ウソツキのクルファ
思えば遠くの森まで来たものだ。
ここまで自分が歩いてきたということに、ふと感傷になぞ浸ってしまう。
ひどく長い期間を一人で旅していたせいか、どうもこういったことを考えることが多くなった。
森の道なき道を行く。
だが。そんな自殺願望めいたことも数十年と続ければ慣れてしまう。
いつの間にか空を見つめて、自分の座標を確認して、そこここと場所を割り出している。
本当、慣れというのはなかなかに怖い。
そんな取り留めのないことを考えつつ、ここまで来た目的を思い出す。
オレはとある依頼を果たさなければならなかった。
とはいえ、ただ広い森の中を当てもなく探すのは体力の無駄だ。
そんな一種の悟りめいたことを思いついてしまったものだから、そろそろ動くことさえ億劫になっている。
ここ一か月ほどぐるぐると回っている気はするが、目的のものは影も形もみえない。
もとから運はない方だが、ここまでくると運に見放されてるのだろう。
「こうして見慣れた場所に戻ってくるだけで安心感が違うなぁ」
もはや住み慣れたとさえ言える手製の拠点に、感無量な溜息を吐く。
完全におっさんだ。
いやまあ、歳のことと言えば……今は考えまい。
「これからを考えるとするなら、依頼のことを考えなければならないな」
そう、一か月も彷徨っているのは事実だ。
だというのに遭遇するのは野生の動物ばかり。
せめて障魔でも現れてくれるのなら話は変わってくるだろうが、のどかな森に規格外の化け物などは出てこない。
たぶん。
「あと探していない場所があるとするなら、どの辺りだろうなぁ」
いくら歩き慣れているとはいっても森の広さは侮れない。
そのうち空から何かが降ってきたって、別に荒唐無稽な話でもないだろう。
さて、と気を取り直して立ち上がった。
もうすぐ昼時だ、飯にしよう。
拠点の近くに設けてある罠を確認するべく、茂みの中へと潜る。
いくつかのポイントを巡っただけだが、両手はぎっしりと埋まってしまった。
仕掛けておいた罠から回収できた獲物は一人で食べるには多い。
どうせ血抜きをしないといけないので、とりあえず首はもいでおく。
干すにしても保存用の塩は少ないし、もともと考えていた日程よりも森の暮らしは長引いてしまっている。
まさか道に迷った行商人がやってくるわけでもないので、色々と問題は山積みだ。
「ん?」
がさり、という茂みを踏みつぶした音に振り返る。
何がやってきたのかと見てみれば、森の散策には似つかわしくない外套を羽織った集団だった。
三人。それもかなり高い身なりの者たちだ。
全身鎧でも着こんでいるのか、やたらと音が立つせいで騒がしい。
なんとなく腰元をみやれば、帯剣しているらしいことがわかる。
「貴様は冒険者か?こんなところで何をしている」
兜のせいで分かりにくいが、男の声は神経質そうなものであった。
というか、冒険者と分かっているのに、何をしていると訊くものだろうか。
「見ての通り、これから食事をする予定ですが」
ほれ、と、握りしめていた首のない獲物をアピールしてやる。
それだけで付き人が二人とも顔を背けてしまう。
この辺りの騎士かとも思っていたが、どうやら聖職者の関係らしい。
あなた方もどうですか、と気さくに誘ってみたが、すげなく断られてしまった。
「この辺りで不浄の獣を見なかったか?」
「獣ですか?残念ながら、見てはいませんね」
ほんの少し障魔のことかとも思ったが、口ぶりからして別のもののような気もする。
こちらの依頼に関わる話でもなさそうだ。
「そうか、それなら良い。もし不浄を見つけたなら、この羊皮紙を開くといい」
ぽい、と。かなり乱雑に巻かれた紙を受け取る。
ほんのりと籠った魔力からするに、本格的な魔法でも記されているのだろう。
まあ、彼らからしてみれば期待薄だろうが。
行くぞ。という声と共に、ずしずしと男たちは森の中へと消えていった。
まったく、随分と神経質な連中らしい。
「まあ、あの鎧と剣を見る限り、かなり面倒な手合いか」
森に似つかわしくないとはいえ、銀のフルプレートメイルには使い込んだ形跡があった。
かなりの手練れ。いわゆる懲罰や断罪を行う武闘派の連中だ。
どこの信仰者かは知らないが、少なくともまともな手合いではない。
あの距離の取り方を見るに、野盗に襲われたことも少なくはないのだろう。
「それで、不浄の獣ってのはいつまで隠れているつもりだ?」
しん、と静まった森の中、枝葉が風に揺られて音を運び込む。
血抜きを終えた獲物を置きつつ、羊皮紙を弄ぶ。
こんなもの、さっさと燃やしてしまいたいものだが、ちょうど火も消えてしまっている。
そんなこちらに観念したのか、それとも別の理由か、見つめていた方向に人影が現れた。
「……、」
「一応、こっちは危害を加えるつもりはないし、なんならこの羊皮紙は焼くぞ」
まあ言葉だけなら信用できないだろう。
本職の魔法師に言わせてみれば使えない部類に入る魔術というものだが、日常の役にはたつ。
指先に魔力を集中して、羊皮紙を焼く。
それが完全に灰になるかという前に、その人物はようやくこちらの視界へと入る。
が、やはり姿までは見せてくれない。
「分かっていて、燃やしたの」
「なんの話だ」
「私が、不浄と呼ばれていたこと」
声は中性的なものだが、切迫した空気を纏っている。
なんとなくだが、女だろう。
拙いものながら、こちらには障魔とそれ以外を見分ける術がある。
ただ、絶対に敵対しないという保証はないが。
相手が障魔だと分かっていたら即座に羊皮紙を開くか、あの三人に泣きついていただろう。
「考えてなかった」
「……あなた、変わってる」
「変わってるんじゃない。少しだけ用事があったんだ」
それもこれも、受けていた依頼のせいなのだが。
「この辺りに灰の巫女がいるはずなんだが、知ってるか?」
「なにそれ」
ああ。やっぱさっきのヤツ等に聞いておけばよかった。
なんとなく落胆しつつ、焚火の準備を始めていく。
どうせ声の方向へ向かったところで逃げるだけだろう。刺激しないよう、出来るだけ反対方向から程よい枝を集める。
「知らないなら仕方ない。で、お前は人語を話す獣か、それとも人間か」
「あの男たちが言うには、獣だけど」
「そうか?それなら生肉でも食べられるのか」
「……試しているの?」
どこか拗ねたような声。
このまま押し問答を続けていても面白そうだったが、さて。
オレは意地悪く、火を起こしてくし刺しにした獲物たちを火で炙っていく。
「オレはこれから食事をするんだ。この辺りの獲物はすばしっこくてなぁ、捕まえるのは大変だろうよ」
「だから?」
「腹減ってんなら、顔を見せろ」
先に断っておくが、毒は盛ってない。
あの騎士三人を応対しなければならなかったし、懐に隠しているなんてこともない。
それにまあ、望み薄だが彼女が『灰の巫女』である可能性もあるのだし。
どちらに転ぼうとも美味い話なのだ。むしろ得ばかりしかなくて空恐ろしいことだが。
「叛逆者にでもなりたいの?」
「なんだ、そんなに施しを受けることが不満か?」
「大いに不満。そんなことをする人がこの世にいるなら、偽善者か叛逆者のどちらか」
そりゃ随分な二択だ。
ほんの少しだけ余計な気持ちが湧いてきたが、これは仕舞っておくとしよう。
「残念ながらお前を助ける気はない。ただ話し相手が欲しいってだけだ」
もし偽ることのない本心があるとすれば、こんなところか。
しばらくの静寂のあと、茂みから影が飛び出してくる。
…………。
初めに目を引いたのは、その幼い顔立ちを歪める傷跡だった。
こちらから見て右側。およそ頬まで届く傷跡は深く、その苛烈な痛みを想像するのに難しくはない。
「ほお。人を食う獣というより、手負いの子猫だな」
だが、それだけ。
疑心に満ちた大きな緑の瞳は、油断なくこちらを見つめたまま動かない。
すっぽりと身体を多い隠すほど伸びた髪は汚れ切り、肌は泥にまみれて酷い有様だった。
それはちょうど、親からはぐれてしまった子猫のように映る。
さて、それでは約束通り、ささやかながら食事でもするとしよう……。
「その焼けた兎、投げ渡して」
食事の最中でもずっとこの調子なもので、彼女と打ち解けるには時間がかかりそうだった。