第2話 アテネの受験勉強
『銀のアテネと魔道具の街』
――第二章 冬の試験、春の約束――
アスティリア市街の北西。古い鐘楼の陰にひっそりとたたずむ孤児院《セント・アステリアの家》。
その日も、石畳の中庭では子どもたちの元気な声が響いていた。
「アテネねえちゃん! 見て見て、これ作ったの!」
「わあ、上手にできたね! 魔道具の細工よりむずかしいかも?」
銀色の髪を揺らしながら、アテネ=グレイはにこにこと笑った。17歳。元気で、明るくて、誰にでも優しい彼女は、孤児院の子どもたちにとって憧れのお姉ちゃんだった。
でも今、彼女の胸の中には、ひとつの大きな目標があった。
――魔術学院の受験。
冬に行われる王都《ベル=グラン》の国立魔術学院への試験。魔道具の理論と実技を問う難関で、合格すれば、王立認定の魔道具師の道が拓ける。
そのため、アテネは毎日勉強と孤児院の手伝いに励んでいた。
孤児院の裏庭に設けられた学習スペース。
そこにはアテネの勉強仲間でもある、青髪の少年――ピエール=セドリックがいた。
「アテネ、昨日の問題、もう解けた?」
「えっと……まだ途中だけど、図は描いてみたよ! 見てくれる?」
「うん。あ、ここの接点、エーテル線が交差するから、逆極性になるかも」
「うわっ、本当だ! ありがと、ピエール」
ピエールは18歳。アテネと同じ孤児院で育った、真面目で努力家の少年だった。来春には進学か就職かを選ばなければならない。
だから、二人はともに、魔術学院合格を目指して頑張っていた。
「でも……もしどっちかしか受からなかったら、ちょっとやだよね」
「受かるって! 二人とも。絶対!」
アテネは拳を握って笑った。
その笑顔に、ピエールの目が少しだけ揺れたのを、アテネは気づかなかった。
そんなある日、シスター・カレンから告げられたのは、援助を受けるための“条件”だった。
「王国の貴族院が、あなたたちの進学を後押ししてくれるそうよ。ただし、週に一度、学院生活を報告する手紙を書くことが条件なの」
「手紙……? 誰に送るんですか?」
「詳しいことはまだ分からないけど、貴族院の“教育監督局”宛てになるわ」
「へぇ……なんだかちょっと、緊張しますね」
けれどアテネは、条件をすんなり受け入れた。
――だって、夢に近づけるのなら、どんなことでもやってみせる。
それが今の彼女の決意だった。
そして、試験当日。
アテネとピエールは、王都から派遣された試験監督の前で、緊張しながら筆記と実技を受けた。
魔道具の設計図を描く手が汗ばむ。エーテルの流れを調整する実技では、ほんの小さなミスが致命的になる。
でも――やるだけ、やった。
「これで落ちたら、もう笑うしかないね」
試験後、二人で笑い合ったあの時間は、きっと一生忘れない。
数日後。冷たい風が吹き抜ける朝。
王都からの合格通知が、孤児院に2通の手紙が届けられた。
アテネは、自分宛の手紙を開ける。思わず声を上げた。
しっかりと――『アテネ=グレイ 合格』。
その瞬間、何もかもが報われた気がして、涙がこぼれそうになった。
けれど。
「……ピエール?」
ふと隣を見たとき、彼の姿がなかった。
振り返ると、青い後ろ姿が、走り去っていくのが見えた。
「ピエール!!」
アテネは咄嗟に追いかけた。
雪のちらつく坂道を駆けて、ようやく見つけたのは、孤児院の裏の小道。そこに、背を向けて立ち尽くすピエールがいた。
「ピエール……!」
「来なくていいのに」
彼は、ゆっくりと振り向いた。
目には、涙が浮かんでいた。
「こういうときは、追いかけてこないもんだぞ。泣いてるんだから、かっこ悪いだろ?」
そう言って、泣き笑いの顔で、アテネに向かって笑った。
「あはは……不合格だった。完全に、負けたよ」
「ピエール……」
「でも、悔しいけど、嬉しいよ。アテネが受かったってことがさ」
彼はポケットから何かを取り出した。
それは、小さな、青い羽根の飾り。
「お守りにでもしてくれよ。……俺の分まで、頑張れ。俺の気持ち、アテネに預けたから」
「ピエール……!」
「俺は街の魔道具店に就職するよ。後は頼んだぞ」
風が吹いた。
青い髪が揺れ、彼は背を向けて、孤児院裏の坂道をゆっくりと下っていった。
アテネは、その背中をずっと見送っていた。
春になれば、アテネは王都ベル=グランへ行く。
魔術学院で、新たな学びの日々が始まる。
心には、ピエールの言葉と、彼の気持ち。
それが、アテネにとって、何よりの力になっていた。
「絶対、頑張るよ。あなたの分まで」
銀色の髪が、朝日にきらめいていた。
その瞳の奥には、迷いのない光が、しっかりと宿っていた。
 




