閑話2 チャーリー、アテネを迎えに孤児院に行く。
アスティリア市街の朝空は、今日も真っ青で少し高く、透き通っていた。
でも――その空とは裏腹に、チャーリーには、冷たい罰の空気がどんよりと重くのし掛かっていた。
あいつは、自分の欲のためにアテネを裏切った。婚約者としてのまっとうな待遇すら与えず、利用して、しかも冷たく突き放した。そんなチャーリーに、世間はちゃんとざまあを言っていた。
◇ ◇ ◇
チャーリーは、自分の店《星降る歯車亭》でひとり、ぼんやりと作業台に座っていた。
アテネがいなくなって半年――この店は、とんでもないほどガタガタになっていた。
「……お前、何もできねえな」
棚の整理もままならず、歯車の調整もぐちゃぐちゃ。客は文句を言い、リピーターは消えた。
そんな中で、チャーリーはただ、ため息をついているだけだった。
あの頃、アテネがいたら……と過去を思い出す。でも、その後悔は遅すぎた。
◇ ◇ ◇
その時、店のドアが強く開かれた。重い音とともに、ピンクの髪をきっちり束ねたコウージョが入ってきた。笑顔は、もはやどこにもなかった。
「……チャーリー。ちょっと話、あるわ」
その声には、静かな怒りがにじんでいた。
「アテネには、ここに戻ってきてもらわないと困るわ。ちゃんと給料を払って、仕事として雇えば戻ってきてくれるはずよ」
コウージョは、冷たい言葉を続けた。
「あなたのせいで、この店はボロボロよ。アテネの存在の大きさに気づけないなんて……まったく、どうかしてるわ」
チャーリーの表情がぐらりと揺れる。まるで足元が崩れるみたいだった。
そこへ、父・バートンも重い足取りでやってきた。
「……お前、なぜ浮気したんだ!男爵令嬢よりもアテネの方がずっと良いだろう。アテネのどこに不満があったんだ。なぜ、ちゃんと認められなかったんだ。才能も、働きも、すべて。利用しかしてこなかった。そんなやつに店を任せられない」
バートンの一言は冷たく、ずっしりと胸に響いた。
「……クズだな、オレって」
チャーリーは、痛いほど自覚していた。彼は、自分の立場や欲望から逃げ、自分の責任からも目をそらしていた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、チャーリーは孤児院《セント・アステリアの家》へ向かった。
古い鐘楼の影が、冷たく長くのびていた。
ドアをノックすると、修道女のシスター・カレンが顔を出した。
その横には、ピエール=セドリックが立っていた。
「アテネには会えません。彼女はもう、ここにはいない」
カレンの言葉に、チャーリーの胸が凍った。
「学院に合格して、旅立った。魔法学院に」
ピエールが冷たく告げる。
「いまさら遅いんだよ、チャーリー」
その一言で、チャーリーの足元が崩れそうになった。
アテネは、自分がずっと見下していた存在だった。
それが――まさか学院に合格するほどの才能の持ち主だったなんて。
「君は、何も見てなかったんだな」
ピエールは吐き捨てるように言った。
「優しいだけじゃ、何も変わらない。あなたみたいな人間には、もう戻ってきてもらいたくなかった」
チャーリーの喉がぐっと詰まる。言い返そうにも、言葉が出なかった。
◇ ◇ ◇
帰り道、チャーリーの心には、沈むような焦りと後悔だけが残っていた。
あの頃、アテネにしてきた仕打ちが、一つ一つよみがえる。
「平民のくせに」と、見下していた自分。
「便利に使える存在」としてしか見てなかった自分。
そのせいで、アテネはたったひとり、自分の夢を諦めて……いや、自分のために自分の夢を封じてた。
そして今、彼女はその封印を解いた。魔法学院という、自分も知らない場所へ向かった。
「ざまあ、って……本当に、ざまあだ」
毒のように思ったその言葉は、自分への嘲笑だった。
でも――その嘲笑に、なんだか救われる気もした。
◇ ◇ ◇
その夜、チャーリーは暗い作業場でひとり向かい合っていた。
アテネが残していた設計図。それは、自分には到底理解できないほど高度なものだったけれど。
それでも……それでも、やるしかない。
「アテネにだって、もう帰ってこないかもしれない」
それでも腐ることしかできなかったあの日の自分より、前に進むために。
設計図に手を伸ばすその手が、かすかに震えた。
だけど、言った。
「ざまあ、オレも……変わるよ」
その声には、ほんの少しだけ自嘲と、少しだけ希望が含まれていた。
店の歯車は、再びひとつずつ噛み合っていくべきだ。
たとえアテネが戻らないとしても───彼女が見下したこの店で、チャーリーはやり直すべきだと思った。
そう、ざまあされるくらいじゃないと、生き直す価値さえないんだから。




