第25話 アテネ、おじいさまからの返事を受け取る。
――祝典への道――
それからの一週間、アテネはそわそわと落ち着かなかった。
講義に出ても、魔道具工房に入っても、ふと気がつけば手元の作業が止まり、机の片隅に置いた便箋の封筒を眺めてしまう。
――おじいさまは、何と返事をくれるだろう。来てくれるだろうか。それとも……。
そんなある日の夕方。女子寮の玄関ホールで、寮監のエリザおばさんが封筒を手にして待っていた。
「アテネさん、お手紙が届いてますよ。王都からの急ぎ便です」
「……!」
アテネの胸が一気に高鳴る。
封を切る指が、わずかに震えていた。
『親愛なるアテネへ』
お前の手紙を読み、老いぼれたこの心がどれほど震えたか知っているかね。
ミコノス島での働き、王都でも話題になっておる。わしは誇らしくてたまらん。
祝典のエスコートの件、もちろん引き受けよう。
一週間後の式典当日、朝九時に迎えの馬車をそちらへ向かわせる。
共に城へ参ろう。お前の顔を見るのを、楽しみにしておる。
後見人のおじいさまより
「……来てくれる……」
アテネの頬がふっと緩んだ。胸の奥にじんわり温かいものが広がる。
あの厳しくも優しい文字は、何度も夢で見た姿を思い出させる。わたしの支援者でまだ一度も会ったことがない、後見人。おじいさまは素性も明かさず、ただ支援を続けてくれた謎めいた後見人。
部屋に戻ると、カテリー二とパトラがソファで紅茶を飲んでいた。
「アテネ、どうしたの? なんだか目が輝いてるわよ」
カテリー二がカップを置き、琥珀色の瞳を細める。
「うん……おじいさまが、祝典に来てくれるって!」
「それは良かったじゃない!」パトラが珍しく声を弾ませる。
二人とも、アテネの最近の沈んだ様子を気にしてくれていたのだろう。三人で顔を見合わせて、思わず笑い合った。
カテリー二が立ち上がり、
「じゃあドレスを選ばなくちゃね。王城の式典なんて、一生に一度あるかないかなんだから!」
と宣言する。
「うん……ありがとう、二人とも」
アテネは本当に心からそう思った。
式典までの日々は、思いがけず忙しかった。
授業の合間に仕立て屋へ行き、淡い水色のドレスを選んだ。銀色の髪に映える色で、胸元には小さな水晶の飾りがついている。
靴も、手袋も、ショールも新調した。
孤児院時代はお下がりばかりだった自分が、こんな準備をしているなんて――少し信じられない気分だった。
その一方で、ふとした瞬間に、レオナルドの顔が頭をよぎる。
あの晩、真剣な眼差しで告げられた言葉。
『結婚してくれ』
けれど、平民で孤児の自分が、貴族社会で彼の妻としてやっていくなど……考えるまでもなく、無理だとわかっていた。
断った瞬間の彼の沈んだ表情を思い出すと、胸がちくりと痛む。
それでも、魔道具の研究で人の役に立つ――その道を選んだことに後悔はない。
今は前を向いて進む時だ。
そして、祝典の朝。
ベル=グラン魔術学院の中庭に、磨き上げられた黒塗りの馬車がゆっくりと入ってきた。扉には、見慣れぬ紋章。
「アテネ=グレイ様のお迎えに参りました」
御者の声が響く。
カテリー二とパトラが寮の玄関で見送ってくれた。
「楽しんできてね、アテネ!」
「おじいさまによろしく」
二人の笑顔に背を押されるように、アテネは馬車に乗り込んだ。
窓の外を流れる王都の景色。
丘の上にそびえるベル=グラン魔術学院の尖塔が遠ざかっていく。
胸の奥で、高鳴る鼓動が止まらなかった。
(ついに……おじいさまに会えるんだ)
馬車は王城へと向かって、石畳の大通りを進んでいった。
アテネの新しい物語が、静かに、でも確かに始まろうとしていた――。




