
スカサリのパーティーは実力者ぞろいだったが、そのどのメンバーよりも努力をしている男なのかもしれない。二年生であれほど荒れた冒険者の手を持つ者は少ない。
「そう残念だわ」
「何が残念なんだよ?」
「彼って男じゃない? お近づきになれるといいと思わない?」
アメイシャは笑いながら言う。
きっと本気ではないのだろう。
ナダは過去に恋する乙女を見たことがあるが、アメイシャはそういう顔ではなかった。むしろ小悪魔のようだった。
「それならちょうどいいんじゃないか? ガルカもアメイシャの事を気に入っていたようだぞ。年下好きならちょうどいいんじゃないか?」
「年下って、私たちと彼は一年しか変わらないでしょうが」
「一年っていうのは大きな差だぜ?」
ナダは顎を摩りながら言う。14歳になったナダは薄っすらと髭が生えており、大人へと一歩近づいている。大人と比べるとまだまだ薄く剃るほどの量でもないが。
先ほどのガルカはまだ髭も生えていなかった。声もまだ高かったので、第二次性徴がまだ訪れていないのだろう。
「ナダ、あんた意外とちっちゃい男なのね。私たちに差なんてないでしょうに。そんなところで大人を気取ってどうするのよ。あんたも私もまだまだ子供よ!」
そんな馬鹿話をしながら二人は前の集団に続く。