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序章 少女にかけられた呪文

 大変お持たせしました、カーレンベルクです。個人的に好ましいジャンルでなかった場合は申し訳ありません。次回にご期待ください。

 さて、今回ははじめファンタジーにしようかと迷ったのですが、前作がファンタジーだったために、同じジャンルばかり続くと読者の皆様が飽きてしまうのではないかと思い、文学に着手しました。 文学と聞いただけでめまいがするような方もいらっしゃるのではないかと思いますが、文学にしかない深い小説の世界を楽しむ事もできるはずです。

 私自身、文学作品を書くのは初めてですが、自分の中にある知識をうまく使って、なるべく読みたくなるようにつくっていきたいと思っています。 今回もいつもと同じく、更新日のおおよその目安を後書きに記載しておきます。 では…カーレンベルクの小説の世界をじっくりとお楽しみください。

 

 彼は机に突っ伏していた。


 両腕をひたいのところまでつけて、体を椅子いすに丸めてひっそりとしている様子は、まさに戦場の塹壕ざんごうを思わせた。


 ここは教室だ。


 身を隠す場所などどこにもなく、彼はさらしものになっている自分の左の頬を夕日に照らされていた。


 目の前には黒板に白いチョークで、それもかなり太めの字で、― 45分までに終わらせること。 逃げたら逃げた日の分だけ課題を追加する。 ― と書いてあった。


 周囲には誰ひとりとして残っておらず、彼が彼自身の存在が置き去りにされたことを、この世の全ての憎悪として表現しているように私には見えた。


 この手の生徒は凶暴であるかと思われるだろうが、彼は違った。


 違ったというより、そもそもこういった補習という特殊な場にいる人間が普通であるわけがないと私は思っていた。


 だから彼に声をかけた。


 自分を変えてくれる人間が欲しかった。


 普通という沼にまれないように救いを求めた。


 半分は好奇心だった。


 残りのもう半分は分からなかった。


 万が一、ただ課題が面倒で寝ているだけだったのなら、適当にあしらって帰ろう。


 私は彼に近づいた。


 本当に眠っているのだろうか?


 背中が肺の空気圧でしぼんだりふくらんだりしているのは確認できたが、肝心の反応がない。


 彼の乱雑に伸びた後ろ髪が、開いている窓から入ってくる風になびき、眠りという心地よさに拍車をかけていた。


 背丈は小さく、黒い制服に包まれた漆黒の腕のラインは、女性のものと見分けがつかないくらい細かった。


 見た目で人を判断するなとよく言うものだが、いつもこの決まり文句をうっとおしいと思うときがある。


 とくに彼を見た時、私はどうしてこんな子が、と無意識に考えていた。


 考えられる理由は、おそらく勉強ができないから。


 ああいう派手な格好が嫌で、なおかつ勉強ができないのかもしれない。






 とにかく考えていても仕方がないから、声をかけようと彼の肩をコンコンと軽く触ってみた。


 何かが私の手についた。


 湿った黒髪だ。


 短いからきっと彼のものだろう。


 今だに反応がない彼をよく見ると、字がびっしりと埋まった答案が彼の上半身と机の間に挟まれていた。


 ちょっといたずらして見てやろう。


 私は紙を引き抜こうと、彼の前に出てきて、その白くとがった先っぽを引っ張った。


 ビリツ、ビリビリ!


 「あっ!」


 彼の書いた答案用紙が、驚くほど簡単に八つ裂きになってしまった。


 「ご、ごめん! 私てっきり…」


 私は彼を見て声を止めた。


 泣いている。


 よほど頑張って書いたのだろう。


 それを私が一瞬でメチャクチャにした。


 しかも単なる気まぐれで。


 最低だ、自分。


 彼女は地殻に眠るマグマよりも深く後悔した。


 彼はまだ泣いている。


 それもそのはずだ。


 私は何とかして許してもらおうと頭を下げ続けた。


 「本当にごめんなさい! こんなに簡単に破れるなんて思わなかったの!」


 「本当に反省しているのかい?」


 泣いている割には落ちついた声で彼が話し始めた。


 本当かと言われれば、それは嘘だ。


 しっかりばれている。


 本当は破れる以前に、見ようという心の汚れさえなければ、事件は起きなかったのだ。


 私はさらに彼を怒らせたと思った。


 なんて図々しいんだろう。


 悪いことは悪いから、しっかり反省しようと、小学校の頃から習ってきたのに、いまだに高校生にもなってそれができないなんて、情けなさすぎる。


 みんながそうだから、みんなが一緒だから、それが正しいという理由はないけれど、黙っていれば、ワカラナイ、バレナイ、オイシイトコロダケヲ、キガルニモッテイケバ、ダイジョウブ…


 「私は、みんなと一緒になんて、普通になんてなりたくない。」


 いつの間にか、私は自分から彼に話していた。


 「こんな汚れた世界なんて、大っ嫌い。」


 そうだ、自分は変わりたくてあなたに近づいた。


 なのに、何をやっているのだろう?


 ひょっとしたら、恐ろしいのかもしれない。


 普通じゃなくなることが、恐ろしくてたまらない。


 「なぜ?」


 「え?」


 なぜと言われたことも、なぜと考えたことも、この生活の中では不思議なことに一度もなかったのだ。


 急に心から謝りたい気持ちになった。


 なぜかは、これだけはいくら理由を突き詰めても分からなかった。


 「ごめん、本当は、どうせバカな答えに違いないから、笑ってやろうと思った。 それと、破れないから、大丈夫だと、思った…。 笑いなさいよ。 軽蔑すればいいでしょう!」


 私は後から来るであろう、彼が私をさげすむ目の衝撃に備えるため、徹底的に自暴自棄になろうとした。


 だが、彼から帰ってきた言葉は…


 「よかった。 これで僕の仲間だね。 君は普通じゃなくなった。 おめでとう。」


 本当に変わったやつだった。


 恨まれるどころか、さっぱりとした穏やかな口調で、おだやかな瞳で、逆に祝福までされてしまったのだ。


 突如として立ち上がった彼は、勝手に私を抱いて、慰めるように背中をトントンと叩いてくれて、私は彼と同様に一滴ひとしずくの涙を流した。


 それは、まるでどこかの異国の文化のように軽率で、普通ではなかったが、心から相手を思うずっしりとした重みがあった。


 自分が親におはようも言わない態度に腹がたった。


 ― しかし ―


 「な、何したの?」


 恋人でもない相手に抱かれて、顔を赤くした私は怒りを覚えた。


 それは彼をまだひとかけらも理解していない反応だった。


 「怒ってるのかい?」


 「それ以外に何があるって言うの? これは、そう、セクハラよ!」


 だが、彼はクスクスと笑った。





 「な、何がおかしいの?」


 こぶしを強く握りしめて、私は怒りにわなわなとふるえていた。


 今の今までそうだったのに、彼は簡単にその炎を消してみせた。


 「別に。 僕は僕なりにあいさつしただけだ。 普通じゃないあいさつを。 君はもう普通に戻りたくなったの?」


 でも…


 「大丈夫。 別にいやしい気持ちなんてない。 嫌なら別のを考えよう。 でも、礼とか握手とかはなしだ。」


 心を奪われたというか、私は好意とかいうものとは別に彼を知りたくなった。


 「い、いいわ。 でもこれでおあいこだから、解答用紙破った件は水に流してよね? いい?」


 彼は黙ってうなずくと、教室の出口のところで止まって振り向いた。


 「僕は木島隆平きしまりゅうへい。 君は?」


 「あ、私は、夕華。 久野夕華ひさのゆうか。」


 名前など聞いてどうするのだろう?


 別のクラスだから会う機会もほとんどないし、はっきり言ってあまり近づきたくなかった。


 言いかえれば普通じゃない状況に私が慣れない以上はこの男子生徒に会う勇気がなかった。


 しかし、勇気は出すものではなく、つくるものだとこの時分かった。


 去り際に彼の言った一言で。


 「そうそう、僕が泣いていたのは紙を破られたからじゃない。」


 「え?」


 「よく見てごらん。 それ、僕の書いた悲劇小説だよ? おかしな話だけどさ、自分で書いて、自分で泣いてたよ。」


 だから紙は水分を含んで破れやすくなっていたのだ。


 「さっきおあいこって言ったね。 分かった。 君さえよければいいんだ。 じゃあね久野さん!」


 やられた。


 私は一体、何について謝っていたのだろう?


 「ちょ、ちょっと待てーーーーーっ!」


 勝ち逃げされた後に湧き上がるのは、嫉妬深い女性のもう一つの闇。


 「あのバカ! 許さないんだから!」


 だが、かえって気持ちがスッとした。


 彼にある意味ではあるが、会いたくなった。


 会えるようになった。






 私の普通ではない人生が、こうして始まった。


 面倒ほど面白いものだと、今となっては純粋に考えることができる。


 心の持ちよう一つで、こんなに世界は私唯一の個人的な創造物となるのか。


 私は自分が普通ではないということを誇りに思う。


 自分が異常者と言われようが、なんでもない。 


  ― あの夏にやったことの全てが、普通でないときよりもはるかに輝いていたのだから、私は普通でないことが嬉しい。 ―

 次回の更新は13日の予定です。

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