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第2章 その涙の意味を、いつか分かち合える日が来るだろうか?


 「違います。 先生は変です。 いいえ、普通という名の病気にかかっています。」


 全員の瞳が、一瞬で私に向けられたのが分かった。


 これが、普通の引力なのか?


 それでも私は口を開く。


 「私は、一人の人間として先生を見ています。」


 男子の一人が、挑発気味に口笛をヒューと鳴らした。


 でも、そんな意味で言ったんじゃない。


 「待て、それはつまり…」


 驚いた。


 この教師もどうやら意味を取り違えているらしかった。


 私はその程度の頭の女としか見られていなかったということだろう。


 本気で私の言った意味を、教師は考えてはくれなかった。


 本気じゃなかったんだ、このうそつき!


 「そういう意味じゃありません!」


 だいたい、それでは話の内容が飛び過ぎてよく分からないはずだ。


 「なら、どういう意味だ?」


 言うんだ自分。


 勇気とは与えられるものじゃない。


 自分でつくるものだ。


 私は両肘りょうひじを灰色の机について手を組む男に言い放った。


 「先生はなぜ考えないんですか? 生徒がいて、先生がいる。 それが教室です。 違いますか? 授業だって先生がいなかったら、私たち何もできません。 私は先生のその決まり文句が嫌で仕方ありません。」


 何よあの子、という声やあざけり笑いが周囲から聞こえてくるが、かまうものか。


 私は女だ。


 嫉妬深い女に生まれたからには、絶対に最後まで全部言ってやるんだ。


 「私を、私たちを差別しないでください! 確かに想像力では先生の方が上で、先生のアイデアの方がいいに決まっている。 でも文化祭だって、行事はみんなでやるもののはずです。 なぜ先生はアイデアを出さないの? なぜ自分だけ特別だなんて思うの? 私はそれがさみしいです。 はっきり言いますが…」


 私は大きく深呼吸した。


 「私は本気です。 本気だし、普通の子じゃありません! 私を差別しないで! 差別であなたの心を汚さないで! 大嫌い!」


 「おい、久野!」


 先生の呼び声にも応じずに、私は相変わらず彼に向ってヒューヒューと高い音を出す下らない教室を後にした。






 「お前たち、静かにしないか!」


 「女たらし!」


 「キモーい!」


 教室では先生に対するブーイングや理解不能の男子の叫び声が飛び交っていて、もはや授業どころではなくなっていた。


 俺は何をやっているんだ。


 大好きな片想いの子が出て行ったのに、その子の正体を知って幻滅して、追うのをためらうなんて。


 クラスの片隅で、夕華を今日までひっそりと愛してきた潮田弘樹しおたひろきは、入学して以来、この文都高校初の大クーデターを前に、何をすべきか見失いかけていた。


 あの担任が、生徒をうまくまとめることができない器であることは、彼自身も薄々気づいていたし、それが今になって明らかになったところでどうでもよかった。


 だが、彼女の人柄には目を見張った。


 彼女は一体どこへ行ったのか?


 自分は普通ではないと言っていたが、何か悩みがあってああなったのなら、身勝手ではあるが、片想いの相手として放っておけない。


 自分の手であの子を悲しみや邪険から救ってやりたい。


 「倉澤のバカヤロー!」


 教室は、教師である倉澤道雄くらさわみちおの悪口でますますヒートアップした。


 あげくは一部の男子による帰れ帰れの大合唱までもが発生した。


 「おい、静かにしろ! 先生を呼び捨てにするんじゃない!」


 皆が先生に反逆していた。


 フランス革命を世界史で習ったが、今この現場についてはそれ以上のような気がする。


 自由を求めて授業をたたきつぶす、民衆、もとい生徒たちは目の前の惨劇に夢中で、誰ひとり俺に気づいてはいなかった。


 潮田はトイレに行くふりをして、それとは反対の方の廊下に向けて走って行った。






 屋上から見える星を想像する機会など、私にとって少なくともこの二年間、ただの一度もなかった気がする。


 一目見たら、どんな気持ちになるのだろう?


 「はあ…」


 ここに来てからため息はすでに十回目だ。


 汚いコンクリートの上に寝そべって、空を見上げる瞳に映るのは、雲に隠れておぼろげな光を放つ太陽と、沖縄の潮風に乗って優雅に舞う海鳥の群れ。


 ああやって高いところまで行けたら、誰にも普通がいいなんて文句は言わせないのに…


 「何してるんだ?」


 「うわあ!」


 無意識のうちに人影を見た私は頭を思い切りぶつけそうになった。


 立ち上がって振り向くと、うちのクラスの潮田がそこにいた。


 「なんだ、君か。」


 潮田と夕華は顔を知ってはいたが、あくまで同じクラスだからという理由で互いを確認できるくらいの縁しかなかった。


 「私に何の用?」


 もしかしたら、笑いに来たのかもしれない。


 彼女は警戒して険しい顔つきで接した。


 「そんな目で俺を見るなよ。 俺は、その、お前が心配で…」


 「今初めて話をしたのに? うそつき。」


 「うそじゃないって。 ちゃんと心配してるよ、久野。 なあ、どうしてあんなこと言ったんだ? 皆じきにうわさするぞ。 お前のことを…」


 「やめて!」


 彼女は精一杯力を込めてひなった。


 はるか上空を飛びまわる鳥たちが、彼女の声を仲間の声と勘違いして鳴いていた。


 「悪かったよ。 俺はただ、お前を助けたくて…」


 「あんたには分からない。 私は普通になりたくないの。」


 先生にあんなことを言ってから、私はもう普通の子と違って、皆の輪の中に入ることなんてできない。


 無理に戻ろうとも思っていない。


 でも、なぜ私は泣いているんだろう?


 恐ろしいのではなくて、さみしかったのではなかろうか?


 そう、普通ではない子が私だけ。


 「ほら、ハンカチかしてやるよ。 戻ろうぜ、教室に。」


 女心としては一人にして欲しかった。


 戻ったところでみじめなだけなら、ここにいた方が良いのだ。


 「やだ。 私帰る。」


 「帰るって、学校はどうすんだよ! いい加減目を覚ませよ。 どうしてあんなこと言ったんだ? 誰かに何か言われたなら俺が…」


 「そんなにみんなの中にいたいの? どうして?」


 彼はなぜそこまで集団にこだわるのだろう?


 そんなにみんなと同じ、普通がいいのなら、私のところになんて来なければいい。


 そんなに私を連れ戻して以前の漫然とした無気力なクラスにしたいなら、彼一人でやればいい。


 彼と教師と私以外の全員で、死ぬまでニセモノの喜びを満喫していればいいんだ!


 私は心の中にその気持ちをしまいこんで、屋上から逃げ出そうとドアを開けた。


 「…。」


 「やあ、久野さん、と、お客さん?」


 やつだ。


 いつの間にかそこに木島隆平が立っていたのだ。



 次回の更新は20日の予定です。

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