表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

私は私を知っている


 ……私は……数回、ここに来たことがある。


 ここの水槽……見覚えがある。外から見た記憶がある。でも……その時、中は……空っぽだった。

 ――セピア色をした写真のように、フラッシュバックで記憶の欠片が蘇る。


 私の名は……与野岸(よのきし)ラムだ。そして、そして……!

 ――ああ、頭に激痛が走り肝心なことが思い出せない――。思い出してはいけない過去? 捨て去りたい禁断の記憶?


 私は何のために生まれてきたの――。

 クローンなのに、なんで過去の記憶があるのよ――。

 分からない、分からないわ――、


 はうっ! ……ひょっとして……、


 流行りの転生もの?


 でも転生って空想の話なんでしょ? 現実には起こるはずがないことなんでしょ?

 人間の脳が死ねば、その記憶なんてものが次の生き物に引き継がれるハズがないわ。科学的根拠にも乏しい。ただの都市伝説よ――。


 今まではそう思っていた。今までは……。


 でも……。じゃあいったい今の私はなんなのよ……。こうやって水槽の中でプカプカ浮かび、色々な事を考えている。今までの記憶が断片的にだが……ある。


 信じられない話が現実になってしまった時、人はそれを認めざるをえない――。


 もしかするとただの夢なのかもしれない。目が覚めると、私は今までと同じように……与野岸ラムで……、


 得意の夢オチ?


 ――バカバカしい。でも……一つだけ確実に分かること。それは、


 ……もし、これが現実なら、ここからすぐに逃げなければならない――。

 そうしなくては、待ち受けるのは、死――。


 ――そんなの嫌よ! 実験? 研究? 仮に人間のクローンが成功したとしても、同じ人間を作り出し、クローンが生存することが、この日本で許されているハズがない――。世界でも許されるハズがないわ――。


 人としての倫理に触れる――。

 人としての……?


 ……私は、人じゃない……クローン。人に作られし物。だったら人権もない。誰も守ってくれない。

 倫理なんて、所詮は人が作ったもの。だったら人の手でどうにでもできる。昔の解釈は未来の解釈によって刻一刻と変化していくもの……。クローンは人が作った道具。クローンの意思で好き勝手に生きてはいけない。


 ――でも、記憶がある私はどうなるのよ!

 はいそうですかって、道具として使われて削除されるのを望まない――。


 ここからなんとしても逃げ出したい――。


 私の元となる「オリジナルの私」が考えていることが理解できないわ! わたしと同じ考え方のはずなのに――なんでクローンなんて作るのよ! それとも、生きていたい願望が強すぎて、私を部品取りにしてでも長生きしたいというの?

 他人を犠牲にしてまで、生きたいというの?


 倫理を犯してまで生きたいというの――!


 ――私だって生まれたからにはやりたいことがあるわ。当然だけど、人として幸せになりたい。そしてなにより、――生きていたい――。人の幸せを知っているから……。


 オリジナルが私を犠牲にしてまで長生きしたいというのなら……、

 私もあなたを犠牲にしてでも生きてやるわ――。



 研究室の電気が消え、水槽内も照度が落とされる。照明の光度を調整して研究室内に日照時間を作っているんだわ。

 誰もいなくなったのを確認すると、少しずつ体を動かす訓練をした。生まれたての赤ちゃんが歩けないのは、脳が筋肉を動かす方法を知らないだけ。でも、私には過去の記憶がある。手や足を思い通りに動かすことは容易い。


 動き続けていると、活動量を検知しているセンサーが、ピッピッ、ピピピピ、ピ~とヒヨコの鳴き声みたいな音を立てて鳴り響き、警備員が扉から入ってきた――。


 ――しまった、動き過ぎた!


 目を閉じて、なにもなかったかのように静かにする。すると検知器は徐々に静かになり、警備員は一度だけ懐中電灯で私の方を照らして点検すると、何もなかったように部屋から出て行った。

 警備員は私を直視しなかった。まるで気持ちの悪い物を見るような痛々しい視線だった……。水槽の中は伸び放題の私の髪の毛が漂っている。外から見ればホラー映画のお化けのように見えるのかもしれない……。


 活動量の検知器が警報を鳴らさないよう、派手には動かず少しずつ体を動かすことにした。なんとしても数日中に歩けるくらいの筋力を付けなくてはいけない。水槽から脱出しても、歩けなかったらまた水槽に戻されてしまう。動けることや記憶があることがバレてしまえば、次は拘束具などを取り付けられて固定されてしまうだろう。


 チャンスは一度っきり――。私が生き続けられるチャンスは、たった一度なのだ――。



 両手両足が動くようになった。ゆっくりとなら水槽内を泳ぐことだってできる。グー、チョキ、パーもできる。

 息を止めて、吐くのも練習する。


 見つからないように少しずつ……。


 目もしっかり見えるようになってきた。研究室の中を隅々まで見渡して、何がどこに置いてあるのかもだいたい分かった。

 白衣を着た男と女。警備員達は、私がまだ動けないものだと信じ込んでいる。研究室に定期的に来て、パソコンの画面を確認したり、座ってコーヒーを飲んだり、イチャイチャしたり……。何かのデーターを書き移したり、イチャイチャしたり……。


 今すぐではなく、もう少し私が成長するのを待っているようだ……。

 私に残された時間は……少ない。急がなくてはいけない……。



 週に一度の身体計測が、逃げ出す絶好のチャンスだ――。



 白衣を着た男が、ホイストクレーンで私を水槽から吊し上げ、メジャーを使って私の身体のサイズを測定し、手に持っているメモに記載していく。


 わたしの体をやたらベタベタと触るその手つきがいやらしい。


「……だんだんいい女に育ってきやがったな」

 ニヤニヤとしながら私の胸囲を測ろうとした時、

「ありがとう」


 ――! 男は驚愕の表情を見せた――。


 正拳突きで鼻頭を思いっきり殴り、白衣の胸ぐらを掴んで引っ張る――。


 突然私が喋って動き出したことに驚き、抵抗する間もなく男はぐらりと体勢を崩し、ドッポ~ン! と水しぶきを上げ、頭から足元の水槽へ落ちる。


 吊り上げられたところから私は水槽の(ふち)へと移動しながら、水槽の中で慌ててもがいている男を見下ろす。


 ざまーみろと不敵な笑みを浮かべてしまうわ……。ペッと唾でも吐いてやりたいがその必要はない。

 水槽を満たす培養液は、循環濾過されて綺麗に見えるが、……綺麗に見えるだけだ――。

 ガラス製の水槽は内側がツルンツルンしていて、ヌルヌルの手でよじ登ることは決してできない。

 この男に恨みがまったく無いわけではない。一瞬だが――殺してやろうか――との殺意も芽生えたが、……裸を見られたからといって、殺すほどの恨みではない。なんせ、私の生みの親なのだから。


 ――私が殺す必要があるのは……たった一人のはずだから。



 非常事態用に備え付けられていた高電圧が流せるスタンガンを握り、椅子に掛けてあった男の白衣を着る。濡れた裸に白衣がくっつくが、タオルやウエスなどが見当たらないので仕方ない。他に着るような物もない。


 ペン立てのカッターナイフを手に取ると、壁際の手洗い場の鏡を見ながら、身長よりも長い自分の髪を切る。

 顔を覆い隠していた長い髪を切り落としてショートカットにすると、自分の顔を見て思わずドキっとした――。


「やだ……私って、めっちゃ若くて可愛ゆい~!」


 ……。


「しかもお肌がツヤツヤ。培養液には保湿成分あり過ぎだわ~!」


 ……。


 20代前半の私は、濡れた白衣が色っぽい。男の視線を釘付けにできるくらいに……。


 切った大量の髪を、男が立ち泳ぎしている水槽へと投げ込んだ。

「――バカな真似はよせ! お前はクローンだぞ!」

「ええ、そうよ。今はね」

「助けてくれ、俺は泳げないんだ」

「嘘おっしゃい。ちゃんと立ち泳ぎしているじゃない。そのうち誰かが気付いてくれるわ」


 ――ピ~ピ~!

 男が立ち泳ぎしているせいで活動量が高まり、研究室内に警報が鳴り響くと、思わず舌打ちしたくなる。

水槽から離れ、パソコンのマウスを握ると、「警報停止」と「警報リセット」を数回クリックすると、警報は直ぐに鳴り止んだが、活動量は高いままで推移している。


 ――誰かが異常に気付き、駆けつけてくるのは避けられない。


 扉のすぐ横に身を潜めて、スタンガンを構えた――。


 最初に部屋に飛び込んできたのは警備員だった。警備員は水槽の中に浮かぶ黒髪と、その隙間から見える男の姿を、不思議そうに首を傾げて見る。

「ブハ! 気を付けろ! 後ろ、後ろにいるぞ――!」

「こんな夜中に何をしてるんですか? それより、あの女はどこです?」

「だから、後ろだって!」

「え?」

 時すでに遅しだ。そっと後ろから近づき、スタンガンを警備員の首筋に押し当て、スイッチを入れる――。

「イジジ!」

 赤子の手をひねるより簡単だわ――。伸びた警備員の両手を引っ張って机の下に隠した。


 次に入ってきたのは、あの女だった。女も同じように水槽の中に浮かぶ沢山の黒髪と、その隙間から見える男の姿を、首を傾げて見る。


 まるでデジャブ――。


 そっと後ろから近づき、首筋をビリビリさせる。

「イジジ!」

 楽勝過ぎて、笑ってしまいそうだわ――。両手を引っ張って警備員の横へ寝かせた。


 パソコン画面の時計を確認すると、今は深夜だった。二時五十分? おおー!


 ――逃げるのにちょうどいいわ――!


 女のズボンのポケットを探ると、鍵があったのでとりあえずそれを奪う。急がないと、また誰かが来てしまう。一人ずつなら同じ方法が通じるかもしれないが、二人以上で来られたらたまらない。

 この部屋には監視カメラが取り付けられている。他の警備員が部屋の状態に気付けば、きっと逃げるのは難しくなる。その前に逃げなきゃ――。


 女の靴を奪おうとしたのだが……、サイズが小さ過ぎて履けない――。

 かといって、警備員の靴は……嫌だ! 靴下の踵と爪先の部分が破れていて、異臭が漂ってくる~――。しかも両方とも!


 廊下に誰もいないのを確認して出ると、扉を静かに閉めて外から鍵を掛けた。少しは時間が稼げるだろう。


 裸足で研究室を抜け出す私は、まるでハリウッド女優だわ――。

 冷たい廊下を裸足でヒタヒタと走った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ