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生臭い短冊に、

作者: 重山ローマ

 

 理不尽を呪うことは多い。

 特に一番悩まされるのは、腹痛だろう。

 そうして、俺はまた信じもしない神様にむかって、何度も、何度も、願うのだ。


「俺、何か悪い事しましたかねえ……。昨日もその前も、ずっといい子してたと思うん……思いますけどねえ。あ、いや、すいません。昨日百円拾いました。こ、交番には今日届けようと思って――イギッ……いや、すいません! そんなつもり全くありませんでした! 今日いまから! お腹元気になったら行くから! た、たた助けてぇ……一生のお願いだからぁ……」


 絶望だった。

 おそらく二ヶ月に一度は起きる腹痛事件。

 好物が卵かけご飯である宗介そうすけは、実はかなりの頻度でその事件を起こしている。

 凝りもせずに、賞味期限を過ぎてしまった卵に手を伸ばす。

 そもそも考えて買い物をしない彼も彼なのだが、一人暮らしになってからというもの、毎日のように卵を買い、冷蔵庫に積み上げていく。

 一日五杯。

 それが彼の栄養源である。極めて健康的ではない。


「うー」


 こうして、トイレで頭を抱えているのは、言ってしまえば日常であるし、すっきりすれば元気になるのが、いつもの彼だった。

 その点で言えば彼でなくても、時間が経てばすっきりして、そして必死になって神様とやらに願っていた事も忘れていく。

 そういうものだった。


「つまりダ。その腹痛を治してあげれバ、君は私の言う事ヲ、なんでも聞いてくれるってことだよネェ」


「はい?」


 腹痛を治すと簡単に言う変な生物は、急に宗介の前に現れた。

 その狭い狭い個室の中で、堂々と座っていた。

 もちろん座る場所は、宗介の膝の上である――。



 1


「簡単にいうとだネ。察してほしいってことなのヨ」


「ああそうか、まず人の足に座ってないで立ち上がれよ! いまもがいてんだよ! お前が察せよ! いま頭抱えてただろ! てか、どうやって入ってきたんだよ!」


「オー。オー。やかましいゾ、ソースケ。間違えて痛覚全部取り除いてしまうところだったじゃナイカ」


「!?」


 試しに夢かどうか確かめるように頬をつねる。

 なるほど、痛くはないようだ。

 どうやら現実らしい。


「なぜか腹痛は治ったが、しかしお前はいったい何なんだ。そしていい加減に立てよ。尻が拭けんだろうが。自慢じゃないが、いい匂いがするんだよ。さっさと流したいんだ」


「さテ、ソースケの願いは叶えたゾ。次は私の願いをだナ」


 そう言って、ゆっくり振り返った。


「お前変な声してるなって思ったら鼻抑えてるんじゃねえか! くせーならさっさとでてけよ! くさくねーけど!」


「ふム。それもそうだナ」


 ゆっくりとその生物は立ち上がった。

 と、そこで、宗介は初めて、そいつの全貌を見ることとなった。


「……」


 変態だ――。


 宗介はそう思った。

 全身タイツに、顔もレスラーのようなマスクで覆ってしまっていて、形はまさに人間だが、なにかが違うように感じる。


「いや、さ……立ってくれたのはうれしいんだが、背を向けるとかそういう心遣いはないのか?」


「何を言っていル。不公平ではないカ」


 何がだよ、と口に出すのを堪え、取りあえず自分が目を瞑って事を済ませた宗介は、そして違和感に気付いた。


 慌ててもう一度自分の頬を思いっきり摘んだ。

 なるほど、痛くはないようだ。


「……」


「どうかしたか?」


「お前……まさか……」


「なんだ」

   

 宗介は、そうして改めて、その生物の顔を見た。

 その顔には表情というものが全く無いようだった。

 ピチピチのマスクは、顔の輪郭をはっきりと写しているが、しかしどうも違和感がある。

 簡単にいってしまえば、気持ちが悪い――宗介はまた改めて、敵意を持った目でその生物を睨みつけた。


 つまり宗介は確信したのだった。


「お前、いったい何なんだ……?」


 こいつは人間ではない――。

 得体の知れない何か妙な生物である。

 そして、その得体のしれない何かに、自分の痛覚を奪われたのだ。


「か、返してくれないか」


「それは出来ない」


「どうして」


「契約したではないか」


「いやいや、俺は了承した覚えがないんだが」


「いいのか」


「何が」


「このまま腹痛を失っていても」


「そもそもそれ以前に腹痛以外もなくなっている事に関してはどうなんだよ」


「……失敗したことは詫びよう」


「……」


 ずいぶん雑な謝罪だった。

 頭を下げる気はないらしい。


「それで、この件はトントンだな」


「謝ってすむことじゃねえだろ!」


「まあ、あれだよ、ソースケ。これは取引なんだよ。私は君の腹痛の苦しみを救った。そのお礼を君がしない限り、次の取引をする事は出来ないのだよ」


「……なんだよそれ」


 とりあえず、という様子で、宗介は立ち上がり、個室から外へ出る事にした。が――


「……おい」


「何だ」


「道を塞ぐな。外へ出れないじゃないか」


「なぜ外へ行く。私がいまから用を足すというのに、不公平ではないか」


「いったい何が不公平なんだよ!」


 そうして宗介は、その謎の生物の膝に座ることになった。


「これでナカーマ」


 宗介はゆっくりと耳を塞いだ。



 2


「私の名はベーダという」


「ずいぶん変わった名前だな」


「まず、ソースケに頼みたい事の話をしておきたい」


 宗介はベーダという謎生物に背を向けたまま、好きに話せ、と手を振った。


「簡単に言うとだね。実験生物モルモットが逃げたのだよ。いずれは自由にするつもりだったために、それほど大きな問題ではないのだが、私のポリシィに反するのだよ。アフタァケアっていうものを大事にしているのよね。私は」


「へー」


「その実験生物モルモットを探し出し、保護してほしいというのが、私のお願いだ」


「それを叶えれば、痛覚を返してくれるってことだな」


「いいだろう」


 宗介はわかったと簡単に返事をして、大きく息をついた。


「その様子では、痛覚がないくらい、実はたいした事も無いと思っているのかもしれないが――」


 宗介は実は言うと、逆に得をしたという風にすら考えていた。

 痛いことは嫌――普通の人間であれば皆同じである。

 怪我をしても痛くないし、腹痛もない。

 この依頼を失敗して、取引がうまくいかなかったとしても、別に構わないと考えていたのだ。


「君の体はいまも腹痛はあるのだよ。君がそれを分からないだけで。いつ君の腸が問題を起こすか、君にはもう分からないんだよ。つまり、君は町を歩いていると急にお尻の辺りが湿っているなんてことも起こりえるのだよ」


「……」


「聞いているかい? ソースケ」


「大っ問題じゃねえか!」


「だから、つまり、簡単に言うとだね」


 謎生物ベーダは改めて言った。

 何の感情も込められていない、無色の声色で


「変態になりたくないなら私の依頼を聞いた方が良いよ」


「うぐぐ」


 最悪な脅しだった。

 今町を歩いている彼には、あまりにも効果的すぎる脅しだった。


「分かったよ。その実験生物ってやつを助けたら、それでこの恐怖ともおさらばだ。そしてお前ともさよならできる。完璧だ」


「ふむ。期待しているぞソースケ」


 それは笑っているのだろうか。

 人間でいう頰のあたりがぽこっと膨らんだ。

 案外その気味が悪い顔もすぐ慣れた宗介は、ハッとなってお尻に手を当てる。


「心配なのか?」


「お前が変なこと言うから気になるんだよ!」


「ではこうしよう」


 ベーダはぬっと手を伸ばし、宗介のお尻に手を当てる。


「これでよし」


 そのまま数歩歩いて、しかし結局宗介は我慢できずに手を振り払った。


「なにをする。これなら濡れてもすぐにわかるではないか」


「意味不明な生き物にケツ撫でられながら街歩くなんてできるか! そもそも濡れた時点でアウトなんだが! その前に止めたいんだが!?」


「まかせなさい」


 先ほどより強く押されて、宗介はなら大丈夫かとまた数歩歩いた。


「待てソースケ」


「なんだよ」


 やっと納得して歩き出したのに、と宗介は振り返る。


じかのほうが効率がいいと思うのだ」


「一理あるな」


 宗介はベルトを少し緩めて、手がギリギリ入るように隙間を作った。


「いや待て! おかしいだろそれは! 意味不明な生物に直でケツ触られてたまるか! 一理ある。確かに一理あるがそれは受け入れられんぞ!」


「尻だけに。ガハハ」


「むかつくからガハハやめろ」


 結局ノーガードを選んだ宗介は、念のためベーダに後ろから監視してもらうことにした。



 3 


 ベーダという奇生物は、他の人間から見るとどうなのだろうか。

 宗介はあえて人の目のある場所にいってみることにした。

 家から自転車で数分。

 徒歩だからもう少しかかるが、ベーダと共に駅前商店街へ。

 ベーダを気にする人はいないようだった。

 一度はその格好に目が止まるようだが、商店街のキャラクターだとでも思っているのかどうかは知らないが、その一度だけしか見ないのである。

 幼い子供が駆け寄ってくるなんてことはなく、それならずいぶんな不人気ゆるキャラ――キモキャラだが――ベーダは黙ったままあたりを見渡している。


 いつもならメロディだけのJポップがティロティロと流れているが、今日はどうやら特別な音楽を流しているようである。

 やけに子供が多いのは、今日が七夕の日だからだろう。

 あちこちの店の前にある小さな笹には、ちらほら誰かの書いた短冊が揺れている。

 人の足に踏みつけられた残念な願い事も中にはあるようだが、それを気にする人はいない。


「これはなんだ?」


 人ではないその生物は、気になったようだが。


「短冊だ。それに願い事書いてかけとくと叶うって言われてるんだよ」


「そうなのか?」


「そんなわけないだろ。仮に叶うとしてだれが叶えてくれるんだよ」


 よくわからない文化というものは多いが、宗介はこの七夕について多くの疑問を抱えていた。

 もちろん水を差すことにならないようにだれにも言わないでいたのだが、このいろいろと曖昧な文化に違和感を覚えていたのだろう。


 織姫彦星、その話から短冊のお願い事につながりはない。


 文化とは結局曖昧なもので、たった一つのことが文化として成り立つこともあるのだが、この七夕は、いくつもの文化が混じったものだと宗介は理解していた。

 ただだれもそのことを疑問に思わないことが気持ち悪かっただけである。


 いつもの数倍はいる大勢の人の中に、見慣れた女性の姿があった。

 短冊を二つ握って、笹の前で足を止めている。

 その人が一つだけ短冊をかけて行ったのを見送って、俺は彼女のいた笹の前に向かった。


『        』


 何も書かれていない真っ白の短冊が、枝の一番低いところで風に揺れている。

 小さな電気屋の前だから、その風は人工的なものだ。

 展示の扇風機がくるくると、きっと子供がふざけてつけていったのだろう――短冊が扇風機に付けられている。

 ヒタヒタと紙の歪む音が足音の中に沈んでいった。


「私が叶えてもいいのか?」


 真っ白な短冊を覗き込んだベーダは、宗介の耳元で呟いた。

 その一言に、何の悪意もなかったはずである。

 ただそれは、ベーダが興味を示し呟いただけの言葉である。


 宗介は、彼のその言葉に恐怖を感じた。

 そんなはずはないと自分を言い聞かせるようにして振り返ると、そこにはもう、ベーダの姿はなかった。



 4 


 事件があった。それは偶然起きてしまったことであり、その事件に被害者はいても、本当の加害者はいないはずだ。

 ただ結果的に加害者として決められてしまった偶然の加害者がいただけである。


 道路の真ん中で猫が横たわっていた。

 それは血の出ていない猫だ。

 車に轢かれたということではなく、ただそこで昼寝をしているだけのようだった。

 センターラインの真上で堂々といるものだから、まあ大丈夫なのだろうと、心配する人もいないまま――ただカメラだけが睨みつけている。


「いつか轢かれるわ」


 と、歩道から見ていた少女が声を上げた。


「それはあいつの自業自得だ」


「でも、轢いてしまった人はきっと落ち込むわ」


 どこかで配っていたのだろうハート型の風船を持った子供が、母親の手を握って横切っていく。


「それを見た俺たちも落ち込むだろうな」


「ええ。そうね」


 笑い声が聞こえたと思うと、車と車の間を石ころが転がっていく。

 学生服の少年たちが、猫を動かそうとしているようだった。

 少女は一瞬彼らの方に目を向けたが、諦めたようにまた猫を見つめた。

 いつかを待っているのだろうか。


 何を思ったのか、少女は新品のヒールを脱ぎ捨て、カバンをすぐそばの少年に押し付けた。


「待て待て。何しようとしてる」


 頭をコツンと叩いて、少年は少女の肩を掴んだ。


「いつか轢かれるわ」


 少年はその言葉が、猫のことではないということに気がついた。

 全くありえない話ではないのだ。

 人間生きていれば、いつか轢かれるのかもしれない。


「あいつの可能性とお前の可能性は違うだろ」


「一緒よ。あの子は轢かれないかもしれない。私も轢かれないかもしれない」


「あのなあ……」


 少年は仕方ないといった様子で、押し付けられていたカバンを押し付け返した。

 不満げに少年を見上げる少女を横目に、彼は車の流れを睨む。


「俺は轢かれない」


 手前側の車の途切れを見て道路に侵入した。

 歩道のどこかからブーイングが聞こえる。

 心配そうに声をあげる大人の声も、そこにはあった。


「あ――」


 猫を抱えた少年は、向かってくるトラックに気がついた。

 遠目で彼の姿は確認していたようで、センターラインから距離を開けて走っている。

 カチッと何かが弾ける音がした。

 風を切るように飛んだ破片が、トラックの窓にヒビを作る。

 突然のことにハンドルを切ったトラックは、少年たちがいた歩道とは反対の歩道に突っ込んでいく。

 横転する車体から、雪崩のようにこぼれ出した土山が、道路を埋め尽くしていく。

 間髪入れずに飛び込んでいく反対車線の軽自動車は、トラックの車体とぶつかって歩道に流れていった。

 そこには大勢のギャラリーが並んでいたが、もうすでに誰もいなかった。

 一瞬のことでも、彼らは避難できたのである。

 たった一人を除いて。


 ハート型の風船を持ち、歩道に植え付けられた木から飛び降りた少女は、風船を握ったまま車道へ振り返った。


 その場にいた全員が言った。

 だれも悪くはない、と。


 ごうごうと音を立てる扉の前で、ただ泣き続ける女性を少年は抱いていた。

 3人だった家族が2人になり、そしていま彼の胸元で泣いている女性は1人になった。

 弁当箱にちんまりと入ったおにぎりを頬張り、少年は女性のそばを離れないでいる。

 数十分の間、だれも一言も話さないままその時がやってきた。


 燃え尽きた箱の中には、何も残されていなかった。



 5


 いなくなったベーダを探して、宗介は商店街を歩いていた。

 駅まで歩き、引き返そうとしたところで、駅前のベンチに座っている異物を発見する。

 それは足を組み、腕を組み、何か考え事をしているようだった。

 ぷくぷくと頰が膨らむのは一体どういう表情なのかはわからないが、宗介は乱れた息を整えてからその場所に向かった。


「急に離れるなよ。監視忘れたのか」


「申し訳ない。チラリと実験生物モルモットの姿が見えた気がしたのだ」


「見た目は?」


「見ればわかるだろう」


 宗介が詳しく言えと言っても、ベーダがそれ以上詳しく言うことはなかった。

 見ればわかるとはいっても、そもそもその生物が何なのかもわかっていないのだから想像がつかない。

 ベーダに似ているというのならそれはすごくわかりやすいのだが。


「ソースケ。もし何でも叶うのなら何を書く?」


 握ったままの真っ白な短冊を指差して、ベーダは言った。


「だから、誰も叶えてくれる奴はいないって」


「いるとも。そうだろうソースケ」


 何かの気配を感じて、宗介は振り返った。

 もし叶うなら――宗介はそんなことを考えたことがある。

 死んだ人間の代わりにはなれない。

 ただ、あの時、あの場所で――。


「痛みだけでも変わってやりたかった――」


 コンクリの塀と軽自動車に挟まれた彼女の代わりに、手を握った時にはもう遅かったのだとしても。


 その体は異物で出来ていた。


 曲がった足が数本、腕がひとつ、頭はない。

 ほぼ球体の肉の塊は、駅前のロータリーの中心で体をうねらせていた。


「ァ――」


 体重に耐えきれず折れた足からは、赤黒い体液が溢れ出している。腕は何かを求めて蠢いているが、目のないその異物には、何をすることもできないだろう。


「ああ、いた! いたぞソースケ! 実験生物モルモットだ! 私たちの希望だ!」


 宗介は体を固まらせたまま、動けないでいた。

 だれもその異物に反応しない。

 くるくると回るタクシーは、人を乗せまた旅立っていく。


「ソースケ。願いが叶うなら足も手も、いらないだろう? 今日はわざわざ声をかけなくてもいい。ササにあれだけの欲望がある。今日こそ完成するのだよソースケ!」


「お前は――」


「あとは頭ともう一つ腕があればいい。それで完成だ。蘇る」


 やっていいこととやってはいけないことの判断は、もうできるはずだった。


「なあベーダ」


 声をあげて喜ぶベーダに、宗介は言った。


「人間は死んだら生き返らないんだよ」


「見なさいソースケ。体はもうすぐ出来上がる。感覚を得ることでまた近づいたのだから、もうあと少しなのだよ」


「できるのは肉塊だ」


「恩返しをしなければ――」


「人間じゃない!」


「ではどうしてソースケは箱の中身を持ち出したのですか」


 体が治れば、体が揃えば、生き返ると思ったのだ。


「俺ならいつかできるかもしれないだろ! お前たちにはできなくても! 俺には、できるかもしれないじゃないか! 死体を盗んだのは俺だけじゃない! あいつの母親だって一緒にやったんだ! 俺ならできるって言ったら、あの人は手伝ってくれた! 間違いなんかじゃない!」


「可能性の話をしているのであれば、もう一つの例を挙げるべきです。できないかもしれない、という可能性を無視してはいませんか」


 ベーダはそっと立ち上がる。


「叶うかもしれないと、皆が思っているでしょう。でも絶対に叶うと思う人間はいない。叶わないだろうという考えがありながら、かもしれないと短冊に託すのです。まあ何を言っても、私とあなたは同類だ。これからあの女性は買い物を終えてあなたの家に向かうのでしょう。ソースケはそこで待ち受けて、彼の方に似ている表情を奪うつもりなのでしょうね。協力しますよ。よく似ていますから、少しばかり大人びてはしまいますが」


 宗介は膝を落として頭を抱えた。

 真っ白な短冊が、涙に濡れていく。

 なぜ彼女は短冊に何も書かなかったのだろうか。

 もう一枚をどこに持っていくつもりなのだろうか。

 真っ白な短冊は、書いても何も叶わないことをわかっているから、彼女が大人だからそうしただけなのだろうか。


「宗介くん?」


 ビニール袋を手に提げた女性が、すぐそばに立っていた。

 彼女は彼の姿の異変を察し、商店街に戻っていく。

 すぐに戻ってきた女性は、彼を引き摺るように木陰に連れて行き、せっかく買ってきた食料品を、ビニール袋を逆さにして放り出して彼の服を片付ける。

 タグのついたままのズボンを履かせて抱きついた女性は、何度も彼に謝った。

 黄色に染まる卵パックの下で、何も書かれていない短冊が同じように黄色く染まっていく。 


「代わりになれなくて、ごめんね」


 そしてまた、彼女は彼女の大人の笑顔でそう言ったのだ。


 

 終

 







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