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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

けんとうし

作者: 平藤 紺


 瞼が重い。でも、意識はしっかりしている。遠く遠くから、厳かな鐘の音がする。それが、段々と近づいてきて、頭の隅々に響き渡り………

その音に耐えられなくなって僕はハッと目が覚めた。どうやら石畳で寝ていたようで、体を起こして辺りを見渡すと白い石の壁に石の天井。少し大きなランプが天井から一つ吊るされては小さく揺れていて、見える範囲全て石だらけの部屋だったので自分が寝ていた場所が石畳だったのも頷ける。

立ち上がり見渡してみると、部屋には扉も窓も無い。しかし目の前の壁には上へと登る階段があった。

とりあえず階段を登ってみようと一歩踏み出したところで靴の爪先になにかが当たった。視線を下へ向けると、それは鈍く銀色の光を私の視界へと返す。


「…?」


(これは剣だ。)と野太く低い声が頭が響く。


「剣」


復唱してから剣を拾い上げようとした時、指に鋭い痛みが走った。思わず手を引っ込めて、痛む箇所を見ると、血が出ている。

どうやらこの鏡のように光っているところを触ると血が出るらしい。その剣とやらは八割その銀色の部分だったので、端の方の茶色の布が巻かれているところを持つことにした。

しかし案外重い。切っ先を床に向けて両手で持ち、少し引きずるようにして持ち運ぼう。……一体これは何に使うものだろうか。


(階段を登って確かめるといい)


 これが何なのかを?姿の見えない声に導かれるように、少年は階段へ足を向けた。階段は上へと続いているようだが、三段目辺りからはランプの光が届かず先が見えない。

この部屋を抜けるには階段を上がるしかないのだろうか。とりあえず声の通りに、少年は階段を登り始めた。足を踏み外すのが怖いので片手は壁をついて、もう片手は重い剣を握って。

 

 暫くすると階段が無くなった。が、そこには何も無い。ただ暗闇が広がっていた。多分上の階についたはずなのだが、明かりが無いので何も見えない。

革のブーツの爪先を床でとんとんと打ち鳴らせば、床は先ほどの石畳と同じ石だろうというのは見当がついた。しかし明かりがなければどう動けば良いのかがわからない。

途方に暮れていた。しかしよく目を凝らすと二つの赤くて丸い何か……いや、あれは目だ。目がこちらを見ていた。よく耳をすませば低い唸り声のような音も聞こえる。獣?

 その目を見ながら少年は必死に考えていた。どうするべきかを。目を逸らしたら、きっとあの獣はこちらへ即飛び掛ってくるだろう。視線だけでも、あの獣からは殺意のような敵意を感じていた。

暫くにらみ合いを続けていたが、それを破ったのは獣の方だった。タタタ、と軽快な足音がしたかと思えば少年の眼前には白く鋭い牙が差し向けられていた。

少年は上手く避けられたが頬に僅かな傷を負う。どうやら獣は四足の獣で、牙が鋭く、そして瞳が赤い。しかし如何せん明かりが無いのでどんな獣だか全貌は把握できない。少し距離を置いて、再びにらみ合う。

 僕はどうすればいいんだ


(その剣でその獣を殺せば良い)


 殺す?


(そうだ。剣をやつの喉下に突き刺すか、首を切り落とすかすればいい。そうすればお前の身は安全だ。その獣はお前を食おうとしている。食われる前に殺せ)


 響いた言葉を頭で理解しようと思っていた時、再び獣が突進するような攻撃を仕掛けてきたので咄嗟に少年は剣を当てずっぽうに振り払うよう振るった。剣は偶然にも獣の首あたりに当たったのか、キャウンと唸り声とは正反対の可愛らしい声をあげてどさりと床に叩きつけられた音がした。

すると部屋の天井にぶら下がっていたらしいランプに明かりが灯る。暗かった室内が明るくなってわかったが、どうやら獣は狼のようだった。首を切り飛ばす事は出来てなくて、しかし深く中途半端に首筋を切り込んだからかまだ息がある。

狼は床に横たわったまま瞳孔を細め、怒りを篭めた視線で少年を見つめては搾り出すように口から呼吸をしていた。


「…何故…何故だ……嗚呼、怒りがこみ上げてくる…!」

「?」

「知恵と力なき弱者など…食われるべき存在…!何故、我に刃向かった…!」

「……」

「答えられぬか……なんと浅ましき人間よ…」


 狼が言葉を喋ったことにも驚いたが、それ以上に狼の視線が、とても人間に似ていることに驚いていた。それ以上狼は何も言わず、息絶えたようだった。

剣とは、敵から身を守る為の道具だったのか。


(そうだ。敵を殺す道具、それが剣だ。……奴の戯言など気にするな。あいつはいつも腹をすかせているし、何かしらに怒っているのだ。早く階段を登れ)


 明かりで照らされた壁にはまた上へと続く階段があった。少年は狼の横を素通りして階段へと向かう。

きっとこの階段を上がりきれば出口が見える。その道中の危機から身を守るために、この声の主はこの剣を与えてくれたんだ。

どっちにしろ道は階段以外ないので、進むべきはひたすら登ること、と少年は剣を片手にまた暗い階段を登っていった。





 階段を上がりきろうとした時、そこには木の扉があった。少し古いからか、木目の間から僅かに明かりが見えている。どうやら今度の階は真っ暗というわけではないようだ。

ドアノブに手をかけ扉を開けると、そこは部屋ではなく街の一角のようだった。きらきらと輝く星と夜空に赤レンガの町並み、地面は石畳ではなくちゃんと土だった。

 ここは一体何処だ?僕はこの街の地下室にでも閉じ込められていたのだろうか。


「あら、こんな時間にボウヤが1人でどうしたの?」

「……?」

「あらあらおのぼりさん?こんな子供が街にやってくるなんて、たいした冒険者じゃないボウヤ」


街灯の明かりを呆然と見ていたが、突然目の前には素敵な女性。胸元を大きく開いた赤いドレスに、長い金髪を纏めて上げていてうなじが見えている。

 今まで登ってきた階段を見ようと振り返ってもそこには扉などなく、草原と道が続いていた。さっきまでの部屋や階段は一体どこへ?


「こ~ら、こんな綺麗なお姉さんから目を逸らす気?全く罪なボウヤね~」

「え?あいや、あの……僕階段を登ってたらここに居て」

「階段?何言ってるの。きっと長旅で疲れてるのね」

「あの、ここは何処ですか?」

「?それも知らずに来たの?まぁ本当に田舎ものなのねぇ……ここはペクタ・モルタリア。長いでしょ?」

「はい」

「ふふ。素直な子ね。ここは交易の中心地。色々な人や物が行き交う、大都市よ!お金も人も…本当になんでも揃ってるわ。」

「そうなんですか、すごい街ですね。」

「そう、すごいのよ。だって私が築き上げたんだもの。」

「え?」

「私はこの街の長、アヴェリティア・プライディアよ。長いから皆アヴェリーって呼んでるわ。」

「アヴェリーさんですか。僕は……」


 そう言えば僕の名前はなんだったっけ。僕はなんて呼ばれていたんだっけか。

記憶を探っても、あの鐘の音と石畳の上で起きたところからしか思い出せない。それより前を思い出そうとしてもすっかり抜け落ちてしまっているようで欠片も思い出せない。

 頼みの綱のあの天の声は聞こえない。気まぐれなんだろうか。適当に今思いついた名前を言っておこう。


「僕は、ニヘルといいます。」

「ニヘルくんね。今晩泊まる宿はもうとってあるの?」

「いえ……」


 宿どころか目的がさっぱりわからなくて混乱している僕に宿なんて取れるわけもなく、力なく首を横に振った。

前の階ではあの狼を倒したら明かりが灯り、階段が現れた。もしも同じなら、何かをすれば次の階に行く階段が現れるということだが…

ここは外で、街で、階段なんてどっかの家に入ればありそうだものだし、一体どうすればいいんだろうか。


「あらじゃあ私の家に泊まっていきなさいな。それに、剣を抜き身で持ってるのも危ないわねぇ…鞘とかないの?」

「え?鞘?」

「…その剣、そのままだとちょっとぶつかったりしたらすぐスパッと切れちゃうでしょ?だからよ。」

「……持って無いです」

「じゃあ私の家にあるの適当にあげるわ。」

「いいんですか?」

「ええ。私はなんでも持ってるもの。沢山、余るほどね。だから一つくらいどってことないわ」

「ありがとうございます。お世話になります」

「あらあら素直で礼儀正しくて良い子ねぇボウヤ。お姉さんそういういい子は好きよ~」

「あははは、ありがとうございます」


 そのままアヴェリーに先導されるまま、少年ニヘルは着いていく。

街は彼女の言ったとおり、本当になんでも揃っていた。果物屋の露店もあればバザーもあり、夜なのに街は明かりに溢れて暗さと静けさからは程遠い。

そうして見えた彼女の家は本当に豪邸というのがぴったりな、大きな家だった。鉄格子の門をくぐり、庭を抜ければまた大きな扉を開けて漸く室内だ。

赤い絨毯に煌びやかな照明、壁には大きな絵画が飾ってあったりと本当にお金持ちの家、というのがしっくりくる。


「こっちが客室よ。……っと、その前に武器庫を見せてあげなきゃね。」


 言われるがままに、彼女についていく。廊下もきらきらした照明が輝き金縁の絵画が飾られ、木製の扉さえもノブが金や宝石で飾られていた。

案内された部屋は鎧甲冑が並び、壁には剣や斧がいたるところに掛けられ武器というよりも展示物に近かった。兜だけのもあれば篭手だけ、など多分色々な珍しい武具、という形で集めているのだろうか。


「さ、その剣に合う鞘を見つけてらっしゃい。私はここで待ってるから。好きなの持っていっていいからね」

「ありがとうございます。」


 ぺこり、と深く一礼してからニヘルは部屋へ足を踏み入れる。

展示物に埃は無く、きっと毎日丁寧に掃除されているのだろう。ニヘルは剣が多く置かれている壁を見上げながら手にとって鞘を抜き、自分の剣に嵌め合わせ始めた。

さすが町長が集めている剣なだけあって、その鞘も豪華な装飾が施されているものがほとんどだった。しかし、どれもニヘルの剣には合わない。

 ようやく合致した鞘はその部屋の剣の中で最も豪華ではない鞘。剣と柄が交わる部分に丁度黄色い宝石が一つだけ合うような装飾しかなく、こげ茶色ベースの革の鞘だ。

中々の太さの皮紐もついていて長さは背中に背負えるほど。調整すれば腰に帯刀することも出来るだろう。

 ニヘルはその鞘に剣を収め、アヴェリーの元へ戻った。鞘を見たアヴェリーは大層驚いた顔をする。


「そんな鞘でいいの?全然綺麗じゃないのに」

「はい。一番この剣に合うのが、これだったので」

「好きなのでいいっていったのに。無欲な子ねぇ。お姉さん感心しちゃうわ」


 フフフ、と笑って言うアヴェリーに、ニヘルは小首を傾げた。少年には、豪華な飾りのどこがいいのか、いまいちよくわかってなく綺麗だなぁくらいにしか捉えていなかった。

まぁいいわ、とアヴェリーは言いニヘルを連れて今度は客室へ向かう。すれ違う執事やメイドはアヴェリーに頭を下げ、連れであるニヘルにも同様に頭を下げていた。

 客室に着くと赤いクッションに金縁のソファへとニヘル座らされた。ガラスのローテーブルを挟んで対面の同じような一人用の椅子に、アヴェリーは深く腰掛ける。


「ご飯も持って来させるわ。」

「いいえ、まだお腹がすいていないので大丈夫です」

「あら、晩御飯はもう食べてきてしまっているの?折角一緒に食べようと思っていたのに」


 ニヘルは不思議とお腹が空いていなかった。それに、ただでさえ鞘を頂いたり宿を提供してくれたりと至れり尽くせりなのにとこれ以上は望まなかった。

残念そうに表情を歪めて言うアヴェリーはため息をつくがしょうがない、と肩を竦めて話題を変える。


「そういえばニヘルくん。これから行く当てはあるのかしら」

「……いいえ。何処へ行けばいいか、僕にはわからないんです」

「じゃあずっとここに居なさいな。私、ボウヤのこと気に入っちゃったわ」


 肘掛に右肘をつき手には自分の頬を乗せ、足を組んで彼女は嬉しそうに言う。少年が自分のものになるのが、さも当たり前のような口ぶりだ。

しかし少年は首を横に振った。


「いいえ、僕はずっとここには居れません。」

「あらどうして?」

「……僕が居るべきなのは、ここではないような気がするのです」

「そんな事無いわ。ここは、この街はなんでも揃う大都市。きっとボウヤはずっと居たがるようになるわ」

「僕には……まだ欲しいと思ったものがありません。だから、きっとこの街には僕の欲しいものは無い気がするんです」

「いいえ。それは間違っている。……私の街だもの。あなたが欲しくなるものだって、絶対あるはずよ」

「でも、今はありません。少なくとも、この街にも、この豪華で素敵な屋敷の中にも。」


 自信満々に言い放つアヴェリーの口調が段々と苛立っているのが滲み出るようになっていく。

ニヘルには豪華な装飾も煌びやかな街並みもお金も、必要以上にいらないと言う。鞘は、抜き身の剣が危ないから頂いたのであって、それは確かに必要なものだと思ったからだ。


「……私の街にはすべてが揃っているのよ?金銀宝石、女、食べ物、…それだけじゃないわ。景観は美しいし、皆口を揃えてこの街は素晴らしいと言う。でもね、まだまだこの街は栄える…美しくなれる、素晴らしくなれるのよ!もっと、もっとね!」


(人はそれを強欲と言う)


「それに、この街は……私が、統治しているの。最高でない筈が無いわ」


(人はそれを傲慢と言う)


「そんな素敵で、素晴らしい街と……それを作り上げた最高の私を。ボウヤはいらないと言うの?」


 あの天の低い声と、アヴェリーの高らかな声が交互に耳に届く。

 カツカツと高いヒールの赤い靴で床を鳴らしながら歩いてきたかと思えばニヘルの隣に座り、ゆっくりと身を近づけてくるアヴェリー。

深い深い赤の瞳に見つめられ、ニヘルはまるで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまう。けれど口をゆっくり開き、ニヘルは言う。


「いらないんじゃない。必要ないんだ。僕には飾る必要もないから」

「そうかしら?かっこよくなりたい。美しくなりたい。お金持ちになりたい。そんなの誰しもが望むもの。きっとニヘル、あなたもそう思うようになるわ」

「……ここに居ては、そうなるかもしれない。」

「そうよ。ここは人間の欲の中心地と言っても過言ではないわ。でもねぇ…その欲が無ければ、人間は発展できないのよ。腕を磨きたい、何かでトップを目指したい、そんなの建前。本音はお金や良い暮らしをしたいっていうのが大体。」

「そんなこと無い。きっと純粋にそう思っている人もいるはずだ!皆が皆そうとは限らない」

「どうかしら。でも事実……そうやって上を目指すことが、段々と欲深になる階段のようなものなのよ。もっともっと上へ上へ、もっともっと深く深く、……そして、全てを手に入れたくなる」

「…それがあなたと言うわけですか?アヴェリーさん」

「ふふふ。そうなのかしらねぇ。」


 笑うように目を細めたその様はまるで狐のようで、笑って口を開けたその牙はライオンのように鋭く見えた。

嗚呼、なんて醜くておぞましいんだろう。ニヘルは心から、そう思った。綺麗な衣装と宝石を身につけても、本性は隠せない、飾れない。美しくなんて、見えない。


(女を殺せ。女はお前を殺そうとしている。お前の意思を、欲によって食いつぶそうとしている。だからその剣で殺すのだ)


 天の声が響く。鞘を持つ手が震えた。笑う獅子の口が段々とこちらへ近づいてくる。

唇が鼻先に着く、鋭い牙が顔に触れる。そう思われた瞬間。獣の胸を一本の剣が貫いた。その剣の持つ両手は、小刻みに震えていた。


「あ、あ……」

「ああなんて恩知らずな青年だろう…!恩人に剣を向けることも厭わないなんて…!」

「だ、だってあなたが…僕を食おうとするから……!」

「だったら食われ、れば、よか、たのよ……わたしとともに、落ちてしまえば…よか、たのよ…!」


 女性だったその獣は恨みがましい言葉を少年に吐くとぼとり、ぼとりと顔だった皮膚が黒く、爛れていく。そしてぼろぼろと崩れ落ちていき、最後にはただの黒い土の塊のようなものになってしまった。

気がつくと青年は、白い石畳の上に座っていた。辺りを見渡すと、あの豪華絢爛な部屋ではなく、少し前に居たあの暗く冷たい石畳の部屋と同じだった。明かりは天井から吊るされた一つのランプだけ。

そして、奥の壁にはまた階段が見えた。


(お前が殺したのは、人間ではない。獣だ。)


 あの天の声が聞こえる。石畳に落ちている獣だった土くれは窓もない部屋では風も吹かないので動きなんてしない。

少年は立ち上がって、その土を見下ろした。ただの土だったのかもしれないが、少年の手には、あの肉を突き刺す感触がまだあった。

 ずぶり、とまず切っ先が沈んでゆく感触。体重を掛ければかけるほど、ずぶずぶと面白いように沈んでいくあの手応え。

 思い出せば思い出すほどに身震いをした。少年は剣を鞘に戻したがまだ、両手は震えている。


(さぁ、階段を登れ。お前の道は、それしかない)


 勿論天の言葉の言うとおり。道は目の前の階段しかない。少年は剣を持って、また階段を登り始めた。

ああ、なんとなくわかった気がする。僕は……何かを倒して、階段を登らなければいけないんだ。







 今度の扉は壁や床と同じように石作りだった。少し開けるのに苦労はしたが、開けた途端、なんとも清清しくて心地良い風が少年の頬を撫でた。

外は広い草原だった。青い空が広がり、どこまでも続く草の原。見ていても爽快で、なんとも寝転びたくなる気持ちをぐっと堪える。


 そんな晴れやかな場所とは裏腹に、突然キャァアア!!と甲高い女性の悲鳴が響いた。慌てて声がするほうへと向かうと、そこには自分と同じくらいの少女を今まさに襲わんというように大熊が立ち上がっており鋭い爪を振り下ろそうとしていた。

 すかさず剣を鞘から抜いて走り出し、ニヘルは少女と熊の間に立って切っ先を熊へ向けたが、熊は怯むことなく、この邪魔者へと爪を振り下ろした。

しかしその爪がニヘルへ触れることはなかった。その前に、ニヘルの剣が厚い革を切り裂き熊の心臓をしっかりと貫いていたのだ。貫通したのを手応えで感じると剣を引き抜き、血を払う。


「大丈夫ですか?」


 振り返って襲われかけていた少女に問うと、少女は腰を抜かしていたようで草原にへたりと座り込んでニヘルを見上げていた。恐怖のあまり身が竦んでしまっていたのだろう。漸く思考回路が回復してきたようで暫くするとはっと我に返って立ち上がり頭を下げた。


「助けてくれてありがとう!」

「いや、君が無事ならそれで」


 この熊が倒す対象だと思ったのだが、どうやらハズレのようだった。今までの二回とも倒すべきは獣だったからそう思っていた。

きっと今回も獣を倒すのだろう。今度はどんな獣なのだろうか。そんな事をニヘルは考えていて、目の前の少女のことなどほったらかしにしていると急にぐい、と手を引っ張られた。


「あの熊に私達本当迷惑してたの!倒してくれてありがとう」

「あ、そうだったんですか。……町?」

「うん。あ、もしかして町に行こうとしてた!?」

「えっと……」


 町に潜む獣、か。その可能性も充分ある。その町を拠点にしながら、獣を探すことにしよう。

 ……アヴェリーさんのように、人間の姿をしている獣かもしれないから。


「まぁ、そんなところです。」

「じゃあお礼代わりに案内する!」

「良いんですか?」

「案内だけじゃ足りないくらいよ!あ、そういえばまだ名乗ってなかったね。私はルクシィ。村の近くの牧場の娘!」

「ああ、そうなんだ。僕はニヘル。」

「ニヘルくんね!」


 彼女は笑ってニヘルの手を取って握手する。笑顔が素敵で、茶色の短い髪が日に浴びて綺麗に光って見える。素直に可愛いなとニヘルは思った。

しかし2人が町へ行こうと歩を進めようとした時、不意に男の声が背後からした。


「ルクシィ!」

「あっ!リヴィーごめん、思いっきり忘れてたわ!」

「全く、いきなりいなくなったかと思えばこんな外へ……大熊が出たら大変だろう?!」

「ふふ、もう大熊は出ないよリヴィー。なんたってこの人が倒してくれたんだもの!」


 リヴィーと呼ばれた男は背丈はニヘルよりも少し大きいくらいで、身なりはとても綺麗でまるで貴族のようだった。男にしては長い金の前髪をふわっとかきあげため息をつきながらも大熊の死体に近づく。


「……本当に彼が?」

「ええ。私が倒せるわけないじゃない!」

「まぁ、そうだが……君、どうやってこの凶暴な熊を?」

「どうって、……こう、剣でグサッと一突き」


 ニヘルは下げていた剣を見せながら言うと懐疑的な視線を向けていたリヴィーは小さなため息をつきながらも頷いてニヘルの前にやってくれば握手を求めるよう手を伸ばした。


「僕はリヴィー・レ・エヴィアサン。近くのエヴラーの町の町長の息子さ。この凶暴な大熊に僕の町の人達は大変困っていてね……退治してくれて感謝するよ」


 ニヘルは頭を下げながらもその握手に応じた。身分が高いと言うこの少年に、アヴェリーの影が見える気がしてニヘルは少し脅えたように目線を反らす。

レヴィーは微かに首を傾げたもののその手を離すとぱっぱとズボンで叩いて拭い、ルクシィの隣に並ぶとさっと手を取り歩き出した。


「さぁルクシィ、パーティに戻ろう」

「え?そうね。じゃあ今度は彼の熊退治祝いしましょう!」

「へ?」

「さっきのパーティもつまんなくて抜け出してきちゃったし……私このまま彼に町を案内するわ。」

「え、あ、ちょっとルクシィ」

「ニヘルくん、行こ!」


 すらりとリヴィーの手を抜けルクシィはニヘルの隣に来ると笑って腕を取り町へと走っていった。ニヘルも躓かないように引っ張られる形で彼女と一緒に草原を駆けてく。

 1人残されたリヴィーは忌々しげに表情を歪め、その背中へと舌打ちを一つ。


「旅人風情が……たかが熊を殺したくらいで図に乗るなよ……」








***








 ニヘルはその後ルクシィの牧場でお世話になることになる。

ニヘルは自分を襲ってくるはずの者を探したりしているものの、一週間経っても見つからない。というか町の人々もいい人ばかりで襲ってくる気配すらないのだ。町の人々もあの熊が退治されたと知ってニヘルを歓迎した。のどかな農村では害獣の被害は売り上げに直結するので町民は皆ほとほと困っていたそうだ。

 ルクシィの家は父親と彼女だけで経営していて、なんでも牛や羊をこの前の熊が食べてしまったりと常々困っていたそうなのでニヘルは彼女達にとって本当に救世主だった。しかも彼は力仕事の多い牧場の仕事も手伝っているのでルクシィ達は本当に助かっていた。

ある日朝食をルクシィとニヘル2人でとっていると、なにやら今日はイベントがあるとルクシィは話を切り出す。


「でね、今日は町長主催のパーティがあるんだって」

「パーティ?一週間前もパーティだどうのって言ってなかったっけ」

「うん。ここの町長はお祭り好きだから、週に1回とか月に2回とか割と頻繁にやるの」

「へぇ、そうなんだ。行って来ればいいじゃないか、僕が君の分まで仕事をしておくから」

「だって行ってもつまらないんだもの。それにニヘルくんに全部任せるのもヤだし。」

「僕のことは気にしなくていいよ。ここに居候させて貰ってる身だし、手伝うのは当たり前だから」

「ううん、行くとしたら私ニヘルくんと行きたい。1人で行ってもつまらないし!」

「僕と行ってもつまらないのは変わらないと思うんだけど……」

「いいじゃないか、2人で行っておいで。」


 違う声がした方に視線をやればそこにはルクシィの父が笑って立っていた。トーストを齧りながら珈琲を淹れている。


「そんな、手伝いもせずに遊びに行くなんて」

「君は真面目な子だから、今日くらい遊んだってバチはあたらないさ。」

「ね!一緒に行こう!」

「で、ですが……」

「真面目で親切で律儀、でもちょっと頭が固いところが玉にキズってところか?」

「もうっ父さん!そんなこと言わないの!」


 ハハハと父娘は笑いながら話しながら食器の片づけをし始める。1人食卓に残されたニヘルは少し困ったような顔をしたが残りのトーストを口に放り込むと食器を片付けるため立ち上がった。

今日の牧場仕事は全て父がやると言ってニヘルはやはり家を追い出されてしまった。暫くしてルクシィも出てきたが、その格好は可愛らしい淡いピンク色ベースのふんわりとしたワンピースドレス。ニヘルはその可愛らしい姿に見惚れてしまう。


「今日はダンスもあるって言ってたから、私の一張羅!可愛いでしょ」

「ああ。とっても可愛いよ」

「ふふ、ありがとニヘル!さ、行こう!」


 2人は手を繋いで家を後にし、パーティ会場である町長の屋敷へ歩き出す。町で出会う近所のおばさんや果実屋の店長は2人をからかったりするものの、どこか完全に否定できない気持ちがニヘルの中に生まれていた。

 途中町のアクセサリー屋で、今の彼女に似合いそうな髪飾りを見つけたので日頃のお礼も兼ねてプレゼントした。すると彼女は笑って受け取ってくれて、お礼と言ってニヘルに飾り気の無い銀の細いブレスレットをプレゼントした。その雰囲気ややりとりに、店員も春だねぇとぼやいてたとかなんとか。


 町一番の大きな屋敷の門は可愛いらしい花で飾り付けされており、今日は門番も居らず開けっ放しだ。町長のパーティは町民なら誰でも来ていいからだ。屋敷の庭先ではもう既に宴会状態で料理のいい匂いと葡萄酒の香りもしている。


「あそこにいる黒い燕尾服でシルクハット被ってる人が町長さん!」

「へぇ、あの人が……」

「お祭り好きのいい人ってところね」

「お祭り好き以外に特徴はないのかい?」

「……こうやって食事出したりして太っ腹なところ?」

「ハハ、そりゃあ良いな」


 2人は楽しそうに喋りながら出されている食事に手をつけつつ音楽隊の演奏を聞いたりと優雅な時間を過ごす。穏やかな昼下がり、空が夕焼けに染まっても、暗くなり月が出てもパーティは静まる気配がない。

 ……ああ、そうだ。僕はこんな平和で穏やかな日常が欲しかったんだ。

記憶のない脳裏に広がったのはこの町の近くの青い草原と同じような光景で、ふんわりと暖かな風が吹く。そこは戦いとは無縁の場所で、花の輪を作ったりして遊ぶ子供達の風景も見える。

 後ろには綺麗な白いワンピースを着た短髪の女性、その隣に居るのは短い白髪を風に揺らしながら、目を細めている……僕?


「ニヘル?」

「……っあ、ああ。どうしたの?」

「さっきからぼーっとしてたみたいだから。酔っちゃった?」

「まさか。グラス二杯で酔うわけないだろ?」

「そう?ニヘルってお酒弱そう!」

「ルクシィこそ。…大体君はいつも家じゃ飲まないじゃないか」

「だって家のお酒は父さんのだもん!勝手に飲めるわけないじゃない。それに私ビール苦手だし。……それより、踊ろう!」

「お、踊り?!そ、そんなの無理だよ、僕踊ったこと……」


 いや、あの草原であの子と僕は踊った。アコーディオンとヴァイオリンと、いくつもの手拍子と足踏みの音に合わせて、豊穣のダンスを。


「だいじょーぶ!こう見えても町一番のダンサーなのよ私」

『大丈夫!こう見えても町一番のダンサーなのよ、私。』


 顔だけがかすんで見えない脳裏の女性とルクシィの言葉が重なる。なんだか眩暈がするようだ。

しかしそのダブった風景もすぐに治まり目の前にはルクシィの姿。笑ってニヘルの手を取り皆が踊っている場所へ先導して行く。

 丁度曲の始まるところだったのか、音楽隊がダンスの為の音楽を奏で始めた。

アコーディオンとヴァイオリンが交互にメロディラインを奏で、ウッドベースやギター、打楽器がリズムを刻むように鳴らし、その合間に観客や踊り手も時折手拍子を入れる。


 踊りが元々わからないのもあり暫くはルクシィのなすがままだったが段々と見て学習したからかニヘルも合わせてステップを踏めるようになっていく。

周りで踊っていた人も見ていただけの人も皆音楽に合わせて手を打ち足を踏み鳴らす。そのリズムに合わせてルクシィが踊り、支えるようなステップを踏むニヘル。いつの間にか踊っているのは二人だけで、皆2人のダンスを見たり手拍子をしたりしていた。

 ルクシィの滑るように美しい足が時折ニヘルの足に絡む。絡み合わせるように繋いだ手は汗ばみ、時折合わせる視線が熱を帯びているように見える。指先が触れた場所全てに熱が灯るような錯覚まであり、額には珠のような汗浮かび曲も最後の盛り上がりを見せていた。

 

 ……僕はこんな情熱的な踊りを踊ったことがあっただろうか。


 曲が終わると庭は拍手喝采に包まれた。ふと我に返って辺りを見ると皆ニヘルとルクシィに歓声を送っていたのだ。


「いやぁすごかったねー2人とも!」

「かっこよかったわぁニヘルくん!おばさん感動しちゃったわ~!」

「ルクシィちゃんは相変らずダンスが上手だねぇ~」


 口々に褒め称えてくれるのでニヘルは後頭部を掻き照れくさそうに視線をそらした。その様をルクシィは笑いながら見つめ、町民の賛辞に上手く受け答えしていく。

 しかし僕が踊ったのはこの踊りではない、気がする。

ルクシィの声は耳に入らず、ただ脳内の女性と踊ったであろう踊りを思い出すように、額に手をあて考え込むニヘル。そもそもあの風景は一体なんなのだろうか。本当に僕の過去なんだろうか。


「………、…ニヘルってば!」

「!」

「もー、またぼーっとしちゃって。踊りつかれた?」

「……ああ、ちょっとだけ。踊り慣れてないから明日足が筋肉痛になりそうだ」

「いつも身体鍛えてるニヘルに限ってそんな事ないよ。……ま、そろそろパーティもお開きだし、帰ろっか」

「そうだな。……明日は今日の分までしっかり働かないと」

「も~、本当真面目なんだから!」


 2人は笑いあいながら、パーティ会場を後にする。その後ろを、ある男が尾行していたとは気付かずに。

家につき2人はそれぞれの部屋に戻りシャワーを浴びて就寝準備をしようとしていた。しかしニヘルは部屋の窓を開けっ放しでシャワーを浴びていたのだ。

 

 ニヘルはシャワーを浴びながら、脳裏に浮かんだあの光景は自分の記憶なのかを必死に考えていた。考えたところで答えは出ないが、もしかしたらまだ思い出す可能性だってある。

暖かな雨の中、タイルに手をつき鏡に映る自分を見つめた。濡れた黒く短い髪に、力仕事や剣を振ることで引き締まった身体。その体つきはもう少年とは言えないだろう。


 ……俺の頭の中で見た俺は、黒い髪だっただろうか?いや、今はそこまで鮮明に思い出せない。ではあの女性は?俺の愛する人なのだろうか……?


 そうやって考え事をしていると、キャァアア!と甲高い悲鳴が聞こえた。ハッと我に返りニヘルは浴室から出てバスローブを羽織り前で紐を締め、剣の鞘を掴んで髪から水が滴っているのも気にすることなく部屋を飛び出した。

あの声はルクシィの声。となると、きっと彼女の部屋で何かがあったに違いない。急いで彼女の部屋に駆け込んだ先に見た光景に、ニヘルは目を見開いた。


 ベッドの上でもがくルクシィに、馬乗りになって彼女の首を絞めている男。……いや、あれはリヴィーだ。

慌ててベッドに駆け寄りリヴィーを離そうと奴の腕を掴むとリヴィーと目が合う。その瞳はまるで蛇の瞳孔のように縦長かった。


「やめろリヴィー!」

「…ああその声は……貴様さえ来なければ、彼女は俺のものだったのに……」


(人はそれを妬みという)


「金持ちで容姿端麗な俺を、何故君は選ばない?あんなにも気に掛けていたのに、こんなどこの馬の骨ともわからん奴に想いを寄せる!?」

「か、は…ァ…」

「やめろ!!彼女から手を、離せッ!」


 引きずり下ろすようにリヴィーの腕を力の限り引っ張ると奴はベッド下へと落ちた。強く絞められていたからか、ルクシィは咳き込みながら身体を丸める。


「お前さえ居なければ……今夜もダンスパートナーは俺だったのに」

「……」

「今夜も、……いや、ずっと!俺のパートナーはルクシィだったのに!」


 怒り狂ったように叫ぶレヴィーを脅えた様子で見るルクシィ。いや、と小さな声を漏らしてベッドの隅の方へと後ずさっていくのを見て、レヴィーはもう一度彼女に手をかけようと近づく。

が、ニヘルがそうはさせない。鞘から剣を抜き、レヴィーと彼女の間に入り切っ先を彼に向けた。


「これ以上近づいてみろ、この剣でお前を殺す」

「熊しか殺したことのない旅人風情が何を抜かす!お前みたいな覚悟の無い軟弱者に俺は殺せまい!」


 にやりとレヴィーが大きく口を開けて挑発するように笑っていい、二股に分かれた舌先でおちょくるように舌を出す。

するとレヴィーの姿が一瞬見えなくなったかと思えばするりと間を上手く縫うように彼女に近づこうとし、ニヘルはその今までにない相手の動きに動揺して動くのが遅れてしまう。

 再び馬乗りになってルクシィに手をかけたレヴィーはにんまりと笑みを浮かべ、両手でその細い首を力いっぱい締め付けた。


「僕のどこがダメだったのかな、ルクシィ?町長の息子で、懐が広くて、容姿も良くて、何よりずぅっと君の事を考えてるこの僕の、どこがいけなかったのかな?」


 ぎりぎりと絞めながら、レヴィーは笑って首をかしげながら問う。しかしその答えを欲しているとは思えない。ルクシィは目を見開き涙を浮かべながら、その邪悪な表情を見上げることしか出来ない。


 このままでは彼女が……!

 ニヘルは柄を握り締め剣を振りかぶるように高く上げたかと思えば横に薙ぎ払う。その一閃で、レヴィーの首が横へ飛び床に落ちた。急いで彼女に近寄り、首を失くした身体を退けて床に落とせば血を浴びて震える彼女を抱きしめる。


「大丈夫かルクシィ」

「ゲホッ、ん、…なんとか……ありがとう、ニヘル」

「礼なんていい、君が無事だったそれだけで……」

「……ニヘル、私も旅に連れてって。もうこの町には居られないでしょ?」

「!でもルクシィは関係ない、全て俺が呼んでしまった災いなんだから」

「……じゃあ私を連れて行かないというのなら、今夜私を……」


 そう言いルクシィはそっとニヘルの首に腕を絡めて抱き寄せ、顔を耳元に近づけ囁いた。

途端にボッと顔を真っ赤にしたニヘルに、くすりと笑いかけるルクシィ。その囁きは蠍の毒のように強く、まるで心地良い眠りに誘うような甘い響き。

 その時またあの光景の女性とルクシィが重なる。段々と顔を近づけ、鼻先が触れ合いそうなほど近くで見た彼女は、とても官能的に見えた。しかしもうちょっとで唇が触れ合うという時に、ニヘルはその腕を離し彼女を突き飛ばす。


 ルクシィは、あの光景の彼女じゃない。あの子の髪は茶色では無い。


「君は誰だ」

「誰って、’ルクシィ’よ?貴方が好きになってくれた女でしょう?私は貴方を愛してる。貴方は私を愛してる。だったら拒む理由なんて無いんじゃない?」

「…違う、君はルクシィじゃない!」

「……酷い人ねニヘル。あんなに情熱的なダンスを踊ったのに」


 にこりと笑うその彼女の頭に山羊のような角が生えている。おしとやかに座るその背後からは赤茶の棘のような蠍の尾が見える。


「私と一緒に居ましょうニヘル。ずっとずっと、一緒に。あなたを愛するのは私だけよ」


 怪しく笑うルクシィの姿は、段々と人から離れていく。……俺の隣で笑っていてくれた彼女はこんなおぞましい化け物ではない。

 ああ、でも彼女が化け物という事は……殺さなければならないのか。嫌だ、嫌だ!そう拒否しても化け物の尾は迫り、その甘い毒で自分を殺そうとしている。

 

 ニヘルはベッドの上に投げられていた剣を握り、一思いにルクシィの心臓を貫いた。


「……すまない」

「酷い人……謝るくらいなら、最初から助けなければよかったのに…」

「だって君が、」

「私が化け物だってわかったから殺すの?もう、本当薄情な人………」


 剣から伝う生暖かな液体がニヘルの指に触れ、彼女は生きているんだと改めて知る。彼女もレヴィーも人だった。

それを、俺が化け物に変えてしまった。俺がここに来なければ、俺が…一瞬でも彼女に想いを寄せなければ……

 彼女の方を見れず、ニヘルは俯きながら肩を震わせた。俺が殺すべき化け物は、俺自身が作り出してしまっていると思ったからだ。


「どうして君を殺さなきゃいけないんだ……」


 俺はあと何人化け物に変えて、この手で殺せばいいんだ。搾り出すように放った言葉はあまりにもか細かった。

ふと肉を刺している感覚が無くなりハッとして前を見ると、そこにはルクシィもレヴィーも、そもそもあの部屋ですらない。いつもの白い石畳の、明かりが一つしかない殺風景な部屋だ。



「なぁ、聞こえてるんだろ!?俺はいつまで人殺しをすればいいんだ!」


(お前が殺してきたものは全て理性を持たぬ獣だ。人殺しではない)


「そんな屁理屈通るか!大体、俺は一体誰なんだ!?どうしてこんな所に閉じ込められては人殺しなんてさせられてるんだよ!?」


(それが知りたければ階段を登るがいい青年よ。外に出られればお前の全ては返って来る)


「……いつも外に出られたかと思えば、気がつきゃこの暗い部屋の中。いったいいつまで続くんだ!」


(進めばわかる。それに、最上階は近い。そう遠くはないぞ)


「ちゃんと答えろよ!!」


(答えているではないか青年。さぁ早く階段を登れ)



 殺気を込めて怒鳴り散らす青年を他所に響く声はなんとも呑気だった。

怒りを込めて握った拳を石畳に一度叩きつけてから青年は立ち上がり、剣を鞘に収めて目の前にある階段を登りだす。身につけている服はいつもの小汚い襟のついた半袖のシャツに緑の長ズボンにブーツ、鞘は腰に下げてあり、手首には銀のブレスレットが光った。





 今度の扉は中々ボロい木の扉だった。木目に所々穴が開き、光が差し込んでいる。

開けるとすぐに立ち込めた潮の匂い。目の前に広がる深く澄んだブルーの海と、靴底が伝える決め細やかな白い砂浜の感触。日は燦々と輝いてニヘルを照らしていた。

 暫く見ていた草原とは裏腹な場所に一瞬戸惑うニヘルだったが、辺りを見渡すとちょうど岩場に1人の男が座って釣りをしていた。白い襟のあるシャツを中途半端に開けて着ている白髪で短髪、褐色肌の男。近くに町か集落でもないか尋ねようと近づくとその男は竿を片手に振り返る。


「やぁっとここまで来たな。待ちくたびれちまったぞ」

「?!あ、あんたまさかあの声の主か?!」

「違う違う。…俺はアセディアっつーんだ。……というか君にちょっかいかけようと思って一週間くらい前に俺の大事な熊ちゃんをけしかけたんだけど、あっさり倒してくれちゃったねぇ。……ま、立ち話も何だから、とりあえず座りなよ。ついでに釣りもしてみるか?」


 余っていたのか一本の竿をニヘルに渡して笑う男は人の良さそうなおっさんだ。ニヘルは竿を受け取り、渋々というように男の隣に腰を降ろし釣り糸を海に垂らす。


「さぁって、どっから話しゃいい?」

「全部だ」

「全部ぅ?そりゃあ俺も知ってる範囲でなら話してやれるけど、全部が全部っつーのは無理な話だな。お前さんの事もそこまでよくしらねぇし、そこらへんはノーコメントだぜ」

「じゃあまず熊の話からだ」

「あの熊ちゃんは俺の半身。お前さ、今まで殺してきた奴皆獣だったろ?だから俺もそうなわけよ。で、その獣が熊とロバなんだよ俺は。」

「……あんた、俺が殺しに来るって知ってて待ってたのか?」

「そりゃそれが俺の役目だからな」


 男は浮きを見ながら淡々と言う。ニヘルは驚きの表情でその横顔を見つめた。


「あんたの役目って?」

「だからお前に殺されるのが役目さ。後は……うーん、特にねぇな。役目なんてそれくらいだわ」


 肩を竦めて笑う男を尻目にニヘルはため息をついた。今度の獣はとことん危機感が無いようだ。


「今までお前さんはいやーな思いしたりラッキーな思いしたりしてんじゃねぇの?」

「ラッキーなことなんて一個も無い!最後には全部俺が」

「殺して壊してここまで来たんだもんなぁ。ま、心中お察しします、とでも言っとくか」

「……あんたにわかって貰っても嬉しくない」

「ハッハッハッハそりゃそうだわな。ま、お前さんが無事にここまで来れたのは正直吃驚してんだよ。俺ん所まで来れる奴ってほとんどいねぇんだわ」

「……?というか、ここは一体何処なんだ?」

「簡単に言えば、欲の溜まり場さ。……お前が殺した獣は皆、欲深だったろう?」

「……いや、1人は違う」

「違かねぇさ。……お前が言っているのはルクシィの事だろ?あいつは、お前さんの気持ちを無視して身体だけの快楽に誘いこもうとしてたんだよ。お前の頭ん中にある愛しいと思ってた奴に姿を変えてそそのかして、心の伴わない快楽に引きずり込もうとしてたっつーわけだ。」


 そこで脳裏に過ぎったあの光景をまた思い出した。今浮かんだ光景は前よりも鮮明だ。確かに姿はルクシィに似ているが、髪の色も、踊ったステップも違う。


「ルクシィも全部が全部真似できるわけじゃねぇ。よくて7割ってところだ。でもほとんどの奴ぁあそこで落ちる。……体験したお前さんならなんでかわかるだろ?」

「……」


 いくら偽者だと、まがい物だと割り切っていても、愛する人を殺したという錯覚の感触はいつまでもニヘルの手に残っていた。釣竿を持っている手が震える。


「ここに来る奴はな、最初に全部記憶を失くすんだ。だからあんたも全然覚えてないだろ?」

「ああ」

「でも、ルクシィが偽者だってわかった。記憶を呼び覚ますような深い愛を、記憶を失う前のお前さんは持ってたってわけだな。いや~いいねぇ愛」


 その愛する相手が、白いワンピースの彼女なんだろう。今思い出せるのはあの草原と彼女と、彼女と踊った豊穣の踊りくらいで本当に彼女に関する事以外全く思い出せない。

ほのぼのと無精髭をさすりながら笑って言う男の釣竿がぴくり動いたかと思えば先端が海のほうへとしなる。暫く男は戦った後中々の大物を釣ってご満悦の笑みを浮かべては隣にあるバケツに魚を突っ込み再び釣り糸を海へ投げた。


「ま、お前さんは記憶以外も色々無いみたいだけどな」

「……は?」

「そこらへんは最後にわかるさ。……さて、他に質問はあるか?」

「俺は何故獣を殺さなきゃならないんだ?」

「最初に言われなかったか?食われる前に殺せって」

「……そう言えば」


 そう言えば目が覚めて剣を貰って、あの狼と戦った時に天の声に言われたっけ。


「その通りさ。ここの獣はお前を食おうとしているんだ。だから餌が一番危機感を持たなさそうな姿に……人間の姿に擬態する。ああ狼のイラグールは別な。あいつは獣の姿が好きだそうだから。

 お前さんみたいなまっさらな存在ほど、ドロドロに濁った俺らみたいな存在にとって最高の餌になるんだよ」

「俺ら?」

「俺達は元々1人の人間だった。だけどちょっと昔に色々あって、あんまりにも互いの存在が大きくなりすぎて分離しちまった。だから今では自分のフロアで大人しく餌を待ってるって所だな」

「……アヴェリーもルクシィもレヴィーも、一つだった?」

「ああ。憤怒と暴食のイラグール、強欲で傲慢なアヴェリー、色欲のルクシィ、嫉妬のレヴィー、そして俺。……あと1人いるんだが、……まぁそれは言わない方がいいか」

「え?!なんでだよ、教えろよ」

「お楽しみはとっておいた方がいいだろ?焦るな少年、焦れば焦るほど空回るぞ」


 釣りみたいにな、と言った傍から男は釣竿を上げると餌だけ食い取られていた。肩を竦めて再び海へ釣り糸を投げる。


「……他に質問は?」

「俺に関する事はノーコメントなんだろ?」

「ああ。お前さんが特異な存在だってのはお上に聞いたが、それ以上のことはさっぱり。……いやぁま~ルクシィの時にはレヴィーがちょっかいかけてたし一時はどうなる事かと思ったが、頑張ったなぁ青年。レヴィーはな、他の奴らと違って自分のフロアを持たない。いつも誰かを妬むから誰かのフロアに居るんだ」

「妬み?」

「そ。なんでも持ってるアヴェリーを妬み、なんでも食えるイラグールを妬み、男だろうと女だろうと誘い落とすルクシィを妬む。あいつは何かしら妬んでる、荒んだ奴なんだ」

「……そういうあんたはどうなんだ?」

「俺?俺は……何にもしたくない男、とでもいえば言いか?」


 愉快そうに笑って言う男はぁ?と首を傾げるニヘル。ニッと笑みを浮かべて男はニヘルのほうを見た。


「俺はな、なーんにもやる気が起きねぇんだ。釣りも暇だからしょーがなくやってるだけだし。正直生きるのも面倒だ。だから早く俺を殺してくれる奴を待ってたんだよ」

「え?!」

「何もする気が起きない。何も頑張ろうとも思えない。誰かに何かしようなんて思った例も無い。夢も希望も、なーんもない。だから生きるのが面倒。……だから殺してくれる奴を待っていた」

「……」


 なんともないように笑って言う男のその神経が信じられないというようにニヘルは男を見遣る。その男の横顔は諦めのような、呆れたような、何もかも投げ出している表情に見えた。

さて、と言って男は釣りをやめて立ち上がりバケツの中身を全て海にぶちまけた。そうしてから釣竿を岩の上に置き、立ち上がってニヘルを見る。


「よし、もう質問もねぇだろ?」

「え?いや、まだ沢山ある!」

「バカ言うな、そんな面倒なこと俺ぁしたくねぇぞ?」

「さっき全部答えてくれるって言ったじゃないか」

「そりゃあさっきの気分。今はとっとと死にたい気分なんだよ」


 どんな気分だよと心の中でつっこみを入れればニヘルも渋々立ちあがる。流石に岩場は嫌なのかアセディアは砂浜に移動すると彼の前に仁王立ち。


「ほら、一思いにどんっとヤっちゃってくれ」

「いやそう言われてもなぁ……」

「あのなぁ青年、先に進むために何かを切り捨てなきゃいけないのは散々学んだろ?俺を殺さなきゃお前さんはここから出れない、それにお前自身も帰らない。いざっていう時に悩むのは男らしくねぇぞ。こうすぱっと決断できなきゃあその剣を使いこなすなんて出来やしねぇ」

「……そういえばこの剣は何なんだ?」

「そりゃただの鉄の剣だ。お上がいつも餌に与える、たった一つの脱出手段。……お上はフェアを好むからな。俺達を消す手段を与えて、使う意思は本人次第ってわけだ。……ま、その剣が俺達を殺して次のフロアへの階段を見つける鍵になるワケだな。」

「……この剣が鍵…」

「そうだ。だからお前はその剣で俺を殺さなきゃならねぇ。……これでいいか?」


 早くしてくれよと肩を竦めて言うアセディアの尻辺りから尾がふさふさと揺れている。先端だけぽんっと毛がある尾だ。頭の上からはぴんと立った耳も見える。


「数少ねぇ俺ん所に来た奴らは皆熊に殺されちまった。……あの熊は俺の中のいる生存意識そのものだから一番凶暴なんだ。でもそんな熊も一刺しに出来たお前なら出来るだろ?」

「……」

「お前さんは本当真面目だなぁ、自分の害にならない奴は殺せねぇってか。……ああ、そうだ…オラ、手ぇ出してみろ。お土産お前にやるわ」


 はぁ~とため息をつきながらアセディアはニヘルに近寄ると自分の手首にまいてあった革のリストバンドを彼に着けてやった後剣を握っている手を手に取り自分の首に刃をあてた。ニヘルはぎょっとしてすぐに刃を離して身も距離を取る。


「!や、やめろバカ!」

「何だよ~お前案外臆病だな。……ふーむ、どうしたもんか」

「あんたを殺さずに階段を見つける方法はないのか?」

「無いな。フロアの主を殺した時初めて階段が現れる」

「別の方法を探そう。きっと何かあるはずだ」

「おいおいマジで言ってんのか?今までぜーんぶ殺した後に階段が出てきたのは身をもって知ってんだろうが」

「それでも一縷の望みに賭ける。最後の最後まであんたは殺したくない」

「なんでそう意固地になるかねぇ……トンと一突き、それでオシマイだろ?」

「俺がそうしたくないんだ。」


 今までの獣とは違うアセディアをどうしても殺すことが出来ないニヘル。それは今までなすがまま、殺さざるを得ない状況で剣を振るってきたからだった。

自分の身を守る、生き延びる為に獣を殺してきた。誰かを守りたくて仕方なく殺した。けれど今のこの状況はどれにも当てはまらない。

 彼は敵意を向けてこない。あまつさえ殺してくれという有様。しかしニヘルは剣を奮う修羅になれない。


(甘いな)


「!」

「どうした?お上の声でも聞こえたか?」 


(アセディアは、お前を怠惰という感情で飲み込もうとしているのがわからないのか?)


 どういう事だ?


(戦意を失わせ、平和ボケさせたところで食うつもりなんだよ)


 そうは見えない。


(お前は何度そうやって外見に騙されるつもりだ?)


 だって彼は僕に色々教えてくれたし、死ぬつもりだったって言っているんだぞ?


(でも目の前にいるのは今までお前を食おうとしてきた獣と同じだぞ。何が違うというんだ?)


 それは……俺を襲ってこないところとか


(襲わない獣だっているだろう。でも獣は獣だ。だから奴を殺さなければならない。同じものでも違う対処をしたら、不平等だと思わないか?)


 不平等?


(そうだ。同じルールの下、今までの獣には死を与えてきたお前が、今獣を前にしてやらなければならないことはなんだ?)


 ……


(それとも今まで死んできた獣は違いがあるというのか?皆それぞれ生きる為に食おうとしていただけだ。こいつは生きることを放棄した、殺すには罪の意識などいらなくていいじゃないか)


 だからといってはいそうですかと殺せるわけないだろ!?


(じゃあお前は何故今まで獣を殺してきた?こいつはさっき言ったぞ、俺達は元々同じ存在だったと。同じ獣でも、こいつだけ贔屓するのか?お前は)


 ……俺に良くしてくれた、だから殺さない、殺したくない。それじゃダメなのか?


(なんて人間的なエゴを言うんだろうなお前は。だがそのエゴはここでは通じん。まぁ外は別かもしれんがな。……しかしここのルールには従ってもらう。追加ルールだ。その獣を殺さねばお前は即座に死ぬ)


 え?!


(さぁ殺しあえ。そうすれば、お前は剣を抜くだろう?)


「なんて卑怯な奴だ!!」

「お?どうした、話し合いは終わったか?」

「クソ!……あんたを殺さなきゃ俺が死ぬだとよ」

「まぁお前さんが俺を殺さなきゃいつか俺に飲み込まれちまうかもしれねぇから当たってはいるが……なんとまぁお上も突拍子もないルールを出したもんだなぁ」

「なぁ、この俺の脳内に響く声は一体何者なんだ?」

「さっき言った最後の1人さ。お上は俺達全てを統括するような立場にいる奴で、勿論俺も、他のやつらも逆らえねぇ。」


 アセディアが肩を竦めながらそう言った時、地鳴りが響きだした。海が割れ、砂浜にも亀裂が入る。地面という地面が崩壊し始めたのだ。

2人の足元にもビキビキと亀裂が入ればニヘルが居る地面はせり上がり、アセディアが居る地面は下へと埋もれていく。


「うおっ、ホントに殺しにきやがったなあいつ……ニヘル、さっさと俺を刺せ!じゃなきゃあお前が死ぬんだぞ!」

「……ッ、クソぉ…!」


 剣を握る手が震えた。下へ下へと地割れに引き込まれていくアセディアの見下ろしてたは剣を両手で握り、その地割れへと飛び込む。

こんなの、本当は嫌だ。本当は、いくら生きるためとは言え人を殺すのだって嫌だ。でも、……!

 そう葛藤している間に段々とアセディアとの距離は縮まっていく。両手をしっかり掴み、刃を下へ向けて落ちる重力に任せニヘルは目を閉じた。


 ふと、落ちる浮遊感が消えた。そっと目を開ければ、丁度胸元に剣が突き刺さりアセディアを貫き砂地へと縫い付けていた。


「……んな泣きそうな顔すんなよ。お前が悪いわけじゃねぇんだからさ」

「……でも…、…俺ほんとは…」

「わぁってるわぁってる、……でもな、せめて相手の死に様くらい、目ぇ開けてちゃーんと見とけよ……ニヘル」

「アセディア……!」


 頭を撫でるようにぽんぽんとアセディアの手があったはずが、その感触が無くなった。彼もまた土くれになってしまった。剣は土の山に刺さっており、辺りを見れば白い石畳の部屋。

しかし少し部屋の様子が違う。窓があるのだ。そこから身を乗り出して見れば晴れきった綺麗な青い空が広がっていた。雲ひとつ無い。

 そして一つの階段があった。ニヘルはぐすりと鼻をすすってから目元を袖で擦れば精悍な顔つきで一段一段しっかりとした足取りで登っていく。

階段の途中も時折窓があり、外が見えるようになっているのもいつもと違う。きっと次のフロアへ上がれば、記憶が戻るしここから出られるだろう。次が最後だ。

 そんな心構えで、立派な鉄の枠で囲われた木の扉のドアノブに手をかけた。




「ようこそ、ニヘルくん。そして、一応初めましてだな」


 そこは壁一面がガラスで出来ており、中心にそれぞれの動物を模した色とりどりのステンドグラスがあった。今まで見たことがあるよな動物ばかりがそのステンドグラスに居る。

 そしてそのステンドグラスで囲まれた部屋の中央に立っていたのは、人の形をした真っ黒な影のような者。いや、寧ろ影そのものと言ってもいいかもしれない。


「お前が……最後の1人だな」

「そうだよ。私が最後の1人、名前は…うん、ウィルとでも呼んでくれ。」

「殺す前に聞く。……どうしてこんな事を俺にさせるんだ」

「望まぬ殺生とでもいう気かい?その口で」

「煩い!!全部お前が仕向けた事なんだろう?!」

「はたしてそうかな?」


 足音の無い歩みで影はニヘルに近づいてきた。背丈はニヘルと同じくらいだろうか。彼を見つめると暗い闇に吸い込まれるようでニヘルは目線をそらす。


「君はその剣で人を殺す恐ろしさを学び、悲しみを学び、生き延びた喜びを学んだ。……つまり、君は剣が無いと何も学べないんだよ。全く、最初は剣すら知らなかった子がなんとも面白い成長をするものだね」

「そんな事は無い!!」

「じゃあ最初の頃を鑑みてごらん。君は私の声の通りにイラグールを殺し、アヴェリーに言われるがまま付いて流され……そう、彼女を殺して決断するまで、自分の意志といものがまるで無かった。」

「……そ、それは」

「そしてルクシィの時には人を守るために力を使うことを学び、拒む意志をここで強固にした。ルクシィの誘惑を拒否したのはお見事だったね。さすが人じゃないだけあるよ君は」

「……人じゃない?」

「私を殺して外に出れば全てわかるよ。そういうルールだからね。………さてニヘルくん。最後の質問だ。私を……意思を殺す覚悟は出来ているかな?」


 影がそう言ったと思えばニヘルは踏み込んで影の首を横一閃に薙ぎ払う。しかし手応えは無く、なんともないように首から上は普通に存在していた。にやり、と影が笑う。


「そうだ、君にもう少し面白いことを教えてあげよう。君が殺した獣達は、時間が経てば再び姿を現す」

「何!?」

「はは、まぁまた彼らに会うのは君が私を殺し外に出て、そしてまたわざわざここに来なければいけないがね。……私達は死から切り離された概念の存在だからそもそも生死とは程遠いのさ」

「じゃあどうして、」

「どうして手応えがしたかって?だって私達が一方的に君達生き物をなぶり殺して餌にするのは平等じゃないだろう?君には手も足もある、だからこちらも生身の肉体を得て君と対峙したというわけさ」

「全部お前の茶番だったということか……!?」

「茶番?いやいやそんな。君達生き物にチャンスをわざわざあげたんだよ。生き残れるようにね。……なのに君と言ったら殺したくないと言ったり、本当面白かったよ」

「結局俺はお前の掌で踊っていたというわけか!!?」

「……そうなるのかな?でも良いじゃないか生き残れたんだから」

「ふざけるな!!」


 両手で柄を持ち影に突進するように突き刺そうとするが全く手応えが無い。いくら影を横に切っても薙ぎ払っても切り口からまた戻ってしまう。

 高らかに笑う影が大口を開けてニヘルを飲み込もうと迫ってきたが、振り払うように剣を振り回しながら距離を開ける。

ステンドグラスから入る光のお陰で視界は良い。しかし奴をこの剣で殺すことは出来るのか?さっきも影に当たったはずが全く手応えが無かった。

 どうする!?

 そう考えている間にも影は音も無く背後から忍び寄ってくれば腕をロープのようにしてまた首を絞めようとしてくる。なんとか身を捻って抜け出し逃げるようにまた距離を開ける。


「防戦一方かい?ルクシィもイラグールもアセディアもその手でちゃんと殺したのに」

「煩い!!」

「君はその剣で、戦うことで、殺す事で学び成長してきたんだ、その成果を私に見せておくれ」

「黙れ!!!」


 力任せに振り回し影の胴を切り払ったところで手応えなし。何か、何か糸口になるものは!?辺りを良く見渡しても色んな色で輝くステンドグラスから差し込む光が白い石畳に絵を描いているくらい。

影の動きを見ながらこちらも注意深く距離を測る。その時ニヘルは気付いた。奴がいるのは中央、それか自分自身の背後。奴は光があるところには近づかない。


「ほら、ずっと睨み合いじゃつまらないよ」


 と口で煽るものの、向こうから手を出す事が無い。そしてさっきから使う手段が全て、……今まで自分を襲ってきた連中と似ているのだ。レヴィーの絞殺に、アヴェリーの丸呑み。

 そうか、こいつは……今まで戦ってきた全ての影ということか。影、影……


「ふふ、悩んでるねぇ。成長してもそういう優柔不断なところは相変らずだ。最初から変わらない」

「最初から?」

「ああ、そうさ。私はお前が目覚めてからずっと近くで見ていたからね。君がここに来るまでしてきた事全て、私は見ていたよ。近くでね」


 未だに三日月のような笑みを浮かべて話す影は一歩一歩とニヘルに近づいてくる。光も大丈夫なのか?!さっきまで動かなかったのに。と慌てて後ずさると背中がガラスについた。ハッして振り返ってステンドグラスを見るとガラスには自分と影ではなくもう1人の自分が映っている。

 奴は俺が攻撃しなければ攻撃はしてこない、だったらこのまま糸口を見つけるまで逃げれば……。剣は振らずにニヘルはステンドグラスに手をつきながらも走り逃げる。


「光に頼って逃げるのかい?確かに私は光が苦手だが……光は永遠のものじゃない……日が落ちれば訪れるのは、夜」

「!」

「そしてここは私のフロア。夜に変えるなんて容易いんだよ、ニヘル。……さぁ、どうする?」


 夜に変えられたら終わりだ。打つ手どころか奴の姿も見えなくなってしまう。影、影を征するには、……

 ん?さっきステンドグラスに映っていたのは………そうか!

 ニヘルは足元に伸びる自分の影が伸びて奴と重なるのを確認してから、自分の影へとニヘルは剣を突き立てた。すると影は悲鳴を上げて胸元を抑え部屋の中央で膝を付き身悶え始める。


「ああぁぁあ!!」

「お前は俺の影……一番近いところで、俺を見ていた。すべて同じ動きをしないのは、弱点を晒さない為か?」

「…クッ、ぅ…そうだよ、…私は影……全ての感情を包み込む影……影も形も無い、実態の無い私達を統率する為の、影……」


 ウィルと名乗った影は足元から少しずつ石畳に溶けていく。黒い液体のようなものは、石畳の溝にそって広がっていく。


「……お前自身の影でもあり、全ての感情の影でもあるんだよ、私は……だからお前と同じ動きをしなくても済む…」

「…お前はモノマネしか出来ないだろう?さっきもずっと、アヴェリーやレヴィーと同じ攻撃手段だ」

「……そう、だな……私は、私の意思を持たない……だから、最後にお前の意思を試した…」

「え?俺の意思?」

「お前は意思を手に入れた……全ての感情と欲と意思を、君は戦うことによって得てきた……次は、お前は何で、手に入れるんだろうな…?」

「次?!おい、お前で最後じゃないのかよ!?」

「探求の、旅は…、…お前が死ぬまで続く……お前は、戦うことを、剣の使い方を、…ここで学んだ…そし、て……お前は、人間に近づいた…」

「は?!おい、謎を増やすな!!どういうことだよ、おい!」


 ニヘルが膝をついて床に溶ける影に尋ねるものの影は最後まで笑い、完全に液体になってしまった。

溶けた黒い液体はいつしか床全部の溝に広がり、床からステンドグラスに侵食していき黒い枠になっていく。液体が全てのステンドグラスの枠になった時、登ってきた階段のあった扉の真正面のステンドグラスに、黒いドアノブが出来た。

 床から剣を抜き鞘に収め、ニヘルはそのステンドグラスの前まで来る。全てのステンドグラスの丁度中央に位置しているその場所には、円状の枠の中に全ての動物が小さいながらも描かれていた。


「……獣、か」


 描かれた全ての獣を征した青年は、ドアノブに手をかけ扉を押して開く。そして扉からあふれ出すように差し込んだ七色の光に青年は包まれ、意識を失った。






 瞼が重い。でも、意識はしっかりしている。

高らかで厳かな鐘の音がする。でもちょっと煩いかも。その音に耐えられなくなって僕はハッと目が覚めた。

 見渡すとそこはあたり一面綺麗なスカイブルー。そして自分の後ろには鐘があった。煩いわけだ。足元は円状に白い石畳が敷き詰めてある。


 ここが最上階……いや屋上ということか。

 足場ギリギリまで来て下を見下ろすと、自分が一体何を登っていたのかが良くわかった。眼下には海が見え、その足も竦むような高さから見下ろす塔の外壁は白い。俺はあの塔を死に物狂いで登ってきたようだ。 もう扉は何処にも無い。俺はもう戦わなくていいんだ。


 振り返ると鐘の後ろは青々とした草原が広がっていた。石畳から土に足場が変わるのをよく踏みしめて感じ、一歩一歩ゆっくりと草原へ向かって進む。


 暫く草原を歩いていたが、遠くから走ってくる人影が見えた。

その人影はこちらに向かって来ていた。その人は白髪で短く外ハネの髪を風に揺らされながら駆け寄って来た白いワンピースの女性、……イーナ。


「あ!いたいた!よかったぁ~」

「え?」

「え?じゃないよもう。町ではニールが落っこちたって大騒ぎだったんだからね。もーこんな町外れで何してんのよ~……あれ?ニール髪どうしたの?真っ黒だよ」

「……髪?」

「ほら鏡」


 イーナから手鏡を受け取り見ると、そこに居た自分は黒い髪。塔の中では良く見た自分の顔と髪。


「綺麗な白髪だったのに……。ん?それなに?」

「……あ、触っちゃダメだ。これは危ないものだから」

「えー、なにそれ。見せてよ!」

「ダメだって!剣は危ないから触っちゃダメだ」

 

 イーナは剣の鞘を触ろうとしたので身を離す。するとイーナは小首を傾げて、まるで頭上に疑問符を浮かべているようだった。


「剣ってなに?」


 純粋に何かを問うその彼女の瞳に、ニールは目を見開く。

……ああ、そうだ。ここでは剣なんて無いんだ。必要が無いから。人を殺す必要も、戦う必要も無いから剣なんて無いんだ。


 ここは空の楽園、天使の住む場所。俺や彼女は、天使だ。


「……さっきそこの塔を登ってきた時に貰ったんだ」

「塔?そんなの無いよ?」

「そんなバカな、……ちょっとこっち来て」

「わっ、なになにー!」

 

 彼女の手を引いてあの鐘の場所まで戻ってきては足場ギリギリまで近づいて下を覗き込むように促す。


「ほら、白い塔が見えるだろ?」

「え?何にも見えないよ?海と雲くらい。」

「ハァ?」


 自分も一緒に覗き込めば白い塔の外壁と海が見えた。しかし彼女にはその白い塔が見えないという。

彼女と自分は同じ天使なのに何故見えているものが違うんだろう。ここで影が言った言葉を思い出す。


 お前は人間に近づいた。

 

 あの塔は欲の溜り場、……天使にあんなどろどろとした感情は無い。……そうだ、俺はそれを知ってしまった。

清く輝く天使にはそんな汚いものは見えない。でも俺は……何も知らない真っ白な状態から、少しずつあの塔で知ってしまった。


 ああそういうことか……


「俺は……人間に近づいてしまった」

「さっきからどうしたの?ニール。まさか本当に海に落っこちたの?!」

「…………ああ、そうだよ……俺は海に行きたくて…地上を見てみたくてここから飛んだんだ……そして…気付いたら塔の中に居たんだ」


 俺は天使だった。

 風に揺られて鐘が鳴る。足元のこの塔は、人間の欲の塔。天使には見えぬ、黒く淀んだ塔。


「もう、お昼寝のしすぎよニール。きっとまだ寝ぼけてるのね。……とりあえず町の人達も探してくれてくれてるから、ニールが無事だったことを報告に行かなくちゃ」

 

 無邪気に笑う彼女はそのまま町の方へと走っていってしまう。鐘の音が風にのって遠く遠くへ響いてく。

鐘と風と一緒に揺れる黒い髪。日の光で光る銀のブレスレット、その下にはレザーのリストバンド。そして剣には鞘。俺があの塔に、……あの感情と戦った証。

 



 俺は、どうすればいいんだ。なぁ剣よ教えてくれ。







fin....?

気が向いたら続きは書く、かも……です

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