その4
朝食を食べ終えた四人は出かける時間まで各々準備をしていた。
彼らは寝室は一つにまとめているが、部屋は二つずつに分けていて、輝之と誠の部屋、そして玲奈と青葉の部屋がある。
どちらもそれぞれの勉強机と本棚、それと少しの小物くらいしか置いていないシンプルな部屋だが、四人ともそれぞれ気に入っているようで、青葉なんかは一生ここで暮らすと宣言していた。高級ホテルのように贅沢でもなく、軽井沢の別荘のように自然に囲まれているというわけでもないが、長年住んできた場所というのはなんだかんだで気に入ってしまうものだろう。住めば都という事だ。
輝之は余所行き用のシャツに袖を通し、机に置かれた時計に目をやる。
「まだ時間は十二分にあるな…。誠、行きにどっか寄っていくか?」
「いや、大丈夫」
誠の方はというとまだ寝間着のままで漫画を読んでいた。輝之はどちらかというと純文学派なので、あまり漫画は読まない。
桜子に救い出される前までの、つまり姓が東雲になるまでの育った環境が違うのだから趣味がそれぞれ違ってくるのは当たり前だが、兄としては弟の趣向に理解を示してやりたいものだった。
輝之が着替え終わると同時に部屋の扉が二回ノックされる。
「兄さん」
呼んでいるのは玲奈だった。
輝之が「なんだ?」と返事をしながら部屋の外へ出ると、玲奈は無愛想な面でシャツを突き出して来た。先月、輝之が買ってやったものだ。
シャツを受け取ってみると、腕のところのボタンが外れそうだった。糸がほつれて、ボタンが垂れ下がっている。
「あー、直せってことか。わかったよ」
玲奈は小さく「よろしく」とだけ言って部屋に戻ってしまった。
どうしてか、最近の玲奈はやけに輝之に対して愛想が悪い。青葉と話しているときは普通だし、誠にも不自然な対応をとったりしない。何故か輝之に対してだけである。
(反抗期ってやつかね…)
今までは前兆すら見せなかったのだが、とうとう来てしまったか、と輝之は小さくため息をつく。輝之は彼自身がこの家での家長の様な存在なので、誰に対して反抗する事もなく、そもそも反抗する存在もなく、ただただ長男として三人を育ててきたので、反抗期の妹や弟への接し方がよく分からない。
せめてもの気持ちを理解してやれないかと思うが、そう考えると逆にこっちの気持ちも理解してほしいと思うようになり、心を曇らすジレンマに頭が痛くなるばかりだ。
シャツを持って部屋に戻った輝之は、早速折りたたみ式の机を部屋に持ち込んで、棚から裁縫道具一式を取り出してきた。今時は家事の出来る男性も珍しくはないだろうけれど、それでも輝之の裁縫の技術はそれだけで食っていけるほどのものとなっていた。伊達に小さい頃から弟妹たちの世話をしていたワケではない。最初は全く出来なくて悩んでいたものを、中学の家庭科の教師に一対一で教わってまでして会得した技術だ。
それもすべて、愛すべき兄弟たちのためであった。
今の彼には、もうそれしか生きていく目的が無かった。
「よし、完成」
たかがボタン一つだったので、何の問題も無く作業は終わった。
「相変わらず仕事が早いな兄貴。どうしたらそこまで裁縫を極める事が出来るんだ?」
「愛があってこその所行だよ」
「…キモ」
身も蓋もない素直な反応だったが、今のはそう言われても仕方ないと輝之は自分の発言を後悔した。
・・・
女性陣の身支度が思ったより時間がかかったので、予定より少し遅めの出発となったが、まだ間に合うだろう時間帯だった。
気分によって髪型を変える青葉は、今日は髪を赤いシュシュでまとめ、サイドテールを作っていた。一方玲奈は髪型にはこだわりは無いが、少しだけ化粧をしているようだ。
なんだか二人とも大人に近づこうとしているようで、輝之の気持ちは複雑である。
四人は二列を作って歩きながら、最寄りの駅を目指す。
東雲兄弟が住むアパートの周辺地域は実に平和で静かな場所だ。道行く人はほとんどが顔見知りだし、会えば挨拶をしてくれる。どうやら周りの人々は彼らが兄弟だけで暮らしていると思ってるそうで、時折夕飯の余り物をもらったりする。
「お父さんだけで子供の面倒を見て、大変でしょう?」
と言われる事もあるが、説明が面倒なのでわざわざ訂正したりはしない。
ちなみに、父親に間違われるたびに青葉が大笑いする。
(財布に携帯…、あとはペットボトルに入ったお茶も)
信号待ちの間に輝之がカバンの中身を確認をしていると、横から青葉が身を寄せて話しかけてきた。
「ねー、お兄ちゃん。最近さぁ、私、なんか変なんだよねぇ」
「なにぃっ!?」
輝之はそれを聞いた瞬間、彼の形相がガラリと変わった。
愛する妹の悩ましげな声は、兄の心配性をさらに加速させる。
「病気か!?」
「いや、むしろ逆。なんていうか、無駄に気力が湧いてくる時があってさ」
「なっ、と、友達にヤバい薬とか貰ってないか…?」
「そんな事あるわけないじゃん!」
確かに青葉に限って違法な薬物に手を出す事は無いだろう。普段からして悩みとは無縁な生き物だ。
だがしかし、元気なだけなら通常運転だが、それが過ぎるとはどういう事だろう。
輝之が首を傾げうなっていると、後ろから、
「それ、能力が目覚めてきてるんじゃないの?」
と、玲奈と並行する誠が言った。
「俺も最近、なんか意味も無く元気になるんだよなぁ」
「能力、か」
確かにエクセリキシィの効力で身体能力が大きく上昇する事はある。
そのおかげで輝之達はここ数年病を患ってないし、体育の成績も兄弟そろって5を貰った。
特に回復力の面では常人の数倍あり、怪我などの治りも早く、こういうところでは得た能力に助けられている。
「しばらくしたら、またなんか変化があるかもな。検診の時に相談してみるのもいいかもしれない」
「そうだねー。それにしても、私の超能力って何だろ?」
超能力の話題になって、誠の目が輝き始めた。
「俺は磁力操る能力とかがいいなー!」
「磁界王にでもなるつもりか?」
誠は、中二病真っ盛りの特撮オタクなので、こういう話への食いつきが半端じゃない。
兄としては微笑ましい様な、将来が心配な様な、兄の心を揺さぶるばかりだ。
青葉はというと、
「そんなの地味だよ!私は新宿一帯を焼け野原に出来るくらいの能力が欲しいかなー」
「怖いよっ!」
いったい新宿に何の恨みがあるのか、笑顔でこういう事を言う。
輝之から見れば、青葉の方が心配なのは明らかだろう。妹が大人になっていくのは保護者の立場として少し悲しいが、もうちょっと青葉には大人になってほしい。
「そういや、姉貴は?」
「え?」
不意に話を振られて、玲奈は答えに詰まるが、
「まぁ、私も最近ちょっと変だけど…。なんか妙に寝れないというか」
「なんだと!!不眠症か!?玲奈、兄ちゃんが添い寝してやろうか!?」
「誰が頼むか、バカ!」
不安になるあまり玲奈の肩に掴み掛かった輝之のみぞおちに、見事な膝蹴りがヒットする。
輝之は「ぐあぁ!」と悲鳴を上げながら、地面に倒れてしまう。
「ナイスな蹴りだ…、玲奈」
「あんたはそこで一生寝てろ」