第18話 アテネ、蒸気のシレーネを完成させる
蒸気のシレーネ、動く
それは、朝焼けの時間だった。
アテネとレオナルドは、村の端にある岩場――地熱の出ている場所に立っていた。海が近く、潮風が強い。でも、二人ともその風さえも気にならない様子だった。
目の前には、ついに完成した《蒸気採水機:シレーネ型》の試作一号機が置かれていた。
「できたね……」
アテネは胸の前で手をぎゅっと握る。
大きさは大人の背丈ほどで、外見は少し無骨な金属の箱だった。中には海水を入れるタンクと、魔法で制御される加熱装置。導管の先には冷却ユニットがつながり、透明なガラス瓶が取り付けられている。
蒸気を冷やして水に戻す――ただそれだけ。でも、それはこの島にとって大きな意味を持つ技術だった。
「よし、じゃあ……起動しようか」
レオナルドの声に、アテネはこくりと頷いた。
「制御陣、展開。魔力、注入します」
アテネがそっと魔力を注ぐと、魔道具の中央に彫られた円形の陣が淡い青色に光り始めた。
ひゅう、と風が吹く中、装置の中から、じりじりと何かが温まり始める音が聞こえてくる。
――ゴウン……ゴウン……
「地熱の取り込み、正常」
アテネがメーターを見てつぶやいた。
内部の“熱循環魔核”が地熱を感知し、それを魔力で増幅して海水を温めていく。やがて、金属パイプの中を、白い蒸気がふわりと流れ始めた。
「来た……! 蒸気、出てる!」
アテネの声に、レオナルドも前のめりになる。
蒸気はゆっくりとパイプを通り、冷却ユニットへと向かった。そこでは、冷却魔法の制御陣が稼働しており、パイプの外側から蒸気を冷やしていく。
数秒後――
ぽたり。
ガラス瓶に、一滴の透明な水が落ちた。
「……!」
「やった! アテネ、成功だ!」
ぽたり、ぽたり。
水滴が続けて瓶に落ちる。ゆっくりだけど、確実に、真水が生まれていた。
「ほんとうに、できた……!」
アテネの目が潤んだ。
試作一号機は、小さな規模ではあるものの、確かに「海水から飲み水を作る」ことに成功していた。しかも、島の地熱を使っているため、燃料コストもかからない。
「これ、村の人たちにも見せたいです!」
「その前に、テストをもう少し重ねよう。持続性、安全性、そして天候の影響も調べたい」
「はい!」
その日は、装置がどれだけの水を作れるのか、どのくらいの魔力を消費するのかを細かく観察した。風が強まったときには冷却効率が落ちること、夕方になると地熱の安定供給が少し変動すること――いくつかの課題も見えてきた。
けれど、アテネの目は、前よりずっと自信に満ちていた。
◇ ◇ ◇
夕方、アパートメントに戻ったアテネは、ダイアナ所長に報告をしに行った。
「地熱を使って、海水から真水を作る魔道具を完成させました!」
ダイアナは珍しく、目を丸くして驚いた。
「ほう……あなた、ただの学生じゃなかったのね」
「ありがとうございます。でも、これはレオナルドさんの助けがあってこそです。村の人たちの協力もなければ、こんなに早くできませんでした」
ダイアナはゆっくり頷くと、窓の外を見た。
「この島には、昔から魔道具師がたくさん来たけど、観光や研究だけで帰る人がほとんど。でも、あなたは“何かを残そう”としてくれたのね。……たいしたものよ」
その言葉が、アテネの胸にじんわりと沁みた。
◇ ◇ ◇
数日後、アテネとレオナルドは村の広場で、村人たちに《シレーネ型》を披露することになった。
子どもたちが目を輝かせて集まり、大人たちが少し不思議そうに見つめる中、アテネは丁寧に装置を説明した。
「この装置は、地面の熱を使って海水を蒸発させ、その蒸気を冷やして水に戻す魔道具です。特別な材料は使っていません。島にある部品と、少しの魔力で動きます」
そして、起動。
青い光が走り、装置の中で海水が温められ、再び真水が瓶にぽたり、ぽたりと落ちていく。
「おお……!」
「これ、ほんとに海水から?」
「飲んでいいのかい?」
「はい、大丈夫です。塩分も完全に除去されています」
村の老人がそっと一口飲む。
「……うまい。これは……冷たくて、まろやかだ」
「本土の水より、よっぽどうまいぞ!」
あちこちで歓声が上がった。
アテネは、思わず空を見上げた。
ミコノスの澄みきった青空が、いつもよりももっと広く、明るく感じられた。
◇ ◇ ◇
その夜、浜辺で小さな打ち上げが開かれた。村人たちが用意してくれた果物やパンを囲んで、笑顔と笑い声があふれていた。
レオナルドがアテネに小さなグラスを渡した。
「このジュース、もちろん今日の《シレーネ》の水で作ったやつ」
「……おいしい!」
その味は、ただの果汁よりも、もっと特別な意味が込められていた。
「アテネ、君はもう一人前の魔道具師だよ」
その言葉に、アテネは小さく笑った。
「でも、まだまだです。やりたいこと、作りたい魔道具、たくさんあるから」
「その意欲があれば、君はきっともっとすごくなるよ」
夜風が心地よく吹いた。
アテネの手には、設計図の新しいページが開かれていた。
そこには、次のアイデアがすでに描かれている。
――魔道具で、世界を少しずつ、便利に、やさしく変えていく。
そんな未来が、彼女にはきっと見えていた。




