第6話 アテネ、魔術学院の生活
『銀のアテネと魔道具の街』
―寮生活と学びの日々―
ベル=グラン魔術学院に入学してから、アテネ=グレイは目まぐるしい毎日を過ごしていた。
授業に寮生活、新しい人間関係――全てが初めてで、けれど全てが胸を躍らせた。丘の上にそびえる学院の尖塔、白い大理石の外壁、そしてそこに集う貴族の子女たち。その中に、自分がいるという不思議さは、まだ完全には実感できていない。
それでも、アテネは毎朝、目を覚ますたびに思う。
(夢じゃないんだ)
朝、寮の大きな鐘が鳴ると、共用スペースにカテリー二とパトラが揃うのが日課だった。
「おはよう、アテネ」
「ん……朝からいい天気ね。今日は魔道具基礎の実習かしら」
「おはようございます!」
アテネは慌てて制服の襟を正し、二人の隣に座る。まだどこか緊張が残っていた。名門の令嬢たちと同室という現実に、慣れたようで慣れきれていない。
だが、彼女たちが決して高慢なだけの少女ではないと、この数日で理解できていた。
たとえばカテリー二。公爵家の令嬢でありながら、アテネが机の角に足をぶつけたときは、真っ先に薬草クリームを取りに行ってくれた。
「痛っ……」
「まったく、もう。足元見なさいな。はい、これ塗っておきなさい。傷跡になると台無しよ?」
それにパトラも、授業でアテネが質問につまずいたとき、さりげなくノートの端に図を書いて見せてくれた。
「ここ。魔法陣の繋ぎ目に意識を集中させると、術式が安定するわ」
「えっ……あっ、本当だ。ありがとうございます!」
「別に……気にしないで。わたしだって最初は苦労したから」
パトラの声には、どこか冷静さと温かさが混じっていた。
寮での生活は、学院のもう一つの教室だった。
三人はそれぞれ、勉強スタイルも生活リズムも違うが、不思議とうまくやっていた。共用スペースでは、カテリー二が紅茶を淹れ、パトラが書物を読む傍らで、アテネがこっそり魔道具の組み立てをしている。
「その金具、逆向きじゃない?」
「えっ、うそ、また?」
「ふふ……アテネ、いくつ同じ部品壊すつもり?」
「ちょっとした失敗は大発明の種なんですー!」
笑いが絶えないというほどではないが、温かい空気がそこには流れていた。
授業は想像以上に難しかった。
特に、魔法理論と古代文献の解読は、アテネにとって鬼門だった。貴族の子女たちは、幼い頃から家庭教師の指導で基礎を叩き込まれている。一方アテネは、耳慣れない言葉や式の意味を、寝る前に一つひとつノートに書き出して覚える日々。
「このラテン文字って……呪文の語源なんだ……」
夜遅く、ベッドのカーテンを閉めた小さな空間で、アテネはこっそり魔法書を読んでいた。
寮内はすでに消灯時間。パトラの寝息が聞こえる静けさのなか、アテネはランタンの光を頼りに勉強を続ける。
(がんばらなきゃ……わたし、ここで落ちこぼれるわけにはいかない)
それは焦りではなく、意志のようなものだった。
アテネはまだ、自分の出自を二人に話していない。
孤児であること、貴族の血を引いていないこと、学院に入れたのはある特別な支援によるものだということ――
話せば二人はどう思うだろうか。
けれど、今はその必要がないと、アテネは思っていた。
(だって、今は“同じクラスメイト”だもの)
ある日、魔道具基礎の実習授業で、クラスは小さな演習を行っていた。
“動力石を使った光球の生成”
簡単そうに見える課題だったが、魔力の均衡と集中が試されるため、初学者にとっては難しい。
「んんん……光らない……」
アテネが苦戦していると、斜め後ろからカテリー二が顔を覗かせた。
「アテネ。力の入れ方が雑よ。もっと“流す”感覚で」
「……あ、うん! やってみる」
目を閉じて、呼吸を整え、魔力を石にゆっくりと注ぐ。
次の瞬間、小さな白い光球が手のひらの上にぽっと浮かび上がった。
「……できた……!」
「ふふ、おめでとう。最初の光は忘れられないものよ」
「ありがと、カテリー二さん!」
その夜の夕食後、アテネは共用スペースのソファでぼんやりと光球の感触を思い出していた。
パトラが、読んでいた本から目を上げる。
「何を考えてるの?」
「んー……あの光、ふしぎだったなって。あったかくて、きれいで……なんだか、魔法ってすごいって、改めて思ったの」
「魔法は生き物みたいなものよ。操ろうとすると拒むけど、寄り添うと答えてくれる」
「うわ、詩人みたいですね。
「……別に。経験則よ」
そう言ってそっぽを向くパトラの横で、カテリー二がくすりと笑った。
「いいこと。魔法も、友情も、焦らず育てるものよ」
「友情も、ですか?」
「ええ。すぐには気づけないもの。でも、あなたがここにいて、私たちと同じように学んでいる。それだけで、十分よ」
アテネは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
(いつか……本当のことを話せる日が来るのかな)
そう思いながら、彼女はそっと頷いた。
「ありがとう。ふたりとも……わたし、ここでがんばるね」
「ふふ、当然でしょ? わたしたちのルームメイトなんだから」
「甘えすぎないようにね」
紅茶の香りがほんのりと漂う、夜の共用スペース。
そこは、三人だけの静かな学び舎だった。
まだ始まったばかりの寮生活。
けれどその中で、アテネは少しずつ、大切な何かを育てていた。
魔法と、夢と、そして――
新しい「居場所」を。




