青の騎士
※()内の数字は注釈
ごあいさつ
いかなる大海、またいかなる大河も、元をたどれば山の頂に流れ落ちる一滴の水から始まるのは言うまでもなきこと。
さすれば物語にも同じことが言えよう。
世に広く親しまれ、語り部たちが三者三様に歌い上げる英雄譚。その端緒に目を凝らせば、偽らざる歴史の一幕が、寝所にて横たわる乙女のように、ありのままの美しさをさらけ出しているのである。
ゆえにこそ、物語の源泉、その清らかなる滴には、星々にも劣らぬ真実の輝きが秘められていること請け合い。
聡明なる貴婦人にしてグローリアに咲く一輪のバラ、かの美しきノーリッジ公爵夫人が「青の騎士の功績を今一度歴史の水底より拾い上げ、虚飾なき事実をつまびらかにすべし」とお命じになられたのは、そのような成り行きからであった。
世界広しといえど、かの騎士に増して名の知れた英雄はおらず、また彼が成し遂げた数々の武勲、その身に宿る騎士道心の誉れ高さを疑うべく余地も無い。
かの騎士を称える詩が次々と生み出され、場所を問わず、身分を問わず、ありとあらゆる場所で繰り返し語られた。
その名声はやがて海を越え、サジタリア全ての民が知るところとなった。
とはいえ、何事も人の手に触れるほど手垢にまみれるが世の常というもの。
人づての物語はガレットのように薄く長く引き伸ばされ、人々はそこに自分好みの味付けを加えていった。
ゴルドーニの商人は隠された金銀財宝を。
好色なフォレの貴族は美しき乙女たちを。
クリシュカの荒くれは恐ろしいドラゴンを。
ヘクセンモーゲンの魔術師はお決まりの7リーグ靴を。
紅茶にミルクを入れることも、ベルガモットをきかせることも各々がたの自由裁量のなすところであろう。しかし、それによって本来の香りが失われては元も子もない。
奥方が青騎士伝説のモチーフとなりし物語の編纂に意欲を示されたのは、世俗の沼に沈んだ物語の奥底から、わずかにでも光る真実の宝石をすくい上げんとする真摯さの表れであろう。
物語の完成には15年の歳月を要した。
しかし、そのうち執筆に掛けた時間はほんの2か月に過ぎない。それ以外の時間は全て、資料の収集と選定に費やされた。
何しろ、かの騎士が活躍していた時代はずいぶん昔なのだから──驚くなかれ、ハイエルフの寿命より古いのだ──誰かに話を聞くわけにもいかぬ。
資料の大部分は散逸して久しい。先人たちの残した論評や文通記録から、間接的に真実の輪郭を掘り起こすのがせいぜいであった。
大陸全土からかき集めた「青騎士伝説」の資料は数百種類に及んだ。
その中から共通する記述を洗い出し、当時の文化と照らし合わせ、最も信憑性が高いと思われるものを史実と認定し、採用した。欲していたのはきらびやかな脚色ではなくいぶし銀の事実であった。
この件について、青の騎士の末裔たるディレイク卿の助力を得られなかったことはひとえに己の不徳のいたすところであり、もはや申し開きもすまい。
しかしながら、ノーリッジ夫人の機知に富んだ考察、鷹の目のごとく(貴婦人に対してふさわしい表現ではないが、あえてこう評させていただく次第)比類なき慧眼は、これらの苦境を覆して余りあるものであり、困難極まる編纂作業の過程において並々ならぬ助けとなったことは記しておかねばならない。
しかるに、此度の偉業は奥方あってのものであり、このテオドリックめはせいぜいが花形を引き立てるための端役に過ぎないのである。
ここに完成した物語は、物語であると同時に、歴史書としての一面をもあわせ持っている。
可能な限り史実に忠実な表現を心がけてはいるが、解釈の分かれる部分、または意図的にぼかされた部分については適宜注釈を添えることで対応している。
童心に戻り、偉大な騎士の活躍に心躍らせるもよし。時代とともに移ろう物語の妙に思いを馳せるもよし。
何にせよ、青の騎士は皆様を虜にして離さないであろう。なぜなら彼は騎士の中の騎士、全き騎士であるゆえに。
神聖歴1493年、春の訪れを待つ暖炉の傍らで
テオドリック・トーキンが記す
第一幕 消えた姫君
ダヴェド王国では王の誕生日を祝う宴が催されていた。
王は賢明にして寛大な名君として知られ、その周りには絶えず人が集まっていた。しかし、それにも増して人々の目を引いたのがオルテア姫であった。
亡き王妃の忘れ形見である姫は先だって15を迎えたばかりであるが、母譲りの美しさは既に国じゅうの知るところとなっていた。
その美貌たるや大粒のダイヤモンドにも勝り、「姫に求婚する男を数えるくらいなら麦の穂を数えた方が楽」などとささやかれるほどであった。
さて宴もたけなわとなり、王が客人たちに向けて謝辞の言葉を述べようとした、その時であった。
一陣の風が巻き起こり、いやらしくあざ笑うかのように皆の顔を撫で上げたかと思うと、真っ黒なローブに身を包んだ魔術師がこつぜんと現れた。
人々はこの無作法な来客に腹を立て、呪いの言葉を投げつけた。しかし王は彼らをなだめ、魔術師に言った。
「名も知らぬ魔術師よ、そなたは何者で、何用か? 祝いの席に冷や水をかけることも厭わぬとは、よほどの大事を抱えているのであろう」
「陛下、わたくしは名乗るほどの者ではございません。わたくしは忘れられた者。忘れられた魔術師とでも呼べばよろしい。そして用向きでございますが、これはあるとも言えるし、無いとも言えましょう。陛下御自身には特段思い入れなどございませんが、陛下の御身に流るる宿業に用があって参りました」
「なんと。して、宿業とは?」
「それもお知りになる必要はございません。全ては忘れ去られたのです。ですが、忘れられぬものもございます。それゆえ、わたくしは今日という素晴らしき日に、陛下の最も大切なものをいただきに参上した次第」
言うが早いか、魔術師はオルテア姫に杖を向け、忌まわしき呪文によって彼女を眠らせた。
突然の乱行に王は驚き、すぐさま剣を抜いて魔術師に斬りかかった。
しかし、その切っ先が触れるかどうかという時に魔術師の姿は消え、オルテア姫もまた煙のように消えてしまった。
王は方々にお触れを出し、魔術師と姫の行方を探させた。
国じゅうの騎士という騎士が、オルテア姫を救い出さんと駆け付けた。
彼らは野山に分け入り、川底をさらい、時には藁山の藁ひとつひとつにまで目を光らせた。しかし、探せど探せど姫は見つからず、彼女の姿を見たという者すら現れることはなかった。
姫なき城はまるで一足早く冬が訪れたかのよう。娘を失った王は悲しみのあまり病に伏し、王国の未来には不吉な暗雲が立ち込めようとしていた。
人々が絶望に打ちひしがれる中、王はひとりの騎士を城に呼び立てた。
かの者こそ青の騎士。青き炎としろがねの心を備え、オルテア姫に忠誠を捧げたダヴェド最高の騎士である。
姫の受難を知った青の騎士は風のように馬を走らせ、瞬く間に王のもとへ馳せ参じた。常人ならば3日をかける距離であったが、彼の愛馬は主人の熱き志を汲み取り、普段以上の力を発揮したのだ。
その頃、王は萎えた老木のように心身を衰えさせていたが、騎士の到着を知ると寝所から飛び起き、その腕にすがりつくように言った。
「青の騎士よ。恐るべきことが起きてしまった。ダヴェドの太陽、わが愛しきオルテアが、忘れられた魔術師に奪われてしまったのだ。今や太陽は隠れ、ダヴェドの地は夜のとばりに閉ざされてしまった」
「陛下、ご安心めされよ。夜が永遠に続くことはございませぬ。この青の騎士、かつての誓いを忘れた日はただの一度もござらん。さて今こそ誓いを果たす時。全き騎士道のもと、姫を無事取り戻してご覧に入れましょう」
青の騎士は全てを言い終える前から鐙に足を掛けていた。しかしそれを無礼と思う者などいるはずがない。騎士を名乗る者すべからく、乙女の助けとなることを何よりも先に考えるべきなのだ。
かくして青の騎士は城を出立し、王そして臣下の者たちはかの騎士の武運長久たらんことを祈るのであった。
(1)第一幕に先立って騎士の起こりを説明する序文を置くことが慣例となっているが、このくだりは後世の詩人たちが書き加えたものなので、以下に切り離して記述するものとする。
『かつて、人は神と共にあった。神は人を導き、人は神によく奉仕した。地上には愛が満ちあふれ、全ての正しい者の楽園となった。
しかし、いつからか神は姿を消し、人は打ち捨てられた。導きを失った者たちの間に不信が蔓延し、それは悪心となった。
正義は忘れ去られ、悪徳が地上を支配するようになった。悪徳は流行り病のように感染し、人々は盲目の羊がごとく、我先にと堕落の淵に身を躍らせた。
ゆえに、人は自らの保護者を立てることで秩序と正義の守り手とした。すなわち、弱き者たちを守り、導き、また強き者たちの横暴を防ぎとめ、彼らの不道徳を正す者。騎士の誕生である。』
(2)ダヴェドとはグローリアの古い国名。前聖歴500年ごろ(およそ2000年ほど前)のことだと思われる。
(3)どうやら比喩ではなく、言葉通り空間転移で逃げたものと思われる。時空を操る魔術は召喚術に属するもの。今でこそ禁呪扱いになっているが、当時は召喚術の全盛期であった。
(4)作劇上の都合で時系列が前後している。王はまず最初に青の騎士を招集したのち、捜索のお触れを出したのであろう。
(5)青色の炎は普通の魔術でも生み出せるが、ここで言及されているのは特殊な効果を持った古代魔術のことであろう。
(6)銀はしばしば騎士道精神を表す比喩表現として用いられる。
(7)前聖暦525年に起きた皆既日食を暗示するものと思われるが、文脈的に比喩表現である可能性が高いため、事件の正確な時期を特定するには至らなかった。
(8)青の騎士の代名詞と言うべき言葉。この印象深い一節は数百種類ある派生作品全てで踏襲されている。
第二幕 鳥の知らせ
青の騎士が馬を走らせていると、傷ついた一羽のツバメが道端に倒れていた。
ツバメは翼の先から鮮血をしたたらせ、道行く者に助けを求めていた。
しかしツバメは小さく、その鳴き声も風のささやきにしか聞こえない。人々は足元の哀れな命に気付かぬまま、次々とその場を通り過ぎて行った。
しかしながら、世に誇る騎士たる者、その中でもとりわけ高潔なる青の騎士が弱き者のうったえを聞き逃すはずがない。騎士がこちらに目を止めたことを知ると、ツバメはいちだんと声を張り上げて言った。
「騎士さま、騎士さま、どうかお助けくださいな!」
「ツバメよ、そなたは何ゆえ血を流しているのだ」
「ずる賢い狐めに襲われたのです。神のお助けあってどうにか逃げおおせましたが、このままでは長くありません。今度は死神がすぐそこまで迫っているのです。ですが、あなたさまにバケツ一滴のお慈悲があれば、死神を遠ざけることができましょう」
「ツバメよ、もはや死神の鎌を恐れる必要はない。青の騎士がそなたの保証人となろう」
「でしたら、ひとすくいの軟膏と、一本の添え木をお持ちください。それさえあればわたくしは再び空を舞うことができるでしょう」
青の騎士が言う通りにすると、痛ましい傷はたちどころに癒え、ツバメは喜びのあまり騎士の上で何度も8の字を描いた。
「騎士さま、騎士さま、ありがとうございます。お礼にわたくしの宝物を差し上げましょう。わたくしの右脚をどうぞご覧ください」
騎士が目を向けると、そこには一房の美しい髪がくくりつけられていた。手触りはビロードのように柔らかく、その輝きたるや最高級の金糸もかくやというほどであった。
青の騎士にはそれがオルテア姫のものであるとすぐに分かった。これほど美しい金髪の持ち主が他にいるとは思えなかったからである。
「ツバメよ、この髪をそなたに与えた乙女はいずこに?」
「海の向こうでございます。高き塔の上にいらっしゃる、とても美しいお人でした。しかし、そのお顔には海よりも深き憂いが浮かんでおりました」
「ならば、いっそう先を急がねばならぬ。姫の御心を沈ませる一切を打ち払うべしと、わが誓いが叫んでいるのだ」
姫の手がかりを得た青の騎士は、決意も新たに街道を下り、港町を目指した。
(9)正確には無限や不老不死を意味する古代神聖文字∞を表現したもの。ツバメなりの祝福だと思われる。
(10)人間が鳥と会話することはできないので、一連のやりとりは比喩表現であると思われる。おそらくオルテア姫が自分の居場所を知らせるために一計を案じたのだろう。(渡り鳥であるツバメは春になると海を越えてグローリアにやってくる)
第三幕 騎士の海渡り
港に到着した青の騎士は海峡を越えるために船を探すことにした。しかし、かの騎士はそこで新たな苦難に出くわした。
いかなる神の気まぐれか、港に置かれた船がことごとく打ち壊されていたのだ。
港は惨憺たるありさまだった。桟橋は崩れ落ち、無数の板切れが黒々とした海面を覆っていた。
船底に大穴の開いた船、船首がぽっきりと折れた船、果ては船と呼ぶこともはばかられるような瓦礫の山が、もう何十年も手入れされていない墓地のように無残な骸をさらけ出していた。
青の騎士は一隻だけ破壊を免れた船を見つけ、船長に交渉を持ち掛けた。
「船長よ、どうか船を出してはもらえまいか。全き騎士道を貫き通すため、海を渡る必要があるのだ」
さてこの船長、三度の飯より他人を騙すことが好きな、生粋のへそ曲がり、盗人の親戚のような輩であった。
悪魔に心を盗まれたこの男は、騎士の姿を見るや否や、彼が乗る駿馬の美しいたてがみに目を奪われ、何としてもそれを手に入れたいと思った。無論、自らが乗り回すためではなく、街に行ってうんと高い値で売るためだ。
彼は姑息な企みを腹の中に忍ばせると、騎士に言った。
「へえへえ、騎士どの、お安い御用でさあ。ですが、ちっとばかし問題が。ご覧の通り、港の船はどれもこれもわやになっちまって、あっしの船もご多分にもれず、というわけでして。いやいや、もちろん、船を動かすのに難儀するほどじゃあございやせん。ですが、騎士どののご立派な鎧兜、それにたいそう重い槍と剣まで一切合切乗せるとなると、あっしのみすぼらしい船では少々心許ない。どうです、ここはひとつ、その武具を脱いで船にお上がりになるというのは」
「それはできぬ。この武具はわが敬愛せし国王陛下から賜ったもの。忠義の証であり騎士の魂そのものなのだ。何より、丸腰の状態でかの魔術師から姫を助け出せるとは到底思えぬ」
船長は密かに舌打ちした。というのも、騎士が鎧を脱いだところを襲う算段だったのだ。
しかし、この程度で諦めるほど殊勝な男ではない。すぐさま次の奸計を巡らせ、さも善意から出た助言であるかのように言った。
「でしたら、こういうのはどうです。あっしは騎士どのの馬を向こう岸まで連れていく。騎士どのは鎧兜を着込んで浅瀬を渡る。こうすれば万事解決でございやしょう。折しも今夜は大潮でさあ。急いで歩けば、潮が満ちる前に無事渡りきれるでしょうな。もっとも、ご自慢の鎧兜を泥まみれにするのがお嫌なら、無理にとは申しませんがね」
「いや、問題ござらん。姫のためを思えばこそ、これしきの恥辱が何の障害になろうか」
騎士は船長に馬を預け、夜の浜辺に足を進めた。
しばらくすると徐々に潮が引いていき、またたく星々の下、灰色にくすんだ海底が姿を見せた。泡立つ泥が波に合わせてうごめくさまは、さながら悪魔の舌なめずりを思わせる光景であった。
しかし、そのようなまやかしに怖気づく青の騎士ではない。彼は一切の躊躇なく、堂々とした足取りで泥の中を突き進んだ。
まとわりつく泥がしろがねの鎧を見る影もなくくすませたが、かの騎士は全く気に留めなかった。まことあっぱれなことに、かの騎士は己の誇りにも増して守るべきものを知っていたのだ。
これを見てしたりと思ったのが件の船長である。彼は馬を乗せて対岸に先回りすると、手下たちにこう言い含めた。
「いいか、あの騎士が波に飲まれたらこう言うんだ。あいつは絶望のあまり海に身を投げ、俺たちをその見届け人に選んだ。よって、俺たちにはあいつの遺産をもらい受ける権利があるとな」
「だけどよ、あいつが波に飲まれなかったらどうするんだい」
「その時はこう言うんだ。見るがいい、あの泥まみれの姿を。あいつは俺たちの船長に決闘を挑み、情けなくも敗れ去った。あいつが何と言おうと、鎧に付いた泥が真実を語っている。勝者である俺たちにはあいつの馬と武具の一切をもらい受ける権利があるとな」
船長の邪悪な謀り事を知ってか知らずか、青の騎士はますます勇んで海底を進んでいく。
粘り気のあるぬかるみも、絡みつく海草も、かの騎士の歩みを止めることはできない。押し寄せる波が再び海底を覆い隠す前に、青の騎士は対岸の土を踏むことができた。
浜辺には船長と手下たちが待ち構えていた。彼らは騎士の姿を見とめると、手はず通りに事を運ぼうとした。
しかし、彼らが偽りの権利を声高に主張しようとした、まさにその時である。
さめざめとした月のごとき光があたりを照らしたかと思うと、厳かな魔法のゆらめきが騎士を包み込んだ。これこそ彼の二つ名を表す青き炎である。
青き炎は飢えた獣もかくやの勢いで騎士の体を嘗め尽くしたが、その爪が騎士を傷つけることはなく、また鎧兜を溶かすこともなかった。
炎は亡者の手さながらにまとわりついていた泥と海草だけを綺麗さっぱり焼き払った。騎士の恥辱は汚れとともに浄化され、しろがね色に輝く鎧兜が不敗と潔白を雄弁に物語っていた。
ここに至って、悪漢どもはようやく自分たちが謀ろうとしていた者の正体を知ったのである。彼らは揃って震え上がり、平伏しながら言った。
「しまった、あいつは青の騎士じゃないか。ダヴェドで最も勇敢な騎士、騎士道の守り手さまだ。どうやら俺たちは獅子の尾っぽを踏んずけてしまったみたいだぞ」
「なんたる不運、いや運命というべきか。きっとこれは神様が与えた罰に違いない。俺たちの乱暴狼藉に業を煮やした神様が、きついお灸を据えに来たんだ」
船長は己の行いを悔い改めることを神に誓い、手下もそれに倣った。青の騎士は愛馬にまたがると、再び旅路を急いだ。
(11)グローリアと大陸を隔てるカーリス海峡のこと。
(12)作品によって破壊の原因は様々。嵐、海の怪物、忘れられた魔術師の妨害など多岐に渡る。しかしながら、歴史書ではこれについて何の言及もされていない。
(13)当時のグローリアは帆船ではなく手漕ぎの小型船が主流だった。 船長と書かれてはいるが、厳密には地元漁師のまとめ役といったところか。
(14)当時のカーリス海峡は現在より浅く、時期によっては歩いて渡ることができた。
(15)「拍車の汚れは未熟の証(半人前の騎士は馬を御しきれずに泥を跳ねさせる)、鎧の汚れは敗者の証(落馬以外の原因で汚れることが無いため)、兜の汚れは怠惰の証(武具の手入れ不足)」という言葉があるように、騎士にとって武具の汚れ(特に泥)はこの上ない恥を意味する。
(16)決闘に勝利した騎士は敗北した騎士の所持品を手に入れてもよいという慣習があった。
(17)昨年社交界を風靡したキャロライン・ロックハート伯爵令嬢の「青の騎士叙事詩」において、第三幕は大幅な改変を施されている。同著に意地悪な船長は登場せず、代わって異教の海底神殿とクラーケンの王が騎士の前に立ちはだかる。
クラーケンの王はロックハート嬢の著作「帳の外より来たるもの」から引用されたものであり、当然ながら原典には一切登場しない。奥方はロックハート嬢の大胆な発想に一定の評価を与えてはいるものの、いささか度を越えた改変に心を痛めておられる。
第四幕 コロシアムの戦い
石畳の敷き詰められた大道を進んでいくと、やがて大きな都にたどりついた。
城壁は見上げんばかりに高く、都の中心にはコロシアムの偉容がうかがえた。その絢爛壮大なたたずまいに比べれば、ダヴェドで最も大きな町ですら、うら寂しい寒村に思えるほどであった。
しかしながら、門をくぐった青の騎士が目にしたのは、見かけの繁栄とは程遠いものだった。閑散とした街並みと、笑顔を失った人々。市場に活気は無く、通りを歩く者はみな老人ばかり。まるで町全体が喪に服しているかのようであった。
この奇妙なありさまを問いただすべく、騎士が市中に足を踏み入れた時だ。盛大なラッパの音が鳴り響き、宝石を散りばめた馬車から美しい貴婦人が降り立った。
燃えるような深紅のドレスを身にまとい、目もくらむばかりの情熱と、生命の恵みがもたらす若々しさを存分に享受する彼女こそ、この都の女王その人であった。
女王は優雅な笑みで騎士を歓迎すると、こう言った。
「騎士さま、よくぞお越しくださいました。あなたさまのご到着を一日千秋の思いで待ちわびておりました。さあ、どうかわたくしの館にいらしてください。そうすれば、あなたさまがご満足するようなおもてなしをしてあげられます」
「いいや、女王よ、それには及ばぬ。それよりもお聞かせ願いたい。何ゆえこの都の人々は悲しみに暮れているのだ」
「彼らの罪深さゆえです。彼らは真実につばを吐き、偽りにまみれた言葉でわたくしを貶めました。今は行儀よくしていますが、見ていなさい。ひとたび目を離した途端、わたくしを醜い鬼女だの、悪魔と口づけを交わした女だのと、好き放題に騒ぎたてるのです」
「女王よ、そなたは間違っておられる。民は王の鏡。そなたが民に棘刺せば、民の言葉にもまた棘が宿る。思うに、彼らは正しいのであろう」
この言葉は女王をたいそう立腹させた。青の騎士は衛兵に捕えられ、コロシアムへと連行された。
衛兵たちもみな老人──それどころか、立つのもやっとの弱々しい者たち──であったが、青の騎士は彼らを振り解こうとはしなかった。騎士の鍛え抜かれた腕が何かの間違いでも犯せば、彼らの曲がった背骨を粉々に打ち砕いてしまうからだ。
コロシアムには多くの囚人たちが捕えられていた。彼らも老いていたが、外の者たちに比べればまだ若かった。
囚人のひとりが騎士を招き入れ、彼らを代表して言った。
「やあ騎士どの、ずいぶんと悪い時に来なすったな。あんたみたいに若くて高潔なお方には気の毒だが、ここを出るにはどちらか一方を捨てなきゃならん」
「どういうことかお聞かせ願おう」
「出口は3つだ。ひとつは女王さまの美しさを称え、あの方に永遠の忠誠を誓うこと。命は助かるが、そいつの誇りは失われる。ひとつは10日間の剣闘試合を勝ち抜くこと。誇りは守られるが、最後まで生き残った奴はいない。最後のひとつは簡単だ。死人になれば晴れて自由の身。たいていの奴は誇りを捨てるが、あんたはどうなさるね」
「是非もない。騎士たる者、己の剣で自由を勝ち取るのみ」
青の騎士は心を決めると、一振りの剣を持って闘技場に出た。
コロシアムは山のように大きく、観客席はゆうに1000人以上を収容できる広さを備えていたが、そこに座る者たちは誰ひとりとして血と興奮を求めてはいなかった。彼らの目に映るのは哀れみであり、最上段に座る女王だけが燦々たる太陽のような喜びを振りまいていた。
女王は青の騎士に問いかけた。
「さて騎士さま、わたくしの美しさを称え、永遠の忠誠を誓う決心はつきましたか」
「いいや、女王よ、御免こうむる。そなたは美しくもなければ忠義にも値せぬ。何より、わが身命はオルテア姫に捧げたもの。誓いを破ること、それすなわち騎士の死と同義である」
「勇ましいこと。ならば騎士として死ぬ栄誉を授けましょう」
女王が鐘を鳴らすと、闘技場の鉄格子が開かれ、飢えたオオカミの群れが放たれた。
腹を空かせた獣の恐ろしさ、その執拗さたるや、あえてここで語るまでもないが、武勇極めし青の騎士にとっては何のことはない。騎士はやすやすと牙を避け、一太刀で群れを丸ごと切り伏せた。
しかし、どうしたことか。まばたきひとつの戦いに過ぎなかったというのに、騎士の手足は一昼夜の激闘を終えた後のように悲鳴を上げていたのだ。
次の日、青の騎士は再び闘技場に出た。
「さて騎士さま、今日こそはわたくしの美しさを称える気になりましたか」
「いいや、女王よ。それがしが騎士である限り答えは変わらぬ」
呆れた女王が鐘を鳴らすと、今度は小鬼の群れが現れた。またしても鎧袖一触の活躍を見せる騎士であったが、その動きは先日より精彩を欠いていた。その身を襲う疲労もまた然りである。
不調の陰に見えざる力のはたらきを感じ取った騎士は、呪いの根本を探るため、密かに牢を抜け出した。
衛兵に見つからぬよう、ネズミのように息をひそめ、明かりを避け、影から影へと飛び移るように歩みを進めていくと、コロシアムの地下深くにて秘密の部屋を発見した。
部屋の中には白ひげをたくわえた老人が繋がれていた。囚われの日々は老人の気力を著しく弱らせていたが、落ちくぼんだ瞳の奥には深き知性の輝きがはっきりと見て取れた。この老人こそ、大陸一の知恵者と名高い賢者メルビンであった。
メルビンは騎士の来訪を予期しており、また彼が求めているものをあらかじめ知っていたので、その姿を見るなり口を開いた。
「ようやく参られたか、青の騎士よ。そなたがここにいるということは、あの忌々しい魔術師の罠にまんまとはめられたのであろう。しかしまだ最後の罠に飛び込んではおらぬと見える。つまり取り返しはつくということじゃ」
「メルビン卿よ、貴殿のおっしゃる罠がいかなるものか、それがしにお教えくださらぬか」
「もちろんじゃ。全てはかの魔術師の企みによるもの。われらはあやつが丹念に編み上げた蜘蛛の巣の上に絡め取られておる。それは女王とて同じこと」
「なれば、女王は操られていると?」
「かつて女王は明晰なる頭脳と月のごとき美貌で名を馳せた名君であった。その心は善意にあふれ、愛と信義を何よりも重んじ、人々もまた崇敬の念をもって彼女に仕えておった。しかし時間とは吹きすさぶ北風のようなもの。それは女王の柔肌をひび割れた荒野に変えてしまったのじゃ。女王は次第に年老いていく自分に恐怖し、やがて上辺だけの美しさばかりを気にするようになり、真実の美の何たるかを忘れてしもうた。あの魔術師はそこに付け込んだのじゃ。
あやつは言葉巧みに女王をそそのかし、魔法の鐘を作らせた。鐘の音を聴いた者は、女王にその若さの1割を差し出さねばならぬ。2回聴けば2割、3回なら3割じゃ。もう理解したであろう。都の民は鐘によって若さを奪われてしまったのじゃ。だが、そなたが奪われるのは若さだけではない。10日目の剣闘試合が始まる時、すなわち鐘の音を10回聴いた時、そなたは命そのものを失い、骨と皮だけの死人となるのじゃ」
「ならば鐘を壊しましょう」
「そううまくいかぬのが難しいところなのじゃ。あの鐘は女王の妄念が生み出したもの。女王が死ぬか、心を改めない限り、決して壊すことはできぬ」
「ならば女王を殺しましょう」
「馬鹿者。たわけ。ロバに乗ったカカシめ。そなたは剣を振り回すことしか頭に無いのか。それこそが魔術師の狙いなのじゃ。どのような理由であれ、騎士が貴婦人に手をかけることは許されぬ。それを成したが最後、そなたの名誉は失墜し、騎士の資格をはく奪されるであろう。それだけではない。ダヴェドの騎士が一国の女王を殺したとなれば、もはや争いは避けられぬ。ダヴェドの地は瞬く間に戦火に飲まれ、実り豊かな土地は血にまみれた荒野と化すであろう。あの魔術師はそうなることを望んでおる。あやつは女王の渇望を利用し、そなたの姫に対する愛の深さを利用するつもりなのじゃ。まこと恐ろしい、人の心の弱きことを知り尽くした企みよ」
「ならば女王の心を取り戻しましょう」
「よくぞ申された。それでこそ全き騎士道の担い手よ。そなたが神より賜りし善なる光を女王に見せつけるのじゃ。さすればあの方の心に巣食う悪鬼を追い払うことができよう」
それからというもの、青の騎士は試合に出るたび女王に改心の呼び掛けを繰り返した。それは心からのうったえであったが、若さへの執着に囚われた女王にとっては、わずらわしい羽音のようなものであった。
怒り狂った女王は三つ首の獅子や人食い鬼を次々とけしかけた。青の騎士はいずれの戦いにも勝利したが、その体はますます老い衰えていき、腰は曲がり、頬は痩せこけ、髪の毛は暖炉の灰をかぶったように白くなった。
そしてついに10日目が訪れた。
闘技場に現れた騎士の姿を見て、人々はたいそう嘆き悲しんだ。そこにいたのは雄々しく自信に満ちあふれた若者ではなく、剣を杖代わりにとぼとぼと歩く、覇気の無い老人であった。
これには女王も驚いた。というのも、ここまで勝ち進んだ者も、またここまで頑なに忠誠を拒んだ者もいなかったからである。
これほどの騎士を殺すのが惜しくなってきた女王は、今一度懐柔を試みようとした。
「騎士さま、そろそろ意地を張るのはおやめなさい。あなたさまはただ一言、美しい女王陛下に忠誠を誓うと口にすればよいのです。さすれば失われた若さは鳥のように舞い戻ってきましょう」
「いいや、たとえこの身朽ち果てようとも、姫のご信頼に背くことはできぬ」
「愚かしいこと。たとえこの日を生き永らえたとして、そのような老体で何ができましょうか。あなたさまの愛する姫も、醜く老いたあなたさまのお姿にさぞ失望なさることでしょう」
「であろうな。しかしながら、姫が最も失望なさるのは、それがしが老いた時ではない。それがしが己の騎士道に背を向けた時だ。いかなる虚飾を弄しても、心の老いまでは隠しきれぬゆえに」
あにはからんや、この一言が雷鳴のように女王の心を撃ち抜いた。
女王は狼狽した様子で鐘に目を向け、そこに映る自身の本性を垣間見た。それは人々が噂する鬼女の顔であり、悪魔に魅入られた者の卑しき面に他ならなかった。
ついに真実を知った女王は羞恥に顔を覆った。彼女はひざまずき、震えた声で囚人の解放を命じた。ただちに全ての者が釈放された。
女王は騎士を呼びつけ、これまでの行いを心から謝罪すると、自らの犯した罪を裁くように懇願した。
「騎士さま、お願いします。この鐘とともにわたくしを葬り去ってください。わたくしは大きな過ちを犯しました。罪には罰を、浅ましい欲望の対価は死をもって償うほかありません。ですが、わたくしには自らを裁くことができません。死が怖いのではありません。再び美しさを失うことが怖いのです。わたくしは美しさという呪いに囚われてしまったのです。この呪いはわたくしの命と引き換えでなければ決して解けはしないでしょう」
「いいや、女王よ、その必要はござらん。そなたの呪いは既に解けている」
騎士が剣を掲げるやいなや、魔法の鐘はたちまち青き炎に包まれた。鐘はおぞましい獣のような断末魔を響かせると、一握の灰となって燃え尽きた。騎士の言葉通り、女王の心はとうに妄念から解き放たれていたのだ。
若さを取り戻した人々はみな喜びに沸き立ち、割れんばかりの歓声で青の騎士を称えた。
一方、若さを返した女王はどっと老け込んでしまったが、その清々しいほほ笑みをたたえた横顔に、人々は真の美しさの何たるかを知るのであった。
(18)整備された街道とコロシアムはハイエルフの属領(後の神聖帝国)に見られる特徴である。
(19)ロックハート嬢の「青の騎士叙事詩」では青の騎士が女王の誘惑に応じ、館に軟禁されるくだりが追加される。女王の企みに気付いた青の騎士があえて口車に乗ったと解説されてはいるものの、これはオルテア姫に忠誠を誓う彼らしからぬ行動である。こうした大衆迎合的な改変は青の騎士の品位を損なうこと甚だしく、厳に慎まれるべきと奥方は苦言を呈しておられる。
(20)ここで登場する敵の多くが魔物である。当時は今より魔物の数が少なかったことを思えば、召喚術師である忘れられた魔術師の介入があったと考えるのが自然であろう。
(21)簡素な一文で片づけられる地下探検は、派生作品において実に様々な広がりを見せる。劉国では敗者を投げ入れる蛇の巣穴が登場し、旧帝国圏では牛頭の巨人が徘徊する地下迷宮に置き変わる。多彩なバリエーションに各国の地域性が表れていて、中々面白い。
(22)数多くの伝説に登場する謎の魔術師。忘れられた魔術師を止めようとして女王に幽閉されたものと思われる。
(23)無能な騎士に対する最大級の罵倒句。メルビンのいらだちがうかがえる。
(24)弱き者の守護者である騎士には女性(特に寡婦)、孤児、病人を手厚く保護する義務が課せられていた。
第五幕 魔術師との決戦
この様子を苦々しげに見ていたのが忘れられた魔術師である。
渾身必勝の策を打ち破られ、女王という後ろ盾をも失った今、この卑しい魔術師を守るものは何も無かった。魔術師は密かにコロシアムを抜け出すと、急ぎ逃げるように都を立ち去ろうとした。
しかし、それをやすやすと許す青の騎士ではない。騎士は魔術師の姑息な逃亡を知ると、猛然と馬を走らせ、今こそかの悪党を討ち取らんと追跡を試みた。
魔術師は山を越え、谷を渡り、何頭もの馬を乗り潰して追手を撒こうとした。皮肉なことに、彼の心に吹く臆病風が羽のごとき俊足を授けたのである。
青の騎士も負けじと奮起し、手綱を持つ手に力を込めた。愛馬は主人の意気に応え、竜の息吹を思わせる苛烈さで魔術師を追い立てた。
そしてついに、魔術師が根城とする塔のふもとまでたどりついた。
塔は深い森の奥、大きな湖のほとりにあった。黒々とした石が崖の上に高々と積み上げられ、青白く光る月に向かって不気味な手を伸ばしていた。
騎士は馬から降りると、慎重な足取りで塔を登り始めた。
塔の中は暗く、蝋燭の明かりさえ無かった。階上からは身を切るような寒風が吹きつけてきたが、騎士が祈りの言葉を口にすると、悲鳴を上げて道を開けた。
さらに登ると、そこは広々とした吹き抜けの空間になっていた。周囲の景色が一望でき、遠く水平線の向こうにダヴェドの街並みが見えた。
塔を支える柱のたもとには古ぼけた絵画が立て掛けられていた。力尽きた敗残兵のように打ち捨てられたそれは、華々しい戴冠式の一幕を切り取ったものであり、背景には見まごう事なきダヴェドの紋章が見て取れた。
騎士はこの絵画に奇妙な疑いを持たずにはいられなかった。というのも、その絵画は一か所だけ不自然に汚れていたのだ。新王のかたわらに膝をつく何者かの顔が、まるで何かしらの意図の現れであるかのように、真っ黒な炭に塗り潰されていた。
騎士が絵画に近付こうとした時である。柱の陰から忘れられた魔術師が現れ、自嘲するような口ぶりで言った。
「その絵画は3代前の国王陛下を称えたものでございます。陛下はわたくしにとても良くしてくださいました。わたくしもまた、陛下の厚きご信頼にお応えするべく、全き忠義のもとにその身命を捧げたのです」
「なんと。しかし、であればなおのこと、そなたの行いは全くの筋違い、道理に背いたものではないか。魔術師よ、そなたの忠義はどこに失われてしまったのだ」
「いいえ、騎士どの。わたくしの忠義は手酷く裏切られたのでございます。嫉妬が悪魔を呼び、悪魔が心弱き者たちを駆り立てたのです。ありもしない罪がわたくしを襲いました。人々はわたくしを蔑み、浅ましい裏切者と罵り、ついには陛下までがわたくしを見放されました。わたくしの名はあらゆる書物から消え去りました。わたくしの功績はあらゆる歴史書から消え去りました。わたくしの顔はあらゆる絵画から消え去りました。全ての者がわたくしのことを忘れ去った時、わたくしの忠義もまた、永遠に忘れられたのです。全き忠義が、全き憎悪に取って代わったのです」
魔術師は怒りに震える手で杖を掲げ、騎士は燃えるような闘志を胸に剣を構えた。両者はにらみ合い、ついに戦いが始まった。
青の騎士は疾風怒涛の剣技を振るい、一気呵成に魔術師を攻め立てた。しかし魔術師もさるもの、魔法を唱えてあちこちを飛び回り、騎士に狙いを絞らせない。幾筋もの炎や雷があたり一面に降り注ぎ、騎士の体に痛々しい傷跡を増やしていった。
しかし、勝利の女神は思わぬところに自らの足跡を残すもの。およそ逃げ場すら無いように見える攻撃の激しさが、かえって敵の弱みを浮き彫りにしたのである。
誠実さと公正さを宿す騎士の眼が真実を見抜いた。魔術師は派手な魔法を矢継ぎ早に唱えてはいるが、いずれの炎も、雷も、件の絵画を一切傷つけぬように放たれていたのだ。
騎士は大胆にも魔術師に背を向けた。好機と見た魔術師は笑いながら杖を振りかざしたが、すぐさま驚きに目を見張った。というのも、騎士が青き炎を絵画に向けて放ったからだ。
魔術師は絵画をかばうように立ちふさがり、青き炎にその身を焼かれた。忘れられた魔術師が唯一忘れられなかったもの、かつての主君に向けられた全き忠義のひとかけらが彼をそうさせたのだ。
魔術師は絵画の無事を知るや、何やら気の抜けた表情で倒れ伏した。そのかたわらに歩み寄った騎士が言う。
「魔術師よ、わが炎はそなたの命ではなく、そなたの憎悪を滅するのだ」
青き炎は見る間に燃え広がり、絵画を覆い尽くした。炎は絵画を傷つけることなく、その真実の姿をあらわにさせた。悪意によって塗り潰された魔術師の姿が、善意のはたらきによって取り戻されたのだ。
このことは魔術師を大いに驚かせ、また感動させた。心は晴れやかに澄みわたり、それは己の憎しみに打ち勝つ勇気を与えた。
魔術師は涙ながらに騎士の手を取り、こう言った。
「騎士どの、まこと、何とお礼を申し上げればよいのやら。あなたさまはわたくしが忘れていたものを取り戻してくださいました。わたくしはもう忘れられし者ではございません。であれば、これ以上の邪魔立てはもはや無用というもの。さあ騎士どの、塔の上にお行きなさい。そこには異界の扉があり、美しき精霊の住まう地へと続いております。その先に姫はいらっしゃいます。姫はもう長いこと、あなたさまの訪れを待ち続けているのです」
騎士は魔術師の失われた名誉を回復させることをここに誓い、さらに塔を登って行った。
(25)サジタリア西部のどこかである可能性が高いが、具体的な場所は不明である。
(26)解呪の奇跡を行使したと思われる。騎士は信仰の守り手でもあるため、神術を修めていることが多かった。
(27)伝説上の存在。特殊な魔法を操る種族とされる。エルフ、サキュバス、天使等様々な説がささやかれているが、作中の描写から正体を特定するに至らなかったことはこのテオドリック一生の不覚である。
(28)忘れられた魔術師の生死については諸説ある。青き炎によって憎悪だけを取り除かれたと解釈する者もいれば、あくまで精神的な救済の比喩に過ぎないと捉える者もいる。
第六幕 騎士の帰還
姫の居所を知った青の騎士は矢も楯もたまらず塔を駆け上がった。最上階は湖を見渡すバルコニーになっており、異界に繋がる門が騎士を飲み込まんと大口を開けていた。
門の意外な姿に思わずたじろいだのも束の間、騎士は意を決して向こう側に身を躍らせた。姫を強く愛する心が恐怖を克服したのだ。
さて精霊の住まう地とはすなわち永遠の楽園である。星々は地上にも増してきらめいていた。いたるところに花が咲き乱れ、鳥が歌い、緑あふるる森が見渡す限り続いていた。
されど精霊界は実に広大であり、さしもの騎士も姫の姿を見つけること至難の業であった。騎士が深い森の中をあてもなくさまよっていると、頭上から歌うような精霊の声がした。
「騎士さま、騎士さま、遊びましょう。なぞかけごっこで遊びましょう。わたしがみっつ問いかけて、あなたがみっつ答えるの。正解できたら教えましょう。あなたの愛しいオルテアの、彼女の居場所を教えましょう」
「渡りに船とはまさにこのこと。精霊よ、何なりと申されるがよい」
「鳥より速い、風より速い、稲妻よりもずっと速い、これなあに?」
「まなざしは一瞬にして空の果てまで届く」
「毎日生まれる白黒兄妹、兄は白くて妹は黒い。これなあに?」
「兄は昼、妹は夜だ」
「朝はミミズみたいに地をはって、昼は鳥みたいに2本足、夜は3本足で立ち去るもの。これなあに?」
「人は赤子の時は地をはうように歩くことしかできぬ。成長すると2本の足で立てるようになるが、年を取れば杖の助けが必要となる」
「大正解。残念無念、おめでとう」
知恵比べに負けた精霊は不承不承といった風に姫の居場所を告げた。というのも、精霊の言葉には魔法の力が込められており、その口から出た約束事を破ることは精霊自身にもできないからである。
「姫はこの先、きれいな花の咲く場所に。だけど騎士さま気を付けて。そこには偽の姫もいる。精霊たちが化けたもの。あなたがひとたび間違えば、オルテア姫は帰れない」
騎士は精霊の忠告を胸に刻むと、森の奥へと分け入った。ねじくれた木々をかき分け、七色の川を渡ると、やがて花園にたどりついた。
北国の花と南国の花、四季折々の花、色とりどりの花が一斉に咲き誇る、この世ならぬ美しさに満ちあふれた場所であった。なだらかな畝のいただきには朽ち果てた倒木が横たわり、騎士の心が求めてやまぬ件の姫君がたたずんでいた。
しかし、ここに至って騎士は最後の苦難に直面する。そこにいたのはオルテア姫だけであったが、同時にそれ以上でもあった。もっと多くの姫、すなわち4人のオルテア姫が騎士を待ち受けていたのだ。
4人の姫は騎士の来訪に揃って顔をほころばせ、寸分たがわぬ動きで会釈し、真心からの愛を込めたまなざしを一斉に向けた。髪の一本一本から爪先にいたるまで、その姿は鏡に映したように全く同じであった。
1人目のオルテア姫が騎士に駆け寄り、嬉しそうに言った。
「ああ、この時をどれほど待ち望んだことでしょう。さあ愛しい騎士よ、わたくしの手を取って、あなたのたくましい腕でしっかりと抱きしめてください」
すると、2人目のオルテア姫がすかさず割り込んでこう言った。
「いたずら好きの精霊に騙されてはいけません。わたくしが本物のオルテアなのです。ダヴェド一の騎士ともあろう方が、愛しい人の顔を忘れてしまったのですか」
3人目のオルテア姫が、騎士にすがりつく2人目を引き離しながら言った。
「わたくしはあなたが叙任式で述べた言葉を一字一句繰り返すことができます。それこそわたくしがオルテアである証拠。卑しい精霊よ、姿形を真似ることはできても、心を真似ることはできませんよ」
喧々諤々と言い争う3人のオルテア姫。彼女たちを遠巻きに眺めていた4人目が、歌うように言った。
「青の騎士よ、恐れることはありません。見せかけに惑わされず、己の内なる愛に耳を傾ければ、おのずと真実は姿を見せましょう」
なんたることであろうか。長き旅路の最果て、愛しき姫との再会までまさにあと一歩というところで、運命はかくも恐るべき愛の試練を騎士に課したのである。
判断を誤ったが最後、これまでの苦労は水泡に帰し、姫は永遠の囚われ人となるであろう。それは百万の矢に撃ち貫かれるより恐ろしいことであった。
とはいえ皆様、安心なさるがよい。われらが青の騎士はまことの愛に目覚めし者。愛を味方につけた者が、愛の試練に打ち勝てぬ道理は無い。ゆえに、決断は風のように迅速であった。
青の騎士は1人目を押しのけ、2人目の手を振りほどき、3人目には一瞥もくれず、4人目の脇を通り過ぎ、倒木の前にひざまずくと、次のように言った。
「わが麗しの姫よ、そなたがどのような姿になろうとも、それがしはそなたを見つけ出すであろう」
騎士は倒木にうやうやしく触れると、その枝先に口づけた。
瞬く間に倒木は消え、4人のオルテア姫も消え、ただひとりの、真実のオルテア姫がそこに現れた。全き騎士道の最たるもの、すなわち忠義と愛の勝利であった。
彼らは精霊の祝福に見送られ、ダヴェドへと凱旋した。ダヴェドの民は大いなる喜びをもって騎士と姫を迎えた。
それより後のことは、ここで語るべくもない。われらに青の騎士ある限り、物事は万事より良い向きに流れていくこと請け合いなのだから。
(28)召喚術を利用した何らかの装置だと思われる。たいていの作品では絵画、鏡、または水盆として描写されている。中には魔物の口という変わり種も存在する。
(29)精霊界が魔界であり、精霊が魔物の一種だと解釈する向きもあるが、作中の牧歌的な雰囲気から察するにこれは誤りであろう。我々が未だ知らぬ異界が存在すると考えるべきである。
(30)なぞかけの内容や問いの数は地域によって異なるが、上記の代表的な3問は全ての派生作品において踏襲されている。
(31)まこと多くの者に曲解されがちなくだりである。劉国では不老不死の霊薬、クリシュカでは食べ物が出てくる魔法の袋を授かったとされており、フォレ版に至っては精霊たちを妻に娶っている(フォレは一夫多妻制度を採用している)。されど祝福とは本来形無き願いであるからして、ゆえにこのテオドリックは次のような言葉で話を結ぶ他ない。
「2人は既に互いの望むものを手に入れていたので、精霊たちは心ばかりの祝福を授けるに留めたのである」




