その7
入江の長々とした話を聞きながら歩いてるうちに、街の奥の方まで来てしまった。
かなり饒舌な入江は、ためになるかも分からない話を延々としてくれた。正直、輝之はそろそろ疲れていた。
「それでね…、ん?」
楽しそうに漫談を続けていた入江が急に足を止め、薄暗くて細い路地の方を振り返った。輝之は何が入江を引き止めたのか分からず、頭に疑問符を浮かべながら彼女の肩をたたいた。
「どうしたんです?」
「いや、今、こっから声が聞こえた様な」
「…そうですか」
そりゃ人くらいいるだろうし、この路地の奥から声が聞こえてきてもおかしくはない。よくよく考えればたわいない事なのに、入江には気になるらしい。
「ちょっと行ってみようか」
「え?いやいや、どうせ何も…あっ」
これ以上道草を食うのはごめんなので何とか入江を引き止めようとしたが、入江は制止も空しく路地を進んでいく。
どうやら彼女は恐れの二文字を知らないらしい。
置いて帰るという手もあったが、何かあってからでは遅いので着いていく事にした。
路地の奥へと進んだところで待っていたのは、なかなか見るに耐えない光景だった。
行き止まりに寄りかかり、怯えた目をして身体を震わせる少女。それを取り囲むのは輝之と同い年くらいの男たちだった。彼らの中にはナイフなどの凶器を持った者もいる。
これはつまり複数人の男による暴行がいたいけな少女に行われようとしていて、そして輝之と入江はそこに鉢合わせた。これらの出来事を足し、イコールで繋ぐその先には『厄介事』が待ち受けている。
「何やってんの?」
まずその状況に水をさしたのは入江である。
やはり怖いもの知らずの彼女は、男たちに対し侮蔑の眼差しを送っていた。一方、後ろで頭を抱えるだけの輝之だが、それを情けないとは思わないでもらいたい。輝之の反応は全くもって正しい物で、正義感だけで体格差のある相手に喧嘩を売る行為こそが間違っているのだ。
「あん?んだよテメー」
「見てわかんねぇ?お仕置きだよ。オ・シ・オ・キ」
万人の気に障る様な話し方をする男に、入江の機嫌はますます悪くなる。ただのイマドキのおちゃらけた大学生かと思いきや、こういうところで変な行動力を発揮する。その点については褒めるに値するだろう。
「この子がさぁ、俺らにぶつかったワケよ。んで、謝りもしないからさ、俺らが先輩としてさ、ちょいと社会の常識教えてやろうかと思ってさ?」
「あ、謝りましたよぅ!」
少女は入江たちが登場した事により、すこし状況に希望を見いだしたのか、はたまた元より自己主張が出来る子なのか、脅されてもなお自分は正しい事をしたと声を張って告げる。
「だってよ?どうなのさ」
そんな健気な少女の方に、どうやら入江は味方するらしい。この状況で男たち側に味方する人間はまずいないだろうが。
男たちの中の一人のニット帽を被った男が、舌打ちをしてから入江の前へ出た。
「うるせぇんだよ、クソアマ。失せ――うごっ!!」
台詞が終わる前に、男の股間を的確に狙った蹴りが放たれる。
男は痛みのあまり地面に崩れ落ち、それに連動してトレードマークのニット帽もずり落ちる。女である入江には分からないだろうが、これは可哀想と言う他あるまい。輝之は心の中でKOされた男に手を合わせ、同時に自分の出る幕がなさそうな事にホッとした。なんとか入江だけで対処できそうだ。
だが、そう思うようにも事は進まなかった。
「てめっ、なにしやがる!」
仲間の一人がやられた事で、逆上した長髪の男がナイフを取り出し、そして慣れない手つきで入江を斬り付けた。
入江も勇敢とはいえ武術を習っていたり武器を所持している訳ではない。ナイフの刃は下から上へと入江の脇を切り裂き、そこから血が静かに流れ出した。
「え、嘘っ…」
「入江さん!」
バランスを崩して倒れそうになる入江を支え、輝之は様子をうかがう。
どうやら、気絶しているだけのようだ。血は出ているが傷は浅い。死に至ったり後遺症が遺ったりすることは無いだろうが、一応は手当をした方が良さそうだ。
しかし、その前に輝之にはやるべき事があった。
「――おい」
入江を地面に寝かせ、ゆっくりと立ち上がる輝之。
その声には、普段家族や友人に見せる温厚さなど全く感じられなかった。怒りに満ちた、平坦な声。輝之の全身からは般若にも迫る闘志がにじみ出ていた。
それを目にした男たちは、只ならぬ気配に寒気を感じていた。
輝之はまず入江を斬り付けた男に近づき、恐れる事無くその手首をギュッと握った。
「簡単に女の人の肌に傷つけちゃいけないって、習わなかったか?」
桜子によって紳士としての教えを何度も説かれた輝之には、女性に対し簡単に暴力を振るうという行為が許せなかった。もちろん今回の場合は入江にも多少の非があるが、彼女は褒められるべき事をしたまでだ。
輝之は男が気がつく間も与えず、自然な動作でナイフを取り上げ、地面に落とし、間髪入れず踏みつぶした。
「な?」
ギロリと輝之が男をにらんだ瞬間、その男はビクンと一瞬だけ震え、白目を剥いて倒れてしまった。彼の腕に掘られたハートのタトゥーが露見していて、いい感じに味を出している。
他の男たちは、次は我が身だと恐れ戦き、必死の形相で逃げ出した。絡まれても暴力沙汰は起こすな、と妹に注意しておいて自ら起こしてしまった事に対し、輝之は情けなく感じていた。
「…まったく」
その背中を見送り、輝之は少女に近づいた。少女は腰が抜けてその場にへたり込んでいて、片方の目からは涙があふれている。先ほどまでは強気だったのに、まるでこの世の終わりかの様な表情だ。
「大丈夫?」
「ひっ…」
優しい口調で手を差し伸べる輝之。しかし、少女はその手に対して悲鳴を上げ、いっそう縮こまるだけであった。恩人に対しその態度は、許される物ではないが、しかし今の一連の流れを見ていれば無理も無い。
輝之が何者か知らない人物からすれば、人を一瞬で気絶させてしまう怪物に見えただろう。
岩の様な皮膚を持ち、全身から緑の体液を垂れ流している地球外生命体が自分の前に現れた時、それとお近づきの印に握手をしろと言われても大抵の人間はたじろぐ。
大げさに例えるならば、そういう話だ。
「だっ、大丈夫です。たたた立てます!ありがとうございました!」
自分の力で何とか立ち上がり、早急にお礼を済ませその場から立ち去る少女。まだお礼が言えるだけ、しっかりとした常識は持ち合わせている。
残された輝之は行き場を無くした自分の掌を見つめて、その手で顔を覆った。
「あーあ…」
十年間あまり自分の『異能』と向き合ってきた彼だが、未だに慣れずにいるのも事実だった。
輝之がエクセリキシィを投与され身につけた能力は、体内で電気を生み出し、それを自由に操る事が出来るという能力だ。
シンプルなうえ使い勝手も良さそうだが、しかし使うと体力を消費するので滅多な事が無いと使わない。普通の人間の感覚からしたらそんな能力が備わってるなんてラッキーと思うだろうが、輝之たち四兄弟にとっては忘れたい悪夢の副産物だ。
体力面や周囲の目などの問題を無視しても、この能力は出来れば使いたくない能力なのである。
もちろんだが、能力の制限は出来ている。いくらなんでも常日頃から体内で電気を生み出してる訳じゃないし、無意識のうちに電気が外部へ漏れだす事は無い。
それもこれも、今まで付き合ってくれた彩や育ての親である桜子のおかげといえるが、やっぱり妹や弟の存在が一番大きい。
彼女らのために自分がしっかりしなくてはという責任感が、今の輝之の強さの基となっている。
「…ん」
気絶していた入江が目覚めたのは、ちょうど近くの薬局で買って来た包帯を巻こうとした時だった。
「あ、おはようございます。先輩」
「テル君…。なんか、お腹が…。ひゃあっ!?」
入江はあまり彼女の口からは聞く事の無い悲鳴を上げた。後輩が自分の服を捲り上げ、何かしようとしているのを目にしてしまったなら、そんな悲鳴を上げるのも無理は無い。
「ちょっ、なんで?い、いやっ、えっと!嫌じゃないんだけども!」
「落ち着いてください先輩」
これほどまでに顔を赤らめて慌てる入江を見る事は今後は無いだろうから、もう少し見ていたい気もしたが、暴れられては包帯を巻けないので、なんとか事情を説明し、入江を落ち着かせた。
「そ、そっか…。手当を、ね」
「じゃ、少し身体に触れますけど、不快に思わないでくださいね」
「だ、だいじょーぶだって!むしろ大いに触って結構だよ!」
通常時のテンションに戻った入江はつい調子に乗った発言をしてしまったが、輝之はこれを面白いほどにスルー。しおらしさを失った入江には、あまり興味がわかないようだ。
慣れた様な手つきでそっと包帯を巻いていく輝之。入江はちょっとくすぐったそうにしながらも、自分のためにこうも優しくしてくれる後輩を、少しばかり愛らしく思った。だが一方で、かっこ悪いところを見られて恥ずかしいという気持ちが、自然に彼女の頬を赤く染めていた。
「…よしっ」
包帯を巻き終え、満足そうに微笑みかける輝之。
「終わりました」
「ありがと!なんか、テル君に包帯を巻かれて、痛みもだんだん治まってきたよ!!」
本当はまだ少し痛みを感じていたが、輝之を顔を立たせるために敢えて大げさな事を言う。そんな入江を見て、輝之も自分の行動を誇りに思っていたが、その裏で早く妹達の元へ帰りたいという、身勝手な願いがちらついていた。
認めたくはないが、かなり自分は弟妹依存症になっているのだと、最近になって輝之自身にも分かってきた。
だが、どうにかして治そうという気は毛頭ない。常識から逸れた異常な弟妹へのコンプレックスは、もはや永遠に抑えが利かない、一種の性質の様な物だ。人はしたくなくてもあくびをするし、見せたくなくても涙を見せる。彼にとってはそれと同じくらい、どうにもならない事だった。