閑話3 トミー編 王都、王宮での活動
―― 王都にて ――
王都の空気は、グレイ伯爵領の静かな空気とはまったく違っていた。
石造りの建物が立ち並び、馬車や人々の行き交う音が絶えず響いてくる。空には雲ひとつなかったが、その青空の下でさえ、どこか忙しなく感じられるほどの活気に満ちていた。
グレイ領を出発してから三日。トミー=クルールは、ようやく王都に戻ってきた。長旅の疲れはあったが、馬を降りるときには、どこかほっとしたような顔をしていた。
トミーの足が向かったのは、王都の中央区にある、ベル=グラン魔術学院の研究塔だった。王宮直属の研究機関であり、魔術と古代文明の研究を担う、重要な施設でもある。そして、その塔の一室に、今回の依頼主――レオナルド=ハイルがいるはずだった。
塔の前に立ち、トミーは扉を軽く叩く。しばらくすると、中から若い助手のひとりが顔を出した。見覚えのある顔だ。
「あっ、トミーさん……!」
助手の青年は驚いたように言った。
「やあ。レオナルドはいるか?」
そう尋ねると、助手は少し困ったような顔になって、首を横に振った。
「……先生なら、今はいません。少し前に王宮からの要請があって、南方のミコノス島に向かったんです。何か重要な遺跡調査があるとかで」
「ミコノス島……? あそこは魔力の流れが特殊な島だったな。急ぎの調査ってことか」
トミーは軽く眉を上げたが、納得したようにうなずいた。
「そういうことならしかたない。こっちも急ぎってわけじゃない。戻ってくるまでに、こっちの準備を進めておくさ」
そう言って、彼は塔の階段を降りた。
――アテネ=グレイに関する情報。それも、王宮時代のもの。
レオナルドがいないのなら、今のうちに自分で動いておこう。王都には、記録庫や古文書館、そして王宮の管理室など、過去の記録をたどれる場所がいくつもある。
グレイ伯爵領で得た情報は、いずれも“現在”に関するものだった。だがアテネの過去――特に、王宮で侍女をしていたという時代の記録がわかれば、彼女の“消えた理由”に一歩近づけるかもしれない。
* * *
その日から、トミーの地味で根気のいる調査が始まった。
まず訪れたのは、王都北部にある「中央記録庫」だった。ここには、王都に住む貴族や王宮の使用人などの名前、身分、任期などの記録が保管されている。
入り口で許可証を見せ、中に入ると、無数の木製の棚に分厚い帳簿が並んでいた。
「さて……二十年前の王宮使用人の記録、と」
目当ての年代の棚を見つけ、トミーは古い帳簿を何冊も取り出しては、ページをめくっていった。文字は古く、時にかすれていたが、読み解くには十分だった。
何時間もかけて、ようやく彼はそれらしい記録を見つけた。
《アテネ=G、侍女見習い。王宮南棟勤務。所属期間、在籍約四年。》
名前の最後の「G」は、グレイの略に違いない。ただし、姓そのものがはっきり書かれていないのは、当時まだ正式な身分が確定していなかったのか、それとも意図的にぼかされたのか――。
トミーは、さらに記録の端に書かれた注釈を見つけた。
《在籍記録、第四年目の途中で抹消。理由記載なし。》
「……途中で、消されたか」
トミーは小さくつぶやいた。
これはただの退職ではない。記録が“抹消”されたということは、意図的にその存在を消そうとした誰かがいた、ということだ。
王宮の中で何が起こったのか――
その答えを求めて、彼は次に「王宮管理室」へと向かった。一般人が簡単に立ち入れる場所ではないが、過去に王宮で働いたことがあるという“設定”を持っているトミーには、いくつかの抜け道があった。
古い知り合いの門番に小声で話しかけ、午後の一番人の少ない時間を狙って中に入る。
管理室の奥、古文書を保管する一室。埃っぽい空気の中で、トミーは薄い布に包まれた冊子を見つけた。侍女たちの配置表らしい。
ページをめくり、南棟、厨房、洗濯室、応接室――それぞれの係に名前が並んでいる。
「……あった」
トミーの指が止まった。
《アテネ=グレイ(記録削除)》
横に、赤いインクで書かれた言葉が添えられていた。
《機密指定:王命》
その言葉を見た瞬間、トミーは一瞬、息を止めた。
「王命……? つまり、王の命令で記録を消したってことか……?」
事実なら、これはただの使用人の記録ではない。王が直々に、ひとりの侍女の記録を消すというのは、よほどの理由がなければ起こりえない。
アテネ=グレイ。
ただの伯爵家の娘。かつて王宮で働いていた少女。
だが、その記録は意図的に消され、事故で死んだとされ、そして領地からも過去の痕跡は消された。
――彼女は本当に、ただの娘だったのか?
どこかで、なにかに巻き込まれたのか。
あるいは――なにか、“知ってしまった”のか。
思考の中で、トミーは深く息をついた。レオナルドがミコノス島から戻ってくるまで、まだ数日はかかるだろう。その間に、もう少し記録を探してみる価値はある。
彼女の過去。消された真実。そして、王の命による機密指定――
少しずつ、しかし確実に“つながる何か”が見えてきていた。
塔に戻る帰り道、夕日が王都の屋根を赤く染めていた。
トミーはそれを見上げながら、ポツリとつぶやいた。
「さて、次はどこを探るべきか……」
過去を追う旅は、まだ続く。
だが確かなのは、真実はすぐそこまで近づいている、ということだった。
 




