第九話 第一の試験
イリスは受験者たちを連れて少し歩くと、城塞の近くに三台ほどの馬車が置かれてあった。
もちろん運転手もそこにいて、彼らは大きな荷物を草原の上に無造作に積んでいる。
彼女は荷物の前に立つと、まるでナダ達に手本を示すように大きなリュックサックを一つ背負った。
「――さて、皆にはリュックサックを用意したわ。旅に必要な物が多く入っているから活用して頂戴。もちろんいらない人は置いて行っても構わないわ。おすすめはしないけど。それであそこを目指すの」
イリスが指さしたのは、遠くにある大きな山だった。
それは遥か彼方まで続くほど長く、空に届きそうなほど高い。その山を地元の人々はスグビドダガスと言い、一般的にはグレンケアンと呼ばれる山だ。上に登れば上るほど過酷な環境なので登る者は少ない。昔の人々はあの山を越えて向こうの町に行ったらしいが、今では山の中腹に列車が通っているので、多少遠回りになるが、馬車で行くことを考えると列車のほうが安全で速い。
そんな山を、イリスは指さした。
もちろん楽しそうに。
「あのー、それって、もちろん馬車で行くんですよね?」
試験に参加している冒険者の一人が、頭をかきながらいう。
少し頼りなさそうな顔つきをしているが、まだ息もあまり切れていないのできっと優秀な冒険者なのだろう。
だが、少しだけ顔が引きつっているように見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「そんなわけないじゃない。君たちには強靭な足腰があるでしょ? それで行くの」
「それはあまりにも無茶じゃないですか?」
冒険者の一人が驚いたように言う。
その冒険者はそばかすが特徴的な女だった。
ナダも授業で何度か見た顔だ。おそらく同級生だろう。それ以上の詳しいことは知らない。冒険者として、それほど有名ではないからだ。
彼女は太く発達した小麦色の太ももをあらわにしていた。スカートだったのだ。それに腰には長剣。きっと前線で戦う戦士だろう。そんな彼女が薄着なのは実力があるのか、持っているアビリティに関係があるのかのどっちかだろう。
「そう?」
だが、イリスは涼し気な顔をしていた。
意外な事を聞かれたかのようにとぼけている。
「ええ。イリス先輩、あの山は過去に何人も登頂して行方不明者が出ています!」
ナダも当然のように彼女と同じ知識を持っている。
グレンケアンは過酷な山だ。崖が多く、森も深い。
人の方向感覚を狂わすような複雑な地形に加えて、水源、果実などがほとんどない。持ち込んだ食料が無くなった状態で遭難したら死ぬことが多いのだ。
獣も数多くいて、人に害をなす種類が多い。
だから商人たちの多くは馬車であの山を迂回する。現代では、まだ比較的傾斜が優しい山の中腹を列車が通っており、人々はお金を支払って列車で移動する者も多い。
「もう何年も昔の話でしょ?」
イリスは他人事のように言う。
確かに現代において、グレンケアンで死ぬ者の情報は少ない。
「そうです。列車が生まれてからは,あの山を足で越える人すらいなくなりましたから。知らないんですか?」
「知っているわよ。あそこは迂回して超えるのが正解。私たちの祖先はそうしてきた――」
グレンケアンは国を二等分するほどの大きな山であるが、北と南を繋ぐ重要な位置にあるため先人たちは楽に超える道をずっと先人たちはずっと探してきた。
北に行くのに海を渡るルートもあるが、そちらも危険な海流などがあってまだ船が小さかった昔だと危険だった。大型帆船が発達した現代だと、そちらのルートも楽であるが、昔は海からも陸からも厳しかった。
だが、南でしか取れない香辛料が多く、北の人々はそれを欲しがった。また南の人々は北の山にある鉄鉱石などの金属を欲しがった。
だからパライゾ王国において、北と南の交流が途絶えたことはない。
「だったら、どうしてあの山に行くのですか?」
「それが私の考えた試験だからよ――」
イリスの発言にここに集まった多くの冒険者たちの息が止まった。
そんな冒険者たちを見ながら、イリスは鼻で笑うように言う。馬鹿にしているのだ。まるで見下すように目を細めて彼女は続ける。
「なーに? 文句あるの? そもそも私たちは『迷宮』に潜る冒険者よ。あの山なんて比べられないぐらい危険な場所に潜るの。そもそも私たちが普段潜っている迷宮のポディエの死者と、あの山の死者どちらが多いと思っているのよ。さ、決めて。私のアギヤに入りたかったら、私と一緒にあの山を目指すの――」
「……歩いて行くのが試験ですか?」
一人の男が恐る恐る訪ねた。
どうやら試験管であるイリスの機嫌を損ねるのが嫌なようだ。
「うーん、そうね。歩いて行くのが試験だわ。それにあなたたちも聞いて頂戴。まだ私はあの山を越えるとは言っていないわ。私からの第一の試験はあの山を目指すだけ。歩くのは草原だわ。ここの草原は危険な獣も少ない。最初の試験は簡単よ。あの山の麓に歩いて行くの――」
イリスはそれだけ言って、山に向かって歩き出す。
その様子に数多くの冒険者たちは戸惑っていた。まさか本当にあの山を目指すとは思っていなかったのだ。
ナダとアメイシャも先に行くイリスの背中を見つめている。
「ねえ、これが試験なの?」
アメイシャはイリスの背中を遠い目で見つめている。
その距離がまるでアメイシャとイリスの冒険者としての距離かのように。熱い目を向けているのだ。
「そうだろうな。じゃないと、こんなに大きな仕掛けを用意しないだろう? 大きな荷物を準備して、それを受け渡す人まで用意する。これだけ大きな試験を考える冒険者も少ないぞ」
ナダの言う通り、冒険者たちが普通受ける試験と言えば面接と簡単な模擬試験が多い。実力は学園で調べればすぐに分かる。その冒険者がどんなパーティーに所属して、どれだけのモンスターを狩って来たか、報告義務があるからだ。
これほど大きな試験は聞いたことがなかった。それにインフェルノの外を出る試験など前代未聞だ。誰もが試験なお一日で終わるものだと考えていたのに、リュックの大きさを見るに一日だけとは言い難い。
「ねえ、ナダ、明日って授業があったわよね?」
顔を青くしながらアメイシャが言う。
おそらくだが、ここに集まっている冒険者は今日の分しか休みを取っていないだろう。
「ああ。勿論あるぞ。俺も単位がかかっているのに……」
まだ新しい年度が始まったばかりとはいえ、ここで欠席数がかさむと後のほうになって辛くなる。ラルヴァ学園の冒険者たちが学年を上げる為には、一定数以上の単位を取らなければいけない。
もしも進級できなかった場合、もう一年無駄な時間を過ごす必要があり、また罰金も存在する。ナダにとってはどれも死活問題だ。
「……少しだけ試験を続けるのが嫌になったわ。それでも私の意思は固いけれど」
「ああ、俺もだ。何日もかかるならもっと早くに言ってほしかった――」
ナダとアメイシャはお互いに顔を見合して、肩を大きく落とした。
まさか試験を続ける為にこんな深い代償があると思わなかったのである。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし作品を見て面白いと思われたら、大変お手数ですが、ブックマーク、評価、特に感想がもらえると嬉しいです!