用語解説23.宗教 ラキュス地方信仰分布☆
チヌカルクル・ノチウ大陸西部 ラキュス湖地方で信仰される宗教の分布図。
アルトン・ガザ大陸からキルクルス教が伝来した以降の時代。
※ 地図は印歴2191年頃。
土着信仰の信者の割合が高い。
中でも、ラキュス湖周辺地域のフラクシヌス教は最大勢力。
ラキュス湖周辺地域では、インターネットの普及以降、急速にキルクルス教化が進行中。キルクルス教化が進んだ地域は、元々力なき民が多かった。
ラクリマリス政府とフラクシヌス教団は、キルクルス教徒による神殿の破壊によって、ラキュス湖の水位低下が進む現状を憂慮する。
【図1】ラキュス地方及び周辺地域 キルクルス教伝来以降
湖東地方では多数のキルクルス教国家が、この半世紀余りの間に独立した。
キルクルス教徒の独立を支援したのは、国連とキルクルス教国を中心に構成された国連軍による武力介入。
元々はフラクシヌス教国家の一部だったが、旧ラキュス・ラクリマリス共和国で勃発した半世紀の内乱の影響で、独立の機運が高まった。
ラキュス・ラクリマリス共和国の内乱終結後、和平が成立した国や地域が幾つかあるが、未だに紛争が続くところも多い。
一応の決着を見た国も、まだ各地に武装勢力が潜伏し、政情不安で治安がよくない。
◆ラキュス湖北地方の国々
原則的に鎖国政策を採る為、ラキュス・ラクリマリス共和国で勃発した半世紀の内乱にも干渉しなかった。
ムルティフローラ王国のみ「その他の信仰」が多数派を占める。
国民の大多数は、封印のシステムに組込まれた導師たちを神聖視する。少数のフラクシヌス教徒は湖の民。
【図2】ラキュス地方拡大 キルクルス教伝来以降
※ 赤領域が少ない国も、少数のキルクルス教徒の経済力と政治的発言力が強く、国を実質的に支配する。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国が半世紀の内乱で荒れた頃、湖東地方の複数の国家が国内政治……特に経済政策の失敗で内戦状態に突入した。
半世紀の内乱中、湖上も戦場になった。
魔道機船の軍艦同士だけでなく、漁船や湖水を足場にした魔装兵や民間の魔法戦士、戦闘機や爆撃機、王家の使い魔などが入り乱れて戦い、戦闘とは無関係の漁船や客船、商船などが多数、巻き込まれた。
フラクシヌス教の聖地への巡礼者が激減し、ラキュス湖南、湖東地方全体の経済が失速。魔術偏重政策を採る両輪の国々では、力なき民の失業率が、元々力ある民より高かったが、半世紀の内乱による不況で更に悪化した。
力ある民は自分たちが助かる為、力なき民を解雇して人件費削減を図った。これがきっかけで、信仰を問わず、力なき民の中で長年燻り続けた不満が爆発した。
湖東地方の幾つかの国では、国内政治の失策で力なき民による暴動が頻発。それらの政府は、力なき民の経済的な不満を解消する為、場当たり処理で大型の規制緩和を連発し、力なき民の雇用ノウハウを持つ外国企業を誘致した。
応じたのは自国より安い労働力を求める多国籍企業が多かった。
それらの企業は現地法人を設立。地元民を本国よりも劣悪な条件で雇用した。
当時はインターネットが一般的と言える程には普及しておらず、貧しい世帯ならば尚更、手が届くところにない。物価に対する本国との賃金格差など、待遇の差が知られることはなかった。
本国から来た社員の為、現地法人の敷地内には礼拝堂が作られ、大聖堂や本国の教会から司祭が呼び寄せられた。
社宅だけでなく、福利厚生の一環として、私立学校や科学の医療者のみを雇う病院も作られた。湖東地方に多数の企業城下町が形成され、従業員や周辺住民のキルクルス教化が加速した。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国の内戦により、ラキュス湖上から安全な航路が減った。湖東地方の国々では自然、企業城下町を結ぶ陸路が形成され、独自の販売ルートが構築された。
内需の拡大で国庫が潤い、この政策は短期的には成功を収めたかに見える。
一国の経済が上向くと、力ある民も歓迎し、周辺諸国も追随に動いた。
企業城下町が形成され、力なき民のキルクルス教化が進んでも、「所詮、力なき民の祈りは女神の涙に力を与えないから」と魔力の有無に関係なく、フラクシヌス教徒は成行きに任せた。
中には「却って住み分けが進んで助かる」などと歓迎する者さえあったと言う。
成行きに任せ、放置した果てに、更なるキルクルス教化を進めた企業城下町は、経済力に比例して政治的発言力もつけ、相互支援を密に行うようになった。
協力の範囲は当初、技術支援や販路の拡大、文化や教育、信仰など平和交流だった為、フラクシヌス教徒はキルクルス教に改宗した人々のしたいようにさせた。
誘致企業に雇用された力なき民は、飛躍的に経済力が増し、政治団体を結成する者が現れた。年を追う毎に議席を増やし、議会での発言力をつけた彼らは、地方に空港を作らせた。
空路の開拓によって、企業城下町間の連携は一国内に留まらず、国境を越えて密になった。
湖東地方の複数の国や地域で、信仰による社会の分断が進み、経済的な立場が逆転した力ある民のフラクシヌス教徒を中心に、新たな不満が社会に渦巻いた。
世間の空気にきな臭さが増すにつれ、企業城下町は姉妹都市提携を相互防衛協定に発展させ、共同で武器などの輸入や製造も手掛けるようになった。
◆ディケア共和国
約百年前に分裂し、力ある民は大半が南西の新しい国に移住した。
その後、再び内戦が勃発。
周辺国も、国内では少数派のキルクルス教徒が、他地域の同胞と連携して起ち上がり、同時に内戦が勃発。フラクシヌス教徒はディケアの同胞を助けられなかった。印歴2191年現在も内戦が続く国が多い。
ディケア共和国は、大聖堂やバルバツム連邦軍を主体とする国連軍の軍事介入により、キルクルス教徒側がフラクシヌス教徒の自治区を作り、内戦を終わらせた。
印歴2189年の和平成立後、キルクルス教団本部や世界銀行、バルバツム連邦が、寄付や無利子貸与など特別融資で復興を提供し、力なき民を基準とする社会基盤の構築を手助けする。
正式な国交樹立前に、ネモラリス共和国など周辺国の一部民間業者が商売を始めた。
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