魂を買う
ツルルルー。
かかった!
『はい、葉山です』
――出てくれた。
もうすぐ夜が明ける時間なのに、剛雄君は出てくれた!
「もしもし……私」
『絵里か! 心配したんだぞ!』
「……ごめん。今……大丈夫? 怪しい人達は来なかった?」
『ああ。誰も来ていない。だがパトカーが数台、サイレンを鳴らさずに、さっきから農道を走っている。――なにかあったのか?』
手に汗を握る。額からも汗が滲む。
「ちょっと、力を貸してほしいの。道の駅にある銭湯の前に来られる?」
『すぐに車で迎えに行くよ、軽トラで。どこかに隠れてて――』
「うん。分かったわ。早く来てね」
『ああ』
電話ボックスを出ると、道の駅の大きな看板の後ろへと身を隠した。
数台のパトカーがサイレンを鳴らさずに駐車場に止まると、数人が腰の拳銃に手をかけながら「男」と書かれた青いのれんをくぐっていく――。
――早く来てよ~。お願いだから~。
草むらの陰から顔を出す。
警察は私が剛雄君に電話したのは知らないはず。パトカーには、乗ったままの警察官もいるかもしれない。
数分後、彼の白色の軽トラが姿を現し、公衆電話の前に止まった。
――駄目! 剛雄君が見つかっちゃう!
今にも銭湯から警察官が出てくるかもしれない。彼は私を探すために軽トラを――降りてしまった。
「ダメ―!」
彼を危険な目に遭わせてはいけない――。危険な目に遭うのは、私だけで十分だわ。
「剛雄君!」
「絵里!」
草むらから走り出る――。それと同時に、銭湯から警察官が出てきた――。
見られてしまった――。
私と剛雄君が抱き合う姿を、――思いっきり見られてしまった――。
「おあついねえ~」
「こっちは面倒な仕事の真っ最中なのになあ~」
ペッと唾を吐く警察官は、牛乳瓶を片手にほんのり桜色の頬をしていた。
「あ、お仕事お疲れ様です」
開き直ったかのように剛雄君は警察に軽く頭を下げると、私の手を引いて軽トラに乗り込めと指示する――、
「あんまり夜遅くにウロウロしたら危ないよ。そういえば、この辺りで見なかったかね、ヘソの無いクローンを……」
ヘソの無いクローン――!
――やっぱり警察も私の居場所を知っていたんだわ――!
足がガクガク震えてくる。
「この辺りで目撃したという情報が入ってきたんだ。凶暴なクローン豚が「道の駅」付近にいるって……」
「誰が豚ですって――! あったまにきちゃう!」
怒りかけた私の口を、剛雄君が掌で押さえる~! うぐうぐ……。
「あ、そうなんですか。気をつけます、ハハハ。僕達はなにも怪しくありませんから……」
――剛雄君! そんなこと言ったら、わたし達は怪しいですと言っているようなものよ!
口を押さえる彼の手を噛んだ――。
「イッ――! ハハハ……それじゃおやすみなさい」
「早く家に帰るんだぞ、おやすみ」
警察が探しているのは、あくまでもクローン豚だった。だから助かった。
極楽製薬の言ったことを真に受けて探しているんだわ……。でも、いつかは本当のことを知らされるかもしれない。
クローンは豚ではなく、若くて美しくスタイルのいい綺麗な女性だと――!
軽トラに乗り込んで国道へ出ると、言ってやりたいことがタップリあった!
「もう、遅い! それに、危うく警察にバレるところだったじゃないの!」
「これでも飛ばして来たんだぞ! だいたいこんな夜中まで一人でどこをほっつき歩いていたんだ!」
「私の気持ちを知りもしないで!」
「なんだと!」
剛雄君は急に車を停止させた――。
夜中の国道に、車は殆ど走っていない。
車のルームライトを点けると、彼の怒った顔が見える。私も怒っている。
なのに――、
「無事でよかった」
――!
ズルい――。最初に謝られたら、私が悪いみたいじゃない――!
濡れた私の髪をぐっと引き寄せ、彼は私のファーストキスを、当然のように奪った――。歯と歯が当たるくらいの強いキス――!
その後にギュッと強く抱きしめてくれた。
「――ごめんなさい。わたし、わたし……」
声にならなかった。
泣き止むまで、車は一台も通らなかった……。
「ねえ剛雄君。私と一緒に外国に逃げて……暮らさない?」
突然の提案に、困惑の表情を見せる。
「……絵里、そんなお金あるわけないだろ。家や田んぼなんて、この辺りじゃ売っても数百万にもならない」
「お金なら……あるわ。オリジナルが稼いだお金が」
「銀行にか? 引き落とした途端に居場所も顔もバレてしまう」
「それがね」
涙を指で横に拭う。
「ここよ。ここにあるのよ」
銀色のジュラルミンボックスをポンポンと叩いて見せる。お金は人を豹変させてしまうと聞いたことがある。金の亡者に――。
剛雄君に、もし裏切られたら私は本当におしまいだ。生きていけない。
でも……それでもいい。
剛雄君なら……いい。電話をかけた時から、すべてを任せる覚悟はできている。
「マジか……。だが、ひょっとすると誰かの罠かもしれないぞ」
「罠?」
「ああ、その箱が誰かの陰謀で、発信機が埋め込まれているかもしれない。GPSとか位置情報を知らせる発信機だ」
……。
「アハハ。発信機ならもう壊したわ……。銭湯に入って」
「? ちょっと何言ってるのか分かんない……」
首を横に倒す。
説明が足りなかったかしら。
「発信機は私の体の中に埋め込まれていたの。……オリジナルの私が教えてくれた。だから、さっきそれを銭湯の電気風呂で壊したの」
「発信機が――体に埋め込まれていただって!」
軽トラの中で大声で驚く。
「シー。声が大きい」
周りは田んぼだらけなのに、思わず辺りを見回してしまった。
「だから……私の行動は殆ど極楽製薬会社にバレていたのよ。あなたの家に隠れていたことも全部バレてしまっている――。その気になれば、いつだって捕まえに来れたはずなの」
「――なんだって! 俺の家に隠れていたのが、バレていただって?」
「そうなのよ。だからここから一緒に逃げましょう。どこか遠くへ――二人で!」
もう一度体を寄せる。剛雄君は拳を前歯に当てて、必死に考えている。
「だが、なにか腑に落ちない……。絵里のオリジナルが言っていたことが本当だったとすれば、病院から逃げ出す絵里を追いかけてきた警備員達や黒塗りの車は、探す演技をしていたというのか?」
「……そうかもしれないわ」
「なんのために……?」
「……分からない」
発信機がついているのに、見つけなかった理由。見つからなかった理由。
発信機がなくなって、急に見つけ出さなければいけない理由。
――!
「ひょっとすると、本当のことは警備員にも知らされていなくて、クローン豚を必死に探していたのかも!」
見つかるはずもないヘソの無い豚を――。
「可能性は……ありえるな。だったら発信機が壊された今、極楽製薬は急いで事態の収拾に全力を挙げる――。これからは気をつけなくちゃいけないな。敵は血眼で君を探し始めるだろう。この車のナンバーも、既に知られていると思った方がいい」
ナンバーが知られている危険性……。また剛雄君を巻き込んでしまっている。
でも、私には剛雄君しか味方がいないの――。そのせいで剛雄君は大切な畑や家、これまでの生活の全てを捨て去らなくてはいけないのに――。
私との生活だって、決して楽しいとは限らない。いつも怯えて暮らすことになるかもしれないのに――。
……そっとジュラルミンのケースを開いた。
鳳凰の印刷が美しく凛々しい。新札の壱萬円札が一万枚……。壱億円。
チラッとそれを見せて剛雄君の心と体と人生を買収しようとしている私は……、人間失格の……クローンなんだわ。自分が汗水垂らして稼いだお金でもない。オリジナルが使わずに残した遺産。苦労することなく手に入れた巨額の金――。
剛雄君の目が月夜に照らされて青く光る――。
「日本の米を海外に闇ルートで輸出している知り合いがいる。そいつを頼れば、とりあえず日本からは脱出できる」
「信用できるの?」
「ああ。大きなコンテナの中に紛れて貨物船で港を出るやり方だ」
軽トラのギアを入れ、走り出した。
「でも、いつ出航できるのよ。チケットの予約とかが必要じゃないの?」
「いらない。連絡方法や予定も、一切調べられるものは――ない」
「じゃあ剛雄君はどうやってそれを知ったのよ。噂で聞いたくらいの不確かな情報なら駄目よ」
クククと笑う彼の顔は、今までと違って少し怖い。
「この軽トラで何度か闇米を運んだ時に港で知った。それまでは興味なかったが、まさか自分がそんな方法で日本を出るとは……。人生、何があるか分からないものだな……」
軽トラの窓からは、遠くで赤く光るパトライトが見える――。
「信じていいのね。本当に……」
「ああ、ただし――」
その後の言葉は口にしなかった。
もう、ここには戻れない。
もう、二度と戻ってくることはできない――。




