第5章 新たなる始まり
いよいよと言えるほどではないかと思いますが、多少は受け容れ難いまじめな文章を緩和した物語の始まりです。(四章までは私の信条ですので変更はありません)なんと言っても今回の物語一新のメリットは、第一に「にぎやかさ」、第二に、「仲間の個性と魅力、さらには親近感」です。 これからはそれらをテーマに物語を進めていこうと考えております。もちろん、物語のはじめと締めくくりはそれ相応の私の信条に沿って作成します。(各々の章ごとではなく、物語を総合的に見た時の基準という意味です。)
「エメラルド色の海は貯水池のように、風もないためか、ひとつのうねりも起こさなかった。」
誰かが一人で歩きながら、潮風にべとつく髪をふわりとさせて下を向いている。
「これは現実なの?」
「そう、君が君である以上、僕はこの無の状態から逃れることができないんだ。 僕の血を分けてあげようか? 君が望むならね。」
「いや、やめて!」
「どうして? 僕にはもう必要のない命なんだ。 君が悲しんだところで無駄な心配だよ。」
その声に反応して、誰もが驚き、または笑って見ている。
「無駄なんかじゃないわ! あなたは死ぬことで大切な者たちと一緒に、記憶を消そうとしてるのよ! 私にはわかるの!」
「分かるかああああああ!」
突如として現れた彼女によって、歩きながら自作の小説を演劇気味に音読していた木島は強烈な本のビンタをくらった。
「何が、いや、やめて! だ。 みんな見てるでしょ?」
夕華は不機嫌の絶頂にいるような顔で、プイッと横を向いた。
「久野さん。 いやさすがだね。 二日間も休むとこれだけストレスがたまるのか。 でも、いいの?」
「え?」
彼女は今自分のとった行動のせいで、周りの反応に気がついて声を失った。
二人はまさに学校中の好奇の目にさらされている。
「恋人みたいだね、僕たち。」
「変な想像しないで!」
「よう、二人とも元気か?」
潮田ははじめは威勢よく声を張り上げたが、次第に状況を理解して、おそるおそる質問した。
「なあ、お前らひょっとして…」
「違う違う! こいつよ! こいつが悪いの! だから、別にこいつが好きとかじゃなくて、え、ええと…」
彼女の慌てようを見て、彼は隆平に向けてため息をついた。
どうしてこうなったのかを知りたかったのだが、隆平の涙を見た彼はたずねる気が失せてしまったのだ。
「なぜとは聞かねえけど、やっぱり気になるな。」
「僕はどっちでも。 もし聞くなら、今度は君を泣かせてあげるよ…」
木島の笑みからはまがまがしいオーラが漂っていた。
「いや、やっぱりいい。 お前の目で分かった。」
「そんなことより。」
「ん?」
隆平は夕華に向かって、いつものように落ち着いた声で話しかけた。
「僕たちで、何かをやらないか? 普通じゃ出来ないことをね。 おもしろそうだと思わないかい?」
「普通じゃできないことか?」
私は高らかに鳴るラッパの音の方に視線を投げた。
あの音楽好きの少女たちを普通というなら、私は何なのだろう?
「そんなこと、考えたこともなかったな。 何か、いいアイデアないか?」
潮田よ、聞く前にまずは自分で考えよう、と彼女は心の中でつまらない俳句を作っていた。
結局、二日間の休みの間に文化祭のアイデアは不採用になっていて、今さら考える気も失せていた。
「そうだ! 私たちだけの部活を作ろうよ? 文化祭の出し物も私たちだけでやるの。 どう?」
「俺たちだけでやるのか?」
苦笑いを浮かべて逃げようとする潮田のワイシャツを、彼女は素早く反応してつかんだ。
なにも行事をクラス単位で行うこともない。
何かを自分でするという目的は同じはずだから、きっと許可が下りるはずだ。
そういったことを見越して、夕華は自信をもって彼を連れ戻した。
「潮田は私のこと嫌いになったの?」
「いや。 お前のことは別として、とにかく面倒は嫌だ。」
彼が泣いて許してくださいと願い出る姿を想像していた夕華は思わぬ彼の言動にたじろぎ、むーっとした顔で潮田をにらんだ。
「ふっ…」
彼をぼこぼこにしようかと考えていたとき、隆平が急に鼻であざけり笑いをした。
「面白い。 君のアイデア、やってみよう。 それと潮田。 もし君が彼女によって逝ったら、僕がこの腕で悲劇のストーリーを書いてあげるよ。」
場の流れは一気に進んだ。
彼女が目を光らせ、ニタニタと笑いながら隆平の頭をなでると、潮田の腰を抱え込んで、樹のそばにあったくずかごに頭からシュートした。
「決まりね。 そうとなったら、さっそく生徒会長に部をつくる許可をもらわないと。」
「ああ。 僕が今日の放課後にうまく掛けあってみるよ。 それと、なんて美しい死に様なんだ君は。 さあ、どうやって表現しよう。」
潮田は白目をむいて口をあんぐりとあけていた。
そしてしばらくして起き上がって、苦労の末に、白いペンキで塗られたくずかごの中から脱出した。
「お前の美しさの基準が分からんわ! あと、わざわざ文章で表現するな!」
彼の息の切れがちな声のあと、すぐに授業の始まりを告げるチャイムがなった。
「そこをなんとかお願いします。」
隆平は夕華と潮田の三人で、生徒会長を務める道谷正使に深々と頭を下げていた。
部をつくるには部室が必要だが、先ほどから許可が下りる気配がない。
「我が校では、部員は最低でも五名以上を有しなければ、部活動を行う権利は認めない。 わざわざ私に聞きにこなくとも、生徒手帳に書いてあるはずだが?」
つりあがった目つきと、くすりとも笑いそうにない仏頂面をした彼らとは一つ違いの男の先輩だった。
夕華と潮田が呼ばれたのも、人数をごまかしていないかどうかという会長の意向だった。
「ですが、私たちは部を通じて何かを…」
「例外を認めれば公平さに欠け、校則は用済みも同じだ。 それに何かだって?」
会長は手帳を閉じて、椅子にだるそうに腰掛けた。
「目的も定まっていないものなど、相談するにも値しない。 まさか、寝ぼけてるんじゃないよな?」
「隆平、何か言ってやってよ!」
こんなとき、彼ならどうにかしてくれると思っていた。
「会長…。」
隆平の真剣な顔と言葉に、道谷会長も筋がありそうな男だと判断したのか、微妙に眉をひそめた。
「何かね?」
場の空気が重々しくなってゆく。
「すげえ、二人の間に燃え盛る火柱が見える。」 と潮田。
当然そんなものは見えないが、妙な威圧感が場を支配していた。
「会長は…」
いけ、言ってやるんだ隆平!
私は口が開いているのも忘れてその二人をじっと凝視した。
「会長は、ハイソックスと二ーソックス、どっちが好みですか?」
「このバカぁああああああ!」
「ぐはっ!」
ドスっという強烈なこぶしの音とともに、隆平は倒れた。
「失礼しました!」
「おい、久野!」
彼女は話をそらした隆平を殴った後、気絶した彼を引きずって早々に場を立ち去った。
「隆平、大丈夫か?」
潮田はとりあえず保健室まで行き、夕華に殴られた彼の頬を手当てしていた。
普段なら保健室のおばさんがいるのだが、放課後の時間になるといつも帰ってしまうのだ。
「自業自得よ。」
痛みに顔をゆがめる隆平に向かって、彼女は相変わらず厳しい態度を崩さない。
「あんまり怒るとハゲるぞ?」
潮田が冗談交じりに言った。
もちろん彼女をなごませるためだ。
「それを言うなら、しわが増えるでしょ?」
自分で言うのも女として恥ずかしかったが、今はそんな気分ではない。
なにしろ部をつくるチャンスをこのバカのせいで台無しにされたと本人は思っていた。
「いやいや、ここはあえて、『あんまり怒ると、インド産のコショウ国道に振りまくぞ?』のほうが君には似合ってるよ。」
それまで顔をさすっていた隆平が余裕の笑みで笑いだした。
「こいつ、全然反省してねえ…。 ていうか、コショウまくなよ。」
誰も困らないが、肺の弱い老人なんかにはさぞきついだろう。
とくに排気ガスと香辛料のにおいが絶妙にマッチすると思われた。
「あんたねえ、少しは申し訳ないと思わないわけ? いい? 今度あんなこと言ったら、コショウだけじゃなくて、教室の上の階からミルクティー垂らすわよ?」
何気に彼女もつられていた!
「面白そうだね。 ミルクには養分が多く含まれているから、新種の植物が成長するよ、きっと。」
「だたの公害じゃねえか。」
潮田はこのやりとりがいつまで続くのか、頬づえをついて聞いているのも飽きたのか、自分からツッコんできた。
「なら私は、あなたをゆーちゃんと呼んでみたいです。」
「ちょっと、隆平、何言ってって違う…」
彼女はその場にいないはずの声に、ふと振り返った。
「あなた、誰?」
おとなしい声の主が、文都高校の制服を着て、三人の前に立っていたのだ。
次回の更新は6月1日の予定です。