第零話 プロローグ
迷宮と言うのは、どれも非常に閉鎖的で危険な空間だ。
もちろんナダの住む町であるインフェルノにある迷宮――ポディエもそうだった。
四方を土や岩などの無機質な壁に囲われており、天井も存在する。
ダンジョンは地上ではなく地下にあり、もちろん太陽の光など届かない。代わりに明かりとなるのは光の発する天井に咲いた花や岩に生えた苔だ。それらは人の目のよりどころとなるが、淡くか細いほどの光しかなく、遠く先までは見通せない。
それに代り映えのしない無機質な道。
迷宮は殆ど変化がない閉鎖空間だった。
それに――人を襲う凶悪な“モンスター”がいる。
だから迷宮に入る者などそうはいない。
――冒険者と呼ばれる者達以外は。
ダンジョンには、砂糖のように甘い魅力があるのだ。
モンスターの体内にある石――カルヴァオン。
カルヴァオンはモンスターの核とも言える物質で、燃やせば薪のように長く燃えるので効率のいい燃料となる。それも石炭などとは比べ物にならないほど長持ちし、大きな火力を生むのだ。今の世界はカルヴァオンと言う燃料によって発展している。
だからこそカルヴァオンの需要は年々大きくなっており、高い値で取引されている。冒険者たちは上質で大きなカルヴァオンを求めてダンジョンの深き場所まで潜り、凶悪なモンスターを倒すのだ。
もちろん、命を賭けて。
だが、人も馬鹿ではない。
人は獰猛で魅力的な石を持つカルヴァオンを得る為に一人ではなくパーティーという団体を組んで、都市で造られた強力な武器を扱い、効率的にモンスターを殺す。
それが優秀な冒険者だった。
だが、現在迷宮に潜っている冒険者であるナダはそうではなかった。
近くにパーティーなどいない。
彼しかいない。
一人でダンジョンという危険な場所にいる。
もちろんナダも冒険者だった。
使い込まれた革の鎧。胸当てと腰に巻く最低限のものしかつけていないが、それは確かに防具であり、黒いブーツ、背中には鞄、腰には長剣も付けている。
兜はつけていなかった。短い黒髪に、土埃で汚れた顔。奥二重の黒い目がどこか幼く、その眼光は一介の戦士として少しばかり物足りない。
ナダはいつモンスターが現れても対応できるように、既に剣を抜いていた。
灰色の剣だった。全体で九十センチもある冒険者が扱うには少しだけ長い武器だった。少しばかり刃が曇っている。刃こぼれも見える。暫くの間磨いていなかったのだ。ナダもこの長剣を使うのは二年ぶりだった。久しぶりに部屋の隅から引っ張り出した剣は手には馴染むが、切れ味や強度などには不安しかない。
ナダはお金がなかったので、カルヴァオンを得る為に迷宮に潜っていたのだ。
生きる為には仕方ない選択だったと言える。貯金がなく、財布に入っているお金では次の日の昼ごはんすら満足に買うことが出来ないので、冒険者として稼ぐしか生きる道はなかった。
だが、所属していたパーティーからは今日の朝に追い出された。すぐに新しいパーティーを組むことなど出来ず、仕方ないから一人で潜っているのだ。
冒険者として餓死で死ぬか、モンスターに殺されるか、どちらのほうのリスクが少ないかを考えると当然の判断だった。
後悔はしていない。
だが――その判断は間違っていた。
「――くっそ、死ぬ! やっぱり一人なんて、無理だ!」
ナダは一人でもどうにかなるだろう、明日の食い扶持を稼ぐことは出来るだろうと楽観的に迷宮に入った結果、折れた剣を持ったまま敗走していた。
後ろにいるのは多数のモンスターだ。
それもオオカミに似たモンスターであるロボだった。
そんなに強いモンスターでもない。冒険者を初めて一年目でも訓練を積めば殺すことはできるだろう。冒険者の登竜門とも呼ばれるモンスターであり、ロボの動きを見極めて、剣を振るえばどんなに粗末な剣でもダメージは通る。ナダも幾度となく殺してきたモンスターだ。ロボの動きも熟知しており、大体のスピードや力強さも把握している。
現にナダも少し前にロボを三体ほど殺した。いつものようにロボが飛び掛かってくるのを横に避けて、剣を振るって的確にロボの急所へダメージを与えるのだ。それを何度か繰り返すだけで倒せる。ナダも経験済みだ。
だが、それは“一体”であれば、の話だ。
「何体いやがるんだよ!」
ナダは叫んだ。
振り返ることもしない。
背後にいるロボたちの息遣いと足音。それによって多数のロボが後ろを追いかけていることを知る。
ナダもそんなモンスター相手に最初は真面目に戦っていたのだが、一体が二体に増えて、それが三体に増えた。そこまでならまだ一人で対処できたのだが、それからわらわらとウジ虫のように迷宮の奥から大量に湧いてきたのだ。
最初は立ち向かってみようかとも思ったナダだが、四体目のモンスターに斬りかかった時に血によって錆びた剣が折れたのですぐさま逃げることを決めた。
ナダはなによりも命を大切にしていた。
死ぬつもりなんて毛頭ない。
「くそったれ!」
ナダはロボに噛みつかれないように必死に走る。
幸いな事に体力には自信がある。鎧を付けていても、折れた剣を持っていても、リュックサックの中に食料や飲料水が入っていたとしても、ナダはロボに追いつかれないように走ることが出来る。
例え途中にある段差に躓いて転んでも、すぐに体勢を立て直して走る。死なないように必死に。普段はモンスターを追い、狩る立場の冒険者だというのに必死に逃げる姿は無様としか言いようがなかった。
ナダは思わず自分の情けない姿に笑ってしまうほどだった。
しかし、ナダは必死に走る。
決して生きるのを諦めない。
「あー、もう! こうなったのも全部あいつらのせいだ!」
ナダは走りながら精いっぱい走る。
だが、状況が変わることはなく、ナダはロボから必死に逃げながら今朝の事を思い出す。
「灰色の直剣」
冒険者の間ではスタンダードな直剣であり、幅広い冒険者が持つ武器の一つ。
新人の冒険者が最初に持つ量産型の武器で、ありふれた素材である鉄がふんだんに使われている。
きちんと手入れをすれば十分な切れ味を誇るが、ナダの持っている直剣は久しぶりに空気に触れたこともあり、その輝きは鈍く切れ味は落ちている。