父のせいで私の婚約が破談になりそうです
怪しい。実に怪しい。
私は朝食を終えた後、家のものたち全員と外出する父を見送るのが日課なのだが。
出発前、今日も父は置き時計の方をやたらチラチラ見たり、鏡で何度もヒゲの剃り残しがないかどうかチェックしたり、上着にシワがないかどうか、靴も完璧に磨かれているかなどを念入りに確認している。
「では出かけてくる。セシル、悪いが今日も夕食は一人で食べてくれ。もし寂しいのであれば、アンナ叔母さんやリタ叔母さんを呼んでも構わない」
そう言って、父は鼻歌混じりで馬車に乗り込んで行った。
怪しい。本当に怪しい。
私は眉間にシワを寄せながら、やっと一仕事終えたという顔の執事に近づいた。
「お父様ったら、とてもご機嫌なご様子ね。最近、恋人でもできたのかしら?」
白い手袋を直している執事に向かってそう問いかけるも、彼は気のせいでしょうと私に目も合わせずに答えた。
「旦那様も明るい気持ちで毎日を過ごしたいだけではないですかね。さあ、ワイン庫の確認をしにいかなければ」
執事は忙しそうなフリをしながら、その場を去っていった。
やはりダメか。
この執事は父が少年時代だった頃からこの家に勤めており、父の信頼は厚い。きっと、国王陛下が白状しろと軍隊で詰めかけてきても口を割らないだろう。
でも逆に考えれば、他人から真実に近づかれると、人は無意識のうちにそれをさらに隠そうとするもの。
執事は知らんぷりしているようだが、きっと何かを知っている。そして確実に黒だ。
私は父に恋人ができたと踏んでいる。
しかし、私は貴族の娘であり、父のことを探るために毎日遅くまで一人で出歩くなんて真似はできない。
だから、こういう時は人に頼るのが一番だ。
実は私は三人兄妹の末っ子で、上には二人の兄がいる。
けれども兄のうち、一番上のアッシャーは遠方の領地に今はいるため、こちらにはなかなか帰ってこれない。
また、二番目の兄のデイルは大学生で学業に専念するため寮に入っており、こちらもかなり忙しそうだ。
距離的にも、時間的にも彼らを頼ることは難しいが、おまけに割と冷静なので、仮に私が頼っても騒ぎ立てるなと一蹴して終わることが目に見えている。
そのため、私は私自身の婚約者であるジョージを家に呼び出した。
「へー、それで俺に頼む訳か」
ジョージは脚を組んで紅茶を飲みながら、ニヤニヤしながら笑った。彼は私よりも三つ上の二十歳だが、小さい頃からの顔見知りなので幼馴染でもある。
「ええ。さすがにこの家の使用人に尾行をお願いしても顔が割れてるから、つけられてるって父も気づくでしょう。それに主人を尾行しろと言っても、嫌がるうえに嘘をつく可能性もあるから」
私たちは今、この家の応接室にいる。
私は彼が手土産として持ってきてくれた、異国の伝統菓子という甘い焼き菓子を口に含んだ。口の中にアーモンドプードル独特の香りが広がる。
「そういうわけで、あなたのところの使用人の誰かに頼んで、父の様子を探ってきて欲しいの」
しかし。
「んー、でも別に良くない? ローレック氏だって寂しいんだろ。もしかしたら、辛かったところを支えになってくれた人なのかもしれないし」
ジョージはこの答えの通り、私に手を貸すことに難色を示した。
「それに君の母上はもう亡くなってる。理不尽に思うかもしれないけど、すぐに恋人ができることだってあると思うよ」
頼りにした彼にそう言われてしまった私は、ぎゅっとドレスのスカートを掴んだ。
そう。確かに私の母は半年ほど前に亡くなった。病で伏せっていたが、それでも唯一の救いはあまり苦しまずに天国に行けたようだ。
棺の中で眠る母を見た人々は、とても幸せな人生だったのか微笑んでいるみたいだと言っていた。
また、母はとても優しい人で、基本的に私のことを甘やかしてくれた。叱られる時ももちろんあったけれど、それは理不尽なことではなく、私のためを思ってというのが背景に感じられた。
私はそんな母のことがとても大好きだった。
少しの沈黙のあと、ジョージはこちらを見つめて紅茶をまた口に含んだ。
「それでもやっぱり何か問題がある?」
彼からの問いに、私はええ、と答えた。
「あなたの言う通り、お母様がいないから問題はないでしょうね。それは私もわかってる。でもね、シンプルに相手はどんな人なのか知りたいと思わない? 自分の親の恋人なら」
逆に私からの質問に、ジョージは一瞬視線を上にした。
「まあ、それは確かに」
「でしょう。それにね、お父様はお母様が亡くなった直後、お酒を毎晩かなり飲むほどの落ち込み具合だったのよ? 今までそこまで飲むことはなかったのに。それがここ数ヶ月くらいは、まるでその場で踊りだすんじゃないかと思うくらい浮ついているのが丸わかりなの」
「だから、それは運命の出会いをしたのかもしれないし……」
いいえ! と私は首を横に振った。
「正直、お父様は言っては悪いけど口下手だし、あまり女性にはモテないタイプよ。奇跡的にお母様と縁談が組まれてうまくいったっていうだけで。それで、お父様が片思いしてるならともかく、相手の女性も好きになるって正直……」
すると、ジョージは私が話している途中で、ああ! と大きく声を上げた。
「そうだよ。もしかしたら、ただの片思いかもしれない。例えば墓前に捧げるための花を買って、その花の売り子に恋をしたとか」
ジョージはきっとそうだ、それだ。落ち込んでいるローレック氏は売り子であるカトリーヌ(仮)に親切にしてもらい、恋をしてるんだ! と言った。
「それなら、そんなに慌てなくてもいいんじゃない? 花を買いに行くだけが楽しみかもしれないし」
「でも、それならこの家にもっと花を飾らせてそうだけど。それに毎晩遅くなって、ここのところずーっと夕食を私ととらないのは?」
「さあ? 花は君が知らないところに飾っているのかもしれないし、遅くなるのは貴族同士の付き合いもあるからだろ」
残りの紅茶を一気に飲み干すと、ジョージは長椅子の背にかけていた上着を羽織って立ち上がった。
「世の中、心配事って実は9割は起きないらしい。とりあえずうちの使用人をつけて張らせてみるよ。きっと君の取り越し苦労だってことになると思うけどね」
結果を楽しみにしててくれと、彼は軽く笑いながらその場を去っていった。
それから一週間後。
私たちは再び、家の応接室にいるのだが。
ジョージは紅茶にも手をつけず、大きくため息をつき、額を片手で押さえて考えあぐねている様子だ。
「本当に知りたいの?」
「勿体ぶらずに教えてよ!」
私が早く話すようにと急かすと、ジョージは再び大きくため息をついた。
「結論から言えば、やはりローレック氏には恋人がいる」
覚悟はしていたのだが。
私は急に全身から血がすっと抜けていく感覚に襲われた。まるで心臓の鼓動が全身に伝わっているように、体全体に小さな震えが起きているのを感じ取った。
「……そう。それでどんな人なの?」
私は顔を歪ませながらそう聞いた。
彼によれば、相手は若い女だそうだ。それも私よりも少し上くらいの。
父は毎日のように用事を済ませたあとにそちらに出向くか、あるいは丸一日過ごしていることもあるようだ。
「うわ……完全にお父様はその人に惚れ込んでいるというわけね……」
もちろん私の心は複雑だった。せめて父と同い年くらいだったらと一瞬考えたりもしたが、それもそれで……なんとも言えなくなる。
だが、人は希望がないと感じると、急になんとしてでも別の答えを探したくなるのかもしれない。
現実を飲み込もうとした瞬間、ふとある考えが私の頭に浮かんだ。
「あ! もしかしたら、父は寂しくなって犬や猫を飼うことにしたのかしら。でも、私はくしゃみが出るから我が家では飼えない。それで、父の代わりにその人にお世話をしてもらっているのかも。それなら毎日のように通うのもわかるわ!」
きっとそうだと私は顔を輝かせたのだが。
「いや違うよ」
その予想はジョージの一言によって瞬時に砕け散った。
しかし、ジョージはとっさにそう言ってしまったようで、次の瞬間にはまずいと言いたげな表情に変わっていた。
「じゃあ何? 違うってどういうことよ。それならやっぱりお父様は若い女に誑かされているの?! どうしてそんなに断言できるの?」
教えて! と私が叫ぶように聞くと、彼はあとがどうなっても知らないと諦めたような顔をしながら続きを話した。
結論から言うと、誑かされているというよりも……責任をとっていると言った方がよかったのかもしれない。
「彼女は普通の家にいるんじゃない。フェリシータ・パラディソにいる」
彼の言葉に私は目を瞬かせた。そして、その直後に硬い岩で頭が殴られたような衝撃を覚えた。
「嘘……」
フェリシータ・パラディソ。
それはある条件をもつ女性たちが優雅に暮らすヴィラだ。
その名の通り、至れり尽くせりの幸せな楽園といった場所で、女性たちの憧れとなっている。
その条件とは……
「まさかお父様が……相手をすでに身籠らせているなんて」
「ああ。俺も使用人の見間違いじゃないかと思った。けれど、ちょうど俺の知り合いの妻があそこにいたから、さらに詳しく探って貰った」
そのヴィラは、妊娠中の女性たちが出産、産後まで過ごす産院なのだ。もとは嫁姑関係にうんざりした王太子妃が、義理の母である王妃から逃れるために作ったらしい。
ここに入れば、限られた人しか出入りしないので煩わしい世間付き合いが不要になり、また自由にのびのびと過ごすことができるので母体にもいいとされている。
まあ、そのようなところなので、入るにはそれなりの金額を積まないといけないのだが。
そのため、ここに夫もしくは恋人がいれてくれるということは、それだけちゃんと愛されているという証拠にもなり、男性たちにとっては相応の財力があるとステータスにもなるそうだ。
「それじゃあ、相手は貴族の方なの? それとも大商会の娘? でもそれなら、お父様とはまだ結婚してないのに……相手方から誠意を見せろっていうことなのかしら?」
私がそう聞くと、ジョージはまた言いにくそうな顔をした。
「はあ。まあ、それは幸いといったところか、さらなる地獄というのか。相手は貴族でも大商会の娘でもないようなんだ。どうやら偽名を使っているらしい」
「偽名?」
「ああ。あそこにはそう言った訳アリの女性たちもいるそうだ。あまり社交的ではないそうだけど、それなりに教養のある女性らしい。おそらく……高級娼婦だろう」
高級娼婦。それなら絵画も、詩も、音楽の知識は当たり前にあっておかしくない。でも、父は昔からそんな噂は全く聞いたことはなかった。
けれども父もやはりただの男だったのかと、私は肩をがっくりと落とした。
まるで魂をなくしてしまったように、私が一点を見つめたまま固まってしまったからだろうか。
ジョージは大丈夫? と声を掛けてきた。
「まあ、でも、ローレック氏は義理堅い人物だとうちの両親は評してる。だから俺はちょっとある可能性を考えたんだけど」
「え? 可能性って?」
私は心あらずと言った状態のまま、彼にそう聞き返した。
「べつの貴族から、彼女を匿ってほしいと依頼されているのかもしれない」
偽名を使っている上に、あんな優雅で警備もしっかりしている場所にいる。
実はローレック氏が恩を感じている人から、秘密裏に出産の手伝いをしてほしいと頼まれているのかもしれない。毎日行くのは、様子を確認したり話し相手になっているのかもしれないと彼は言った。
しかし、私はそれに希望を見出しつつも、信じることは出来なかった。
まず、身だしなみを気にしている件もそうだが、話し相手になるといったって父は口下手なのだ。そこまで会話が持つとは思えない。
「私はお父様はどう見ても、恋に浮ついた中年男性にしか見えないわ。でも、一方でその可能性をいわれると……あー、もやもやする」
どうすればすっきりするかしら? とジョージに問うと、彼はいい案があると言った。
「それなら帳簿の確認をするのはどう? いくら恩があってもあんな場所で世話をしているなら、必ずそれなりの対価をもらっているはずだ。臨時の収入としてさ」
私はその案に頷き、彼と共にこの家の会計係に詰め寄った。
「え? え? お嬢様。それはちょっと……」
「なんでダメなの? 実はうちは物凄い大赤字で今にも破産しそうな状況なの? 私を心配させたくないから?」
「いや、そういう訳では……」
「じゃあ、やましいことなんてないじゃない。これはジョージのお母様からのご命令でもあるの。私が今後彼の家のことを監督する立場になる以上、お金の動きをきちんとチェックできない嫁なんて不安だって言われたんだから」
すると、ここでジョージが私たちの間に割って入った。
「どうか俺からもお願いします。母は家計のチェックを生きがいにしているっていうレベルで、帳簿を見るのが好きなんです。今、我々の家計の状況を見せても構わないが、それよりも自分の実家の方を見た方が感覚的にわかりやすいだろうってことで、セシルに宿題を出してきたんです。不躾なお願いだと思いますが、どうか帳簿をみせてください」
もちろん、私たちが言ってることは嘘だ。帳簿を見せてもらうためのそれらしい理由をでっち上げたのだ。
さらに彼は会計係に頭を下げることまでしてくれた。すると、さすがにそこまでされたら……と会計係は三年前から直近までの情報をこっそり提供してくれた。
「ん~……これはどういうことだろう」
私たちは今、応接室で分厚い帳簿の中を確認しているのだが。確認していく中で、とある商会が目についたのだ。
そこは女性ものの宝飾品やドレスを扱っている商会だ。それもとびきりの高価な品で有名なガブリエル商会。さらにそれだけではなく、クリスチャン商会やスキャパレッリ商会なども並んでいる。
明細をみれば、ドレスや帽子、靴の購入はそれほどでもないのに、貴金属や宝石、パール類にやたら集中している。
「けれども、手当らしき臨時収入はない」
私は収入よりも、ここ数か月は支出の方が上回っていることに頭を抱えた。
「これって、やっぱりそういうことなのかしら?」
「……残念だけど、そういうこと……みたいだね」
この結果に私たち二人はがっくりと肩を落とした。
父はどうやら、人から頼まれてその女性を匿っているわけではなさそうだ。むしろこの結果からして、くだんの女性に貢いでいるのは明らかだ。
「しかもこの金額。なにこの金額!! 一体何カラットのダイヤモンドを買ったのよ! そして個数。これだけ指輪を買っていたら、はめるのに足の指をたしてもたりないじゃない! ネックレスだってどれだけ派手なデザインなのかしら。毎日つけていたら肩こりを起こすに違いないわ!」
私は額を合計して唖然とした。
「まあ、今のところはたりない分を貯蓄分を取り崩しているようだけど、確かにこのまま続いたらちょっと、というかかなりまずいね」
顎に指をあてながら、ふぅとジョージはため息を吐いた。
父はこのところ、なんと月収の数倍どころか年間の収入額相当を使っていたのだ。
私は慌てて、現在のわが家の貯蓄状況を確認した。もし、この女とずっと関係が続けば、おそらくうちの財政は一年もつか持たないかくらいだろう。
「なんて女なのかしら! お父様もお父様よ! きっと恰好をつけて、こんなとんでもない額を使っているのね! 計算ができないほど愚かになっているなんて」
だが、私はここでふとある事に気が付いた。
「ねえ、計算ていう言葉でふと思ったのだけど……相手の女は今妊娠何か月くらいなの?」
「え? あー、知り合いによればもうじき生まれるって話らしいから、おそらく臨月……」
その瞬間私は、ああ、なんていうことでしょう! なんて悍ましいのかしら! と怒りを込めて叫んだ。
母が亡くなったのはおよそ半年前だ。でも相手がいま臨月……ということは。
「お父様ったら、何考えてるのかしら! 本当に信じられない! 再婚なんてしないとか言ってたけど、そんなのもきっと大嘘なのよ!」
私はまるで子供のようにその場で大泣きした。
計算すれば、父は母が病床に倒れているのにも関わらず、女と関係を持っていたのは明らかなのだから。
「まあ、それはともかく」
「ともかくなんかじゃない!」
「いや、セシル。落ち着いて、いや落ち着けないかもしれないけど。君の家の破産も確かにとんでもないけど、破産になったら俺たちはどうなる?」
「えっ?」
「持参金を持って来れないような家とは、さすがに結婚は出来ない。うちの両親がそう言って婚約を解消する可能性がある。あ、俺は別になくてもいいと思うんだけどね」
ジョージがそのあと何かを言っているようだが、私はそれ以上の言葉が全く聞こえなくなっていた。
ここまでの話をまとめれば、父は母がまだ生きているのにも関わらず愛人を作り、その上身籠らせた。
そこまではよくある話かもしれない。
だが、相手の女のために非常な高価なものを贈り、それが続けばわが家の財政は困窮して破産。
私は持参金も家柄もなくなってしまうため、ジョージとの婚約は破談。非は一切ないのに。
「まあ、だから、やっぱりこれ以上相手の女性に貢ぐのは良くないとは思う。だから、ここはローレック氏にかなり影響を与える人間を介して、せめて貢ぐのを注意してもらうしか……」
「いいえ!」
私は涙を拭いて椅子から立ち上がった。
「この短期間でこれだけのものを貢がせるなんて、とんでもない悪女。悪魔よ!」
「おいおい、ちょっとセシル。相手はもしかしたら、自分からねだってるんじゃなくて、ローレック氏が勝手にやっている事かもしれないじゃないか」
「そんな訳ないでしょう。だったら、こんなに高価なものはいただけないって断るはずよ。以前お母様にそれらの商会の品を見せてもらったけど、その辺の品とは大違いですぐにわかるわ。それで見分けられないなら、高級娼婦ではなくてただの娼婦と名乗りなさいって感じよ!」
私は早口で捲し立てるようにしてそう言った。これだけ私が怒っているのは、実は他にも理由がある。
それは、わが家は貴族ではあるものの、父は母と結婚した当初は経済状況が芳しくなく、貴族として体面を保つのが精いっぱいだったそうなのだ。
長年の天候不良で領地の収穫量が少なかったうえ、先代つまり祖父がギャンブル狂いだったために借金の返済もあったらしい。
その後、私が生まれてしばらくして立て直しの効果が出て、今ではそれなりの収入を得られている。
けれどもそれまでは、母に高価なものを買ってあげたくても、買ってあげられない状態だったそうだ。
挙句に、不本意な婚約解消。
ジョージとの婚約については、彼が最も適しているだろうと、他の候補者もいる中で最終的に母が決めたのだ。
そんな母の思いも踏み躙るなんて……
「お母様は私に苦労を何一つ語らなかったけど、この女は遠慮なく高価なものをもらってる。その上、破産に婚約解消。もう私は許せない。直接文句を言いに行くわ!」
「え、ちょっと! 落ち着けよ!! 待てよ!!」
私は止めようとするジョージを振り払うようにして、相手の女の所に行くことにした。
◆◆◆
私たちは目的地に着いた。
「ねえ、やっぱりやめない?」
「あら、そう思うのなら、あなたは帰って結構よ。私一人で会いに行くから」
結局、くだんの女のところには私だけではなく、ジョージも私のブレーキ役として付いてきた。
まあ、彼がいてくれたおかげで、知り合いとの面談の名目でフェリシータ・パラディソには難なく入れたのだけど。
「うわあ……」
思わず私は感嘆の声をあげた。
メインハウスを過ぎてゲートを通れば、まるでそこは南の地方にいるような光景が広がっていた。
広い敷地内には、オレンジ色の屋根の小さな田舎風の邸宅が、それぞれ一定の距離感を保って配置されている。
また、敷地の中では一見好き勝手に、さまざまな草花が咲いているように見えるのだが、白い制服を着た女性たちが水やりなどをしており、自然な雰囲気を演出する手入れがちゃんとされているようだ。
小道もちゃんと舗装がされており、妊婦用のドレスを着た貴婦人が付き添いの女性に日傘を持たせてゆったりと散歩していた。
さらに別の女性は、紫の花をつけた花畑を背景にして画家に自身の姿を描かせていたり、テラスで生演奏を背に優雅にお茶を楽しんでいる。目にした人たちは皆、幸せそうな顔をして過ごしているようだった。
だが、私はここで別の目的がある。彼女たちに関心を払ってはいられないので足を早めた。
目当てのヴィラは、区画の中でも日当たりと眺めのよさそうな好位置にあった。しかし、それが本当にお金の掛かっていそうな女だと、私をますます苛立たせる形になった。
「ここまで来たら、後戻りはできないよ。やっぱりやめない?」
「やめない!」
私はジョージを押し切り、その邸宅の扉を思い切りノックすると、少し間を置いて扉越しに声がした。
「はい……」
そう言って扉を開けたのは、私と同い年か少し年下くらいで、赤毛を三つ編みで二つ縛りにした女の子だった。
白い制服を着ていたので、この建物の中の女主人ではないことは明らかだった。
「すみません。こちらに滞在しているマリアンナという女性に会わせてください!」
私はすぐさま彼女に面会の要求をした。
すると女の子は急に背筋をピンと伸ばし、顔をこわばらせた。
「恐れ入ります。旦那様よりお約束のない方が尋ねてきた場合は、どんな方であっても面会不可と伝えられています。大変申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
私はムッとした表情をし、あなたの言っている旦那様とは私の父なんですけどね、と喉まで出かけた。
まあ、ここは警備がしっかりしていると聞いているので、当然と言えば当然なのだろう。
でももちろん、私はそれでも引こうとしなかった。
「その旦那様、いえローレック氏からの命令なのです。私の隣にいるのは、婚約者のジョージ・W・ハミルトン氏。せっかくなので、マリアンナさんに紹介なさいと言われてきたのです」
「いえ、でも……」
女の子はとても真面目なのだろう。警戒心を解かずに、なんとしてでも私たちを中に入れないようにした。
私たちは押し問答を繰り返した。
「じゃあ、もうはっきりいうけど、あなたのいう旦那様は私の父なの。ほら、ちゃんと私だって父と同じ家紋を持っているでしょう?」
「いいえ、仮にお嬢様だとしても、だめなものはだめです。お引き取りいただけないなら、警備の方を呼びますよ!」
女の子がそう叫んだ瞬間だった。
「ベイリー、どうしたの?」
奥様、中にいてください! と彼女が叫ぶ間もなく、私の目の前には奇しくも母と同じ名前である、マリアンナという父の愛人が現れた。
そして、私とジョージは彼女の姿を見て驚き、その場で固まった。
なぜなら───
明るい金髪に、エメラルドのような緑色の瞳。さらに声。その瞬間、どうして父が彼女を愛人にしたのか私はすぐ理解した。
肩に白い羽織物を掛けていた飾り気のない彼女は、名前だけではなくまるでそっくりだったのだ。
肖像画に描かれている若かりし頃の母に。
しかし、そうとはいえ彼女は赤の他人だ。
きっと自分の容姿を武器に上手く父を操って、搾り取れるだけ搾り取ろうとしているのだろうと私は推測した。
それにそもそも、高級娼婦だったらお腹の父の子は本当に父の子供なのだろうか?
様々な感情が渦巻いた私は、ベイリーと呼ばれた子を押し退けて無理やり中に押し入り、大きな声で彼女に向かって叫んだ。
「あなたのような人はここにふさわしくないわ! 父の愛人なのでしょう? さっさと早く出ていきなさい!」
もちろん、突然現れた女性にこのようなことを叫ばれたため、マリアンナの方も面食らったようだ。
「え? え? あなたたちの方こそ、一体誰なの?」
「誰ですって? まあ、図々しい。私はあなたが誑かしているローレックの娘のセシルよ!」
「セシル……ですって?!」
彼女は両手を口元で押さえて、上品に驚く様子を見せた。しかしなぜか、そのあとすぐに肩を震わせてくすくすと笑いだした。
「ごめんなさい。セシル……ああ、なんていうこと。まるであなたのお父様そっくりね」
マリアンナは私の無礼な振舞に対して怒り出すどころか、余裕を見せつけたいのか笑い続けた。
一方の私は彼女の予想外の反応に動きを止めたが、すぐにまた怒りが沸くのを感じた。
「笑いだすなんて、なんという女。なんという恥知らずなのでしょう! なんとしてでも追い出してやるわ!」
私がまた大きく叫んだ瞬間だった。
「恥知らずなのはお前の方だ! いい加減にしなさい!」
突然背後から、聞き慣れた男性の叫び声が聞こえた。普段は聞かないその人の大きな声に、私は思わず身をすくめた。
振り返れば、睨みつけるようにしている父が立っていた。
父は邸宅の中入るなり、急いでマリアンナのもとへ駆け寄り、私に何かされなかったか、怪我はないかと、先ほどとは打って変わって優しく彼女に尋ねた。
この状況に、当然私はショックを受けた。
父は実の娘である私よりも、幾らも年の変わらない女の方を取るというのか。母のことはもうどうでもいいのだろうか。
「信じられない……」
私は小さく呟いた。そして目に涙を浮かべた。
「お父様は私よりもそっちの女の方を取るというの? いくら若い頃のお母様にそっくりだからと言って……信じられない!」
その場で私は堰を切ったように大きく泣き出すと、隣にいたジョージが無言のまま私を片手で抱きしめてきた。
けれども、さすがに号泣している娘と困惑しているその婚約者を見ると、父も良心が疼くのだろう。バツが悪そうに動揺し始めた。
「その、なんというか、これには……事情があるんだ」
そうは言うものの、父はマリアンナのそばを離れようとしない。やはりその女を取るのかと、私は完全に敗北を叩きつけられたと感じた。
ここにはもういたくない。二人を見ていたくない。私はそう思った。
「私は今日までお父様の愛情を疑うことはありませんでした。でももう、私には愛情がないということがわかりました。お父様は私の婚約が破談になろうが、なるまいがもうどうでもいいですね……」
そんな捨て台詞を吐き、ジョージに支えられるようにしながら私はその場を去ろうとした。
だが。
父は大きくため息を吐くと、私に向かって待ちなさいと言った。
「いいかね、セシル。彼女は私の愛人などではない。彼女は……マリアンナなんだ。彼女は……」
一体どういう意味で、父はそんな言葉を言ったのだろう。彼女は愛人以上の存在という意味なのだろうか。私は父の言葉の途中でさらに大きく泣いた。
すると、何を思ったのだろうか。
マリアンナは私に近づくと、両腕を伸ばしてジョージの代わりに抱きしめた。
「ふふ……そうやって思い込んだら行動に出るのはあなたのお父様そっくり。安心して。私は彼の愛人ではないわ。私はあなたの……母なんですからね」
は?
私は彼女の意味不明な言葉に、鼻をすすりつつ耳を疑った。
「初めましてセシル。私はれっきとしたあなたの母のマリアンナよ。でも私がいた世界では、まだあなたに出会っていないけれど」
は? 世界? どういう意味? あまりのわからなさに、私の涙はすっかり止まっていた。
「あのね、セシル……信じられないかもしれないけど、私はあなたが本当によく知っているマリアンナなの。私は過去からやって来たの。あなたが生まれる前の世界からね」
もちろん、私は彼女の言葉がすぐに飲み込むことなんてできなかった。この女も父も、私のことを揶揄っているのではないか?
そのように予感したのだが……
「ねえ、セシル。証拠と言えばこれしかないのだけど、見てちょうだい」
マリアンナはそう言いながら、左の薬指にはめられた唯一の金の指輪を外して私の手の平に置いた。
受け取ったそれを見てみれば、どこかで見たことのあるデザインだ。ピカピカしているので真新しいのも明白だ。
さらに内側に刻まれている刻印を見れば、父と母が結婚した年と二人のアルファベットが刻まれていた。
「これはどういうこと?」
それでも私は、二人が私のことを騙しているのではないかと疑った。
しかし、ここで父が口を開いた。
「内緒にしていたのは申し訳ないと思っている。でも、私たちは本当に嘘をついてはいないんだ」
父によればこうだった。
母が亡くなって少し経ち、父は母との思い出に浸ろうと昔の品々を手に取って眺めていた。
その中のうちの一つに、父は思わず目を見開いた。それは古い手紙だった。
手紙の内容を見れば、ある日付にその公園に行けば母が待っていると。そしてその日付はちょうど今日。
慌てて父がその公園に行けば、部屋着姿のマリアンナがポツンと一人でベンチに腰かけていたそうだ。
「雷が酷い中、家の中で編み物をしていたの。割れるようなすごい音がしたと思ったら、私はこの世界にいた」
マリアンナによれば、一面真っ白になったと思った瞬間、見慣れた光景ではあるがどこか違う今の世界にいたそうだ。
編み棒と毛糸を持ったまま、スタンドで売られている新聞の日付を確認すれば、日付がうんと先になっている。
信じられない状況に、茫然として公園のベンチに腰かけていたところ、まるでタイミングを見計らったように父が迎えに来てくれたそうだ。そして保護されたと。
「ところで、このお腹の中にいるのは誰だと思う?」
突然、彼女の方から質問を投げてきた。
「え?」
「今このお腹の中にいるのはね、あなたのお兄さんになる人なのよ」
「ええええええ!?」
「一番上の男の子。まだ名前は考えていなかったけれど、アッシャーというのでしょう? ローレックから聞いたわ」
マリアンナはそう言って、自分の大きなおなかを優しく撫でた。
やっと誤解が解けたというような顔をして、父がまた口を開いた。
「稀にこういった巻き込まれ事故が起きるらしいんだ。王家のやっている魔術研究のせいで。だから、マリアンナをもとの世界を戻すために大魔導士を呼んだのだが、多忙らしくなかなか来てくれる日程が合わなかった」
しかし過去に比べたら、わが家は今かなり裕福だ。大魔導士を待っている間、せっかくだから贅沢をさせたいと、父は母をここに匿ったのだという。
にわかに信じられない話だが、二人の様子からして本当に嘘はついてないように私は感じた。
確かにここであれば世話から出産、産後まで全てを慣れた人間が対応できるので、彼女を滞在させているのも理に適っているだろう。
でも、あの高額な貢物はどういうつもりなのだろう? 父は再会があまりに嬉し過ぎて、大量に贈ったのだろうか?
「それじゃあお父様が贈った宝石や貴金属類は? お母様はあんな高価なものをねだるほど、派手好きだったり強欲な人ではないわ」
私はさりげなく部屋の中を見たが、調度品は高級なものが置かれていても、マリアンナが派手に生活しているようには到底思えなかった。
「なんでそこまで知ってるんだ?」
当然、父は訝しんだ。私は誤魔化しても仕方ないと思って素直に帳簿を見たと白状した。
「まさか、そこまで確認しようとするとは……」
父は呆れながらも、私の質問にこう答えてくれた。
「あれは過去の自分への軍資金だ。刻印が変わってしまったから、現在の貨幣は彼女に渡すことはできない。でも、一流の商会が扱ってる貴金属や宝石類なら、換金すればそれなりになるし、貨幣に比べたら持ち帰る量も少なくて済む」
さらに父によれば、結婚後、母は貴族同士の付き合いを上手くやってくれていたが、それだけでは家の経済状況を立て直すには足りなかった。
領地で育ててる農作物を思い切って別のものに変更しようとしても、相応の資金がいる。
だから未来の自分が過去の自分を支援するために、プレゼントも含めて高価なものをマリアンナに与えていたのだと伝えた。
「大魔導士が来るのは出産予定日を過ぎてからだ。彼女はアッシャーと共に、贈った品と過去の自分宛の手紙を持って帰ることになる」
父はさらに、その後の過去の自分の話をすれば、家に帰ってみたら朝はまだ妊娠中だった妻がすでに出産済み。居間には文字通り宝箱のような大きいジュエリーボックスが置かれていて、腰を抜かすほど驚いたと語った。
「こうやってローレックに助けてもらえたんだもの。未来の私は、ちゃんと幸せな人生を歩めていたみたいで本当に良かったわ」
マリアンナは微笑んでいるが、私はその言い方に妙なひっかかりを覚えた。
「幸せな人生?」
「ええ。短い生涯を終えるとしても、未来の私はこんなにあなたにも、ローレックにも愛されているようだから」
彼女の言葉に私は思わず、お父様! と叫んだ。
「お父様、相手は妊婦なのよ! どうしてお母様の事を言ってしまうのよ。いくら口下手だって、言っていいことと、悪いことがあるでしょう!」
再び私が父を責めようとすると、落ち着いてと止めたのはマリアンナというか、母だった。
「ローレックは悪くないわ。だから責めないで。私は当初、この世界での私はどうしてるのと尋ねたけど、彼の言っていることはすぐに嘘だと気づいたの。だから……正直に教えてって話してもらったの」
その話に、どうして母はいつも私だけではなく、兄たちにも優しかったのか私は理解した。
母は自分の死期を知っていた。だから、悔いがないように私たちとの時間を常に大切にしていたのだ。
「お母様……」
思わず私はそう漏らし、再び目に涙を溜めて、そのまままた泣き出してしまった。母は先ほどと同じように、私の体を優しく抱きしめた。
そして。
「ねえ。ところで隣にいらっしゃる方は、あなたの婚約者なの?」
「え、ええ」
私たちの家族を邪魔しないよう、黙って脇に立っていたジョージに向かって、母は視線を送った。
「そう。それならね、せっかくだし、私からお願いがあるの」
「お願い?」
「そう、お願い。耳を貸して!」
まるで女友達にするように、微笑みながら母は私に向かって耳打ちをした。
◆◆◆
敷地内に建てられた小さな教会の鐘が鳴り、讃美歌が流れるなかで。
私は父にエスコートされ、司祭が待つ祭壇へと向かっていた。
母に加えて世話係のベイリー、それ以外にもこの施設にいる女性たちが、笑顔でこちらを祝福している。
私はレースと絹でできた真っ白なドレスを着て、祭壇で待っているジョージのもとに向かった。
私の手を父が離す瞬間、彼は微笑んではいるものの薄らと目に涙を浮かべているようだった。
司祭からありがたい神の言葉を向けられるなか、私たちは永遠の愛を誓った。
「これで良かったかしら? 大丈夫かしら?」
私は参列席で立っていた笑顔の母に向かって尋ねた。
「ええ。私の夢を叶えてくれてどうもありがとう。とっても、とっても可愛らしくて綺麗よ」
何も知らない人たちから見れば、私たちは母と娘ではなく、姉妹か何かにしか見えないだろう。
母のお願いごと。
それは私の花嫁姿を見たいということだった。
まあ、もちろんこれは本当の結婚式ではない。
ここは至れり尽くせりの環境の楽園だ。よほどのことがない限り、大抵のことは滞在者の願いを叶えてくれる。
産後に彼女は遠方に行ってしまうので、模擬的な結婚式を挙げさせて欲しいとお願いしてやらせてもらったのだ。
しかしこういったことは思いの外よくあるようで、婚礼衣装の準備も含めて、依頼した翌日には完璧に準備をしてもらえた。
さあ、これで後は何の心配もなく、母には出産に臨んでもらえると思ったのだが。
「本当に結婚をしたら、どうか末永くお幸せに」
そう祝福の言葉を母が述べて、ジョージに向かって私のことをこれからもよろしく、といった瞬間だった。
「……っ……!」
急に母は顔を歪めると、木のベンチにくたりと座ってしまった。
これは、もしかして……と私とジョージは顔を見合わせた。
素早く付き添いのベイリーが母の様子を確認すると、大至急この場で出産の準備に入ると宣言した。
「うっそおおお!!」
私が目と口を開けっぱなしにして驚いていると、嘘ではありません! とベイリーから真剣な声が飛んだ。
「皆様はこちらをご退出ください! ここは私たちが責任をもってお子様を取り上げます!」
慌ただしく医師もやって来て、さらにクッションや清潔な布、お湯、そしてタライなどがその場に運び込まれ、ベイリーの他に手慣れているものたちによって、母の子供……つまり私の兄は無事取り上げられた。
一方で私は母を一人にするのは心配だったので、婚礼衣装を着たまま、母の背中をさすったり汗をぬぐったり、手を握ったりと、出産を手伝うことになった。
……おそらく世界中を探しても、滅多にできない経験をしたのではないだろうか。
こんなドタバタが起きてから数週間後。
ついに大魔導士がやって来て、母と赤ちゃんの兄は魔法の光に包まれて、元の世界へ帰っていった。
大魔導士がやって来るまでは、私もふわふわで柔らかな兄を存分に可愛がらせてもらったのだが、なるべく母と父の時間は邪魔をしないようにした。
けれども、母が去っていった後の父は、やはりどこか寂しげだった。
「お父様。良ければ今日、ジョージの家の夕食会に一緒に参加しない? あちらのご両親も是非にと言ってくださっているわ」
私は父の寂しさを少しでも紛らわせられればと思いそう提案したが、彼は首を横に張った。
「いや……お前ひとりで行きなさい。せっかくだけど私には別の用事があるから」
父はご両親によろしくとジョージに言って、太陽が地平線に隠れ始めているなか、静かにその場を去っていった。
「お父様……本当に大丈夫かしら。私も当分優しくするように気を付けなくちゃ」
引き留めなかったが、それでもやはり私は心配だった。父は本当に母と別れてしまったのだ。父にとっては心の奥底から愛していた人と。
そこまで母のことを想っていたと知ったのは、この一件があったからだ。
過去からやって来た母と私が初めて遭遇した際、彼女は私と父がそっくりだと言った。それは生前の母からも度々言われていたが、どこがと聞いても詳しくは教えてもらえなかった。
でも、私は見た目的には父にあまり似ていないと思っている。そのため、出産後の母にあれはどういった意味だったのかと尋ねた。
「それはね。ローレックは婚約当初は豊かではなかったから、私の祖父母、つまりあなたにとっての曾祖父母が大反対して破談にさせようとしたの」
とはいえ、母は父と別れるつもりはなかったようだ。
しかし、話をどこでどう聞き間違えたのか勘違いした父は、土砂降りの雨の日のなか、母の実家までやって来てずぶぬれになりながら、別れさせないでくださいと懇願してきたそうだ。
「口下手なあの人が、ここまで行動に出るなんてびっくりしたけれど。だから、この人ならきっと大丈夫と思って私は彼と結婚したのよ。でも、そんなところがあなたにも似たのね」
母は父との思い出を嬉しそうに語ってくれた。
「まあ、ローレック氏は大丈夫だと思うよ」
私の言葉に、隣に立っていたジョージが返した。
「どうしてそう言い切れるの? 父は母の葬儀直後はお酒を沢山飲んでいたわ。寂しさに耐え切れなくなって、それこそ……今度こそ変な女に捕まってしまったりでもしたら!」
「あのさ、もっと信じてあげたら? あそこまで本気で女性を好きだった人なら、一時は寂しさで束の間の恋をするかもしれないけど、そう簡単に本気にはならないと思う」
さらに彼はもし父が自己中心的な性格だったら、過去に返すことなんて考えないで、どこかに密かに住まわせていただろうと言った。
「だから本当はとても強い人なんだよ。それに君の母上とは、憎しみとか恨みの別れではなくて、美しい思い出しかないんだからね」
すました顔をして言っているが、本当に彼がそんなことを思っているのだろうか? 私はどうも信じられなかった。
「ふうん。まるで人生を達観してる人がいいそうなセリフね。逆に二十歳の人が言っても深みが欠ける気がするけど。本当にそう思ってるの?」
なかなか辛口だなと言って、ジョージは笑った。
「やっぱり? バレたか」
私の返答に彼は、これは小説に出てきた言葉だと返した。
「じゃあ、代わりに二十歳の男らしい持論を言おうか?」
「何よ」
「わかった教えよう。寂しい気持ちを簡単に吹き飛ばせる方法を。赤ちゃんを見て、あんな顔をしてたローレック氏なんだから間違いない」
今度の彼はとっても自信ありげな表情で、私のことを見つめてきた。でもニヤニヤしていて、なかなか教えてくれない。
「それは何よ? 早く教えて!」
「まあ、焦るなよ。それは……」
ジョージは姿勢を屈めると、私の耳にこそこそと囁いた。
「模擬的だけど結婚式はもう済んでる。だから、一応済ませてるって言い張れば、順番は違っても文句は言われない。つまり、早く孫を見せればきっとメロメロになる!」
「えっ?」
「だから今日はうちに泊まっていったら? 俺の部屋の隣は空いてるし、内扉で繋がってるんだ。でも鍵が壊れてることは誰も知らない」
鼻の下を伸ばしたジョージの手が私の腰に回される。
「あとうちの使用人は口が堅い」
それはつまり……
「何考えてるのよー!」
さらにジョージは目を瞑って顔を近づけてきたので、私は彼の両頬を思い切りつねった。




