小説を書こう
何故、小説を書こうと思ったのか。いまはもう思い出せない。
小説を書いてみれば? と言われたことが何度となくあった。ただ単に、ぼくが小説を読んでいる、という理由だけでそんな大それた提案をする人もいるのだ。彼らからしてみれば、ぼくに対して勿体ないと思うところがあったのだろう。その日暮らしのフーテンのような男に、きみは何者にもならずに人生を終えたいのかい? そう言っているようにぼくには聞こえた。
大きなお世話だと思った。いまでもそう思う。
小説をなめるなよ、という気持ちもあった。ぼくのようなやつがおいそれと手を出していい領域じゃないんだ、そんな風に思っていた。ぼくは自分の好きな作家たちを、別の種類の生き物だと思っていた。あんな連中が書くようなものを書けだと? 冗談じゃない!
ずっとそう思っていた。だがそれは、小説を書く、ということをずっと意識していた証明でもあった。ぼくは素直ではなかった。
小説を書きたい、ただそれだけのことを認めるのに恐ろしいほどの遠回りをした。
とうとうぼくは根負けしたのだ。どこからか湧いてくるたびに乱暴に潰していた、小説を書きたい、という気持ちを追いかけ回す気力がなくなったのだ。
きっかけはなんだったのか覚えていない。ぼくは一年くらい前に、実にあっさりと小説を書こうと思ったのだ。それまでのぼくは何だったのだと、自分でも拍子抜けするほどごく自然に、ぼくは小説を書こうと思ったのだ。