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第1話 相川 京

「誘拐事件?」

 壁の汚れをふき取ることも忘れたような、安さだけが自慢の場末の食堂。明らかに一味足りないスパゲッティ・ナポリタンを口に含んだまま、明るい茶髪の少年――相川(あいかわ) (きょう)は素っ頓狂な声を出した。

「そーなの。そこの角の松嶋さん家の男の子、覚えてる? おかーさんがちょっと目を離したすきに、パッといなくなっちゃったんだって!」

 興奮した様子で彼に詰め寄ったのは、やや派手なメイクにポニーテールの可愛らしい少女だった。名前は、莉香(りか)。まだ10代半ばのウェイトレスで、16歳の京にとっては気心の知れた友人のようなものである。

「マジかよ。あの子って、まだ4歳とかじゃん……。こないだも、どっかの女の子が誘拐されてなかったっけ?」

「でしょでしょ!? 最近、多すぎじゃない? 子供だけじゃないんだよ。10代とか20代の失踪も多いっていうしさ」

「うん。やっぱ変だよなー……」

 莉香がサービスで出したオレンジジュースを飲み干して、京は首をひねりながら呟いた。

 店内の棚にあった新聞――という名の粗末なフリーペーパーを開くと、ここ数年スラムで頻発している誘拐・失踪事件について書かれた記事や考察ばかりが目に入る。ページをめくれば『B-35研究所で大規模な爆発事故発生』『スラム二番街・連続窃盗犯逮捕』『迷い猫さがしてます』など様々な見出しが躍っているが、一面はほぼ誘拐・失踪関連が独占している状態だ。

「前から誘拐とかは珍しくなかったけどな。にしたって、ここ1年くらいは多すぎるぜ」

 幼さが残る顔に精いっぱいの苦々しさを浮かべて、京は新聞をテーブルに置いた。何となく窓の外に視線を移せば、太陽の光の中で輝きを潜めた『五番街』のネオンサインが視界に飛び込んでくる。


 山々を切り開いた広大な台地に建つ【首都】の麓から海にかけての平野には、ほぼ扇形のスラムが広がっている。スラムは【首都】からの距離が近い順に一番街から十番街までの区画に分かれ、番号が1つ増えるごとに住民たちの暮らしは貧しいものとなっていく。

 軽犯罪から重犯罪まで、あらゆる犯罪が日常的に発生するスラムでは、もともと誘拐・失踪の類は珍しくもない。身代金目的の誘拐は被害者の年齢を問わず、比較的豊かな一番街でたびたび起きているし、貧しい区画では人身売買が横行している。生活苦や借金などに起因する失踪を含めれば、かなりの数にのぼるだろう。

 しかしここ数年――特に2053年に入ってからの行方不明者数は、まさに異常だった。子供や若者世代を中心に、何の前触れもなく、ある日突然いなくなってしまうという事例が明らかに増加。気がつけば、街にあふれていたストリートチルドレンや若い浮浪者たちも、およそ3割以上が姿を消していたのだ。


「噂なんだけど、さ」

 給仕の仕事もそっちのけで、莉香は再び、京に顔を近づけた。不安半分、好奇心半分、といった表情を浮かべながら、言う。

「養子を欲しがってる人がいるよ、とか、仕事あげるよ、とか言って、子供(ストリートチルドレン)を連れてくヤツがいるんだって。なんかね、店によく余り物をもらいに来る子たちが言ってたんだー。ついてった子たちは、誰も帰って来てないって」

「それって、どんなヤツなんだよ?」

 京の問いに、莉香はしばらく考えたものの、小さく首を横に振った。

「うーん、なんかバラバラなんだよね。おじさん、とか、おにいさん、とか。キレイなおねえさん、って言う子もいたし」

 組織的な犯罪か、それとも別々の単独犯か。少なくとも莉香からは、これ以上の情報は得られそうになかった。

「にしてもさ、消えたヤツらはどこ行っちまったんだろーな。売られたにしちゃ、多いしさ」

「ねー。あ、その新聞もってってもいいよ! どーせお昼はもうお客さん来ないもん」

「サンキュ。あとで読む」

 気づけば、昼の営業時間はもう終わっている。パタパタと看板を片付けに行く莉香の足音を聞きながら、京は慌てて目の前の料理を口に押し込み始めた。


「あ、京くん!」


 入口のほうから不意に呼ばれ、口にケチャップをつけたまま振り返る。

「奈津子ちゃん」

 ボロボロの木の扉を開けたところに、小柄な少女が立っている。(かつら) 奈津子(なつこ)という名で、京より1つ年上の17歳。しかし、身長のせいか顔立ちのせいか、実際には彼より年下に見られることが多い。彼女は純粋な日本人にしては色素が薄く、栗色の髪と茶色い瞳、雪のように白い肌が、はるか北方の国から受け継がれた血を表していた。

「よかった、見つかった! あのね、兵梧(ひょうご)が呼んでるから探しに来たの」

「兵梧が? ごめん、すぐ出るから待ってて!」

 奈津子が口にした名前を聞いて、京はすぐにテーブルを立つ。莉香を呼んで会計を済ますと、右手に新聞を持って店の外へ出た。

 連れ立って大通りを歩きながら、奈津子は京の顔を見、くすくすと笑う。

「京くん、ケチャップついてるよ」

「えっ、あっ!?」

 指摘され、京は思わず服の袖で口元を拭った。数秒後、カーキ色のパーカーにべっとりとついたケチャップの汚れを目にして、がっくりと肩を落とす。

「あっ、大丈夫だから……えっと、あとで洗ってあげるね」

「いやいやいや、いーよそんなの!」

「でも、染みになっちゃうよ? 兵梧と京くんがお話ししてる間に洗うから、大丈夫!」

 悪いから、と断る京に、オロオロした様子で答える奈津子。数日前に会った時より少しやつれたように見える彼女を見て、京は一瞬口ごもった。

「……あのさ」

「何……?」

 怪訝な顔で見上げる奈津子。

「奈津子ちゃんの方こそ、大丈夫かよ? その……もう落ち着いた?」

 今月、父親を亡くしたばかりなのに。とは、続けられなかった。

 育ての親とはいえ、唯一の家族だった義父を病気で亡くした際の彼女の悲しみようは凄まじく、葬儀を終えて数日が過ぎても泣き続け、しばらく食事もとれなかったという。ごく一部の親しい者以外とは会おうとしなかったため、京が彼女と顔を合わせるのは、実に半月ぶりだった。

「……うん、大丈夫。ごめんね!心配かけちゃったよね」

 少し無理をしたように笑い、奈津子は「覚悟はしてたから」と言葉を継いだ。

「それよりね、兵梧が言ってたよ。お仕事のメールが入ったの!」

「マジ!? 割のいいやつ??」

 感情を誤魔化すように話題を変えた奈津子に、京はパッと顔を輝かせて尋ねる。仕事、の単語に反応したのだ。

「んー……でもね、何だか、ちょっと変な依頼みたいなの」

「変な依頼……?」

 記憶をたどり、小首をかしげながら京を見返す奈津子。大きな瞳に不思議そうな色をたたえて、続けた。


「トラックの積荷を盗んでほしいって書いてあったよ。えっと、三番街だったかな?」

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