Story:10『紫苑』
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─────並列同時思考処理
それは、自らの思考をいくつかに分裂させて同時に違うことを脳内処理していく技術である。先天的にその才を持つ者もいれば、後天的に、突発的に習得する者もいる。
格闘技において一手先や二手先を読むことは大いに重要であり、相手の技術や戦術、思考までをも理解して次に繰り出される技を先読みする。その行為に必要な思考は1であり∞なのだ。
結果的な行動は1だが、それに至るまでの行動の可能性はほぼ無限大である。もし、お互いに同じだけ先読みをするような状況になればその正確な、膨大な量の予見が試合の結果を左右する。
そして、時雨は前者であり後者だった。幼い頃から武に富んだ才を見出されて一部研ぎ澄まされた2人の別人格とも言える思考パターンと、幾千幾万もの試合を経て得た絶対に近いまでの予測を生む分析の思考。
αは疑問を呈し、βは最適解を導き出し、γはそれの答えをさらに磨きあげる。次の手は何か…例えば、掴みか足技か将又寝技か、それ以外にも無数に考えられる手を提示、その中で最も相手の一挙手一投足から可能性が高いものを選択、その場合どのように相手が動き、本当に他の道筋がないかを一瞬で熟考する。
では、もし、そんな風に3人分の思考を同時に処理する人間が100人いたら?さらにその倍の200人いた場合はどうなるのか? そして、その思考が全て共有されて同調していたならば……?
「「"百鬼夜行"」」
時雨とナニカの声が重なる。次の瞬間、白く淡い月光に照らされて薄く伸びる木々の影を2人の恐ろしく暗い影が這って侵す。
墨が広がるようにして辺りを侵食していく影は何よりも黒く、それでいて目を奪われるなんとも言えない妖しい美しさを感じさせた。
そして、2人の体を中心として大きく広がった影が勢いを失った時、影は198の人の形へと変貌した。その見た目…艶やかに光る黒髪と豊かな実りはどこからどう見ても時雨そのものである。
それぞれが別の個体であり、全てが繋がっているという不思議な感覚。体の制御はそれぞれだが、思考はすべて共有されている。それでいて、全てにはっきりとした意志や感情、思考が存在しているのがわかる。
「シグレ、これを使って」
「………え?あ、あぁ、うん」
横に立っていた本体と思われるナニカが時雨にスッとある物を差し出してくる。自分で百鬼夜行の効果に驚いていた時雨は少し遅れて反応し、受け取る。
「これは?」
「魔玉と言ってモンスターの核となっている物。持ち主の力が宿る。ちなみにそれは私の」
赤く、紅く、緋く……輝く丸い宝石のような物は魔玉と言うらしい。時雨はそんなものがあるなんて知らなかったが「ん?」と1つの疑問が浮かぶ。
「あなたってモンスターだったの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「そっか。で、これをどうすればいいの?」
時雨の問いに対してナニカは素っ気なく答えた。前からそうだったが答えが常に若干曖昧である。だが、はぐらかされている、騙されているという印象も受けないので本当に半分正解で半分間違いなのだろうと時雨は静かに納得した。
「取り込んで」
「ど、どうやって?」
「砕くだけでいい」
「でも、これはあなたの核なんでしょ?大丈夫なの?」
「………大丈夫」
取り込むと言っても時雨はどうすればいいのか分からなかった。食べるとか飲み込むとかは出来そうにないし、融合とかはさすがに……と思ったがゲームだからまさかできるのか?と一瞬考える。だが実際はとても簡単なようでナニカ曰く砕くだけとのこと。
核と言うだけあってなくてはならないものだった場合砕いたらまずい場合もあるだろう。それを時雨は危惧したがナニカが言う分には大丈夫らしい。
バキンッッ
『神性スキル/神速通を一時的に獲得しました』
「一時的に…?」
「魔玉を取り込んで力を手に入れても一時的にしか使えない。武器や防具の素材にすればずっと使えるけど、今はそんなこともできない」
「なるほど」
時雨が魔玉を夜叉で力強く砕くと内包されていた魔力が弾け、鮮やかな光が時雨を包む。すると、例の如くシステム音声が頭に響いた。神性スキルという今までで聞いたことのないスキル、それも気になるところだが"一時的に"という部分に時雨は少し引っかかった。
その事をナニカにどういうことか聞けば、直接力を取り込んでも時間制限があるが、装備に力を宿すことによって半永久的に使えるようになるらしい。使えなくなる場合としては装備が破壊された時などがあるとのことだ。
時雨は意識をステータスに向け神速通の項目をタッチする。
〔神速通〕
神々の領域に到達する神力、六神通の内の1つ。
『神を目指すことなかれ、神を崇めることなかれ、神を盲信することなかれ。神よりいでしこの力は神を越えるに足る道を指し示すものなり。平等など持ち合わせず、慈愛など抱かず、信頼など心にもない神に裁きを─────神とは酷く傲慢である』
──────────────────
任意でAGIを元の数値から最大???倍する。"一時的"にあらゆる制約の縛りから術者を解放する。
(すごい能力…だけど、何これ…どういうこと?神様の力なのに、まるで神様が悪いみたいな…)
「ねえ、これってどういう───」
「吹き荒べ、"狂飆"!」
「咲き誇れ!"焔椿"!」
時雨達はハッとして今の状況を思い出し一斉に振り向く。離れたところから大嶽丸とスズカの声が響き、目を向ければ大きな荒々しい竜巻が木々を薙ぎ倒してスズカへと迫り、それを椿を象った燦然と輝く焔が飲み込んで主導権を奪っていた。
状況が変わったことに大嶽丸は後退し、ヒュンヒュンと切っ先を宙で遊ばせると周りにいくつかの半透明の物質がふよふよと浮かび始めた。それをより小さく小さくサイズを変えていくと、大嶽丸の腕の動きに合わせて焔椿で掌握された狂飆へと飛来する。
直後、ボパッと音を立てて弾けた数十の空気弾は狂飆の赤い鮮やかな花を散らして掻き消した。どうやら空気を圧縮させたものだったらしく、圧力から逃れた空気が爆発的に膨張してその風で一気に焔を吹き飛ばしたようだ。
が、消え去った焔椿の向こうからスズカが姿勢を低くして走り込んできていることに気がついたようだ。大嶽丸はスズカの一太刀をガギッと鍔で受けとめ、ギリギリッと金属の擦れる音が森に鳴る。
ガキンッと音を鳴らし、互いを突き飛ばして距離を取った2人。大嶽丸はだらんと垂れ下げた腕に刀を握り、スズカは胸の前で力強く刀を構えてもう人振りは宙で待機させている。
「ほう、私から狂飆の主導権を奪うとは…なかなか腕を挙げたようだな?」
「……あなたを殺すためだけにこれまで生き延びてきたのよ。そう簡単に、外道に負けるはずがないでしょう?」
気味の悪い喜色を浮かべてニタニタとスズカを見つめる大嶽丸と、その視線を受けて心底嫌そうに嫌味たらしく言葉を返すスズカ。それぞれが間合いを測りながら一刻置き、もう一度地を強く蹴って怨敵へと迫り合う。
剣戟が甲高い音をいくつも森の中で響かせ、強力な異能が周囲の地形を歪に変えていく。嘲笑と憎悪が重なり場は混沌を極めている。その気迫だけで空気を震わせるすさまじさに、彼女達は息を飲んだ。
そして、時雨達のしたい事は圧倒されることじゃない。
「こんなんじゃ…だめだよね…!」
「行こう。今の私達なら、戦える」
バチッと頬を両手で叩いて赤く染めたシグレの横で、目元を細めて優しい笑顔を向けるナニカが手を握る。互いの存在を確かめ合い、目的を今一度はっきりとさせた。
「「私達は家族を守るんだ!」」
時雨とナニカが先陣を切って飛び出し、後に続いて彼女達も気合を込めて叫びながら進軍する。同調した全ての思考が最善手を求めて加速する。
(背後に回り込んで奇襲?…error
正面からスズカと攻撃?…error
跳躍して上空から連撃?…error
両側面から同時攻撃?…error
轟撃を───?…error
轟脚を───?…error
───?…error
───?…error
───?…error
───?…error
───?…error
───?…error
error
error
error
error
︙
︙
︙
︙
︙
︙
error)
「分かるわけないよね…私なんかに。でも、やってみないと結果は何も分からない」
時雨達は今得られる情報から膨大な量の手と可能性を考える。簡単な手から難しい手まですべてを。簡単に出来るからと言って意味が無いとも限らないし、難しいからと言って意味があるとも限らない。
そして、今までに相見えたことのないほどの圧倒的強者。考えても考えても赤子の手をひねるようにあしらわれる光景しか浮かばない。結果は全てがerror。なにも道筋は導き出されない。
ならば
「先の分からない完全なアドリブ……なら、最高に熱くならなきゃ!」
「「「「「〈鬼人演舞〉、《仙才鬼才》!」」」」」
ゴウッと赤黒いオーラが迸る。額から徐々に伸びるツノがギラギラと光り、彼女達の目付きが変わった。これからは喰らう側だ。口の端が釣り上がる。そこから漏れ出るは始まりの音。
「「「「「あははははははは!!!!!」」」」」
「なっ!?」
「シグレ…?」
薄暗い闇夜に紛れ、恐ろしい速度で大嶽丸の周りを風を切りながら走り抜ける黒。正確に視認できるだけでも100以上はおり、その全てが笑っていることが分かった。
「なんだ貴様ら!」
「私はシグレ、今からお前をぶっ殺す」
醸し出すオーラとでも言うべきものが弱者ではなく、強者に近いそれであることを敏感に感じた大嶽丸。声を大にすればいきなり静まり返った森の中、目の前の木の枝の上に月光を薄く反射する時雨が姿を現した。
明るく、可愛く、そして不気味な笑顔で答えた時雨。ギシギシと軋む枝の上でニッコリと微笑む今の心境は純然たる家族愛と殺意。大切な人を苦しめている悪への断罪の決意。
「貴様は…先程の紛い物の娘か?にしては随分雰囲気が違うようだが。それに様相、極めつけは数だな」
「そんなこともうどうでもいいんだよね」
「そうか。だが、小蠅がいくら集まっても私には勝てないぞ?」
「勝てるか勝てないとかじゃないんだよね。私がやりたいからやる。ただそれだけ」
「そうか、そうか!鬼とはそうでないと!我欲を通したければ力を示すがいい!!」
「言われなくても!!」
大嶽丸はスズカとの巡り合いで記憶の端に置かれた容姿などを思い出す。少し力の一端を見せて近づいただけで壊れかけた娘は、無視していた今までの時間で大きく雰囲気を変えていた。
が、鬼の力を持つとはいえ所詮小娘と下に見ることに変わりはない。だがどうだ、害となる道理は無いと言外に告げてみれば不敵に笑い「やりたいからやる」と言い切って見せたではないか。
なら、全身全霊を持って屠ろうと大嶽丸は力む。
「細切れとなれ!"狂飆"!!」
(速さはさっき見た、時速40~50、距離25m、現状回避可能、木の影を移動して5時の方向40m後方へ。8.11.3時の方向から攻撃、反撃で2人消滅、1人ダメージ判定あり、ダメージ量はHPに対して1%あるかないか、いつか倒すことは出来ると判断。ただし、受動的ダメージは即死級)
剣で薙げばスズカとの戦闘で見た狂飆が木々を根元から押し倒して時雨へと迫る。それを冷静に観察、分析し、必要な行動を判断して実行する。
また、その隙を見て背後に忍ばせた時雨が動き出して強襲する。それに気づいた大嶽丸はブンッと音を鳴らして刀を振り、時雨の分身体を2人葬った。だが、それを何とか避けきった1人が綺麗なアッパーを決めていた。それでも大嶽丸の減っているHPは1%弱。
「次はこっちから行くよ!」
「かかってくるがいい!!」
後手に回ってはだめだと時雨は即座に判断した。一撃で負けてしまう程のSTR値を誇る敵なのだから得意な距離で自由に戦われてはまずい。そもそもが刀と拳装備だ。
時雨は大嶽丸の懐に思いきって潜り込むことにした。インファイトに持ち込めば刀の取り回しもそれどころではなくなる可用性が高いからだ。まぁ、その距離に詰めるまでの方が一番大事で難しいのだが。そうやって時雨の分身体達は検証と攻略を始めた。
その頃本体はというと、スズカに呼び止められていた。
「シグレ、これはどういうことなの?」
「どうもなにも、私はスズカを助けに来ただけ」
「そんなこと、あなたには無理よ」
「お母さん、シグレならできる」
肩を力強く掴み問い詰めるスズカに時雨は淡々と答えた。それが無理であると伝えてもナニカが時雨の隣に立って大丈夫だとはっきりと宣言する。
「あなたまで…なんで、なんで無茶をするのよ」
「「家族だから」」
「シグレ、この際だから言うけれどあなたは本当の家族じゃないわ。そんなこともう分かっているのでしょう?」
「まぁね。私は利用された、そうでしょ?」
時雨はナニカの魔玉を砕くと同時に、全てを知った。流れ込むのは誰かの記憶、焼ける村で母に守られながらも姑息な手で母の目の前で自らの体を血に染められた記憶。それが自分の記憶でないこともしっかりと思い出せた。そして理解したのはこの場所と彼らについての全て。
「えぇ、そうよ。だからあなたには関係───」
「関係ある、関係あるよ。全部思い出して、全部理解して、私にとって全部偽物でも、スズカはお母さんだったの。今さら見て見ぬふりなんて出来ないからね」
「……………」
本当は時雨に関係なかった。だが、誰が悪いのかだけははっきりと分かる。本当の家族でなくとも、ほんの一瞬だけの嘘の繋がりだったとしても、時雨はそれをなかったことには出来ない。それだけの理由があって関係ないと言うべきではないと時雨が思ったのだ。
「シグレには戦っても意味の無いことなのよ?」
「私が私であることを見失わずに済む、それだけ意味があれば十分だよ」
「本当にいいの?」
「うん」
「私を、助けてくれるの?」
「うん」
「………ごめんなさい」
「違うよ、ごめんなさいじゃない」
「…ありがとう」
意味ならある、家族を守れるのだから。だめな理由はない、大切な人なのだから。助けない訳がない、大切だと思ってしまったのだから。どこかで聞いたことがある懺悔の言葉、これについての記憶は無いが、それでも分かる事は1つ。助けてくれてごめんなさいより、助けてくれてありがとうの方が、嬉しいものなのだ。
「じゃあ、最終決戦に行こうか!」
「うん」
「えぇ」
「こんなクソッタレな世界、私が全部壊してやる」
決意を新たにし、3人は並んぶ。利用し、利用される関係でなく、信じ、求め求められる関係になった。目的はただ1つ、大嶽丸の討伐。スズカとナニカから最愛を奪った悪鬼を倒すこと。
「私が攻撃した方が攻撃は通るわ。2人には基本的に陽動役、出来ればでいいから攻撃してちょうだい」
「「了解」」
「それとシグレ」
「なに?」
基本方針は時雨とナニカがスズカをサポートして行くことに決まった。ついでに時雨はスズカからアドバイスを貰う。現状は分身体達が大嶽丸を翻弄して何とか食い止めながら動き方を検証しているため余裕はある。スズカがその死角から入り込んだ。
「"天雷"!」
「がっ……ぐ、やっと来たか、スズカァ!!!」
「私のことも忘れないでよね!」
「こっちも」
思考伝達により情報を循環させているため誰か1人でも分身体がスズカを捉えていれば、その動きに完璧に合わせた連携を完成させることが出来る。
スズカの位置を死角とするために彼女達は攻撃の方向性や動き方を微調整、それをさらに伝達。そうして出来た隙間にするりとスズカが入り込み、雷を宿した一撃を見舞う。初めて危険と言える傷を負った大嶽丸の口から僅かにくぐもった声が漏れる。
「"轟脚"!」
「"幻刀一の太刀:鬼滅刃"!」
「ちょこざいなぁぁぁあ!!"嵐郭"!」
時雨は轟脚で回し蹴りをしてわざと防御させると、ガラ空きになった大嶽丸の特大急所にナニカは氣で形作った幻の刃を向ける。
大嶽丸はナニカによる2撃目は周りの多くの敵の妨害から完全に防ぎ切ることは不可能であると判断し、風の鎧を身に纏う。弾かれた幻刀は霧散して消えた。
「私も忘れないでもらいませんか!"五月雨"!」
「今更そんなもの!」
「大変よく燃えそうな鎧ですね!"焔椿"!!」
「がっ…!?」
バキンッ
天から降り注ぐ刀を嵐郭で弾き返していた大嶽丸は一瞬だけ気を天へと向けてしまい、それをスズカは見逃さない。大嶽丸を大きく囲むようにして展開された焔椿は爆ぜ、その爆煙が嵐郭でさらに激化して大嶽丸を蝕む。
「「「「「私達の事も忘れるな!!」」」」」
「ぐぅ…!!じゃっ、まだぁぁぁぁ!!!」
分身体達がそれぞれ轟撃や轟脚、鬼滅刃などを発動して怯んでいる大嶽丸に襲いかかる。数人が攻撃を当てることに成功したが減り方は少なく、横薙ぎの刀で形を失ってしまった。
その後も同じようにして連携を続けていく。時雨とナニカが陽動役として大嶽丸の注意を引き、スズカが高火力の攻撃でゴリゴリとHPを削る。そこでヘイトがスズカに移れば時雨が重体術を、ナニカが幻刀を使って攻撃をする。
10分以上経っていて本来なら鬼人演舞と仙才鬼才の効果は切れてしまうのだが、神性スキル神速通の補助効果で一時的な保険だが引き伸ばされている。そんな破格の能力も超破格にした状態で約40分も戦えば3分の2強は削れていた。
「集中力が足りてないなぁ!?」
「ゴバッ…ァ…アガ…」
分身体達に大嶽丸の視界が覆われた隙に時雨は跳躍して上空へと飛んだ。目まぐるしく状況が変化し、明らかに劣勢となり始めた大嶽丸の意識から外れた時雨は轟脚で思い一撃を頭に落とす。それは今まで一撃で敵を沈めていたため初めて見た状態異常効果。
「っ!気絶効果が入ってる!今のうちに!!」
「みんな離れて!!生涯の恨み、この一撃で晴らさせてもらうわ!燃えよ、降り注げ!!"落陽"!!!」
空に光は月でなく、燃え上がるいくつもの極大の火球。赤く染まるそれは太陽のごとく灼熱を帯びて大嶽丸を焦がす。その熱で視界はぐにゃりと歪み、熱風が頬を撫でる。熱をもろに受けた地面はガラス化していた。
「あ……わだじは…ま…だ…」
「死してなお死ぬことを許さず…"幻刀秘の太刀:無明"!」
全身を黒焦げにしてもまだ息があるらしい大嶽丸はナニカの幻刀で首を刎ね飛ばされた。くるくると宙を舞う太く大きな首はゴトリと音を立てて落ちた。
「やった…やった!勝ったよ!」
『…ふふ』
「っ!シグレ!そこから早く逃げて!まだ、終わってないわ!」
時雨が動かなくなった大嶽丸の死体を覗き込んで勝利を確信する。が、どこからか不吉な微笑が聞こえ、次の瞬間にはスズカが叫んだ。そう、まだ、終わってはいなかった。
『"三千大千世界"!!!』
ビシッ
『私は幾重にも重なる多重世界を行き来出来るんだよ!肉体は持ってこれないが、魂を入れ替えてしまえば器として機能する。疲弊していない魂ならすぐに肉体を再生させられるんだよ!!』
目の前の空間に巨大な亀裂が入り、大きな音を立てて割れていく。どす黒い人ならざる、鬼ですらない形容しがたい姿の大嶽丸が醜悪な顔を覗かせる。質量を持っていないのか黒いのに透けているという不思議な体をしていた。
『この体を手に入れれば私の勝ちだ!!』
「そんなこと、させるわけないじゃん」
バキンッ
『は?貴様、な…なにを!?』
時雨は大嶽丸の魂と肉体を繋いでいた鎖のような見た目の根源を握りつぶした。金属が割れるような音が響き、目の当たりにした大嶽丸は明らかに動揺している。肉体があった時の嘘くさい動揺はもう保てていないようだ。これが素らしい。
「私は【毘沙門天】を受け継ぐ者」
『な…まさか!貴様…ぎ ざ ま゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!断罪の鬼かぁぁぁ!!!』
■■
『それとシグレ』
『なに?』
『シグレ、あなたは自分の鬼の力が何かを知っている?』
『いや…』
『あなたの鬼の力は如何なる悪も裁くことができ、この世ならざる力を裁くことのできる"断罪"の力よ。あなたは私達の過去をもう知っているだろうけれど、遠い昔私と夫が1度大嶽丸を倒した時に手を貸してくださったのが毘沙門天様。あの悪鬼の力を防ぎ、現世との繋がりを乖離させる力を持っているの。けれど、その力が精神空間へ及ばなかったのが災いして私達は生きている限り永遠に続く夢の中で地獄を見ている。そして、私が死ねば最後の枷が外れて大嶽丸は現世へと転生を果たすわ。それを防ぐことができて、永遠に葬りさることができる唯一の力があなたの"断罪の鬼"の力。精神空間で死ねば現世でも死ぬってこと』
『っていうことは、つまり…』
『えぇ、最後はあなたがとどめを刺すの。私が直接やりたいけれど…シグレにしかできないことだから』
『………』
『お願い。私を、私達家族を助けて…』
『わかった、任せて』
■■
「あなたの最後の力はスズカから聞いてた。あなたの余裕ぶった芝居に合わせるのは大変だったよ。死んでも大丈夫だってずっと思っててくれないと、このチャンスは来なかったからね」
『そんな…馬鹿な…あぁ、私の体…入れない…入れない!!なぜ!?』
魂だけの大嶽丸は肉体に戻ろうと必死で動き回るがどうやっても肉体に入り込むことができないようだ。それも当たり前のことで、理由は
「あなたの魂と肉体の繋がりを断ち切ったの。これでもう、あなたはこの肉体で転生できない」
『ふ、ふざけるなぁ!!くそっ…だったら元の世界に帰れば───』
バキンッ
時雨は空間の割れ目を砕いた。本来なら感知することも、触れることも、ましてや破壊することもできない世界の構造。それは知覚能力の向上と断罪の力が合わさって初めて出来る荒業だ。
『………世界構造にも…干渉するだと…?』
「私はあなたの根源に関わるもの全てに干渉できる。それが肉体であろうと、繋がりであろうと、例え世界構造であっても」
「そして、魂であっても」
『あぁ…嫌だ…嫌だ嫌だ嫌だ!!消えたくな───』
「さようなら」
ズリズリと威厳もなく惨めに地を這うようにして逃げようとする大嶽丸の黒い魂。時雨は無表情でそれを掴み、持てる最大の力で砕ききった。
バキンッ
「っ───────」
亀裂が入り、中から黒いモヤが溢れ、怨念を撒き散らす。だがもはや手遅れで、そんな小さな小言は誰の耳にも届くことはなかった。
「終わった…ね」
「えぇ」
「うん……あっ───」
今度こそ本当に何も起こらず、大嶽丸が完全に消滅したことを確認した時雨達は安堵の息を漏らした。やっとこれで長い憎しみの戦いに幕が落ちたのだと思ったその時、ナニカが小さく声を漏らした。
「………もう、無理なんだね?」
「…うん」
時雨はナニカに確認した。魔玉を砕いて流れ込んできた記憶と感情、その中にはほんの数十秒前にナニカが時雨に対して1つだけ嘘をついている証拠となるものがあった。
それは、魔玉はモンスターの魂そのものであり無くなればいずれ身体が朽ち、存在を消滅させるという事実だった。「………大丈夫」なんて大嘘だったのである。ナニカの身体には大きなヒビが入っていた。
「でも、これで良かったんでしょ?」
「うん。これが、私の望み。鬼の血を引いた私は魔力が強すぎて死んでもなお、あの地に縛られる地縛霊としてモンスター化してしまった。だから、やっと解放される」
「そっか…」
「大丈夫よ、あっちではお父さんも待ってるから」
「うん」
「それに、私も一緒よ」
「「え?」」
さすがのナニカもこれは予想外だったらしく時雨と同じように目を見開いて驚いている。
「私も、もう限界。途中から魔力が足りなくて自分の魔玉をその時砕いちゃったのよね」
「気づかなかった」
「まぁ、正直に言っても反対されそうだったし、そもそも砕かないと勝てそうになかったから仕方がないのよ」
詳しく聞けば落陽を使う前に既に魔力切れ寸前で魔玉を砕いていたらしい。時雨達は全く気づかなかったが、スズカが気づかれないように砕いたとのことだった。
「だから、気にしなくていいのよ。でも、そうね…やっぱり最後はあの庭がいいわ」
「私も」
「じゃあ、すぐに戻らなくちゃね」
時雨は何も無い空間を力強く握った。そして
バキンッ
「ありがとう、シグレ。この花はね、この子と夫が好きだった花なのよ。2人が殺された後、寂しくなった私がずっと1人で育ててきたんだけど、一輪だった花からここまで多くなっちゃったわ」
偽の世界が崩れさり、眼前に広がったのは洋館の前に広がる紫の花畑だった。霧もなく、当たりは白と藍色に染まり哀愁が漂っている。もう、夜明けが始まっていた。
「この洋館も私1人でできる事がほとんど無くて暇つぶしに作ったんだけどね、広すぎて余計に寂しかったわ。ちなみに入口の扉でシグレに催眠をかけたのよ?」
「えっ!?そうだったんだ!」
「ふふ、気づかなかったでしょ?でも、そのおかげで少し寂しい気持ちも薄れ────ごめんなさい。私も、時間ね」
まさかの洋館の建築もスズカがしていた。料理もできて花の手入れもできて、さらに立派な洋館も建てれますなんて凄腕お母さんの域を遥かに逸脱いているが…
スズカが時雨に行った記憶の上塗りはどうやら入口に入った瞬間に催眠をされていたせいらしい。すごいでしょう?と胸を張って自慢し、でもそのおかげでと話すスズカの体にもヒビが見受けられる。
「そろそろお別れだね」
「えぇ」
「うん」
「何か私にお願いはない?」
「そうねぇ…あ、じゃあ、その花を一輪でもいいからシグレの側に置いておいてくれないかしら?」
「そんなことでいいの?」
「それが一番いい…だよね、お母さん?」
「えぇ、そうよ」
「そっか、わかった。ちなみにこの花の名前は?」
「紫苑よ」
ヒビが段々と大きくなっていく。全身に広がり、手や足、指先だけでなく顔まで。最後になにか心残りというか、お願いはないかと聞けば庭に咲く花を側に置いてほしいとのことだった。時雨は三輪抜き、手に持つ。
それを見た2人は晴れやかな顔で時雨にこう告げる。
「シグレ、ありがとう。私達家族はあなたのおかげで救われたわ。自慢の…娘よ」
「シグレ、ありがとう。あの時湖であなたを見つけなかったら私とお母さん、お父さんはずっと暗い闇の中をさまよってるようなものだった。でも、やっと3人で一緒にいられる」
「……う…ん」
「あら、泣いてくれるの?でもね、シグレ…お別れは…涙じゃ…なくてぇ……私は…笑顔が…いいわぁ〜…」
「そんなこと…言って…お母さん…も…泣いてる…」
「あなただって……泣いてるじゃん……」
時雨は2人から感謝されてそれに笑顔で応えたつもりだった。だが、スズカに指摘されて頬を手で触れば暖かい雫がポロポロと流れていた。もらい泣きしたのか、スズカも泣き出し、ナニカも泣き出してしまった。
ひとしきり3人でわんわんと泣き、そろそろ本当に時間が危なくなってきたことで慌てて涙を拭った。
「そうだ、シグレ。ずっと言い忘れてたんだけど私の名前は……………──────」
「ずるいよ…言い逃げなんて…もう、直接呼んであげられないじゃん…」
「シグレ。たまにでいいから、どうかその花を見てあの子の名前を呼んであげて」
「うん、わかった」
「ありがとう。じゃあ、私も行くわね─────」
ぼそぼそと時雨に耳打ちし、その名前を時雨が呼ぼうと顔を向けると、可愛らしい笑みを時雨に向けてそのまま彼女は消えてしまった。
それが逆に時雨の心残りになってしまったが、スズカの一言で少し心は救われたように思えた。そんなスズカもさよならの1つも言わずに消えてしまう。
「2人ともせっかちだなぁ…でも、それが2人らしいのかも?あ、そうだ。紫苑の花言葉って…えっと…あっ」
検索用のウィンドウを開いた時雨は紫苑の花言葉を検索してみる。そこに記されていたのは2人の心情だったのだろうか。
─────君を忘れない。
補足:魔玉とはモンスターにとって力の源であり、魔力を蓄える場所であり、魂そのものです。それなりに上位のモンスターでないとそもそも魔玉は落としませんが、ゴブリンキングは一定確率でドロップします。それでも今までで魔玉の描写がなかったのは時雨の装備時スキルである"鬼人の吸魂"が原因です。なぜかは何となく字面でわかるでしょうか?また、これは今後先のお話で意外と重要な内容だったりします。