『トライフォース』
錦糸町から北斎通りを両国方面に20分も歩んでいくと、副都心の喧騒も国技館の盛り上がりも届かない住宅地へと辿り着く。
JR総武線は、一日あたり数万もの人間が利用しているわけだが、彼らの多くが単なる車窓の景色として消費するか、あるいは手元のスマートフォンに夢中で目もくれない空白地帯。
それはつまり、なんらかの悪事が進行するには十分な密やかさが備わった土地柄であるということ。
「しばらくは、ここで過ごしてもらうことになるわ。
安心して。
ご飯もしっかり用意するし、シャワーやトイレにも行かせてあげるから。
なんなら、学校の勉強に遅れないよう、個人授業もしてあげる」
浦井に連れられて入ったのは、そんな場所に存在する小さな廃工場であった。
おそらく、かつては何かの町工場だったのだろう。
ちゃちな造りをした建物内には、もう何かを製造する機械類は存在せず、モルタルで固められた床の上をひやりとした空気が流れるのみとなっている。
そんな中で、唯一用意されているのが床に転がされた寝袋や、ダンボール詰めの食料類。
本気でこの場所にヒカリを監禁するつもりであることが、見て取れる備えであった。
「だそうダ。
よかたな、お嬢チャン」
大型車の運転を務めていた男が、ニヤニヤと笑いながら語りかけてくる。
黒スーツにサングラスという出で立ちの、おそらくは中国系。
そして、かなり強いだろう男だ。
ヒカリとて『龍門会』のお姫様であり、リュウカを筆頭に、暴力が生業という者たちは見慣れていた。
そういった人種に共通する強者の匂い……。
それが、この男からは濃密に漂っているのだ。
「ハハハ、ビビらせちゃったネ。
でも、お嬢ちゃん賢いヨ。
相手の強さが見抜けるやつは、長生きするネ」
そんなヒカリの姿を見て、中国男が快活に笑う。
その人懐っこくも思える態度が、かえって恐ろしい。
「そうよ、賢い子なの。
でも、しょせんは子供。
手下に守られて安全なおうちにいればいいのに、こんな馬鹿な手段であっさりさらわれちゃうんだもの」
「ハハ、さらった側がよく言うネ」
世間話でもするように語り合う浦井と中国男を見れば、二人が以前からの知り合いであることは疑う余地もない。
と、いうよりは、同じ組織に所属する者同士か……。
「……浦井さんたちは、何者なの?
お爺ちゃんたちと敵対してる組の人?」
会話に割って入ると、悪党二人は互いの顔を見合わせた。
それから、肩をすくめた中国男に代わって浦井が口を開く。
「まあ、想像はつくわよね。
そう、私はずっと前から『龍門会』に潜入してたの。
お嬢様の専属家庭教師としてね。
場合によっては、そのまま先生と生徒の関係性で終われたけど、そうはならなかった」
「お嬢ちゃんは、『トライスフォース』って聞いたことあるカ?
それが、ボクたちの組織ヨ」
――『トライフォース』。
その組織名は、祖父たちが交わす会話の中で耳に挟んだ覚えもある。
確か、大陸系のマフィア。
2000年代から日本進出を目指している連中だったはずだ。
「あなたは、交渉材料。
詳しい取引の内容は、教育に悪いから教えないけどね」
「個人的には、交渉決裂して全面抗争になればいいと思てるヨ。
そうなれば、堂々とゴクドーエルフと戦えるからネ」
今さら教育を語ってみせる裏切り者はさておき、中国男の言葉は意外なもの。
「リュウカちゃんと?」
ゆえに、その言葉が自然と口から漏れた。
「そうヨ。
ボクがというより、ご先祖様の敵討ちネ」
答える中国男の顔は、相変わらずにこやかなもの。
だが、その奥に存在する獰猛なものを見過ごすヒカリではなかった。
「一体――」
だから、続けてそう問いかけようとしたが……。
パリン! というガラスの割れる音が、それを遮ったのである。
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