私が人間だったころ
『ラムちゃん、こっち向いて、ちょっと顎を引いて。そう! いいよ~!』
カシャ、カシャカシャ……。
――シャッターを切る音が心地よいわ……。ああ……。私、グラビアアイドルだった頃の夢を見ているんだ……。
どこまでも青い空と海をバックにし、白く細かい砂浜に跪くと、レフ版が眩しい太陽の光を私の方へと向ける。
南の島で写真撮影した時の夢だ。
大勢のカメラマンやスタッフの人達と一緒に初めて海外へ行った時の楽しい思い出……。仕事は大変だったけれど、充実した毎日。
初めて私の写真集が本屋さんに山積みにされ、嬉しいような恥ずかしいような高揚感。 友達にも羨ましがられ、たくさんの人からファンレターやプレゼントを貰った……。
今では考えられない幸せだった毎日。
でも、あの頃から私の身体はむしばまれていたのだ。
……最初にお腹が痛いと感じたのは、ちょうど二度目の海外撮影へ行った時だった。
映画出演の話もあったから、簡単に仕事を休むわけにはいかなかった。我慢できないほど痛くなかったから、市販の鎮痛剤を飲んで我慢していた。生理痛がキツイだけだと思っていた。
……内緒にしていた。
――急にサイレンの音が聞こえて、ガバッと身体を起こした――。
額には汗がたくさん流れている。身をかがめて遠くまでを目を凝らして見るが、近くにパトカーや人影、動いている人は見当たらない。
サイレンの音は遥か彼方から聞こえる小さい音だった。それを知ってホッとしたとき、急にお腹に痛みが走った。
「痛たた……」
記憶の痛みとは違う痛み……。これは、お肉を食べ過ぎた時とかになる……腹下し、下痢の痛みだわ。
お腹の急降下ってやつよ。
キューングルル~ンとお腹が、変な悲鳴を上げる。周りを見渡すが……公衆トイレなんて見つかるわけもない。
やばいわ、もう、そんなことに構っている時間的余裕も――ないっ!
木陰に隠れて、急降下爆撃機のように爆弾を投下することにした……。
「い、いやああー――!」
思わず上げた悲鳴を、口を押えて止める。聞かれてしまったら大変だ!
ぐ、ぐ、グリーン――! ペースト状――!
草むらに緑の葉っぱと同じような色の……想像を絶する排便に、命の危機を覚えてしまう。
私は、やっぱり人間じゃない――クローンなんだわ……。目からはポロポロと涙が零れ、体が脱力感を覚える。
ウ~ウ~。
「――ハッ!」
わりと近くからパトカーのサイレンが聞こえた――!
悲鳴が聞こえてしまったのかもしれない――。
身体を伏せて草むらの中をやみくもに走って逃げる。さっき見た衝撃的な色をしたウ〇コが頭から離れないが、ここで立ち止まるわけにもいかない。
数十分後、少し離れた所から隠れて見ていると、警察官が二人……さっきまで私が休んでいたところをくまなく探していた。
なにを話しているのかは聞こえない。
でも、なんか、凄く恥ずかしい――。お願いだから見ないで――!
――ああ……。無線で連絡しないで~! 言いふらさないで~!
――ああ! 写真なんて撮らないで! もうバカバカバカ!
顔が赤くなる。いや、青くなるわ……。ゆっくり草むらをかき分けてその場を後にした。泥と埃で茶色くなった白衣……茶色衣の袖で涙を拭った。
晴れていた空が、黒い雲に占領されていく。
まだ五月だというのに、今日は湿度が高く蒸し暑い。それなのに、急に冷たい空気が流れ込んできたのが分かった。
白衣の下にはなにも付けていない。生まれたての私の身体はそういった変化に敏感だ。
――敏感肌?
雲に覆われた空から逃げるように雨をしのぐ場所を探すが、橋の下になんか隠れてはいけない。見つけてくださいと言っているようなものだ。
ザー、バラバラ。
ゴロゴロゴロ――。
急に水かさが足のくるぶしから、膝の辺りまで上昇してくる。田んぼ沿いの水路が豪雨の時にどれほど危険なのか、身をもって思い知る――。
草むらにまで溢れた水路の横を進んでいると、
バリバリバリ――ドーン!
「キャア――!」
ゴロゴロゴロ――。
一瞬周りが見えなくなるくらいの光と轟音に体がビクッとした。――まさか、雷の電気が走ったのかもしれない。足がガクガク震え、増水した水路にしゃがみこんでしまう。
大気が怒りに満ちているんだわ――。
大自然までもが、作り出された私の存在を否定している――。
雨と共に、涙が流れていた。怖い。辛い。もう体力の限界だわ。
その時、私は天の恵みを目の前に見た……。
増水し、茶色い水の上をプカプカと……小さな透明な袋に入った茶色い物が流れてくる。
――あれは!
「菓子パン~!」
浮かびながら流れていこうとする菓子パンの袋を慌てて掴み、袋を確認する。
賞味期限は……2018、5、18、と印字されているが、今日の日付が分からない。
――逃げる前に研究室のパソコンに表示してあった日付をしっかり確認しておくべきだった……。
打ち付ける雨の中、角度を変えて中を確認する。袋の中に水は入っていないようだわ。
小さな穴もなく、アリや虫などもいない。変色もしていない。
そっと袋を開けて匂いを嗅ぐと、記憶が蘇る――! あま~い大好物のチーズ蒸しパンの匂いだあ!
お腹の虫がまた、キューンキューンと喜びの悲鳴を上げる。
食べろ、食べろと訴えている――!
迷うことなく、かぶりついた。
いつぶりの食事だろうか……? というか、私は水槽で何を食べていたのかしら。
本能のままに次々と頬張り飲み込むと、次に喉が渇きを訴える。
――水! 水!
水は空から大量に降ってきているではないか。上を向いて口を大きく開け、雨を飲む。両手を口元に当て、掌に雨水をためてゴクゴクと飲む。
恵みの雨だ――。私は生きている――、生きているんだ――。
満面の笑みを浮かべた途端――、急に胸やけがして鳥肌が立ち、さっき食べたチーズ蒸しパンを、
全て吐き出してしまった――!
ゲロゲロゲロー!
田んぼで鳴くカエルの声よ……。
「どうして、どうして……」
さっきまで美味しそうだったパンが、今では見るも無残な黄色いペースト状に姿を変え、増水した水路を流れていく。
流れていくそれを手ですくい、もう一度口の中に入れてみようかとも思ったが、やめた。
胃が……食べ物を受け付けない――?
私の内臓は――。すでにオリジナルに部品取りされた後なの?
お腹の部分を触って、グイグイ押してみる。どこもペコペコ凹むところはないが、私の身体は他の人と違う。ずっと気になっていた。
おヘソが……ない。
人から生まれたんじゃないから、おヘソがないのだと思っていたが、実はもう……部品取りする時に、邪魔だから取られたのかもしれない……?
おヘソにもコンプレックスがあったから、取り替えられたのかもしれない――。
ガクガク震えながら、おヘソの辺りを触る。何もないまっ平だ。ヘソだけじゃなく、腸や胃やなどの臓器がないのかもしれない。代わりに詰め物をされているのかもしれない……。胸だけはちゃんとある……。谷間もしっかりある――。
雨は少し小降りになってきたが、代わりに冷たい風が吹くと、びしょ濡れの白衣が体にくっつき、体温を奪った。
うなだれたまま、排水溝をトボトボと歩く。
もう、見つかっても構わないと……少し諦めかけていた。
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