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超能力者の東雲四兄弟  作者: 水無月
一話 長兄の愛は誰がために
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その2

今回ちょっと長いです

 延々と降りしきる雨の音が、窓越しに聞こえる。

 ねずみ色の壁に身を寄せながら、少年はその歳に似合わない、重たいため息を吐く。どこか色気をもったそのため息が、わずか二畳半のつまらない部屋に響く。

 部屋というより、独房と言った方が最適かもしれない。何にせよ、一人の子供に与えられるにはあまりに狭すぎる部屋だった。その上、机も椅子もありゃしない。あるのは鍵のかかった窓と、格子のついた鉄製の扉。そして、少年の小さな矮軀を拘束する鎖だけだった。

 けれど、この部屋で一ヶ月ちょっと暮らしている少年にとっては、もう慣れたようなものだった。むしろ、今はここが一番落ち着くようだ。


 では、虚ろな目をした少年のため息はどこから来たのか。

 それはもうすぐ、少年が嫌う『あの時間』がくるからだ。

 時計も無いこの部屋では、正確な時間を知る事が出来ない。空もこう曇っていては、昼夜の見分けがつきにくい。しかし、彼は今が何時何分かを正確に知っていた。

そんな彼が現在の時刻を知る方法、その答えは壁に刻まれた数多のひっかき傷にあった。

 この場所での少年の時間は施設の人間に管理されていて、食事も起床時間も少年の意思関係なく決まった時間に行われる。就寝時間だけが唯一自由となっているが、何も無いこの部屋では夜更かしするための遊びも出来ない。朝になると、目覚まし時計よろしくここの『看守』が起こしにくるのだ。

 彼らは鉄格子の向こうから呼びかけるだけで、決して少年に近づこうとはしない。無駄に声を張り上げて、少年が起きるまで呼びかけを繰り返す。なので寝起きは最悪だが、そうして起こされた瞬間から少年は脳内で一分を刻み始める。

 一分を数え続け、六十分経つと壁に引っ掻き傷をつけていく。

 こうして一時間を計るのだ。これは食事の時間も行われる。ものを食べながらも、少年は秒数を数え、壁に傷を付ける事を忘れない。


 一つの趣味として始めたこの行為は、近頃では習慣化してきていて、危うい状況に立たされた少年の自我をギリギリ引き止めている。傷自体は小さく浅いものだが、これをもう半年前からやっているため部屋の壁は傷だらけだ。まるで気性の荒い獣でも住んでいるのではないかと勘違いさせられる。その表現もあながち間違ってはいないのだが。

 だが、それが中断される時間が、きっちり一時間だけある。それがこの部屋を出る事が出来る唯一の時間であり、少年がもっとも嫌う『検診』の時間だった。それが迫っている事に気づいて、少年のため息は再び繰り返された。

 よく分からない円筒状の機械に閉じ込められ、三十分かけて身体のあちらこちらを調べられる。三日に一度ほど、堅苦しいスーツを着た人間がその『検診』を視察しにくるのだが、その時はさらに気分が害される。見せ物にされてるようで、興味深くこちらを見つめる視線が少年の心を深くえぐった。動物園の檻に閉じ込められた動物たちのストレスが、少しばかり理解できた。最も、満足できるための環境が整えられている分、動物園の方がマシなのは間違いない。

 それでも少年が舌を噛みちぎらなかったのは、一種の奇跡と呼べるかもしれない。


 コンコン、と扉をたたく音がした。


 ――来たか

 看守が『検診』のために自分を呼びに来たと思って、せめてもの抵抗として返事をしないでそっぽを向く。

 本来ならば、ここで横文字の検体名を呼ばれるはずなのだが、それがない。不審に思って扉の方に目を向けると、鉄格子の間から二つの目玉がこちらを覗き込んでいた。まるで卵のようにまんまるな目玉で、そこに確かにやつれ果てた少年の姿を映していた。

 この施設でそんな眼をした人間はいないし、第一こちらを見ようともしない。

扉の向こうの見知らぬ人物は、そのまま十秒間ほど少年を見つめた後、一歩後ろに下がって急に喋りだした。

「君が検体no.1かな?こんにちは。私は東雲 桜子。君を救いに来ただけだから安心して。でね、今からこの扉爆破するから、まぁ、気をつけてね」

 早口で捲し立てられ理解が遅れたが、東雲 桜子と名乗る人物の言っている事が本当ならばとんでもない事をしでかそうとしていると分かった。慌てて自分の身を屈め、主に頭部を守るようにして爆発に備える。

 しかし、数秒後に訪れた爆発はとても小規模なもので――あるいは扉が予想よりも頑丈だったのか ――扉が木っ端微塵になるような事は無かった。ボン、という良く響く音と共に扉が少し歪み、桜子はその扉を蹴り倒して姿を現した。

 薄汚れた白衣に、手慣れていないのか雑に束ねられた黒い長髪。見た目から判断するに二十代後半から三十代前半あたりだろう。顔には淡白な笑みを浮かべていて、どこか胡散臭さが拭えない。

 だが先ほどの言葉を信じるならば、この人物は少年を助けに来たはずだ。さすがにこの扉をぶち破っただけではそれを信用する事は出来ないが、こちらに近づいて来る桜子に投げかける少年の視線には期待がふんだんに込められていた。長らくまともに人と会話してなかったため、桜子が自分に喋りかけてくれるだけ嬉しかった。

「手荒いマネでごめんなさいね。さ、その鎖を外しましょ」

 外すというのだから鍵でも持っているのかと思ったら、懐からナイフを取り出し迅速に鎖そのものを斬ったのだから仰天した。

 こうも行動一つ一つに肝を冷やされていては、先が不安になってしまう。


 まだ手首と足首には枷がついているので、若干重く感じたが、自由に手足が動かせるのは実に一ヶ月ぶりの事だ。検診の時でさえ、その手は縛られていたし、足は目的地へ向かう事以外の目的で動かしてはいけなかった。考えてみれば、囚人よりもひどい扱いだ。奴隷と例えた方がしっくりくるだろう。

「じゃあ行きましょうか」

 行くってどこへ?と尋ねたくて口を動かすが、しかし声が出ない事に気づく。話し相手のいないこの場所では、喋る必要も無いため、声の出し方を忘れてしまったようだ。

 吐息にも似た声にならない声だけが、少年の口から放たれる。

 そんな様子を察してか、桜子はしゃがんで少年と目線を合わせ、そっと頬に手を当てる。まるで本物の母親が息子に接するかのような、慈愛に満ちた触れ方だった。

「落ち着いて。大丈夫だから、ね。なにも怖がる事は無い。君は今日から自由よ」

とても穏やかで優しい口調が、子守唄のように少年の心を安堵させる。


 やがて少年が落ち着いたところで、桜子は少年の手を握った。

「あのね、君に紹介しておきたい子たちがいるの」

 桜子は後方を振り返ると、部屋の外に向かって呼びかけた。

 陰からおずおずと姿を現したのは、三人の子供だった。一人は少年よりすこし年下に見える女の子。後の二人はそれよりも幼い男女で、互いに小さな手を握り合っている。目元や髪の色がそっくりなので、おそらくは双子の兄妹かいとこ同士か、少なくとも血縁者であるという事は察せられた。

 三人ともまだ事情を良く飲み込めていないようで、不安を宿した顔つきをしている。

 三人は桜子の横に並んで、怯えながらも少年の前に立つ。視線は三人とも少年から外しているが、少年は三人をじっくりと見つめて、そして再び桜子に視線を戻す。

「これから君の家族になる子たち。君と同じくこの施設に閉じ込められていたの」

「………」

 自分の他にもそんな子供がいたなんて、少年は承知していなかった。かといって驚きはしない。この施設の非道さはよく分かっている。この三人の他に、あと百人ほど同じ目にあった子供がいたっておかしくない。その子供達がどんな末路を辿ったかは知らないが。

「右から順に、玲奈、青葉、誠よ。仲良くしてあげてね」

桜子は頷きを求めるように少年に微笑みかけた。少年も答えるように首を縦に振る。

「て…き…」

 それから少年は、絞り出すように掠れた声で名乗った。長いこと名前で呼ばれていなかったため思い出せるのは下の名前だけだが、それでも自分を証明できる数少ない物として大切に記憶に留めてあったのだ。


「輝…ゆ…き、です。僕のなっ…、名前…」

「輝之…」


 桜子はじっくり味わうようにその名前を繰り返してから、少年の頭を撫で「良い名前ね」と言った。

 少年の目からは、しばらくぶりの涙が溢れ、彼の頬をそっと滑り落ちた。

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