閑話3 チャーリー、子爵家令嬢の話に驚く。
◇ ◇ ◇
話は少し遡って、入学シーズンの少し前のこと。
男爵家バリントンの応接間は、祝いの花と金糸のカーテンでまばゆいほどに飾り付けられていた。
「まあまあ、マリーナ! よく来てくれたわね!」
赤ん坊を抱いたチョコレ=バリントンは、ふっくらとした頬をほんの少し赤らめながら、従妹を迎えた。彼女は赤髪をきっちりとまとめ、貴族令嬢としての気品を身にまとう。
「出産、おめでとうございます。チョコレお姉さま!」
そう言って入ってきたのは、キャンデ子爵家の令嬢、マリーナだった。華やかなドレスの裾を揺らしながら、彼女はにこにこと赤ちゃんに顔を近づけた。
「可愛い~! ……名前は?」
「アルトっていうの。チャーリーが考えてくれたのよ」
「まあ。いい名前ですね」
マリーナが微笑むと、その奥のソファに座っていたチャーリーがちょっとだけ胸を張った。
「オレの初めての子どもだし、ちゃんと考えたんだ。えへん」
「ふふ、それはそれは」
と、その流れのまま、マリーナはさらっと話題を変えた。
「そういえば、わたし、春になったら王都の魔法学校に入学するんです」
「へぇ、どこ?」
「ベル=グラン魔術学校です!」
その名を聞いた瞬間、応接間の空気がピリッと張りつめた。
「えっ……あの、国で一番の……?」
「はいっ!」
マリーナは目を輝かせながら、胸を張った。
「子爵家の子でも合格は大変だったんですけど、必死に勉強しました。筆記試験も、魔力量の測定も、模擬戦も……緊張しましたけど!」
「すごいなぁ……」
チャーリーがポツリと、どこか遠い目で呟いた。
「……あそこって、アテネも合格してた学校だよな」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「……は?」
チョコレの声が低くなる。
「何、言ったの?」
チャーリーは、しまった、という顔をしたが、もう遅い。
「あ、いや……。アテネも、ほら、平民だけど、合格してたって聞いたんだ。あいつ、魔力量すごかったし、道具設計もバリバリで……」
「冗談でしょ? あの子が? 平民の?」
チョコレの顔が、一気に不快そうに歪んだ。
「そんなの、信じられない。あんな、ひたすら働いてるだけの女が、私たちと同じ学校に? ふざけてる」
「……でも、ほんとらしい」
チャーリーは目を伏せながら、静かに言った。
「オレ、孤児院でピエールから聞いたんだよ。あいつが合格して春に魔術学校に行くって」
「……」
「その時、ようやく分かったんだ。オレ、ずっとアテネを『孤児だから』って理由だけで見下してた。けど、本当は、誰よりも優秀で……」
「やめてよ」
チョコレの声が鋭くなった。
「あなた、今さらアテネの味方でもするつもり? この子の父親なのに?」
「そういうことじゃなくて……」
チャーリーの声はどこか弱々しかった。
「ただ、事実を言っただけだよ。……悔しいけど、オレ、彼女には敵わなかった。きっと、ベル=グランでも、すごくやれると思う」
「孤児なんて、どうせすぐ落ちこぼれるわよ。授業料も続かないでしょうし。推薦か何かで運よく入っただけじゃないの?」
チョコレの目は、冷たく光っていた。
その時――
「それは楽しみですわね」
声を発したのはマリーナだった。
部屋の全員が一斉に、彼女に目を向ける。
「アテネさんというのかしら、孤児で魔術学校に入るなんて面白そう、入学したらお会いしたいわ」
チョコレが言葉を失った。
「孤児でどこまでできるのかな? どんな方かお会いするのが楽しみですわね」
マリーナの声には、玩具を与えられた子供のように陽気だった。
「さて、わたしも入学の準備をしなくては、と言ってもほとんどできているのですけどね。おほほほ」
「そうなの、さすがね。では気を付けて行ってきてね」
チョコレが笑顔で見送りの言葉を贈る
マリーナは、にっこりと微笑み返し、その場を去った。
チャーリーは国立魔術学院の話を聞き、アテネのすごさを改めて知ることになった。自分が何を手放したのか、それがようやく分かってきた。
いまさらながら、すべてが遅い。
チャーリーは、ぐっと唇をかんだ。
彼の脳裏には、かつて《星降る歯車亭》で、黙々と作業する銀髪の少女の姿が浮かんでいた。
黙って、誰のためでもなく、ひたすら魔道具を作っていた。あの手は、確かに未来をつかんでいたのに――
自分は、それを踏みにじった。
◇ ◇ ◇
その夜、チャーリーはひとり男爵家の庭に出た。
夜風が肌寒く、でも目は覚めるようだった。
赤ん坊の泣き声が、屋敷のどこかから聞こえる。
自分は、もう後戻りできない道を選んだんだ。
アテネのいない世界で、自分の選んだ責任を背負うしかない。
「……ざまあだよな、本当に」
でも、その言葉を噛みしめながら、チャーリーは思った。
今度こそ、逃げずに前を向いて生きようと。
自分の過ちを認め、受け止めた先にしか、本当の償いはないのだから。




