その6
「では、俺たちはこれで」
無事検査も終わったし御暇しようとしたところで、彩が輝之を呼び止めた。
「ちょっといいかしら?話があるの」
輝之にだけ聞こえるように小声で伝える彩。輝之は短く頷くと、振り返って玲奈を呼ぶ。
「玲奈。俺、ちょっと剣崎さんと話してくから、先帰っててくれ」
「わかった」
「ちゃんと真っすぐ帰れよー。あと、絡まれても暴力は振るっちゃ駄目だぞ」
輝之の諸注意に返事もせず、玲奈はさっさと誠たちを連れて帰っていった。相変わらずのつれない態度に、彼に似つかわしくないため息が漏れ出る。
玲奈たちを見送った後、輝之は用意されていた椅子にすっと腰掛ける。
再び彩と向かい合う事になったが、今度の輝之の顔つきはいかにも神妙なものだった。
対する彩は冷静な表情だ。変わらないように見えるが、こちらも先ほどとは違う真剣さが感じられる。
「で、今回の『仕事』はどんなものなんですか?」
輝之が彩に尋ねる。
実は輝之は、数ヶ月前から彩からバイトとしてある仕事を請け負っている。
それが『掃除人』の仕事だ。
裏社会にはびこる犯罪組織に対し、暴力によって制裁を加える、とても人様には言えない仕事だ。
依頼主は彩が所属するある組織。詳細は知らないが、どうも政府と繋がりのある組織らしい。うさん臭い事この上ないが、しかし超能力者である自分も同様にうさん臭い存在であると輝之は思っているので、その存在に疑問を持ったりはしなかった。
「これよ」
彩は机に会った資料を渡す。輝之はそれを慎重に受け取り、ざっと目を通した。薄い紙一枚の資料ではあるが、いくつもの情報が簡潔に書かれている。輝之がバイトとして行う仕事には欠かせない資料だ。
「実は最近、『ヒナゲシ』っていう組織が違法な薬品を製造して、それを各所に売りつけているらしいのよ」
「ヒナゲシ…」
初めて聞く名だった。
一体どういう組織なのかは分からないが、しかし危ない集団なのは間違いないだろう。
それこそ、輝之たちを誘拐した連中と同じくらいに。
「それで、深夜0時にその薬品の売買が行われるから、それの妨害、およびその薬品の回収をしてほしいの」
「報酬は?」
「15万ね」
端から見ればオーバーな金額ともとれるが、暴力団同士の密会の場にお邪魔して、さらには彼らをこらしめるのだ。もっと額を弾んでもおかしくはない。
けれど輝之は不満を漏らさない。
その金の主たる使い道は、妹達のためだ。といっても、別に生活費は桜子からの仕送りで事足りているので、彼女達の趣味のために使うのだ。
誠や青葉はもちろんバイトが出来ないし、玲奈も校則で禁止されている。だからこうやって彩の元で手伝いをし、金を稼ぎ、弟妹に小遣いとして半分を渡している。残りの半分は将来に備えて貯めておく。
弟妹のために危ない仕事に手を出すほど、彼のシスコン・ブラコンは病的なものとなっていた。
彩は、自分で稼いだ金なのだし自分で使え、と毎度勧めているのだが、輝之はそれをしない。
では、自分の趣味に使う金はどこから稼いでるのかというと、週に三日居酒屋でバイトを入れているので、そのバイト代で補う。それでも毎月玲奈たちに与えている額よりは少ない。
「深夜0時スタートって、あんまり時間ないですね」
つまり今から十時間後に仕事開始というわけだ。これは帰ってから仮眠をとらないと失敗しそうだ。
「えぇ。場所は伊神港の第三埠頭よ」
「伊神港って、あの伊神港?」
「えぇ。あの港を所掌してる港湾局の監理企業はヒナゲシの傘下なのよね」
輝之は頭の中で周辺地域の地図を広げる。
確か、輝之の家からは30分あれば着く程の距離にある、中規模の港だった気がする。実際に行った事はないのでよくわからない。
「そう。バイヤーはどっかの暴力団組織ね。そっちの方にも手を出してくれてかまわないわよ」
簡単に言ってくれるが、何人待ち受けているかも分からない場所に送り込むのだから、もう少し易しくしてほしい。
資料を鞄の中に仕舞って、輝之は椅子から立ち上がり大きく伸びをした。
「それじゃ、帰ります」
「気をつけてね。それから、くれぐれも桜子先輩にはバイトの事がバレないように」
「心配はないかとは思いますが…」
「どうかしら。どこからか情報が漏れてあなたが私たちに協力しているのが先輩に伝わっちゃうこともあるわ。もしそうなったら、まず私の命が無いのよね…」
彩の口から青息吐息が吐き出される。
もし彩が心配するような事態になった場合、輝之の命も危ないのは言うまでもない。
・・・
輝之が駅へ向かう途中、玲奈から無事に帰宅したとのメールが来た。大げさかもしれないが、輝之はほっと息をつく。
帰りがけに本屋に寄ろうとしていた事を思い出し、その旨を玲奈にメールで伝え、駅近くの大型書店へ入った。
どうやら最近オープンした、この地域でも最大規模の本屋らしく、文庫本や参考書、漫画や雑誌まで幅広い種類の本がずらりと並べられている。品揃えがいい事で噂のこの書店には、夕方のバーゲンセールを彷彿させる混みようだった。特に漫画のコーナーなんかは若者がずらりと並んでいて、漫画本を収めた棚の前で品定めするようにじっと見つめている。あの中に入って数多くの漫画の中から一巻だけ選んで、というのは少し気が引ける。
結局、いつもの通り文庫本だけ買うことにした。
買ったのは桑原 悠之介の『シベリアの果てで』という本。
作者が数年に渡って送っていた放浪生活を元に書き上げたこの本は、さまざまな評論家から今年最大の傑作だと太鼓判を押されている作品である。
作者の桑原 悠之介は現在34歳で、その昔21歳という若さにして、芥川賞を受賞し、将来有望な作家として一躍有名となった。すごいのは、十数年経った今でも、当時と変わらぬスタイルを貫き続け、かつ面白さを保っている事だ。流行の変動が激しいこのご時世において、桑原のような作家は珍しい。
そんな世間から愛されてやまない――また輝之自身も愛してやまない――桑原作品の入った袋を嬉々とした表情で抱えながら、輝之は本屋を後にする。
弟妹関連以外で輝之の表情の変化が見れる、貴重な瞬間である。
「いよーっす!テル君!!」
「おわっ!」
突如として後方から襲いかかった衝撃に情けない叫びを漏らし、輝之は足を止めた。
「こんな日曜の昼間っから何してんの?」
「入江さん…。挨拶ならもっと優しくしてください」
相手が年上であるから敬語を使っているものの、輝之は子供を窘めるような口調で不満を零す。
振り返ると、黄色のタンクトップにジーパンと気を使う様子も無い格好をした如月 入江が立っていた。彼女は輝之の大学の先輩で、生物学科で学んでいる。彼女はとにかくフランクで、悪く言えば馴れ馴れしい。普段から玲奈にセクハラまがいの絡みをしている輝之が非難できた事ではないが、そのファンキーな振る舞いは真似できない。
心の壁というものが無いのか、自分の事も恥ずかし気も無く晒すし、飲み会では酔うと脱ぐ(らしい)。
そんな彼女と遭遇するという事は、帰りが少し遅れるという事を意味していた。
現に、入江は早速輝之の肩に手を回し、面白いおもちゃを手に入れた子供のよう無邪気な笑みを浮かべていた。このノリだけは、何度やられても馴染めない。
「いやぁ偶然だねぇ、こんな所で会うなんて。後輩の日常の顔が見れて私はうれしいよテル君!そうだ、お姉さんこれからヒマなんだ。どっか遊びにいかない?」
もはやここまでくると逆セクハラと言っても過言じゃない。
無意味にあがる入江のテンションに付いていけず、輝之は「はぁ…」とか「いえ…」とか相づちを打つ事しかできなかった。
「あれ?ていうかそれ、何買ったの?」
入江は輝之が手にしている袋を見て、そちらに興味を向けた。
「あー、えっと。本です。好きな作家の新刊で…」
「…桑原 悠之介?」
意外な事に、入江の口から桑原の名が出た。輝之は驚くと同時に、入江が桑原を知っていた事に感心した。
「知ってるよー。そりゃ、人気作家じゃん。実を言うと、私もファンなのよ!なんというか、心理描写を様々な表現で色鮮やかに表すあの詩的な文、広大なストーリー展開、魅力たっぷりだよね!」
両手を合わせてはしゃぐ入江。彼女に対して文系のイメージは無かったが、案外わかりあえるかもしれないと輝之は感じた。
だが、今は一秒でも早く妹たちに会いたい輝之だ。
「じゃ、この辺で」と場を離れようとしたが、すぐさまその腕を入江が掴んだ。
「んもう、つれないなぁ!ちょっとくらい付き合ってよ~」
「えっ、ちょっ…」
「駄弁りましょーよ」
「あの…」
抵抗する隙も与えられず、輝之は入江に引きずられるように駅からどんどん離れていった。
「いやぁ、さっきまで妹と遊んでたんだけど、なぁんか彼氏と約束があるみたいでさぁ」
輝之の腕を引っ張りながら、入江は自分の身の上話を始めた。こういう時は聞いているフリをして適当に相づちを打つのが定番だが、輝之はあまりそういう適当な事をするのが好きではない。なので、何とか会話が広がるように返す。
「そうですか…。最近の高校生は進んでますね」
そう言いつつ、輝之は自分の妹の事を思い出す。彩からは「ちょっと離れたところで見守る」というアドバイスを頂いたが、そうすると自分の知らぬところで玲奈がどこの馬の骨とも知れない男と交際を始めるのではないか。
玲奈は現在十七歳。
それこそ、青春を謳歌したくてたまらない歳だ。背の高い先輩とかイケメンの同級生とかに恋心を抱いていたとしても不思議じゃない。それに玲奈は、シスコンフィルターがかかっている事を差し引いても美人に分類される。引く手数多なのは火を見るよりも明らかだ。
(まさか、もう彼氏が…!?)
自分が高校生の時は恋人などいなかった(作る気もなかった)ので、イマドキのアベックがどんな事をしているのかは知らないが、もしかするとABCでいうCまで進んでいるかもしれない。
「そんなのお兄ちゃんはゆるさんぞ…」
「どしたのテル君?怖い顔になってるよ?」
ぶつぶつと呪いの言葉のように呟く輝之の顔を横から覗きながら、入江はたまに出る変な輝之を堪能していた。